誕生日の前日(2)
ウルの胸に痛々しく浮かぶ模様を見て、アーキルが顔をしかめた。
「馬鹿な……。なぜこんな魔法を……」
突然のことに呆然とするティナとヨナスに、アーキルが手を伸ばした。
「ヨナス君、下に行ってシャロンを、いなければサイラスでも良い。とにかくどちらかを呼んで来なさい。私では魔力の詳しい解析ができない」
「えっ、は、はい、わかりました」
指されたヨナスがぴんと背筋を伸ばし、すぐに扉に向かった。
アーキルはベッドのサイドテーブルに置かれていたノートを掴むように手に取り、猛然とページをめくり始めた。ウルが倒れてから付き添っていた先生たちが交代で様子を書き留めていたノートだ。リナリアはおびえた顔をしたティナの手を握って、おそるおそるアーキルの顔を見上げる。
「先生……この模様は何なんでしょう。魔法陣みたいに見えますけれど」
アーキルはノートから目を逸らさずに口を開いた。
「……魔力属性を偽装する魔法だ。外見を変えて見せる変身魔法は古来から存在するが、変身している間は魔力を常に使用し続けねばならず、魔力構造上人間が使い続けるのは非常に難しい。そこで身体に直接魔法陣を刻み込む魔法が発明された。魔力属性を変更して見せるのも外見偽装の応用だ。魔力を放出する際にこの魔法陣を通ることで身体の内の魔力属性と外に放出される魔力属性が変化するようになっている。本来、身体に紋様を刻む魔法は契約か呪いの二択で、この魔法は呪いの方を参考にされているため、被術者には苦痛が伴うはずだ。また非常に高度で一般には普及していない。当然、特別図書室にもこんな魔法が載っている本は存在しない。この魔法を使用する者の主な目的は――」
アーキルの眉間の皺がぐっと深くなる。
「……諜報、あるいは逃亡。何らかの理由で身を隠す必要がある者」
ティナが不安そうにウルの顔を覗き込んだ。
(バーミリオン様が言っていたことと同じだわ)
〈こいつ本当に学者気質じゃな。話が長い。しかしなるほど、変身魔法と呪いの応用じゃったか。魔法陣を使うのはほとんど人間じゃ。われの弱点でもあるから、現代魔法に詳しいやつが味方におるのは良いことじゃ〉
アーキルはノートをめくっていた手を止め、ペンを取ってノートの反対側を開き、猛然と何か書き始める。
「まさかウル君が一人でこんな魔法ができるとは思えん。術者は誰か別の者だろうが……この魔法をかけられた経緯についてはウル君本人から聴取するしか無かろう。となると現在昏睡状態なのは――」
ぶつぶつとつぶやきながらアーキルがペンを走らせているのを見守っていると、扉がバン! と開いた。ヨナスを先頭にシャロンとサイラス、そして後ろからマチルダがついてきた。ヨナスがぜえはあと息を切らして床にへたり込んだので、ティナが背中をさすりに行く。
「あ、アーキル先生! あのっ、先生たち、ふたりとも、呼んで、きましたっ。神官サマも、手伝って、くれて……」
「アーキル、どうしたのです。ウルに変化がありましたか」
アーキルは黙ってウルに目線を向ける。
「ウル君の身体を見たまえ。魔力属性を偽装する魔法陣が浮き出ている。君達は今まで何も感じなかったのかね」
二人はウルの身体に駆け寄って胸の模様を確認しに行く。
「……これは……私は初日から見ていますが、このような模様には気がつきませんでした。授業中も、おかしな気配は……」
「私は寝ていたウルの身体を清めたこともあるが、脱がしたときこのような模様は無かったぞ!! しかしアーキル、私は魔法理論は専門外だ! つまり何をどうすればよいのだ!」
アーキルはぎろりとサイラスを睨んでから、ノートをめくり新しいページにまた何かを書き続ける。
「……ならば何らかの理由で模様を隠していた魔法が今切れたのだろうか。そうだな、今のウル君の状態の原因として考えられるのは……魔力暴走によって、刻まれた魔法陣に通せる許容量を超えた大量の魔力が放出され、偽装魔法そのものが壊れかけた可能性がある。現に、その魔法陣の周囲が腫れているだろう。目が覚めないのは、その反動ではないだろうか。となると根本的に治すためには、魔法をかけ直して魔法陣を修復するか、または魔法を解除するか、だが、かけ直すのは論外だ。現在のウル君の体力ではもたない可能性がある。解除できないか分析していたが、丁寧にやる必要があるので非常に時間がかかる。やはりウル君の体力との兼ね合いになってしまう。本格的に解除するにしてもまずは目を覚ましてもらわねば――」
「話が長い!!! つまりどうすればよいのだ!!!」
大きな声を出すサイラスの服の背中をシャロンが軽く引いた。リナリアも思考中のアーキルを止めない方が良いように思えたのでひやひやしていた。アーキルは舌打ちをして、サイラスにノートを突き付けた。リナリアも背伸びしてみると、何らかの数式のようなものと、ウルに刻まれている魔法陣に書き込みがされたものが書かれている。
「過程を飛ばして結論を急ぐな。要は壊れかけの魔法陣が無理に働こうとして、支障が出ているわけだ。ウル君からは魔力が漏れていないように見えるが、実際は魔法陣のせいで胸のあたりに変換前の魔力が集まり留まっているはず。目が覚めないのはおそらくそれが原因だ。それを放出させるために、魔法陣にこれらの古代文字を書き添え、わざと効力をゆるめる。計算の結果、これがウル君の体力と魔法の効果のギリギリのラインだ。本来ならば彼と同属性の魔力で刻み入れるのが安全だが、闇属性となると……」
シャロンとサイラスが顔を見合わせる。ティナとヨナスも困惑した様子で、手を取り合っていた。
「闇属性ですって?」
「まさか!! そんな気配は全く!!」
アーキルがちらとリナリアを見下ろす。
「リナリア君が、あの日ウル君から闇属性の魔力を感じたと証言していた。私もはじめは信じていなかったが、魔法陣の文字を解読した結果、確かに闇属性から土属性への変換式が刻まれていた」
シャロンが頬に手をやって息を吐く。
「それは、魔力操作を教えている身として全く気がつかず、お恥ずかしいですわ」
「それは探知担当の私こそだ、シャロン!! いや、それよりも、学舎に闇属性の教員はいないが、他属性でも大丈夫なのか!?」
「魔法陣に関わる属性でなければ、反動が来る……闇属性でなければ土属性……つまり学舎ではガリオ長官が該当するが……」
三人は何も言わずに視線を交わす。シャロンとサイラスも、この状況からガリオ長官を怪しみ始めているのかもしれない。
「アーキル、闇属性魔力を刻むというのは、物体に込められた魔法を間接的に使用するなどでも良いのか!!」
「多少別属性魔法が混ざるが、少量ならば問題あるまい。可能だ」
「ならば、以前リナリア様にお貸しした闇属性魔力のこもった遺物が――!!」
「馬鹿者、お前が発掘してくる遺物は古すぎる。新しく込められたものでなければダメだ。シャロン、水晶のストックに土属性は」
シャロンが力強く頷いた。
「ございます。この子たちの同期に土属性はいませんが、年長の見習いには土属性がおりますので」
「ならばそれで対処しよう。ストックをあるだけ持ってきてくれ」
シャロンが部屋を出て行ってから、アーキルはリナリアと、床に座り込んだままのティナ、ヨナスを順番に見た。
「ヨナス君とリナリア君は今日は帰りなさい。ティナ君だけ、少し話があるから残ること」
「え……私だけ……?」
ティナが不安げな目をしてこちらを見た。ヨナスがティナの顔を見た後、きりっとした顔をして立ち上がる。
「アーキル先生、僕も同席させていただいて良いですか。ただいるだけで口は挟みませんし、秘密は守ります。ティナもまだショックが大きいですし……傍にいてあげたいです。何かあればフォローすることもできます」
「よ、ヨナス、いいよ、そんな……」
ティナが笑顔を作ろうとするが、ぎこちない。ヨナスがティナの手をぎゅっと握る。
「一人で話聞くの不安なんでしょ。顔見たらわかるよ。こんなときくらいは年上に頼りなさい!」
リナリアもティナの反対側の手を握った。
「アーキル先生、わたくしも一緒にいたいです。お友達のことですもの」
「ヨナス……リナリア様……」
アーキルはしばらく黙っていたが、ふうと息を吐いた。
「……わかった。君達ならば構わないだろう。結論から言えば、ガリオ長官のことだ」
「が、ガリオ先生……? えっと、大事なことなのに、ここに、呼ばないのかなって、思ってたん、ですけど」
ティナがおびえた顔をする。アーキルは重々しく頷く。
「……状況的に、ガリオ長官がウル君に魔法陣を刻んだ可能性がある。その場合、少々面倒でね。ティナ君もガリオ長官の弟子だったね」
「はい。私が正式にガリオ先生の弟子になったのは、リナリア様の世話係に任命されることが決まってからですけど……」
「……今後、ガリオ長官との接触には気をつけなさい。何か指示されたことや聞かれたことがあれば、私たち三人の誰かに報告し、何かあってもガリオ長官には細かく報告しないように」
「え……え……?」
ティナは明らかに混乱していた。
サイラスがアーキルの背中をばしっと叩く。
「いっ……!」
「話は長いのに言葉が足りんな!! いきなりそのようなことを言われても困惑するなという方が無理だろう!! ティナとはじっくり話す必要がある!! やはりシャロンも交えて改めてしっかり話し合うべきだ!!」
サイラスが三人に向き直る。
「ウルの施術にも、ティナへの説明にも時間がかかる! リナリア王女は明日のパーティーのために無理をしてはいけない!! 王女・王子の誕生日は国家行事だからな!! ヨナスは残っていいが、リナリア王女は侍女と戻りなさい!!」
サイラスがいつになく強めに宣言する。リナリアが迷いながら二人を見ると、ヨナスがにっこり笑って親指を立てた。
「大丈夫ですよ、リナリア様、ティナのことは僕がしっかり見ておくので」
ティナも頷き、口角に力を入れて微笑もうとしていた。
「だいじょうぶです。リナリア様。明日のお誕生日パーティー、私も楽しみにしているので……行ってください」
二人の言葉を受け、心配は消えなかったけれどリナリアも頷いた。確かに、残って体調を崩した方がティナも、きっとウルも気に病んでしまうだろう。
「……わかりました。ヨナス、ティナのことお願いしますね。先生、ウルのこと、よろしくお願いいたします」