父と子(2)
「ウルの大事なときに味方になってくれない……? どういうことだ」
父が怪訝そうに聞き返す。リナリアはウルの顔をちらりと見た。
「……ガリオ長官のウルへの接し方は、ウルを苦しめることが多いです。期待しているからと何かにつけて呼び出すのも、人目のあるところで叱るのも、わたくしと接する際に身分差をわきまえた行動を徹底させるのも、ウルが来る前の弟子と比較するのも……何より、聖誕祭のとき、ウルが一番つらいとき、ガリオ長官はいじめた子の方をかばい、これはウルに与えられた試練だと言いました。わたくしはあのとき、ガリオ先生はウルの味方にはならない人なのだと思ったのです」
父は腕組みをする。
「……お前のような子供から見ると悪に見えても、それは当人のためを思って厳しく接しているということもあるだろう。特にガリオ長官は神官でもあるのだから、困難を試練に捉えるのも不思議はない」
騎士団に属し、王族としても厳しい教育を受けてきた父だから、そういうふうに捉えるだろうことも想定の範囲内だった。リナリアは落ち着いて頷く。
「それは、理解できます。けれど、その子に対してマイナスの面が多ければ、大人だって接し方を直すべきではないでしょうか。もし、それができないのならば絶望的に相性が悪いということです。だから少なくとも、ガリオ長官はウルと相性が悪いのだと思います。
アーキル先生はウルの味方になってくれます。けれど、ウルだけをひいきする人ではありません。あの先生は平等で、正義感の強い方だと思います。授業は厳しくて、こわい時もあるくらい。でも、信用のおける先生です」
父は口を片手で覆い、しばらく沈黙していた。
「……お父さま、ウルはお母さまを亡くしてからずっと一人でした。孤児院では年少の子どもたちのお世話をしていたそうです。検閲官見習いになってからも、ウルは皆のお兄さんで……わたくしもたくさん頼ってしまって、お世話をしてもらって……。ウルだって、きっと誰かに甘えたかったはずです。それでもいつだって優しく微笑んでくれました。そんな強いウルが唯一折れそうになったのが、聖誕祭でガーネットのペンダントを奪われてしまったときです。あんなに弱り切ったウルを見るのは初めてでした。それまでいじめられて、悪口を言われても、服を破られても、水をかけられても、本を盗まれても、ずっと一人で耐えていて……それはお父さまとお母さまをつなぐペンダントがあったから。そのペンダントだけが、ウルの心の支えだったんです。
お父さま、ウルを守ってあげてください。ウルにこれ以上試練を与えないで。もう彼は十分すぎるほど試練に耐えました。今、ウルの心の支えになれるのは、ペンダントだけではないはずです」
父は黙ってリナリアの話を聞いていた。リナリアは自分の手に涙が落ちたのに気がついて、大きく息を吸った。ず、と鼻をすすって、本当の子供のようにごしごし目を拭く。
「……この子も、絵を描くのだったか」
ぼそりとつぶやかれた言葉に、リナリアはこくこくと何度も頷く。
「聖誕祭の大きな看板のデザインをしたのはウルです。絵を描くのが、好きだって」
「……青い瞳なのだな」
「わたくしが、毛糸で作った青い腕飾りを贈ったら、注意されてしまいました。平民の間では、相手の髪の色や瞳の色の贈り物は家族や恋人にするものなのだと」
「芸術祭に出した絵を描いていたときに、町民に聞いた。若かった私は、それは良い習わしだと思い……高価すぎるから受け取れないと言われてしまったがな。受け取ってくれなければ森の泉に捨てるだけだと言って、無理やり渡したようなものだった」
「……ウルが起きたら、話してあげてくださいね」
ウルの手を、父が両手で握る。
「後見を変えるとなると、相応の理由が必要だ。お前の言い分はわかったし、私はそれを信じるが、ガリオ長官に保護者としての明らかな問題行動が認められねば難しい。そして、やはりウルが起きてから意志を確認する必要もあるだろう」
「……そう、ですか」
父がリナリアの言葉を信じてくれただけ良しとすべきなのだろうか。他の解決策を探すか、ガリオ長官の考えていることを暴かないと、と密かに考え始めたとき、父がウルの顔を見つめたまま、また口を開いた。
「この場で出来ることは無いが……ロゼリアとよく相談し、親子関係について改めて調査もした上で、ウル本人とも話をして、この子を私の子として公にするかを決める。それが通れば後見も必要ない」
目を見開いて、父の顔を穴の開くほど見つめた。父は、ふと目を細めてリナリアを見た。
「お前がそう落ち着いているのは、特別賢くても子どもだからなのだろうな。もっと成長したら父のことを嫌いになるかもしれん」
リナリアは何も言わずに口を尖らせる。
(中身は成長しておりますけれども……嫌いとかそういう問題では無いです。ウルのことを知っていて隠していたのならケイベツするとは思いますが、知らなかったのなら仕方ありません。でもウルが本当にお父さまの子どもなら、お父さまは父として責任は取るべきです)
〈あとはお前の母が懸念していた王位継承問題じゃな。政争や暗殺のような物騒なことが起こらんように気をつけておく必要があるじゃろう。一番ええのは王位継承権を与えないことかもしれないが、制度上可能なのかどうか〉
(ウル自体は継承権を必要としているようには見えませんが……やはりガリオ長官や他にもウルを利用しようとする貴族が出て来るかもしれませんからね。以前クロックノック様が語ってくださった『レガリア滅亡の物語』では、「レガリア王の庶子」は出なかったのですか?)
〈出てこんかった。もしかしたら時期がずれておっただけで、ウルは放っておいたら例の階段で死んどったのかもしれんぞ〉
物騒な可能性にゾッとする。しかし、その可能性も否定はできない。
(あのとき助けられてよかったです……お母さまのケアとウルの保護の仕方は要検討ですね。王家の事情や歴史に詳しい方で味方ができると良いのですが……。お兄様の身の安全は、ソティスが正式に護衛になってくれれば安心だと思っています。わたくしこそ、ウルの問題に積極的に首を突っ込んだ責任がありますから、継続してしっかり考えていかなくては)
〈うむ。ウルは優秀な魔法使いじゃし、腹黒ジジイから離れて立場が安定すれば現状よりも強力な味方に化けてくれるかもしれん。なんにせよ、まずはこいつが目覚めることが第一じゃがな〉
もう一度ウルを撫でてから父が立ち上がり、リナリアを抱き上げる。
「今日は戻らねば。今はウルが早く目を覚ますことを祈ろう。それと……危険が無いのならば、警戒を緩めて友人も見舞いに来られるように手配しよう」
「……はい」
「心配するな、リナリア」
父がウルにしたのと同じようにリナリアの頭を優しく撫でる。
「前にも言っただろう。自分の子に、優先順位なんてあるはずがない。全員等しく、大事な子だと。お前たちへの愛は変わらないし、そしてウルもまた大切にしよう。お母さまにも誠意をもって話す」
「お父さま……よろしくお願いいたします」
部屋を出る前に、父の肩越しにもう一度ウルを振り返った。
(ウル、早く起きてください。わたくしも、お父さまも、ティナもヨナスも……待っていますからね)
夕食の席に母は現れなかった。代わりに珍しく父が同席したのでヘレナとグラジオは不思議がりながらもテンションが高く、それぞれ一生懸命に近況を父に話していた。ヘレナが父と話しているとき、ひとり静かにスープを飲んでいたリナリアにグラジオが話しかけてきた。
「今回はリナも寝込んでた割には元気なんだな! いつもならしばらく部屋で食事なのに」
「はい。幸運でした。パーティーではリオン様と踊る約束もしておりますから……明日はお休みするように言われておりますけれど、また練習しておかなければ」
「ああ、そうだっけ。そういえばクローブとラビィもまた来るんだってな。前日からパーティーの翌日まで滞在するってさ。今度は生き物や誤解を招くような贈り物は持ってこないって皇帝に言われてるって手紙が来たぜ。あれでクローブも反省してるみたい。そうだ、父上! クローブが来たら鷹を飛ばしてみせてやりたいんだけど……ダメ?」
父は甘えてくるヘレナを撫でながらこちらを見た。顎髭を撫でて眉を寄せる。
「パーティーの前と当日はダメだ。パーティーの翌日ならばよい。その代わり、必ずソティスを同行すること」
「やった! わかりました!」
グラジオは無邪気にこぶしを握って喜んだ。それがほほえましくて、浮かない気分だったリナリアも自然に表情がゆるむ。
「お兄さま、鷹の名前は何になさったんですか」
「ムート。古レガリア語で勇気って意味があるんだぜ」
グラジオが胸を張った。父がにやりと笑う。
「なんだグラジオ、古レガリア語の座学は逃げていなかったのか」
「さ、最近はそれなりにやってるよ……リオンにはまだ剣術で勝てるからいいとして、リナに抜かれたらほんとに嫌だし……」
兄がちらっとこちらを見るので、にっこりと笑った。
「たぶん、算術はそろそろお兄さまに追いつきますよ。近々教えて差し上げられるかも……」
「うわあああ、リナ、俺が算術苦手なの知ってるだろ!?」
「グラジオ、食事中に騒がない」
父に注意されてグラジオがしゅんと俯く。今のはリナリアにも原因があったので一緒に頭を下げた。それを見てヘレナがくすくすと笑う。
「おにいさま、おねえさま、しょんぼりしてる! ねえねえおとうさま、こんどいつおえかきするの?」
「そうだな……またしばらく忙しくなるから、リナリアの誕生日の後になるだろう」
「そうなんだあ……わかりました! ヘレナ5さいだから、いいこでまってます! おねえさまは、おたんじょうびはなんのおねがいするのかなあ!」
「ああ、そうだ……リナリアは去年のような珍しいものを頼むなら早めに言っておくように。ヘレナも、準備が要る願いは今度からはちゃんと先に相談すること」
父がヘレナの鼻をきゅっとつまむ。ヘレナが「きゅう」と鳴くような声を出すと、父は嬉しそうに目を細めて見ていた。
今後、ウルがこの席に加わることはあるのだろうか、と想像した。自分たち家族の形も大きく変わるけれど、みんなで笑いあえる未来が見たいと思った。母にも気持ちの整理をする時間も必要だろうから、今すぐには難しいだろうけれど。
(ウルは優しくて面倒見が良いから、きっとヘレナと相性が良いのではないかしら。お兄様はどうかしら。ウルのこと、どう思うかしら。自分の地位を脅かす相手だとお思いになることがないと良いのですけれど……いきなり家族にならなくても、お友達として変わらず仲良くできたら……)
一番心配なのは、勝手に余計なことをしたとウルから嫌われることだった。それでも、たとえ嫌われてしまっても、ウルが心穏やかに暮らせるような結論になればと願わずにはいられなかった。