夢 ~1~
◆ ◇ ◆
目を開けると、そこは馬車の中でした。うたたねしてしまっていたのでしょうか。けれど、いつもの馬車ではありません。白を基調とした輝くような内装、深い赤色のやわらかな腰掛、クッションもあって、中は広い。きっと長距離移動を想定したものなのでしょう。
そのまま視線は窓の方へ。流れる景色は、レンガ造りの家、石畳の道、各家には庭木や花があります。季節の花にあふれた花屋の入り口、鍛冶屋の煙、パン屋から出てくる子供の笑顔。城下町の、穏やかなレガリアの民の生活です。
でもなぜかしら。人々は、馬車を見ると慌てて家に入ってしまうのです。おかしいわ、いつもなら皆、手を振ってくれるのに。
やがて馬車は森に差し掛かります。うっそうとしたこの森は、外敵から城を守る役割もあるそうだけれど、いつも少し怖いのです。森の奥には恐ろしい魔法生物がいると、幼いころから聞いているからかもしれません。だから、わたくしは森を通るときはいつも本を読んだり、ばあやとお話したりするのです。でも、どうしてかしら、ずっと窓の外を見ているのは。暗い森の奥に何かを探すように、ずっと外を見ているのです。
すると、木の上で何かが光った気がしました。急いでその光を追おうとしましたが、馬車の速度のほうが速いので、すぐに通り過ぎてしまいました。あの光はなんだったのかしら。それからも、視線はずっと窓の外。時々、小さなうさぎやリスが見えました。それから、やっぱり時々森の一部がきらりと光ることがあります。けれど、それが何かはわかりません。あの光は何かしら。
城門に着いて馬車から降りると、お兄さまが立っていました。腰に手を当てて、腕を組んで、不遜な感じですが、うれしそうなお顔をしていらっしゃいます。口を開いて――
「 」
何かおっしゃったようでしたが、何も聞こえません。そういえば、馬車の音も聞こえませんでした。何も聞こえなくなってしまったのでしょうか。でも、不思議と恐怖心はないのです。
かちりと場面が切り替わります。
そこは玉座の間の前でした。大きく扉は開け放たれて、視線の先にはお父様とお母様がいらっしゃいます。けれど、二人ともいつもと表情が違って見えます。なんだかよそゆきの笑顔だわ。しばらくお二人とお話してから、ふと横を向くと――そこには黄色のドレスを着たわたくしが、幼いわたくしがいました。ばあやの後ろに隠れて顔をそうっと出しているので、今の時点でその全容はわかりません。
近くまでいって立ち止まると、わたくしはおずおずとした様子でばあやの後ろから出てきます。ばあやにそっと押されるようにして、やっと向かい合うことができました。
ああ、これは。
以前のわたくしです。
過去に戻る前、初めて5歳の誕生日を迎えた日のわたくしです。
それなら、この視点は?
この景色を見ていたのは――
改めて考えなくとも、その次のわたくしの表情を見れば一目瞭然でしたね。
ああ、なんてうれしそうな顔。ぽうっと見とれてしまって、何も言えないでいる。恥ずかしがってすぐにばあやの後ろに隠れてしまった。
きっとこの時も困らせてしまったのでしょうね。
また、場面が切り替わります。
次の景色は、城の庭園。まだ満開ではないけれど、みずみずしいつぼみがほころび始めていて、春の始まりを感じます。と、目の前に小さな女の子が飛び出してきて、ころりと転んでしまいました。
ピンク色のふわふわのドレス、やわらかな栗色の髪。ヘレナでした。
スカートのボリュームがあるからか、ヘレナは立ち上がるのに苦労していたようでした。近寄って助け起こすと、ヘレナはにっこりと笑います。転んだのに泣かないなんて、えらい子だわ。それに、絵画に描かれた天使のようにかわいらしくて、いつまでも見ていられるような、つられて一緒に笑ってしまうような笑顔でした。
それからしばらく、近くのベンチでヘレナと一緒に過ごしていました。やがてエリカがお迎えに来てお別れする前に、ヘレナが小さな手で「彼」の手を包みます。
ヘレナが見えなくなるまで見送ってから、パーティーの会場に戻ったようでした。会場では、レガリア貴族の皆様が入れ替わり立ち替わり目の前にいらっしゃいます。けれど、わたくしたち王族に見せる表情とは少し違っているような。よくいえば興味深げ、悪く言えば物珍し気にこちらを見下ろしているような感じを受けます。視界の端に映る貴族の方は、こちらの方を見て何か話しているようです。これは、会場にずっといたくないと思われても仕方のないことでしょう。
最後にお父様の紹介があるまで、その視線がわたくしをとらえることはありませんでした。
次の場面で見ていたのは、空でした。曇り空から、ちらほらと雪が舞い降りています。ずいぶん長く空を見ていました。
視線を移すと、うれしそうなお兄さまの顔、お兄さまの後ろで微笑みながらうなずいているわたくし、そして、エリカに抱っこされたヘレナ。レガリアの三兄妹はみんな楽しげな笑顔をしていました。まるで雪が、女神さまの贈り物のように。
急に、景色の見え方が変わりました。
まるで馬車を全速力で走らせているように、目の前の光景が次々に流れていくのです。とてもすべてをゆっくり見ることはできません。なんとか捉えられたのは、真っ白な雪、雪玉を投げるお兄さま、雪うさぎ、手紙、雪、夜空、城門、暗くなった部屋、ベッドに横たわる――顔に白い布が掛けられた状態の女性。
胸の上で組まれた細い手に自分の手を伸ばそうとして、突如引きはがされるように倒されてしまいました。見上げれば、そこには恐ろしい顔のアルカディール国王が立って、こちらを見下ろしているのです。
『さ わ る な』
と、その口が動くのがはっきりとわかりました。
それからずっと、見える景色は真っ暗でした。
正確には、何かぼんやりとは見えていました。けれど、それは見えないのと同じでした。目に入るものを何も認識しないようにしているような、そんな印象を受けます。
そんな、何もない世界が。
こちらに向かって伸ばされた小さな小さな手を捉えた時から、急に広がり始めました。
乳母の腕に抱かれた、小さな小さな赤ちゃん。
そっと手を伸ばすと、赤ちゃんの手がきゅっと人差し指を握るのです。
赤ちゃんは「彼」と同じ赤い瞳で、こちらをじいっと見つめていました。
視界がぼやけ、まばたきしたとき、世界に光が戻っていました。
◆ ◇ ◆