夢 〜対話〜
◆ ◆ ◆
「――リア、――ろ」
近くで声が聞こえます。頭がぼうっとしていて、言葉がはっきり認識できません。でも、低温が心地よく、とても心に沁み込んでくるお声です。そう、まるで、大人のバーミリオン様のお声みたいな……。
「――リナリア」
その声が、はっきりとわたくしの名前をお呼びになったとき、意識が唐突に覚醒しました。わたくしは、やわらかいところに横たわっているようでした。
それよりも、いま、バーミリオン様の声が、わたくしの名をお呼びになったような……。
そろりと目を開けると、天井はなく、真っ暗な闇だけがありました。ああ、ここは黒い夢で……と、思い当たった瞬間にバッと身を起こしました。
わたくしは赤いソファーに横たわっていて、腰にはマントがおふとんのように掛けられていました。
そして、隣には――。
「起きたか」
バーミリオン様が椅子に座って腕を組み、こちらを見ていました。いつもの玉座ではなく、城に普通にある椅子に足を組んで座っていらっしゃいます。心なしか、ちょっと不機嫌そうです。
「今、あの、わたくしの名前……あっ、このマントは」
「……もう来るなと言ったのに」
眉をひそめてぶすっとしたお顔もまたお美しいです。つい見とれてしまいそうになりましたが、今わたくしは怒られているということに気がついて、ソファから足を降ろし、座ったままではありますが姿勢を正しました。
そういえば前にお会いしたとき、縋るように泣いてしまったことを思い出し、だんだん恥ずかしくなってきました。
「も、申し訳ございません……バーミリオン様はきっともうわたくしの顔など見たくないでしょうに……」
下を向いて指を交差させていると、バーミリオン様は大きなため息をつきました。
「別に、そういう意味じゃない。いいから、今回はどうして来たのか支障ない範囲で話せ」
どうやらわたくしの顔も見たくなかったのに――というお叱りではなかったようなので、そこはひとまずホッといたしました。
「はい。最近は魔力の扱いが上達したので、あまり魔力の暴走は無かったのですけれど……今日は、検閲官のお友達と庭園をお散歩したんです。それで、お友達の一人が、お散歩中に気分を悪くして、気がついたら魔力を暴走させてしまっていました。そうしたら、土属性のはずの彼からなぜか闇属性の気配がしたのです。それで、ええと、光属性の魔力を送ったら暴走が抑えられるかと思って……この間……バー……リオン様に教わった方法で、彼に魔力を流して……」
ちらっとバーミリオン様を見ると、目を閉じて腕を組んだまま、人差し指をトントンとせわしなく動かしていました。ああ、イライラなさっています。
「少し前にそんなこともあったな……では、魔力を流す量を誤って流しすぎたために呪い本体の闇属性魔力を抑えきれなくなった、と、そういうことか?」
「あ……結果的には、たぶん……でも、ちょっとおかしなことがありまして……。その、彼の暴走がましになった感じがしたので、一度魔力を送るのをゆるめたのですが、急にわたくしの胸の奥から彼の方に魔力が勢いよく流れ出して止められなくなってしまったのです」
バーミリオン様が目を開けました。リオン様と同じルビー色の瞳がわたくしをまっすぐ見つめています。
「魔力を流すのが止まらなくなることは、慣れないうちにはよくあるが……一度ゆるめるのには成功したが、突然あふれ始めたのだな」
「はい。引っ張られるようでこわかったです」
「ならば、呪いの影響だろう。呪い本体と同じ闇属性に魔力が引っぱられたのかもしれんが、気がかりなのはその『オトモダチ』だ。その男は何者だ?」
バーミリオン様は真剣な顔をなさっています。もしかして、協力してくださっているのでしょうか。そうだとしたらとてもうれしいのですが、ウルについてどこまで話して良いものかわからなくて少し躊躇ってしまいます。
「ええと……。リオン様へのお手紙に何度か書いたことがあります。ウル、という、わたくしのお世話係をしてくださっている方です。聖誕祭に関連して、神官見習いの子たちにひどくいじめられていて、階段から突き落とされそうになっていたのを、助けました」
バーミリオン様の眉がぴくりと動きました。
「フン、グラジオからの手紙にもあったヤツだな。非常に不本意なことだが、『リオン』はウルに関心がある。その者のせいでお前が倒れたと聞いたら気が気ではなかろうな。面倒なことに」
「え、リオン様はウルに関心が……?」
確かに、以前の手紙でどんな人か尋ねられたことがありました。けれど最近は話題にも出ていないのですが……。バーミリオン様はパタパタと煙を払うように手を振ります。
「いや、余計なことだったな、忘れろ。それよりも……土属性だと思っていたのに闇属性だった、とそう言っていたな」
「あ、はい。検閲官の入門時に皆自分の属性を検査するのです。それに、彼は植物とお話出来る固有の魔法がありますし、土属性だと思っていたのですが……彼が暴走しているときの気配が、わたくしが闇属性の魔力を探知したときの感覚と同じでした」
バーミリオン様が足を組みかえます。とてもかっこいいです。
「人間は二種以上の魔力属性を持つことは無い。しかし、自分の魔力属性を偽る術はある。体のどこかに偽る属性の魔力を魔法陣として刻む。これは自らに呪いをかけるようなものであり刻み込む際に苦痛を伴うため、その魔法の使用者といえば諜報員なりお尋ね者なり、そうまでして身分を隠す理由のある者と相場が決まっている」
「魔法陣……あ!」
ふと、ウルが水をかぶった日、毛布に包まれていた彼の体が見えたときのことを思い出しました。
「わたくし、見たかもしれません。彼の胸元に、痣のような刺青のような模様が――」
「……ふうん? 服で見えるような位置にあるとは思えないが、いつ見たんだ?」
そう言うと、バーミリオン様は面白がるようににやりと笑いました。
「う、ウルが、頭から水をかぶって、あの、ふ、不可抗力と申しますか! 決してわたくしがのぞいたり、めくったりしたわけでは」
「ふうん? まあ、今それはどうでもよい」
あっさり次の話題に進んでしまうようです。なんだかわたくしが一方的に動揺させられてしまいました。
バーミリオン様は顎に手をやって唇を軽く人差し指で撫でてから、お話を続けられました。
「ウルはわざわざ本当の属性を隠して城に来た理由があるということだ。それが自分の意志か誰かの意志かはわからんが、協力者がいるだろう。土属性あるいは何らかの手段で土属性の魔力を刻める存在が。レガリアで子供が魔法を独学で学ぶのは限界がある。術者は魔法の知識が豊富な大人と見るのが妥当だろう。ここまでの情報を聞いたうえで、お前の心当たりは?」
彼にじっと見つめられ、わたくしは覚悟を決めました。
今、この人はわたくしの味方になってくれようとしているのだと信じたいから。
「……ウルは、もしかしたら、わたくしとお母さまの違うお兄さまなのかもしれません。それとウルの後見をしているガリオ長官という方の、ウルへの扱いを疑問に思っていました。もしかしたら……ガリオ長官が、ウルを使って王家に何かしようと……画策しているのかも」
バーミリオン様はわたくしの話を聞くや否や、眉をひそめ――それから「クッ」とお笑いになりました。わ、わたくし何かおかしなことを言ってしまったのでしょうか。バーミリオン様は立ち上がり、わたくしの方へ一歩ずつ近づいてソファの隣にお掛けになりました。
「ひゃ」
「――そうか、そういうことか。教えておいてやるが、その情報はアタリだぞ。お前たちには確かに腹違いの兄がいる」
彼はわたくしの胸元に人差し指をつきつけ、不敵にお笑いになりました。その言葉の内容やら、この至近距離やら、不敵な笑顔のお美しさやら、色んな感情で胸がぎゅっと締めつけられるような感じがします。
わたくしは理性を総動員して、必死の思いで返事を絞り出しました。
「どっ、どうしてバーミリオン様がウルのことを……」
「ウルがそうだというのは今わかったことだが……私はそれを知る機会があった。そしてガリオ長官。大神殿の副神官長を兼ねているガリオ・コンバラリアだな。なるほど、あやつならばやりそうなことだ。ヤツからしたら、ウルは最高の価値を持つ宝石の原石のようなものだろう」
「ガリオ長官をご存じなのですか?」
しかも、そのお口ぶりだと、ガリオ長官は悪い方のような感じがいたします。バーミリオン様はフン、と鼻でお笑いになりました。
「一時期、一方的にまとわりつかれていた。非常に面倒だったが、なるほどそういう切り札があってアルカディールに接触していたのか……それと、調べれば簡単にわかるだろうが、あの男は土属性だ」
「あ、アルカディールに接触……!? では、レガリア滅亡の内部の原因は、ガリオ長官……? でも……」
ちらとバーミリオン様の表情を伺います。
「なんだ」
「……バーミリオン様が、ガリオ長官のような人と手を組んだり、あの人の計画を利用して何かをするようには思えません」
バーミリオン様が目を細め、にやりと口の端を上げて挑発的な顔をなさいます。こ、これは、ご機嫌がよいときの表情ではないでしょうか!?
「面白いことを言う。その見立ては間違っていない。ああいう男と手を組むのは私の美学に反する。それに、私がレガリア滅亡の計画を立て始めたとき、あの男はもう死んでいた」
「え……!? そうだったのですか」
そのような訃報は全然覚えていませんでした。バーミリオン様が少し呆れたような表情になります。ちょっと恥ずかしいですが、色々な表情が見られるのはうれしいです。
「お前は座学や礼法の成績や社交界での評判は良かった癖に、本当に国内の動向に興味が無かったのだな。グラジオも国内の魔物事情には詳しいわりに城内の事情には全く関心が無かったし、ヘレナはそもそも政治にも社交にも関心がなかった。お前たち兄妹は揃いも揃って王族としての自覚に欠けすぎている。そういうところが――」
バーミリオン様は言いかけた言葉を抑えるように口に手をやり、黙ってしまいました。
静かに言葉の続きを待っていたら、彼は口の端を吊り上げて、ご自分の髪をかきあげます。どうしてこの空間には絵師がいないのでしょうか。
「お前が馬鹿でなければ、今手元にある情報を総合して見えることがあるだろう。それと、そちらからの無茶な注文で『私』にダンスの練習などをさせているのだから、戻ったら一刻も早く回復しろ」
ハッとして、力強く頷きました。リオン様とのダンスの機会をふいにするわけにはいきません。
「絶対に回復します。そしてわたくし、絶対リオン様もバーミリオン様もお幸せに……あ、そうです」
正直言って答えていただけると思えませんでしたけれど、それでもやっぱり聞かなくてはいけません。
「バーミリオン様の、一番の『幸せ』はなんですか」
彼はふっと目を細めて――わたくしの額を指でビシッと弾きました。わたくしはおでこを押さえて、涙目になった瞳でバーミリオン様を見つめるしかありません。
「い、いたいです」
「阿呆な質問をするからだ。私が『リオン』と同様に何でも答えると思うな。そんなことをお前に言う義理は無い」
「うう……良いです。では自分で見つけます。バーミリオン様をお幸せに出来る方法を」
おでこをさすりながらも、改めて気合を入れます。バーミリオン様はそんなわたくしを黙ってご覧になっていましたが、「そういえば……」と口を開きます。
「なんでしょう!」
「お前、以前ルビーが好きだと言っていたことがあったな。あれはなぜだ? 誕生石でもないし、一体なぜなのかと……」
「は……」
あまりの衝撃に両手で口を覆ってしまいました。
わたくしがバーミリオン様に好きな宝石のお話をしたのは、10歳のときレガリアの図書館で遭遇したときのことです。あのときの会話は一言一句覚えているので間違いありません。そのことを覚えていてくださったなんて――。
感動のあまりぽろ、と涙が一筋こぼれてしまって、自分でもびっくりしました。バーミリオン様も目を丸くなさって、呆れた顔で、でも笑って、親指でわたくしの涙を拭ってくださいました。
「お前の情緒はどうなっている。泣くような問いではないだろう」
「ご、ごめんなさい。覚えていてくださったのが、うれしくて……バーミリオン様です」
「は?」
バーミリオン様が怪訝そうに首をかしげます。本当に彼にとっては意味が分からない理由なのでしょう。恥ずかしくても、もう次にいつ会えるのかの保証もありませんから、わたくしは今度こそちゃんと笑顔でお伝えします。
「ルビーは、バーミリオン様の瞳の色に似ているから好きなのです」
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