新しい年の始まり
結局、報告を受けたのは夕食も終わった後だった。
戻ってこないクロノを気にしつつ、家族に年末の挨拶を済ませて部屋に戻ったら、部屋にハーピー姿のクロックノックがいたのだ。ベッドに座った彼女は憮然とした表情で「戻りがおそいぞ」と言った。
「クロックノック様!? 変身は解かれたのですか?」
あわててクロックノックに近づくと、クロックノックはすぐにリナリアと両手――正確には羽の先――をつないだ。
〈今日ついでに色々調べようと思って魔法を連続で使っていたら力を使いすぎた。確認のために、自分でちらっと【未来視】も使ったのが大きかったかのう。さ、腹が減ったから、早う魔力を流してくれ〉
「は、はい! お疲れさまでした」
リナリアが魔力を流すと、クロックノックの体が金色の光をまとい始める。
〈まずな、あのあと隠遁魔法で近づいてみたら、エルクの小僧が井戸の近くで一人うなだれておった。飛んで上空から確認してみたところ、リースが一人で歩いているのを見つけた。そこで、戻ってエルクの取り巻きの……えーと名前は忘れたがどっちかに変身して、エルクに近づいたんじゃ。
どうしたのか尋ねると、「うるさい!」と突き飛ばされた。ほんに乱暴な奴じゃ。腹が立ったから「振られたか」と煽ってやったら、掴みかかられそうになった。ま、避けたがな。「あいつのために」とかなんとか言うておった。それ以上のことは聞き出せなかったが、あの反応は図星じゃったかもしれん〉
「あいつのために……? 状況的には、リースが看板の左側……ガーネットを塗りつぶした犯人で、それを一人でやったと主張していたエルクは、彼女を庇っていたということになるでしょうか」
〈その可能性が高そうではあるな。黒い絵の具の乾き具合も、左側の方が先に塗られていたことを証明しておる。次にリースじゃ。エルクに構っているうちにリハーサルとやらが始まってしもうたから、隠遁を使って一階の見習い席を確認しに行った。ウルとルオナは参加していたが、リースの姿が見えんでな。念のために看板を確認しに行ったら、なんと物陰から見ておるんじゃこれが。あいつ執念深すぎじゃろ。今日は声のでかいやつがずっと見張っておったから近づけんようじゃった。
じゃから、ルオナに変身してリースの近くに行ってみたんじゃ〉
リナリアは、クロノのときの口調を思い出して少し不安になった。
〈そうしたらあの女子、抱きついてきてな。「明日のプレゼント、楽しみにしていてね」と言っておった。聖誕祭の日に贈るというプレゼントのことじゃろうか〉
「……いえ、レガリアでは聖誕祭の日にプレゼントを贈るのは大人から子供へ……子ども同士でプレゼントを贈ることは一般的ではありません。あの子たちがアルカディール出身ということなら、そういうこともあるかもしれませんが」
〈ふうん……。状況的にウルのガーネットと関係するかもしれんと思ったので、「いつ、くれる?」と聞いてみたんじゃが、「お楽しみ」と言われたぞ。そのあとルオナの姿で別れた後も監視しておったが、しれっと席に戻っていた。ちなみに看板じゃがリハーサルの後、サイラスが再び回収していったから被害はない。
そういうわけで、容疑者は二人じゃろう。おそらく看板事件の一人の犯人で何か企んでいるらしいリース、そしてリースに振られてむしゃくしゃしとるエルク〉
リナリアはこくりと頷く。
「はい! それにしても……クロックノック様、確かにお疲れでしたね。ありがとうございました。魔力の方はいかがでしょうか。もう少し必要ですか?」
〈うむ! もっと欲しい〉
無邪気に「お代わり」を要求するクロックノックがかわいらしく見えて、リナリアはくすりと笑った。クロックノックは金色に輝きながら、リラックスしたように表情を崩す。
〈お前の洗練された魔力は大変質が良い。量は多くないが、この大きさになってもよくよく全身に行き渡る。呪いで縛られているためなのか、お前の固有魔法はまだ解析できぬが、我ら精霊にとってはこの魔力自体に価値がある。魔力を使えるようになってえらいぞ〉
魔力の補給がよほど気に入ったのか、クロノの姿に戻ってからもクロックノックはずっと上機嫌だった。寝る前にリナリアが日記を書いているとき、思い出したように「あ」と言った。
「そういえば、明日じゃが……朝に、ええことがあるぞ。今日はさっさと寝て、早起きをしろ」
言われた通り、翌朝は早起きをした。クロノがカーテンを開けると窓から清々しい光が差し込む。空は明るく、綺麗に晴れ渡っていた。
式典に参加する日とあって、今日はばあやの来る時間もいつもよりずっと早かった。今日リナリアは王女としての参加になるため、服装はドレスだ。神官服にも共通する黒と赤のドレスを着せてもらい、髪のセットをしてもらっているときに、少し急いだ様子で部屋のドアがノックされた。
「あら、どなたかしら。こんなに早く」
ばあやが小走りで対応に出る。髪結が得意な侍女が髪を可愛らしく編み上げてくれるのを眺めていると、ばあやの「まあ大変!」という声が聞こえた。
「ばあや? どうしたの?」
心配になってばあやを呼ぶと、ばあやはニコニコと笑みをたたえて早足で戻ってくる。その手には――白い封筒と、プレゼント包装された小さな箱があった。
ハッとして鏡越しにクロノを見ると、目を細めてニヤニヤしている。「良いこと」と言うのはもしかして……。
待ちきれなくて、ばあやから白い封筒と箱を受け取る。封筒には、アルカディールの紋章が入っていて、箱は淡いピンク色のリボンが掛けられ、少し細長い。中身を見るのが待ちきれなくて、うずうずしてしまう。けれど、他の人に見られるわけにはいかない。先ほどまでは興味深く見つめていた髪結も、つい早く終わらないかと思ってしまい、じりじりと焦れるような気がした。
髪結が終わると、リナリアはぴょこんと椅子から降りてベッドに移動する。今ならここで読めば誰にも見られないだろう。
封筒の中には、二つ折りにされたカードが入っていた。
ドキドキしながらカードを開くと、上半分には白い衣装をまとった女神リリアと、その周りに小さな精霊たちの絵が描かれていた。下半分に、ていねいな字でメッセージが書かれている。
―― ☆ ―― ☆ ―― ☆ ――
リナリアさま
新しい年のいちばん最初に私の手紙を読んでほしくて、わがままを言ってこちらの文使いを急がせました。聖誕祭より前に届いたでしょうか。
このカードは精霊が描かれていて、きれいな絵だったので、リナが好きなんじゃないかと思いました。
アルカディールでは、聖誕祭の日にプレゼント交換をします。誕生日以外にプレゼントを贈れる機会なので、私は好きです。
一緒に贈ったプレゼント、どうか気に入ってもらえますように。
リナのお手紙も読んでいます。そちらの返事はまた改めて。
新しい年が、リナにとって良いものでありますように。
――バーミリオン・マーリク・アルカディール
―― ☆ ―― ☆ ―― ☆ ――
(誕生日以外にプレゼントを『贈れる』なんて、お兄様とは反対の発想……。リオン様は本当にお優しいのね)
どきどきしながら、細長い箱の包装を解く。リボンには細かい模様も縫われていてとてもきれいだった。
箱を開けると、中にはガラスで出来たペンが入っていた。
「わあ」
明かりにかざして見ると、ペンの中にも美しい細工が施されていて、光を集めて美しかった。リナリアにはどうやって作ったのか全然わからなかったが、レガリア国内にはない技術なのだろう。
落としてはいけないので、もう一度箱に戻し、いそいそと机にしまう。淡いピンク色のリボンだけ、ばあやのところに持って行って腕飾りとして巻いてもらった。
朝食の準備が整うまでの時間にもう一度手紙を読み直していると、ふと気がついたことがあって、クロノに念話で話しかける。
(聖誕祭が始まるまでの間に、クロノに確認してきてほしいことがあります。もしかすると、犯人の目的がわかるかもしれません)
朝食を済ませた頃に、ソティスが迎えにきた。扉を開けると【未来視】で見た通りの正装を着て彼が立っていた。リナリアの部屋にいた若い侍女たちが色めき立つ。
「今日も正装がお似合いですね」
笑いかけると、ソティスは「どうも」とだけ返事をした。
「今日は人に見られるので必要以上にお抱きすることができません。頑張って歩いてください」
「ええ、もちろん! 頑張りますよ」
今までの自分だったら出来なかったことも、きっと今の自分なら出来る。
今日はハッキリと「あるべき未来を変えた日」になるのだ。
城から神殿までの道には、警備の衛兵が等間隔で並んでいた。もちろん、全てリナリアのためだ。
帰省せずに残った使用人が、城の回廊や図書館付近に集まってこちらを見ている。例によって、女性使用人はソティス目当てだろう。きゃっきゃとはしゃいでこちらを見ている。
神殿に近づいていちばんに目に入ったのが、入口の傍らに飾られたウルの看板だった。昨日はまだ完成していなかった右端の花の部分も色が塗られており、その一つは、あの日一緒に作った赤だった。黒のシルエットで描かれた女神の髪の先が色づき、花びらが舞う絵には確かにウルの魂がこもっていた。
ウルが看板の前でサイラスとアーキルに挟まれて笑っている。サイラスに背中を叩かれていたのは、【未来視】のまま。ただし、見えた順番は時系列でなかったのは少し気になった。やがて三人はこちらに気がつくと、皆揃って頭を下げた。アーキルがあんなに丁重に頭を下げるのを見るのは初めてかもしれない。今日は警備の列を外れて近くに行けないので、その場に立ち止まってドレスの裾をつまみ、礼をした。
神殿の内部には母が言っていた通り、貴族らしき装いの人々が立ち話をしていた。彼らは、リナリアを見つけると近づいてきて挨拶を始めたが、ばあやが「姫さまはまだ体調が万全ではございませんので」とそれを阻止する。
ばあやはこのまま貴族の対応をするために階下に待機することになっている。別れる時に、ばあやが小さくこちらに手を振った。
階段の前でソティスがリナリアを抱き上げようとして、ピタッと固まる。おそらくドレスを見てどう抱くか迷ったのだろう。リナリアはコホンと咳払いをしてスッと片手を出した。元々、自分でのぼるつもりだったのだ。ソティスは少しバツが悪そうに視線を逸らしてからその手を取り、エスコートに切り替えた。
「……足元にお気をつけて。裾を踏まぬよう」
「慣れていますから、ご心配には及びませんわ」
敢えて少しツンとして言うと、ソティスが微かに笑った。その瞬間の表情を切り取ったら絵画作品になりそうだと思ってしまう。
階上のリナリアの席は、周囲を護衛に囲まれていた。下が見やすいように、そして下からも見やすいように、椅子が高くしてあった。一度始まったら自由に動けないのは想定内だったので、今日の動きについてはあらかじめクロノと打ち合わせはしてあった。
座席の傍らには、色紙の花びらが入った小さなカゴが置いてある。一人一つずつ用意されているのだろう。なんとなく、リナリアのは準備中に見たものよりも少し大きいような気がした。
着席すると、階下でバイオリンの独奏が始まった。フリッツが立ち上がって弾いている。エルクの代わりに演奏するだけだと思っていたので驚いた。ガリオ長官の指示なのか、フリッツの独断なのかはわからなかったが、宮廷音楽としてよく演奏される曲目が選ばれたのは、リナリアを意識したものかもしれない。やわらかな音色が神殿を満たす。
(フリッツはわたくしが思っていた以上に音楽の実力があったのですね。これは……お兄様にもきちんとご紹介しないといけなくなりそうです)
フリッツの演奏が終わると、儀礼用の衣装を着たガリオ長官が登壇した。
聖誕祭が、始まった。