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じいちゃんの子供の頃の話

じいちゃんの子供の頃の話

作者: トキオ1962

「ねえ、じいちゃんじいちゃん」

「何だね?」

「昔の話して」

「いきなりどうした?」

「学校でお父さんお母さんの子供の頃の話を聞いてくる宿題が出たの」

「ふんふん。それで?」

「二人に話を聞いてみたんだけどスマホとかパソコンとか普通にあって今とあんまり変わらなくてつまんないの」

「それで私に話を聞こうと?」

「うん。今とはずいぶん違ってたってお母さんが言ってたよ」

「そうだな。昔、お前のお父さんが同じ宿題を持ってきた時に昔話をしたらあまりの違いに仰天してたな」

「ぎょうてん?」

「びっくりしたって事」

「そっか」


 こうして私は孫の為に私の子供の頃の昔話をする事になった。




 さて、何の話からしていこうか。

 孫がスマホって言ってたから最初は電話の話をしようかね。


 昔の私の実家は、玄関の脇に農協電話ってのが置いてあった。

 電話機は真っ黒で横にある小さめのハンドルをぐるぐる回すと交換のお姉さんが「どちらにお繋ぎしますか?」って聞いてくるんだ。電話番号は4桁だった。局番なんてなかったって事だ。それで電話番号を言ったら「どうぞお話下さい」って言われて会話がスタートしていた。まあ当時の私は電話を掛けることなんてなかったから交換のお姉さんとの会話は全部親から聞いた話だけど。電話機は見てたぞ。

 今はNTTだけど当時は農協が電話を繋いでたんだろうね。ちなみに近所の雑貨屋さんの番号は「1番」だった。

 交換のお姉さんは古いシンセサイザーみたいな「ジャック付きのシールド」でこっちとあっちの電話を繋いでくれてたんだ。たぶん。

 今は当たり前な110番やら119番やらは当時は警察や消防につながったのかどうかは知らない。



 次の話はパソコンにしようと思ったが当時はパソコンなんか無かった。

 代わりにテレビの話をしようかね。


 今は液晶とかの薄型が当たり前だけど当時はそんなのSFの世界の話だった。「壁掛けテレビ」とか言ってたな。今の薄型テレビで壁掛けになってるの見たことないけど。ホームシアターとかになると違うのかね。

 おっと話がそれてしまった。昔のテレビの話だったね。


 昔のテレビはブラウン管ってのを使って画面を映していた。真空管とICチップの違いがブラウン管と薄型テレビの違いくらいに思ってくれてたら良い。真空管とか知らないって?例えにもなってないか。まあ良い。

 画面は最初は白黒で東京オリンピックの頃にカラー放送が始まったらしい。1964年だったかな。でも我が家のテレビがカラーになったのはずっと後の話だ。

 テレビ本体の形は足が4本付いてた。正面から見ると漢字の「只」みたいな形だな。そうか、まだその漢字は習ってないか。テレビの話に戻るが画面は観音開きの扉を開いた奥にあり、その扉も布で保護されてた。家具調だったのかね。

 チャンネルは今でも「回す」って言ってしまう。当時のチャンネルはダイアル式だったせいだ。その後テレビを買い換えたらボタン式になったりして「すげー」って思ったな。でもボタンはリモコンとかないから本体に組み込まれてたがな。

 ところで我が家ではテレビ本体に付いていたチャンネルは触らなかった。なぜなら放送局の選択は「コンバーター」って外付けのお弁当箱みたいな機械のつまみをくるくるひねってするからだ。

 コンバーターが何をしていたのか良く知らないけど我が家は田舎だったから電波の増幅器だったんだろうと思っている。



 風呂は釜焚きだった。五右衛門ぶろじゃないぞ。外に焚口があって薪をくべて湯を温めていた。

 ステンレスやホーローなんて当時は無かったからお風呂場は全面タイル張りだった。床が丸いタイルで壁は正方形の大き目のタイルで浴槽は長方形の細かいタイルが貼ってあった。

 浴槽には壁面の底の辺りに焚口から暖かいお湯が出てくる穴が開いていたな。

 さすがに水は井戸から井戸桶で汲んだりはしていないぞ。ちゃんと井戸水はポンプで汲み上げてたからな。蛇口をひねると自動でポンプが動き始めて水が出てくる。井戸水は冬は暖かく夏は冷たかったな。夏のスイカは良く冷えた。しかも水が美味しかった。


 釜炊きと言えば炊事場には羽釜を置くための竈が3つあったな。「おくどうさん」って呼んでた。時代劇なんかで良くみるのと作りは全く同じだったぞ。燃料はやっぱり薪だった。

 炊事場の床は土間で隅に地下室に繋がる階段があったな。普段は私ら子供が落ちない様に木の板で蓋がされていた。床下からの自然採光だったから地下室の奥の方は暗かったしあんまり使われてなかったと思う。

 地下室の代わりに小ぶりの蔵があって梅干しとか沢庵とかはそこに置いてあった。さすがに味噌や醤油は作ってなかったぞ。農家じゃなかったからな。


 炊事場を出てすぐのところに洗濯機が置いてあったな。形は今と大して違いの無い1槽式だ。今と違うのは本体に二本のローラーが重なるように付いていてそこに洗濯物を挟んでハンドルを回して絞ってたな。脱水機の代わりだ。



 バスの形も今とは違ってたな。ボンネットバスってやつだ。分からない?お前の知ってる一番近い形は有名なアニメに出てくる猫バスだろうな。おっと今日一番の食いつきだな。それじゃもう少し詳しくボンネットバスの話をしよう。バスの床はもちろん木製だ。学校の教室みたいなのだな。そうか。今の学校は木の床なんてなかったな。ごめんごめん。

 私のお気に入りの座席は運転席のすぐ後ろ。どうしてかって?方向指示器を近くで見たかったからだ。今の黄色いランプのじゃなくて赤い色をした靴ベラみたいなのが曲がる方向にペロッと出てくる。靴ベラで例えるとぶら下げた靴ベラを持ち手で90度横に持ち上げるみたいな感じで出てくるんだ。出てきた方向指示器を掴もうとして母親に叱られたこともあったな。


 そうそう。原付って言葉を聞いたことがあるかな?そうか、知らないか。バスの話のついでに原付の話もしようと思ったんだけどな。ついでだから聞いてくれな。


 原付ってのは原動機付自転車の略なんだ。今では見た目は普通のバイクをちっちゃくした様な形をしているが、じいちゃんの子供のころは本当に自転車に後付けでエンジンを付けていた。だから見た目は自転車でペダルも付いていたな。後付けだから当たり前だな。


 学校の教室が板張りだった頃は磁石に糸を付けて床の木目の抜けた穴からぶら下げて金物釣りしたな。ただの遊びだったからすぐに飽きたけど。

 後、今と違うのは国民の休日に玄関先に日の丸を揚げなくなった事くらいかな。



 思いつくのはこんなところだ。面白かったか?

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