家令の本気
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カイルが出て行ったチェスター伯爵家の応接室では、ライラが伯爵に食って掛かっていた。
「お父様、どうしてあっさり諦めてしまったのですか?私はカイル様の気持ちの整理がつくまで待てます。それにカイル様ならば、きっと私のことを大切にしてくれるはずです。」
ひと呼吸置いたのち、伯爵は心境を話す。
「ああ、きっと彼ならばお前を大切にしてくれるだろう。」
「そうでしょう!それならば――」
ライラの話を止めて、伯爵は伝える。
「だが、幸せにはしてくれないだろう。それに、彼も、このままでは幸せにはなれない。」
「お父様?どういうことですか?」
ライラの肩をそっと掴み、言い聞かせる様に伯爵は言葉を発した。
「ライラ。君が彼に惹かれ、添い遂げたいと願う相手にと思っていることはよく分かっている。これまでの家督の継承権で、ライラに苦しい思いを強いてしまっていることもね。本当にすまない気持ちでいっぱいだ。だがしかし、彼にも心がある。無理を強いては、いけないんだよ。」
ライラはハッとし、自分が彼にしようとしていることは、自分がされて嫌だと感じたことであったのだと気が付いた。
「ど、どうしたらよいのかしら……私はカイル様を諦められないわ。」
ライラは顔面蒼白になりながら、声を震わせ、伯爵へ尋ねる。
「そうだな……では、こうしたらどうだろうか?」
ライラはチェスター伯爵の提案に乗ることにした。
そうと決まれば伝えなきゃと、屋敷内を全力疾走する。
玄関まで来た時に、年老いた家令からカイルが馬車を使わず、徒歩で帰ったことを知らされる。
今ならば間に合う!!
「馬を!早く!」
***
夕焼けをバックに、スタスタと空を見上げて、カイルは歩く。
カイルは総てを打ち明けたことで、婚約の話はなくなり重荷が無くなったのだが、自分の幼馴染への恋心が、まだこんなにも残っていたことを再確認することとなり、今は幸せである彼女の笑顔を思い浮かべると、誰も居ない自分の部屋へ、すぐに帰る気持ちにはなれなかった。
それなので、馬車には乗らず、屋敷まで歩いて体を動かし、気を紛らわすことにした。
あの時、彼女が殿下を選んだ時に、かなり動揺した。
俺は、彼女があいつを選ぶはずがないと考えていたからだ。
だってあいつは見た目と肩書だけの男。
彼女の兄の様に賢くも無く、彼女の父の様に守る力もない。
彼女の事は自分が一番よく知っている。
彼女の事であるならば、自信があったんだ。
見た目だけのあいつを恋愛対象にとは絶対に考えないと…俺の方が昔から一番近くに居て彼女を大事にしている、深く想っている、それが少しでも伝わっているはずだと。
だから、俺よりも劣るあいつを選ぶことは絶対にないと思い込んでいた。
一番近くに居る俺を選んでくれると、そう勘違いをして、余裕こいてあいつに協力までしてしまい結局、奪われた。
いや違う、あいつが頑張ったんだ。
それと、俺は心のどこかで、あいつと結婚した方が彼女は幸せになれるって、何もない自分が幸せに出来ないと、自分に自信が無かったんだ。
自分に勇気が無かった……だから、手に入れられなかった。
足掻くことなく諦めたのは自分自身なのに、今も諦めきれなくて……本当に情けない。
また、この自問自答を繰り返すのか?嫌だな……本当に苦しいんだ。
馬車の通る貴族のタウンハウスが両脇に並ぶ街道をひたすら歩く。
少し日が伸びて、この時間でも気温が下がらなくなってきた。
じっとりと服に汗が馴染む。
チェスター家から出て、貴族街のタウンハウスを数軒先まで歩いた頃である。
後方から馬の蹄の足音が聞こえてきた。
どこぞの貴族のお帰りかな?と思ったが、足音は凄い速さで近づいてくる。
さらに足音は一頭分で、馬車ではなく単独の様だ。
こんなに急いで何かあったのか?と後ろを振り返った瞬間、カイルの横をもの凄い速さで馬が掛け去っていった。
その馬に乗っていたのは、先程までチェスター家で向かい合い、話をしていた令嬢、ライラである。
横乗りで乗るライラの後ろに初老のチェスター家の家令が必死に馬を走らせていた。
わっ、あれが先程チェスター家で話した紳士な家令か!?
「居たわ!カイル様が居たわ。止まって!じい。止まって、あそこよ。」
そう喚くライラの声がする。
「ハッ!」
と言う凛凛しい家令の声。
飛び散る汗が煌めく。
初老の家令が素晴らしい操作で馬を操りスピードを落としつつだが停まることなく、綺麗にUターンするとカイルに向かってゆっくり引き返してきた。
嘘だろう……。
スゲーな、あの家令の見事な手綱さばき。
マジで何者なんだ?
呆気にとらわれていたカイルであったが意識を戻す。
何か忘れ物でもしてしまったのかもと、小走りで馬へと近づいて行き、馬の横で止まった。
「ライラ嬢、何かありましたか?」
カイルは混乱しつつ質問した。
馬に乗ったままのライラがカイルの問いに答える。
「私、納得していませんの!!カイル様のお気持ち、今、痛いほど共感しております。なぜなら、カイル様が想い人を忘れられないという想いと同様に、私も貴方の事を同じように想っているからです。貴方を諦められないのです。そう、好きになってしまったのです!!」
夕日をバックに背負い、ライラは話す。
その表情は苦しそうで、悲しそうであり、とても美しく、強かった。
「俺は、あの人以外愛せない。君の想いに答えることは出来ないんだ。ごめん。」
もう一度、カイルはライラを拒絶する。
「分かっています。このまま貴方を強引に私の横に立たせたとしても、貴方の事を汐らしく待ったとしても、ただ貴方を苦しめるという事は、分かっています。」
ライラは涙を目に溜めて、精一杯声を出す。
「ライラ嬢……すまない。ありがとう。」
カイルはその表情から想いを受け止め、心からお礼を言う。
分かってくれたのかと、カイルがホッとした瞬間に。
「ですから、私、好きにすることにしました。カイル様、私はあなたを待ちません。しかし、諦めたりしません。それだけをお伝えたしたくて此処へ来ました。」
涙をスパッと指で祓うと、ライラは笑顔でそう言い切った。
「え?え?どういう事?」
カイルは混乱する。
そう小さく零した一瞬に、
「さ、爺や、行くわよ。」
「はい、お嬢様。」
ハイヤッと言う家令の掛け声と共に、ライラ嬢は俺の問いを無視してあっという間に去っていった。
あっという間に…行ってしまった…。
え???どういう事だ??
どういう意味なんだよ??
カイルはまだ混乱している。
正直、ライラの話よりも、ライラの後ろの家令が気になって仕方なかった。
全身汗だくで、ライラが話をしている手前、咳を必死に抑え、嗚咽も極力我慢し、死にそうなくらい青い顔で息を切らしている家令が、目に入ってしまって……ずっとそっちが気になって、気になって仕方が無かっただよ~。
家令は、まだ完全に息を整えていなかっただろうに、すぐに動いて大丈夫だろうか??
まあ、心配していても仕方ないけどね~。
言いたいことだけ言ってサッサと帰っちゃうしー。
あ、さっきの伯爵邸での俺もそうだったよね、メンゴだな……。
あーーーーって色々考える事に疲れたからって現実逃避していないでさ、ちゃんとしないと。
さっきのライラの言葉だよ。
好きにするとは、いったいどういう意味なのだろうか?
何も聞き出せないまま去って行ってしまったから、分からないままだよ。
んーんーんー考えても、うん、やっぱり分からん。
まあいい、これで婚約話も無くなり俺は晴れて自由の身、あとは俺の出来る仕事をこれまで通りしていくだけだ。
これで一件落着だな!
悩むのも面倒臭~い!もういいや。
どうせ会うこともしばらくはないのだから。
そう現実を逃避し、全ての考える事を放棄した、この時の自分に会えるのならば、言ってやりたい。
チェスター伯爵家を舐めてはいけなかったのだと……。
ライラの放った言葉の意味が分かったのは、俺がエドワード殿下と共に国を離れ、一つ目の冬を迎える前の肌寒い頃であった。
ライラはいったいどうする気なのでしょう?




