5:化け物からバケモノへ
「お姉さんも?」
「あぁ、私は全てを失った。家族も、友も、そして愛した人も。だから後悔をする判断だけは君にして欲しくは無い」
エルヴィラの琥珀の瞳とシユンの黄緑色の瞳が交錯した。
ゆらゆらと不安に揺れる彼女に、エルヴィラはそっと微笑みかけて頭を撫でる。
その後、二人の間に会話は無かった。
再び最初の部屋に戻ると勢い良く扉を開けてあの男が入って来た。
にやにやとだらし無く口元を緩めているその姿にエルヴィラとレインは頬を引き攣らす。
「あぁ、その純白のワンピースが良く似合うよ、エルヴィラ。君にはこれからずっと僕と共に居てもらおう」
「その必要性はあるのかい」
「僕が望んでいるからだ。それだけで理由は十分だろう?」
横暴な理由でエルヴィラを従えようとする。
彼の名前は、ウォリー・ディブァイネア。
この国ではかなりの資産家であるらしく、国自体に多額の援助をしている為にどれだけ非道な事をしようとも手が出せないらしい。
これはレインから聞いた話だが、エルヴィラは心底胸糞悪いと憤りを感じていた。
しかし今は手を下すことが出来ない。
ウォリーの持っている戦力や、彼の行動予定を大体把握していなければ確率は下がる。
ほんの数日の辛抱だ、とエルヴィラは己に言い聞かせた。
エルヴィラは全て彼と行動を共にさせられた。
会談も、執務も、食事も何もかも。
風呂に入る時ですら扉の前で立ったまま待たされていたのだ。
夜中にレインと秘密裏に逢って情報交換を行っていたのだが、苛立ちとストレスがかなり積み重なっている彼女は既に作り笑いすら出来ていない。
「お、お疲れだな」
「何故私があの男の付き人みたいなことをしなければならないんだ。あぁ、心底腹が立つ!」
「落ち着いてくれ……それで、計画は何時にするんだ?」
「あぁ、それは明日にするよ」
眉間に皺を寄せながら溜息をつくエルヴィラにレインは心から同情した。
もし自分ならばたった数日であろうと耐えきれないだろうと悟ったのだ。
そっと背中を撫でると軽く微笑み返される。
そして、その次に彼女の口から語られた内容にはかなり驚いた。
「急だな」
「明日、私をきっと抱くつもりなのさ。だったらそこを狙った方が最善だろう?」
ニンマリと意地悪く笑う彼女。
しかしその発言は不穏だ。
何故、と問うと、ウォリーが毎日飲んでいる珈琲に神経性の薬物を混ぜ込む。
そうして彼女を抱こうとして手を出し始めた時に殺すと言うのだ。
だがレインは納得出来なかった。
女性の純粋な力は男性には適わない。
それに上から体重をかけられてしまえば、それはさらに顕著となる。
たった少しでも彼女が傷付く可能性があるのならばその作戦は避けたい。
「それは、アンタが傷付くかもしれないだろう」
「意外と心配性だな君は。だが大丈夫だ、私はそんなヘマはしないさ」
「でもな!」
「私を、信じることが出来ないか? レイン」
真っ直ぐな琥珀が海を射貫く。
そんな瞳で見られては押し黙る他なかった。
苦々しい表情をした彼に、エルヴィラは苦笑を零した。
その様子を見ていれば全て分かる。
どのような言葉をかけようと、どのような静止をしようと絶対に彼女はやめない。
ならば、自分は彼女が傷付かないように傍でずっと護れば良い。
「わかった。アンタはかなり強情だな」
「ははっ! 昔に言われたことがあるなぁ。懐かしいものだ」
「エルヴィラ、少し聞きたいことがある」
「何だい?」
「アンタはどんな生き方をしてきたんだ? 俺のがたった一つだが歳は上だ、でもアンタはもっともっと成熟しているような気がするんだ」
「そうさなぁ、私は…………え、あれ、何で?」
何かを言いかけたエルヴィラは途中で変に言葉を区切る。
否、区切ると言うよりは言葉が出なくなってしまったという表現が適切であろう。
胸元に右手を寄せた体勢で固まってしまっている。
「は、ははははっ、あはははっ!」
「エルヴィラ?」
「これは傑作だ! 魔女と疑われた化け物が、本当のバケモノになったのか……!」
エルヴィラは突如高笑いを始めた。
心臓の辺りの服を強く強く握りしめ、苦痛に歪められた顔は、口許だけが歪に引き上げられている。
彼女の瞳からは今直ぐにでも涙が零れ落ちそうであった。
レイン暫くの間、かける言葉を見つけることが出来なかった。