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君のメガネに恋してる←

作者: ぺたへるつ

「キミの眼鏡、とても素敵だね」

 はじめから、何かがおかしいとは感じていた。

 でも、まさか当時のわたしがその違和感の正体に気づけるはずもなく、それに、ただでさえ恋する乙女は近眼どころか盲目だ。

 誰だって、キャンパスでも話題の彼にそんな甘い言葉を贈られたら、一発でノックアウトされるはず。

 そう、てっきりわたしの眼鏡姿を褒めてくれたのだと思った。

 お気に入りの眼鏡だったから、褒められたことがかすごく嬉しくて、

「もっと、そばで見ていたいな」

 という殺し文句が致命傷。それで、付き合うことになった。


 でも、この男。


 本当はわたしのことなんて何とも思っていなかった。

 将を射んと欲すればまず馬を射よ、という諺があるけれど、まさにそれ。

 わたしは彼にとって、しょせん馬でしかなかった。


 思い知ったのは初デートの日。

「キス、してもいい?」


 あいつ、眼鏡のレンズにキスしやがった。


 彼が好きなのは、わたしじゃなくて、わたしの眼鏡だったのだ。



「男ってのは、基本的に変態なのよ」

 かつて猫に彼氏を奪われた親友が語った。

「真実、女を愛している男なんてのは一握りに過ぎないわ」

 彼女、猫を口実に口説かれているのかと思ったら、猫と戯れる口実に交際されていたという。

 最初聞いた時は、なんて不運な子なんだろう。

 そして、なんて男が世の中には存在するんだ、と世界の広さを痛感したモノだけど、次は我が身だったというわけだ。


「でも、街にはカップルがあふれてる。それは、男が女を好きだからじゃないの?」

「だから、一握りだって言ったでしょ。そうね、百人に一人か、いいえ、千人に一人でもいればマシなほうかしら」

 それはおかしな話だ。

 だって、もしそうだったら日本の少子高齢化はもっと深刻になっているはずだし、そもそも結婚するカップルなんて現れないからブライダル産業は衰退しゼクシィも廃刊の憂き目に遭っているはず。

「じゃあ、どうして男は女と付き合うの?」


「やつらは、フェチなのよ」


「フェチ?」

「そ、フェチズム」

 それは物や生物、あるいは人体の一部に性的魅力を感じる性的倒錯のことだ。


「男はね、女自身を愛してるんじゃないの。あいつらが好きなのは、まずおっぱい。それにおしり。もちろん、それだけじゃないわ。鼻、口、ほっぺ、耳、生え際につむじ、うなじ、鎖骨、あばら骨、足、手、二の腕、肩胛骨におへそだって。女の一部が好きなだけなのよ。誰か特定の恋人をつくるのは、その女のパーツが気に入ったからにすぎないわ」

「そんなこと……さすがに言い過ぎでしょ」

 猫に男をとられて、男性不信になっているだけじゃないのか。

 でも、彼女はわたしを嘲笑うように言った。

「あなただってそうでしょうが」

 ぐうの音も出ない。



 別れなさいよ、と友達からは異口同音に忠告された。

 もちろん眼鏡にキスマークをつけられた時点で、わたしはそのつもりだった。

 けれど、ここで引き下がっては女が廃る、というか眼鏡に負けるってなにそれ。

 相手は人間はおろか動物でもなくて、無機質な工業製品だ。

 アセテートフレームと、プラスチックレンズ。

 そんなものに、わたしは劣るっていうのか。

 でも、だったら街の眼鏡屋にでもいって、好き眼鏡を選べばいい。

 わたしの、わたしを選んだからには、なにかそれなりの理由があるはずだ。

 ひょっとしたら、照れ隠しの可能性だってまだ零だと断言できない……かなり希望的な観測ではあるけれど。



「わたしと眼鏡、どっちが大切なの?」

 ついにわたしは切り出した。

 そこは昼時の大学食堂。

 周囲の視線が一瞬でこちらに集まってしまったけれど、おかまいなしだ。


 もう我慢できなかった。


 カレーを食べていたら「眼鏡が汚れるから外してくれ」だなんて。


「どうして、そんなことを聞くんだ」

「こたえなさいよ」

「そんなの、眼鏡に決まってるじゃないか」

 即答だった。聞き耳を立てていた野次馬達が、すっと退いていくのがわかる。

 修羅場だと思って期待したのだろうけれど、残念、あなたたちが望む昼ドラな理由じゃない。


「眼鏡の、なにがいいのよ」

「なにがいいって?」

 彼は心底意外、といった眼をした。まるで、簡単な質問に答えられない学生に落胆する教授のようだ。

「わからないのかい。眼鏡は人間がつくりだした美の極致なんだ。見ろよ、この艶めかしいリムを。世界を優しく歪めるレンズを受け止める愛の形だ。それにテンプルの流麗な曲線はどうだ。人の耳の裏側にするりと忍び込んで……なんとも官能的じゃないか。キミは、眼鏡をかけていて興奮しないの?」

 すでにどん引きだったけど、ここで黙るのはプライドが許さない。

「しないわ。だったら、あなたはどうなの? っていうかね、自分でかけなさいよ。そんなに眼鏡が好きなら、自分で好きなだけかけて楽しめば良いじゃない」

 そのわたしの一言を受けて、彼は稲妻にうたれたかの衝撃をうけていた。

「ば、馬鹿なことを、いうな。ぼくが自分で眼鏡をかける? ぼくが、眼鏡を? 眼鏡がぼくに? そ、そんなの無理に決まってる。耐えられない。興奮のあまり失神してしまう。それにぼくは視力がいいんだ。二・〇もある。だから眼鏡はかけられない。伊達眼鏡なんてのは邪道さ、あれは眼鏡に対する冒涜だ」


「じゃあ、あなたにとってわたしはなんなの? ディスプレイ用のマネキンなの?」

「マネキンなもんか」

「だったら」

 その瞬間、彼の目つきが変わった。

 なんていうか、輝いた。瞳に炎が灯り、髪の毛も坂だったように見えた。

 そして、火がついたように語り出す。

「眼鏡は人間にかけられてこそ、その真の魅力を発揮するんだ。マネキンなんて、あんなのはその形状を購買者に対して提示するための偽物さ。あんなものじゃ、眼鏡の魅力を一パーセントだって引き出せちゃいない。眼鏡はね、物じゃないんだ。ただの無機物じゃない。眼鏡だって、生きているんだ。ああ、そうさ、みんな何もわかっちゃいない。眼鏡はね、だからといって、ただかけていれば良いわけじゃないんだよ。眼鏡は無機物で在りながら、人間と有機的に結びつくことで生命へと昇華するんだ。道具を超越して、人の一部になるんだ。でも、眼鏡の真の魅力を引き出せる人間は稀だ。その点、キミは最高なのさ。まさに、眼鏡のために生まれてきた、といっていい」

「あなたの気持ちは、よくわかった」


 息を荒げる彼に対して、わたしは決心する。


「さよなら」


 眼鏡は外してカレーに突っ込む。そして、声にならない悲鳴を上げる彼を無視して食堂を後にした。



 眼鏡はやめだ。

 わたしは、次の日からコンタクトレンズになった。

 それが何よりも雄弁な絶縁状で、これで、彼とは会うことは二度とないだろう。

 なぜなら、わたしは彼を裏切ってやったのだから。

 彼の美意識をまっこうから否定してやったのだ。

 眼鏡なんて過去の物だ、って。

 人間の技術は常に進歩していく。

 昔は高い上に手入れが大変だったコンタクトレンズも、今では安価で便利なものになっている。

 わたしのように目の悪い人間が、眼鏡に頼るしかない時代は終わったのだ。


「よかったじゃない。似合ってるわよ、コンタクト」

 親友はわたしのコンタクトデビューを祝福してくれた。

 ずっと眼鏡生活だったから、素顔になることに少しだけ抵抗があったのだ。

「ふぅん、最初から、コンタクトにしていればよかったのに。あんな変な男に、ひっかからずにすんだかも」

「ありがと、あなたみたいなすごく綺麗な人に保証してもらえると、安心できる」

 わたしたちは同じく変態男に恋心を弄ばれた被害者だったから、もともと親友だったけれど、あれ以来、いっそう二人の絆はより強くなっていた。


「綺麗だなんて、褒められても何もでないわよ」

「お世辞じゃない。ほんとうに、そう見えるの」

 コンタクトレンズに代えてから、世界の見え方が変わった気がする。

 全体的に、明るく輝いて見える。

 そんな新鮮な喜びに浸るわたしに、美しい親友は言った。


「あなたの瞳も、すごく素敵ね」


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