前編
昔々あるところに、四人の女王様がいる魔法の王国がありました。
四人の女王様にはそれぞれ不思議な力が備わっていて、女王様が城にある一つの塔に入ると、その王国には季節が訪れるのでした。
それ以外にも不思議な力を持っていて、春の女王様は可憐な花の魔法、夏の女王様は深紅の炎の魔法、秋の女王様は穏やかな風の魔法──そして、冬の女王様は、凍てつく氷の魔法を使うことができました。
四人の女王様は、季節が順番に訪れるように、交代で搭で生活する決まりになっていました。
ところが、ある時冬の女王様が塔に籠ってしまい、冬のまま季節が巡らなくなってしまいました。春の女王様がなだめても、夏の女王様が怒っても、秋の女王様が説得しても、冬の女王様は頑なに出ようとしません。このままでは食べ物が尽きてしまいます。困った王様は、国民にお触れを出しました。
冬の女王を春の女王と交替させた者には好きな褒美を取らせよう。
ただし、冬の女王が次に廻って来られなくなる方法は認めない。
季節を廻らせることを妨げてはならない。
このお触れは瞬く間に国中に広まりました。女王を塔から出すだけで、好きな褒美をもらうことができる。国民にとっては願ってもないチャンスでした。
ところが、相手はあの冬の女王です。冬の女王は、何年も生きている化け物だとか、怪物だとか、強大な魔法の力を持っているだとか、沢山の恐ろしい噂がありました。その噂があったとしても、褒美欲しさに沢山の人々が果敢に挑みました。……ですが、結果は散々。ある人は「頭は鷲、胴体はライオン、足は虎、そして巨大なコウモリの羽が生えた化け物だった」と言い、他の人は「ただの火の玉だったが、たちまち大炎上した」と言い、またある人は「巨大な男の生首だけだった」と言い、全ての証言がバラバラでした。しかし、ただひとつだけ一致している言葉は、「もうあそこには行くものか」というものでした。
お触れが出て数ヵ月、その間に幾人もの人々が挑戦しましたが、誰一人として、女王を塔から出すことができた者はいませんでした。
そして、誰もが諦めていた時、一人の少年が塔に訪れました。
「挑戦者様、ですか」
「は、はい。冬の女王さまを塔から出せればいいんですよね?」
塔へと案内する春の女王、フローリアはその言葉に困ったように苦笑を浮かべました。
「ええ……そうなんですが、ええと、貴方が……」
本当に挑戦者なのですか、と言いかけた言葉を飲みこんで、フローリアは少年を見つめました。細い体にあどけない瞳。今まで挑戦してきた者の中で、一番頼りなさげなその表情に、大方罰ゲームとやらで送り込まれた子どもだろうとため息をつきました。
そのような罰ゲームや賭け事でやってこさせられたような、いかにも怯えている者は、冬の女王に会わせる前にフローリアがちょっとした魔法で脅かして追い払っていました。中途半端な気持ちで挑んで、怪我をされるよりましだと思ったからです。
ですが、何故か今回はうまくいきません。フローリアは首をかしげつつ、まあそれなりの覚悟を持って来ているのだろう、と諦めることにして、少年を冬の女王の部屋へと案内しました。
「ご武運をお祈りしていますわ」
フローリアはそう告げると、きた道を引き返していきました。
さて、少年──名をアルベルト。彼はしがない国民の一人でした。ただ、ひとつの特徴を除けば。
搭のてっぺんの部屋の前に立ったアルベルトは、とりあえずコンコン、とノックしました。すると、中から「お入りなさい」と、鈴が鳴るような可愛らしい声が聞こえてきました。
高齢だと聞くから、もっとしわがれた声を想像していたせいで、空耳だろうかと思いつつも、アルベルトは扉をゆっくりと開きました。……そこには、優雅に紅茶を飲みながら、幼い女の子がちょこんと椅子に腰かけていました。白い肌、薔薇色の頬、煌めく長い銀髪、細い四肢、そして、何よりも深海のように青い瞳が印象的な、美少女です。
これにはアルベルトもびっくり仰天。まさか、冬の女王が幼い女の子だとは思っても見ませんでした。しかも、自分とそう年は変わりません。想像していた怪物とはかけ離れた、まるで、天使のような美しい姿だったのです、当然です。
呆けているアルベルトを、冬の女王はじっくりと見つめると口を開きました。
「何をそこで突っ立っておるのだ。茶が冷めるだろう、ほら」
ちょいちょい、と自分と向い合わせの椅子を指差すと、アルベルトはそこに腰かけてお茶をもらいました。そして、それを飲んで一言、
「冬の女王さま……ですよね? 僕と同じぐらいの女の子だったなんて、おどろきました」
「っぶほっ!」
にっこりと笑いを浮かべたアルベルトに、冬の女王は飲んでいたお茶を吹き出しました。
「な、な、な、なんでじゃ! 余をもっとよく見ろ! ほれ、怪物であろう? なぜ驚かない! 叫ばない!」
「……? かいぶつだなんて、そんな。とてもおかわいらしい姿ですよ」
「か、か、かわ……っ!?」
かああああ、と顔を赤らめると、冬の女王はふうとため息をついて椅子に体を預けました。
「なぜ幻覚が効かぬのじゃ……ううん、これだけはしたくなかったのだが」
そう呟くと、周りの空気は一転して部屋が氷に包まれました。冬の女王のお得意の、氷魔法でアルベルトを追い払うことにしたのです。
「余が本気を出したことに後悔するのだな! ふん!」
顔を歪めながら女王が氷の魔法でアルベルトを襲いました。……が、アルベルトはびくともしていません。それどころか、何が起きたのかも分からずにきょとんとしたまま、冬の女王を見つめていました。
「余の魔法が効かぬ、だと……!」
がくり、と膝を床についてしまった冬の女王を見て、アルベルトはようやく合点がいきました。そうか、この人は魔法を使っていたんだ、と。
「あの、女王さま。僕、うまれつき魔法がきかない体質なんです……」
「な、なんだそれは」
そう、アルベルトが普通の子どもとは違うもの。それは、魔法が一切利かなくなってしまうというものでした。
魔力がない子どもはいても、魔法が全く効かない子ども。冬の女王はそんな話は聞いたことがありませんでした。ですが、実際に目の前にいる少年には、自分の魔法が効きませんでした。信じざるを終えません。
「そんな……こんな、ちんちくりんに余は負けたと言うのか……」
「ま、負けた、なんて。そんな」
滅相もありません、と慌てるアルベルトに、冬の女王は苦虫を噛んだような顔をして睨みました。
「ふん、そんな善人面しても無駄だぞ。どうせ、余を外に出したら褒美がもらえると知ってきたのだろう? さあ、さっさと余を引きずり出せばいい」
「外に出す? ……そんな、僕は元々ごほうびなんて考えてなくて。皆が、魔法がきかない気味のわるいお前なら、女王を外に出せるかもな! ……なんてからかわれて、それで来ちゃったんですけど。でも、ちがくて……」
「違う? 何がだ」
女王の鋭い視線にびくりと体を震わせると、アルベルトはぽつんと呟きました。
「……皆に、認めてもらいたくて」
「は?」
「僕、魔力がない上に魔法がきかないから、お前がいると遊べないだろって仲間はずれにされちゃって。それに、力も弱くてケンカにまきこまれても負けちゃうし。すぐ泣いちゃうし、よわむしだって、ばかに、されて……」
だんだん、震え声に変わっていったアルベルトの瞳から、ぽろぽろと涙が溢れてきました。その雫を見て、冬の女王はあわあわとうろたえました。
「お、おい、何もなくことなどないだろう……!」
「なのに、僕は、僕は……うああああああん!」
「えっ、な、なぜ泣くのだ!?」
先程までの状況は一転。がくりと膝をついていた女王にかわって、わんわんと声をあげて、アルベルトが泣き始めてしまいました。
これには女王も慌ててしまって、ほらお菓子だ、ほら、となぐさめようとしましたが、余計にアルベルトは泣くばかり。
数十分後、ようやく泣き止んだアルベルトは、お茶を飲みながら続きを話しました。
「……それで、冬の女王のいる塔から、怯えずにぶじに帰ってこれたら仲間にいれてやる、っていわれて……。でも、女王さまはとっても優しいし、怖くないし、お茶をくれて。それなのに、僕はそんな女王さまを利用しようと、してたなんて……」
「ふむ。なるほどな。……全く、急に泣き始めるから焦ったではないか……そんなことでお前は泣くのだな」
「うぅ、弱虫で、泣き虫、ですから……」
「わ、わああ! 分かったから、泣くな、泣くな!」
またじわりと涙を浮かべたアルベルトに、女王はお菓子を口に突っ込みました。
「もご、もごご」
「別に余は利用されようと、何されようと傷はつかぬ。だから安心するがよい」
「もぐ、もぐ……はい」
よしよし、と頭を撫でられて、アルベルトはにこりと笑みを浮かべました。その表情に、冬の女王は懐かしいような、悲しいような複雑な心境になりました。あの人に似ているような、と。
「……あの、女王さまはなんで塔から出ないのですか?」
アルベルトからの質問に女王はどきりとしました。丁度、そのことを考えていたのです。
心を見透かすように、まっすぐな茶色い瞳をちらりと見、そしてうつむいてから、今度は冬の女王が話し始めました。
「……待ち人が、いるのだ」
冬の女王は生まれつき、強い魔力と塔にいる間は冬になる、という特殊な体質を持っていました。その魔力のせいで、気持ちが高ぶっただけで周りの物を凍らせてしまい、女王は外に出ることを許されていませんでした。冬の季節はこの塔、それ以外の季節は城の奥。
息苦しい生活は何年も、何年も続きました。高い魔力のせいで、女王の寿命は普通の人間よりも遥かに長いのです。長い、長い時間が過ぎて、女王は外に出ようという気持ちさえも消えて、心は冷えきっていました。
「……それが、ある冬の日のことだ。この塔に、ある少年がやってきた。丁度、お前と同じぐらいの年齢だっただろうか……そいつは不思議な奴だった。冬の間、余がこの塔にいるときだけ、無理矢理塔をよじ登っては、毎日外の話をしてくれた。それが、何年か続いたが──ある日を境に、ぱったりとこなくなってしまった」
そこで一拍おいて、窓に視線を移しました。その少年がやってきたのは、そこにある窓からだったのです。
「ずっと、話を聞きたかった。でも、人間飽きるものもあるだろう。だから、余は諦めた。だが、あいつは『あと50年ぐらいは、来れると思うけどなぁ』と言っていたことを思い出して。……おそらく今年で50年だ。だから、冬がずっと続けば、また……」
そこまで言ったところで、女王は押し黙ってしまいました。ですが、その言葉の先はアルベルトにも分かりました。
季節が巡らなければ。冬が永遠に続けば。そうすれば、待ち人は現れるのではないか。そう、言いたいのでしょう。
「あの……そしたら」
長い長い沈黙を破ったのは、アルベルトの小さな声でした。
「それなら、僕と、外に出ませんか」
「……な」
何を言っているんだ、こいつは。と、女王は目を見開きました。
「女王さまの気持ちはとてもわかりました。そしたら、僕と一緒に、探しに行きましょう」
「……お前、話を聞いていたのか? そもそも余は、ここから出られな……」
「だって、それって女王さまの魔力が強いからでしょう? 僕といれば、その心配もありません。それに」
一拍おいて、アルベルトは立ち上がりました。
「こないのなら、自分から探しにいけば、いいのではないですか」
「……じぶん、から」
なんとも想像もしてなかったことに、女王は言葉を失いました。生まれてから一度も、外に出たことがない自分が、探しに行く。その言葉は、深海のように深く沈んでいた女王の心に射し込んだ、一筋の光のようでした。あの日、自分の前に現れた少年のような、柔らかな笑みを浮かべたアルベルトが、妙に眩しく見えました。
「余が、探しに……?」
「はい。そうしたら、女王さまも外に行けますし、冬も終わります」
「でも、来年の冬までに見つからなかったら……」
「そうしたら、冬になったら戻ってきて、春になったらまた探しにいきましょう。冬の間、寂しいのなら、僕が来てあげます!」
「……旅費は」
「そうか、旅にはお金が……あっ、そうだ、王様からのごほうびは旅の資金にしましょう!」
「……でも」
「それじゃあ、女王さまは、外が怖いのですか? 僕と同じ、弱虫で泣き虫なのですか?」
ついには挑発的に言いはなったアルベルトに、女王はだんだん笑いが込み上げてきました。このちんちくりんが、自分を弱虫だと、臆病者だと。この、ちっぽけな少年が。
「ふふ、ふ……ふふっ、はっ……! いい度胸ではないか、言ってくれる」
うつむいていた女王は込み上げる笑いを押さえきれずに笑い出すと、涙をぬぐって顔をあげました。
「それなら、お前についていってやっても、いい」
「本当ですか!」
わーい! と万歳をして喜ぶアルベルトに、女王はまた、あの日の少年の姿を思い浮かべました。毎日くるのを許したときも、こんな感じだったな、と。
「お前、名はなんという」
「アル……アルベルト、です。女王さまは、お名前はなんというのですか」
「……アンジェリカ」
「アンジェリカさま……天使、ですか。とてもすてきなお名前です! よろしくお願いします」
またあどけなく笑ったアルベルトが、ぴかぴかとお日様のように見えました。女王はつられて不敵に笑うと、ぼむっと煙をあげて姿を変えました。
「えっ……えっ!?」
煙の中からは、女の子の姿ではなく、17、18歳ぐらいに美しく成長したアンジェリカが立っていました。
「ほう、変化はできるようだな」
「えっ、ええと、女王さま……?」
「そうだが。子どもなお前と子どもな姿の余では、旅などできまい!」
ふふん、とアンジェリカは得意気に微笑むと、アルベルトを引っ張って扉へと向かいました。
「よろしく頼むぞ、アル」
こうして、女王と一人の少年の、長い長い人探しの旅は始まったのでした。
とりあえず完結。後編が書き終わったらまた更新するかも……。