7.RE:try
気付くと、僕は教室へと続く廊下を歩いていた。横を走り抜けていく生徒を三人ほど見たところで鐘が鳴り始める。
「内間お前何してんだよ!遅刻すっぞ!」
そう言って走り抜ける彼の名前は立山だか冴山だったか。慌てて僕も走り出し鐘の音が鳴り響く学校を駆け巡る。
鳴り終わりと同時に教室のドアをガラリと開けた。
「せ、セーフ…」と僕が言ったところで担任の教師が「馬鹿、ギリアウトだ」と容赦のない一言で出迎えてくれた。
ちなみに影山だか苗山だかはあっという間に僕の視界から消え今は平然と椅子に座ってこちらをニヤけ顏で見つめている。あいつ確か陸上部だったっけ。
息を整えながら席に着いたところで、隣の女子に「今までありがとね」と突然感謝を述べられたので「何が」と返す。特に何かした覚えはないのだけれど。
「席替えだよ、席替え」
「ああ」
うちのクラスでは席替えは担任がパソコンでランダムに選ぶ仕組みになっており、クジ引きのドキドキなど一切無しのイベントだった。僕は意気揚々と大きな紙を黒板に貼り付ける若い教師を眺めながら、席替えという一大イベントにそわそわしているクラスの雰囲気を感じとっていた。懐かしいな、席が変わるだけでも一大事だったんだなこの頃は。
「若いなあ」と呟いたら「大丈夫おじいちゃん?」と隣の女子に馬鹿にされてしまった。
そうだ。
僕はまたここにきたんだ。
夢を夢だと気付けないように、僕もまたこの夢を認識するのには時間がかかるようだ。
仁藤さんの嘘、金髪になった幼馴染、を抱いた筋肉質の男、そして死んだ柏尾梓。様々なことがフラッシュバックする僕をよそに担任の男は「はいじゃあ席動かして。はいスタート!」と楽しげにGOサインを出す。実は一番楽しんでいるのはこの男なんじゃないかと思いつつ僕は席を動かし始めた。
「あ」と僕は席を動かしてから気付く。僕の名前の隣に柏尾梓と書いてある。そういえば一回だけ隣になったことがあったっけ。全然記憶にないあたり特に喋ることもなかったのだろう、しかし今の僕は柏尾梓と既に一回帰り道を共にしていた。
「よろしく、柏尾」
「よろしく内間君」
少しは喜んでくれるかななどという僕の期待もむなしく、柏尾は特にコメントすることもなくさっさと席について本を読み始めてしまった。何の本だろうと気になったがブックカバーでタイトルはしっかりと守られていた。余計気になる。
「柏尾、何読んでんの?」
「ん?ラノベ」
「ラノベ?」
なんだっけそれ。聞いたことあるようなないような…。
「ライトノベル」と柏尾梓が僕の間抜け面で察したのかそう付け加える。
「ああ、ライトノベルね」と納得した僕が結局本のタイトルを教えてもらえなかったことに気づくのは一時間目が始まってからであった。
一時間目を受けながら僕は今後の方策を練っていた。
とりあえずまずは柏尾梓をなんとかしなければならない。少なくとも不登校になることを防がなければ死んでしまうかもしれないのだ。だとすれば僕が取るべき行動は彼女と友達になることなのだが…問題はそれによって僕が悲惨な運命となり江口沙希は日焼け男にたぶらかされるという事である。何が原因でそうなってしまうかは不明だが昨日そうなってしまったのだから仕方がない。
だとすれば、柏尾梓の不登校を阻止しつつ江口沙希と仲良くなる。それが一番だがいつ夢から覚めるかもわからない以上あまり沢山のことをしていられるかはわからない。
出来ることから始めよう。まずは柏尾梓からだ。
一時間目が終わると同時に僕は柏尾梓の手を取り教室を出る。
「ちょ、ちょっと待って、ねえ内間君、内間君!」
バシッと叩かれて僕は立ち止まり柏尾の方を振り返った。
「なに」と返した言葉がぶっきらぼうすぎたのか柏尾は珍しくムスッとした表情で「突然ひっぱらないで。びっくりする」と僕の手をふりほどいた。
確かにいささか急すぎたかもしれない。しかしまたいつ現実に引き戻されるかわからない、のんびり授業を受けている場合ではないのだ。
「ごめん、なんて説明したらいいかわかんないんだけど…とにかく僕には時間がないんだ。わかる?」
我ながらこんな言葉で、はいそうですかとついてきてくれるわけがないなと思いつつも苦し紛れに言葉をひねり出す。
柏尾梓はしばらく俯きながら前髪をいじった後、「私、そういうの嫌いじゃない」と呟いた。何を言ってるんだ、この子は。
「ねえ、どこに行くの?」と柏尾。
「とりあえず、遊園地にでも行こうか」
僕はそう言って柏尾に手を差し出す。柏尾は何のためらいもなく僕の手を取ったので少し驚いた、案外彼女は見た目よりも引っ込み思案でもないらしい。
学校を抜け出した僕らは駅へと歩き始める。
中学生であることを放棄した僕らを止めるものなど、何一つありはしなかった。
それから学校に再び戻ったのは夜の七時を過ぎた頃だった。途中で覚めるかと思ったがそれは杞憂のようで、僕らは遊園地を隅から隅まで堪能した。
「ねえ、本当に今日はありがとう。すっごく楽しかった」
柏尾梓は遊園地が初めてだったらしく、終始笑顔を振りまいていた。
「柏尾、今日みたいに教室でも笑ってた方がいいよ」
普段の柏尾は真顔でつまらなそうにぼんやりとどこかを見つめている感じなのだから、楽しげにしていた方がいいに決まっている。
「なんで?」
「そりゃ…その方がかわいいから?かな。いや知らないけど」
「へえ。内間君もそういう事言うんだね」と柏尾は微笑を浮かべながら僕の先を歩く。教室に荷物を置きっぱなしで行ってしまったので取りにきたというわけだ。
「親からなんか言われたら僕のせいだって言っといてね」
中学生が男女二人で授業も受けずに抜け出したのだ、怒られる事間違いなしである。
「じゃあお母さんに紹介しないといけないかもなあ、内間君を」
と笑いながらちらりとこちらをみる柏尾が何を考えているのかなんて、中学生、いやいい歳をした僕にもわかることなどなかった。
そして難なく学校に入った僕らを待っていたのは、例の黒い男。漸くお出ましか、そう思ったのは一瞬で、教室に一人佇むその男をみた瞬間に僕はあの感覚に襲われる。
「あれ、萩原君、こんな時間に何してるの」
「内間、お前もういいんだな?江口は諦めたってことでいいんだよなあ」
萩原。黒い男の名前がわかったところで僕はこの世界に別れを告げた。次目覚めた時、素敵な現実が待っていることを祈りながら。