4.RE:appear
「内間君。内間君」
「うあ?」
重たい瞼を開けるとそこには日直の彼女が立っていた。確か名前は…
「ごめん。なんだっけ、名前」
「柏尾梓」 と彼女はぶっきらぼうに答える。
「カシオアズサ」
そう繰り返した僕は、座ったまま背伸びをして辺りを見回す。変わらない教室の景色。
「大丈夫?もう帰りの会終わったよ」
「ああ…ありがとう」
柏尾梓の言う通り、周りにはもう誰もおらず教室には僕と彼女の二人だけだった。柏尾は僕が目覚めたのを確認し、そのまま黒板を消しに行ってしまった。
「ほんと、気にすることないよ。あの人達の言うことなんて」
柏尾は黒板の文字を消しながら一人呟いている。
「…聞いてる?」
独り言じゃなかったらしい。
「聞いてるよ。なんか言ってたっけ」
「変なこと言うんだね。散々からかわれてたじゃない、あの、江口沙希さんに告白したことで」
「え?」
その瞬間、走馬灯のように僕の脳裏を今までの事が蘇ってきた。そうだ、ここは。
「夢だ」と教室に響き渡った僕の声に柏尾梓がビクッと体を反応させ黒板消しを落とした。びっくりさせるつもりはなかったのだが、僕本人が一番びっくりしているのだから仕方あるまい。
夢。また夢を見ているのだ。そして江口沙希に告白した事をクラスメイト達にからかわれているという事は昨日の夢から一日かそれ以上経った時の夢だという事になる。
「ど、どうかしたの?」
柏尾梓が心配そうな視線をこちらに向けながら黒板消しを拾い、そのままこちらに近づいて来た。柏尾梓、そう言えばクラスにいたな、こんな子。彼女の長い前髪と下から見上げるような自信なさげの眼差しを見ながら僕は記憶を掘り返していた。そう、この子は確か。
「また日直の仕事押し付けられてるのか」
「いいの、私は気にしてないから」
不登校になった女の子だ。思い出した。中学何年生だったか忘れたが途中から学校に来なくなった女の子。当時の僕は、もっと話しかけて仲良くなっておけばよかったなんて後悔していたっけ。
その瞬間、僕に一つの考えが閃いた。
昨日は江口沙希に告白できなかった後悔を解消した。それなら今日は。また違う後悔を解消出来るかもしれない。
「なあ、柏尾」
「なに」
「日直の仕事、手伝うよ。あと今日一緒に帰ろ」
柏尾梓は友達がいない。少ないのではなくいないのだ。中学生だった僕は大人しい子なんだなと思っていたし、毎日日直の仕事やるのは優しいからなんだなの思っていた。とんだ勘違いだ。今ならわかる、彼女はいじめにあっていたのだ。だから不登校になった。それならば僕がやるべき事はただ一つ。
柏尾梓と友達になる。
「ありがとう」と戸惑いの表情を浮かべる柏尾の手から黒板消しを取り、そのまま僕は黒板の白い文字達を消していく。
「けど内間君私と帰る方向反対でしょ?いいよ無理しなくて」
「別に暇つぶしだよ。散歩好きなんだ」
「ふーん」
彼女が俯きがちに笑みを浮かべているのを見て内心ガッツポーズをする。よかった、嫌われてはいないようだ。中学時代特に目立つわけでもなく誰とでもそれとなく話すくらいの付き合い方をしていた僕。勿論いじめに加担なんてしていなかったし、逆に助けを差し伸べることもせずに傍観者を決め込んでいたが今の僕に怖いものはない。中学生なんて怖くもなんともない、こちとら社会人なのだ。
まさに中学時代の卑怯で臆病な自分から脱却するチャンス。このまま江口沙希を射止め、柏尾梓の不登校を阻止する。
そんなヒーローみたいなものをこの時の僕は気取っていた。
そのまま柏尾と僕は教室を後にし、帰り道を歩き始めた。しばらく沈黙が続き、僕はこの気まずさをうちはらうべく口を開こうとしたところで、先に柏尾が口を開いた。
「いいの?私と二人で一緒に帰るなんて」
「いいよ、別に何の問題もない」
そう、と彼女は小さく呟くとまた道の石ころでも眺めているかのように下を見ながら歩き続ける。
「柏尾はさ」と僕は会話を盛り上げるべく切り出す。
「うん」
「何かやりたい事とかあるの?」
「やりたい事?」と柏尾は不思議そうにこちらを見つめる。
「別に、ないかな」と強制終了しかけた会話を僕は無理矢理にでも繋げるべく「何かあるでしょ。遊園地に行くとか、ケーキバイキングに行くとか」と食い下がる。ちなみにどちらもこの前仁藤さんが言っていたやりたい事である。
「内間君はさ、何で急に私に優しくしようと思ったの?」と柏尾は突然僕の目を見据えて話しかけてきた。
「昨日は日直の仕事しないで江口さんに告白しにいっちゃったのに」とも。
「それは…」
まさか僕はもう実は大人で、これは僕が見ている夢のようなものでそれで今の現状を変えれるかもしれないからなんて言えるはずもない。
「気まぐれだよ。柏尾みたいな友達が欲しかったのかも」
と適当なことを言っておいた。勿論嘘を言っているつもりもなく、僕は負けじと柏尾の目を見返す。
「思ったより変な人だったんだね、内間君」
ふふ、と柏尾は笑いながら鞄を背負い直すとまた何事もなかったかのように道路に物が落ちていないか下を点検する作業に戻った。僕はというと、思ったより柏尾は可愛いのかもしれないなんて的外れなことを考えながら柏尾の横を歩いていた。
「あれ、内間と柏尾じゃん。何してんの」
背後から聞こえてきたその声は聞き覚えがあった。昨日の僕の人生を賭けた大勝負とも言える告白が失敗に終わったところにやってきた男の声だ。
「なになに早速江口を諦めて他の子にいくのかよ」とおちゃらけた調子で近づいてきたその人物に僕は「そんなんじゃない」といいかけたところで蛇に睨まれた蛙のように動けなくなる。
闇。顔が文字通り見えない、靄に包まれたその表情。これは、昨日と同じーー
「へえ、内間と柏尾がねえ、なるほどなるほど」
「私と内間君はそんなんじゃ」
それから先は覚えていない。僕はまたその底の見えない闇に吸い込まれて、現実世界へと戻っていく感覚に陥った。夢から覚めるというより、目眩がして気を失うそんな気持ち悪い感覚。
僕は何かを変えられたのだろうか。そんな思いを胸に僕は現実へと舞い戻るのだった。