3.RE:born
その日、俺の生活は激変した。今までただ俺一人しかいなかった家に、あの江口沙希が当たり前の様に存在しているのだ、変わらないわけがない。
「内間」
現実を受け入れる時間はいくらあっても足りそうにない。そのまま一睡もできずに朝を迎え、当然の様に出てきた江口お手製の朝食を済ませ、いってらっしゃいと男の誰もが夢見る送り出しを受けてきた。
「内間ー」
そして今現在。
「大丈夫ー?今日はいつにもましてボーッとしてるけど。奥さんと喧嘩でもしたの?」
向かい側のデスクから仁藤さんがニヤニヤしながらそんな言葉を投げかけてくる。そう、昨日リストラされた筈の会社に僕は今日も来ているのだ。そう、リストラされた筈なのに。僕はリストラされていないことになっている。
「別に何でもないですよ。仁藤先輩こそ早く喧嘩できる相手でも見つけたらどうですか」
「何言ってんの。もう結婚三年目だっつの。あんたらより私らの方が先輩なんだけど」
…まただ。また今までの世界と違う点が出てきた。明らかに昨日までと世界が変わっているとしか言えない、そう文字通り別世界になっているのだ。どうやらこっちの世界の仁藤さんは結婚出来ているらしい。よくも相手が見つかったものである。
「そうでした、すみません」と適当に口裏を合わせる僕に、仁藤さんはあからさまに機嫌を悪くしたらしくそのままパソコンに視線を戻したきり僕をチラリとも見なくなってしまった。
何にせよこれは夢ではなさそうだ、と僕は左ほほをつねりながら考える。
何故一日で世界が様変わりしてしまったのか。ドッキリにしてはタチが悪すぎる。それに、江口がそんな為に僕にキスなんてするはずもない。
そう。どうしたって、昨日の夢が関係しているとしか考えられないのだ。昨日の、中学生だった頃の自分の夢。あれがもし、ただの夢でなかったとしたら、今のこの現状を説明できる。昨日の夢で僕は何をしたか。それがこの現象を引き起こす引き金になっているだろう。僕がかつては出来なかった、江口沙希への告白。夢では断られていたが、その後現実では江口沙希が僕の隣で眠っていたわけで。
不思議な力にでも目覚めたのかもしれない。突拍子もないことだが、何かしらのおかげで僕は過去に飛び未来を変えられる力を得たのだろう。
「はあ…」
こんなファンタジーめいたことを誰が信じてくれるだろうか。なんにせよ、僕はこの現実を受け入れるしかないようだ。
誰を頼ることも出来ないまま仕事をなんとなくやり終えた後、江口沙希、いや内間沙希の待つ自宅へと足を運ぶ。今まで何でもなかった帰り道がやけにキラキラしてみえたあたり、僕は今まで一人がやたら寂しかったらしい。良い歳をしてスキップしたくなる衝動を抑えつつ、僕は我が家のドアに手をかけた。
「ただいま」
「おかえりー。ご飯にする?お風呂にする?それとも…わ・た・し?なんてねー!」
ああもう。
幸せすぎてどうにかなってしまいそうだ。
その夜、僕は横ですやすや可愛らしい寝息を立てている奥さんの頭を撫でながら天井をじっと見つめていた。
もしも明日起きて全てが元通りになってしまっていたら。そう思うと寝られなかった。この夢のような現実を失いたくなかった。
しかしいつまでも寝ずに生きる事も出来る筈がなく、僕は諦めて目を閉じ睡魔に身を任せていった。
そしてまた、僕は夢を見る。自分のすべきことなど、知らないままに。