11.RE:lief
授業が終わった事を知らせる鐘の音が聞こえる。窓から差し込むオレンジ色の光は夕暮れ時であることを示しており、僕は机から体を起こして両手を上げて声にならない声をだす。
「内間君。うるさい」
隣を見ると柏尾梓が本から目を離さずに僕への不満を口にしていた。
「…優しいな柏尾は」
「なんで?」
「話しかけてくれるから」
「別にそれくらい普通でしょ?私は普通だと思ってるけど」
「そうだな」と僕は答えて目の前の黒板を見る。
黒板の文字は誰に消される事もなくまだそこに存在していて、それは同時に柏尾梓に消されるのを待っていることの証明だった。
誰も消したりはしない。柏尾梓がやってくれるから。
最初のキッカケは些細だったのかもしれない、それがいつしか当たり前になり皆が柏尾一人に押し付けるようになっていった。
柏尾も特に文句は言わなかったが、皆と仲良くなるつもりはなかったようで自然と学校に来なくなってしまった。今ならわかるが、おそらく学校なんてどうでもよかったのだろう、彼女の人生にとっては。案外その後幸せに暮らしていたのかもしれない。
なんて、ことはないのだろうなと僕はため息をつき立ち上がった。
自分が来た理由を思い出したから。
「皆、聞いてほしいんだけど」
授業も終わり各々が好きに休憩時間を過ごしている中、突如として大声をあげた目立たない一生徒に教室中の視線が注がれる。
別に怖くはなかった。会社の白い目に比べればこんなもの蚊に刺されるようなものである。
「日直の仕事、柏尾に次やらせたら先生に言ってクラスの問題にするから。日直はちゃんと自分の仕事しろよ」
時間が静止したかのようだった。
誰もが声を発することに気後れしているのか、僕がどうしたものかと思い始めた時隣から声がした。
「座って、内間君」
「え、はい」
座ると柏尾がその長い前髪の間からこちらをじっと見つめていた。
「ありがとう。けど、余計なお世話」
柏尾は特に感情を込める事もなくそう言い放つ。
「だろうね。けど俺はお世話するのが好きなんだよ、余計なやつがね」
「変なの」と言ってそっぽを向いてしまった柏尾の方を僕は叩く。
「ちなみに柏尾が学校来なくなったら俺がまた余計なお世話しなきゃいけなくなるから。ほんと頼むからね」
「…なにそれ」
「別に。早く自立してくれよな」
「本当、余計なお世話」
柏尾に僕への好感情を持たせてはいけない、それはかつての現実が僕に教えてくれたことの一つ。かといって一切関係を持たなければ柏尾梓は不登校になってしまうだろう。
それなら少し仲が悪いくらいでいい。
「大体内間君だって自立してないくせに」
「そりゃまあ、中学生ですからね」
「私だって中学生なんだけど」
「そう言われればそうだったかもしれない」
「内間君、もしかして喧嘩売ってるの?」
「ただ仲良く話したいだけだよ」
「ああそう。なら相手してあげる」
きっと、それでいい。
帰りの会が終わった後、僕は足早に下駄箱へ向かってそのまま待機する。
勿論待っているのは江口沙希だ。
「内間君」
「…どうも」
実のところ、僕は江口沙希にどう言葉をかけたらいいのか迷っていた。
今となっては江口沙希と結婚したいとは思っていなかったし、かといって江口がチャラそうな暴力男と結ばれるのもあまり嬉しいことではなかったからだ。
仲良くなりたいわけでもなく、かといって放ったらかしにも出来ないそんな相手。
「カエル…内間はさ」
「え?」
「後悔ってしたことある?」
江口から話してくるとは思っておらず僕は口をパクパクさせながら思考を巡らす。
後悔がしたことあるかって?そんなの、そんなこと答えは決まっている。
「あるよ。後悔だらけ。それこそカエルなんて後悔しかないよ」
「ハハ、そうだね、ごめん」と江口は緑色のカーディガンの袖をギュッと掴んだ。
「私はさ」と始めた彼女の顔が余りにも真面目な表情をしていたので、僕は視線を外せなくなる。
「この前の告白での返事、後悔してる」
「それって…」
「ごめんって断ったでしょ?でも断らなくてもよかったかもなってちょっと思ってたんだ」
思ってたんだ、という過去形が僕の奥底から湧き上がる感情を押し留める。彼女が言いたいことは別にある、そう確信した僕は次の言葉を固唾を飲んで待った。
「でも多分ね」
「うん」
「いいよって言ってても私は後悔してたんだと思う」
そう言って江口は笑った。ここが下駄箱であることも忘れてしまうほどその爽やかな笑顔を僕は一生忘れることはないだろう。
どっちを選んだとしても後悔していた、そう言った彼女の顔はとても晴れやかで
僕にはその矛盾を孕んだ言葉が眩しくて、羨ましかった。
「それだけ。内間は?」
「いや、何も。でもありがとう。江口、俺やっぱり江口の事が好きだった。告白したこと、後悔しないよ絶対。約束する」
「ふふ、何それ」
じゃあ私部活あるから、と江口は靴を履いて学校の玄関から外へ出て行った。
夕焼けに包まれる彼女の後ろ姿を見ながら僕は江口沙希の幸せを願った。結局のところ、僕に出来ることなどそれくらいなのだ。
気付けば彼女から元気を貰った気がして、僕は何をしに来たんだろうなと思うと急に笑えてきてしまった。
「案外、簡単でしょう?人付き合いなんて」
気付けば隣に黒い顔の男が立っていた。萩原である。
「馬鹿言うなよ。ここまで来るのにどんだけ大変だったと思ってるんだ」
「いやいや仁藤君に比べれば楽勝ですよ」
表情はわからないが、きっとニヤニヤしているのだろう萩原を僕は睨む。
「そうなんだろうけどさ。頑張った自分を褒め称えてやりたいよ」
「それはまだ早いんじゃないんですかね」
「…わかってるよ」
そして僕は中学時代の自分に別れを告げたのだった。




