10.RE:fresh
「う…」
呻き声にも似た音を発しながら僕はもぞもぞと体を動かす。懐かしい布の感触、僕の布団だ。“慣れ親しんだ”布団ということはつまり、今までのどこかが変わった世界ではなく元に戻ったということになるのだろう、と僕はうっすらまぶたを開く。
見慣れた天井は古ぼけてはいたが安心感を得るにはこれ以上ない景色であった。
夢だと気付けないパターンもあるのか、と重たい頭を無理やり回転させながら僕は伸びをして体を無理やり起こす。意図してどうこうしたわけではないが、結果的に江口とも柏尾とも仲良くなることはない未来になったわけだ。つまり、全ては元通り。
布団から脱出し僕はスマートフォンを取りに行く。電話をかける相手はもう決まっていた。
幸いすぐに相手は出てくれたようで、僕はその名前を口にする。
「今からちょっと会えませんか?ーー仁藤先輩」
喫茶店。目の前に座る男女二人を見ながら、僕は熱いコーヒーを胃に注ぎ込み深く息を吐く。男の人を呼んだ覚えはないんだけれども。
その考えが伝わったのか、仁藤さんではなくその男が口を開くことで今回の出来事は収束していった。
「あなたが内間君か、初めまして…でもないけれど初めまして、萩原です」
「萩原?」と僕は間髪入れず口を挟む。その名は確か中学の時に聞いた名だ。
「そう萩原。君の同級生という設定で今回ドリームトラベルに同行させてもらった者だよ。勿論中学時代の君なんて知らないからね」
「はあ。ドリームトラベル」
「そうドリームトラベル」と萩原は薄ら笑いを浮かべながら話し始める。
「いってしまえばタイムトラベルだよ。それは君自身実感したのだから信じてくれるよね?」
僕の頷きを確認すると「よかった、下手に時間がかかると面倒だからね」と萩原はそのまま説明を続ける。
「実のところ、意識だけならタイムトラベルが可能なんだよ。公表されていないだけでね。まあまだまだ実用段階には至っていないのだけれども。この枕を使って睡眠することで夢を見る代わりに過去へ意識を飛ばせるというわけだ」
そう言って彼は枕を鞄から取り出しポンポンと叩く。
「いやでも僕そんな枕持ってないんですけど」
「君はこの前会社をリストラされたんだろ?」
あまりに容赦も何もない萩原の言葉が突き刺さるが僕はさも動じてないかのように振る舞う。
「ええ、まあ」
「それで会社の私物を自宅へと運びそれをキッカケに部屋を掃除したと。そこだよ内間君、そこで君の枕はこちらで用意した物に変わったんだ」
「は?」
「仁藤君はグッジョブだったね。君より先に部屋に帰って枕を変えたのさ、おっとどうやって部屋に入ったかなんて聞かないでくれよ?それくらい我々には造作もないことなんだから」
仁藤さん、そうだ彼女には聞きたいことが山ほどあるのだ。そう思って仁藤さんを見ると、バツが悪そうな顔をしてこちらを上目遣いでチラチラと見ていた。
「どういうことなんですか、仁藤先輩」
「ええとね、内間にまた会社に戻って欲しくて」
なんで、と聞くより先に萩原が「仁藤君に感謝した方がいいよ君は」と口を挟んでくる。
「そもそも今回はたまたまだったんだ。実験をしたい僕と同僚を助けてやりたい彼女。そして人生の底辺を彷徨う君。おかげでいいデータが取れたよ」
「ちょっと待ってください、本当にわけがわからない」
「はいどうぞ質問タイム」
萩原はニヤニヤしながらコーヒーを飲んで、さあなんでもどうぞと言わんばかりに両手を広げてみせた。
僕は仁藤さんを見てから今までの出来事を振り返る。
まあ、確かに。
確かに普通の出来事ではなかったのだから、萩原のいうドリームトラベルとやらは飲み込むとして。
問題は何故僕がその夢旅行をすることになったのかというわけだ。仁藤さんは僕の上司で格別仲が良いというわけではない。それこそ好かれてないとさえ思っていたほどだ。
しかし夢の中でファミレスの制服姿の仁藤さんは明らかに嘘をついた。
そう思って仁藤さんなら何か知っているのではないかとこうして直接会ったわけなのだが、どういうわけかそこには萩原という男が待ち構えていて仁藤さんは知っているどころか元凶ときたもんだ。
「仁藤先輩は、ファミレスの時も全部わかってたんですか?」
「…うん、わかってた。ごめん」
「そうですか」
詳しいことはわからないが僕は彼女達の手のひらで転がされていただけらしい。
「なんで中学時代なんですか?」と僕は仁藤さんに問いかけるがまたしても答えたのは萩原であった。
「このドリームトラベルには欠点もたくさんあってね。その一つが行き先を選べないというところなんだ。しかし行き先はとある条件に従って決められる。それは最も行きたいと思う場所が行き先になるんだ。君はどうやら中学時代に深い後悔でもあったんじゃないかい?勿論僕が同行できたのは君という実験体を近くから観察していたいという研究者の熱意故だよ。あとドリームトラベルは一人じゃダメなんだ、管理する人間がいないとふわふわといつまでも漂ってしまうからね。その役目も僕が担わせてもらったよ」
少しは自分で考えたいのにこの研究者はペラペラと嬉しそうに喋っていく。
後悔。それは江口沙希や柏尾梓のことだろう。だとしたら僕は結局後悔を晴らせなかったことになるわけだが。
「それが仁藤さんとなんの関係が…」
そう。これはあくまで僕個人の問題でありそこに会社の上司が介入するような隙間はない。
その答えは仁藤さんの口から聞きたかった。僕に中学時代の後悔を晴らさせてどうしたかったのか。
「私は本当にただ、内間に会社に戻ってほしかっただけ。過去が変われば会社を辞める未来も変わるかもって思った、けど」
結果は散々だった、とは仁藤さんは口にしなかった。代わりに苦い表情を浮かべたあと、すぐにニッコリ笑って僕を見る。
「好きなの、内間のことが」
「…………え?」
聞き間違いだろうか、仁藤さんが僕のこと好きだと聞こえた気がする。
「内間の事が好きだから会社を辞めてファミレスで働いたりしたの。あの時内間を助けるために」
「えと、いや」
仁藤さんが好き?僕のことを?そんな素振りは今まで見せてくれたことなど一度だってない。それにだ。
「あ、でも僕が江口と結婚した未来の時仁藤先輩だって知らない人と結婚してたじゃないですか」
そう、仕事が恋人のこの女性は結婚していたのだ。ちゃんと。
「それは、内間がもう結婚しちゃってたから…」
「はあ…」
「あのね」と萩原が僕を睨む。
「君はもう少し幸せに思った方がいいよ。このドリームトラベルに欠点があるっていったけどその最も大きな欠点は、記憶を残しておきたい場合変わったポイントから現在までを生き続けなければならないというところにあるんだ」
萩原は「つまり彼女は何度も君の中学時代から現在までを生きてきたんだよ。律儀に何年も。それこそ三回くらい人生を送ったんだよ、君のためにね!」と言ってバフッと椅子の背もたれに乱暴に体を戻した。
「内間」
「は、はい」
相変わらず真っ直ぐとした仁藤さんの目はキラキラしていて僕には眩しかった、けど逸らさずに僕は見つめ返した。そうしなければならないと思った。
「わからないことだらけだけどこれだけはわかってほしいんだ。内間が、好き。それだけだったの。こんなことになるとは思わなくて…」
そのあと僕は二人と別れて自宅に帰った。
萩原にはあと一回だけ夢を見させてくれと頼んだら「いいですよ別に」とあっさり了承した。タイムトラベルなんてもっと重大な事だと思っていたのだけれどそうでもないらしく僕は拍子抜けした。まあ、ありがたいが。
仁藤さんには「明日一緒にご飯でも行きましょう」と言った。以前の僕ならこんなお誘い出来なかっただろうが何回かの夢旅行を重ねて僕にも多少度胸というものがついたらしい。仁藤さんは「わかった」と言って家に帰って行った。
僕は寝床にある枕を見つめる。これがタイムマシンなんですなんて言われて誰が信じるのだろうか。だが確かにどの世界でも僕はこの枕を使っていた。それは柏尾梓に監禁されていた時もだ。枕に対する愛着がこんなところで役に立とうとは、まさに夢にも思わなかったといったところか。
僕はそのまま布団へ倒れこみ枕に頭を乗せた。変わらず柔らかく僕を迎え入れてくれたそのタイムマシンに体を預け僕は再び眠りに落ちる。
不思議と緊張はしていなかった。
萩原から事の顛末を聞いたとはいえ、わからない事だらけなのに特にモヤモヤが残っている事もなかった。
そう、今はもういいのだ。
けれど。
けれどあの頃のモヤモヤをなくせる方法が今この瞬間にあるのなら。
僕は再び眠りに落ちる。
これが僕の最後の、ドリームトラベルだった。




