1.RE:al
いつだって後悔はするものだ、と誰かが言っていた。全くもってその通りだと思う。これまでの人生で後悔は一つもありませんと宣言できる人間は世界中どこにもいないだろう。
かくいう僕、内間佑紀も例外ではない。小学校一年生の頃給食で食べ過ぎてしまい、五時間目にあろうことか胃の中の物全てを机の上に吐き出したことは今でも悔やみきれない悲劇だ。散々なあだ名をつけられいじめられっ子一直線。これ以上ないくらい最高の出だしである。吐いただけでこれだから小学生は困る。もしもこれが二十歳になりたての新成人で、場所が居酒屋へ行った帰り道だとしよう。皆心配してくれるに違いない。それがどうだ、皆が僕にかけてくれた言葉は優しさの欠片もないものばかりであった。本当にあの出来事さえなければこんな人生にはなっていなかったに違いない。
「内間」
不意に聞こえた言葉に顔をあげると、そこには仏頂面が鋭い眼光をギラリとこちらに向けていた。眼力で穴でも開けるつもりか。
「内間、手を動かしてくれないと」
「あ、はい、そうですよね、すみません」
内心とは裏腹にテキパキと手を動かし始める。考えるより先に体が動いていた。これも今まで散々言われてきているから勝手に動けてしまうのかとうなだれつつ、僕は目の前に仁王立つ女性をチラリと視界の端に捉える。
仁藤香織、三十歳、独身、彼氏無し、ペットに猫を飼っているとか。貰い手がいないと嘆くわけでもなく、仕事が恋人と言わんばかりに働くキャリアウーマンである。
そんな事を考えつつダンボールの箱を持ち上げる。持ち上げ、持ち、重いなコレ。
「本当に内間は力無いんだから」
見かねて(と言う程見ていたわけでも無いのだが)仁藤さんが僕の腕からダンボールを奪い取りひょいと持ち上げた。三十路の力は凄いのである。そのまま仁藤さんはダンボールをトラックに積み込み、ふぅっと息を吐いた。
「これで終わり。どう、この後ご飯でも行く?」
「いやいいですよ。僕これからこの荷物入れるために家掃除したいので」
あ、そ。と言って仁藤さんは髪の毛を一つに結んでいたゴムを外し頭を振った。その動作によって長い黒髪が風にたなびく。ご飯か。行きたいのは山々だが何を話せと言うのだ。もうあなたと僕は同じ会社の人間じゃない、赤の他人なのですよ。行って僕の次の職探しについて話しますか。それともあなたの受け持つ企画がどれだけ社内から高評価を得て、僕の企画がけなされているかとか。お前の企画はゲロを煮詰めたようだですよ。初めて言われましたよ、そんな事。そうだ、仁藤さんがどうすれば結婚できるかとかいいんじゃないですか?
「それじゃあ、本当に今日は手伝ってくれてありがとうございました」
渦巻くイヤなものを押し殺し、精一杯の笑顔を仁藤さんに向ける。事実、この元勤め先から僕の私物を運び出すのは仁藤さんの手伝いが無ければ倍、いやそれ以上時間がかかったことだろう。そもそもさっきのダンボールすら持てなかったのだから。
「何かあったら連絡してよね」
「仁藤さんも、結婚式の招待状お待ちしてますからね」
「うっせーはげ」
これである。これが、仁藤香織を三十路になっても独身たらしめるものなのである。
「本当その口癖、治したほうがいいですよ」
「治るもんだったらもうとっくに治ってるわよ」
「それもそうですね」
世界の謎が一つ解けた。
「じゃあね。ご飯、次は行くわよ」
仁藤さんはそう言い捨ててくるりと右回りをしてカツカツの歩き始めた。一人去っていく後ろ姿は、少し寂しげで、それでも僕はただ見つめている事しか出来なかった。
「次なんて、ありませんよ仁藤先輩」
僕の独り言は風にさらわれ誰の耳にも届かない。ご飯、行けばよかったかもな。そう思ったこの気持ちは後悔か、それともただの気まぐれか。
「さて、帰って掃除するとしますか」
このままだと地面に根が張ったかのように足が動きそうもなかったので僕はそう言って自分に鞭打ち、今までお世話になった建物から離れていった。
それから布団に入るまで実に四時間。僕は大好きな枕に顔を埋めながら一日を振り返る。
我ながら今日は頑張ったと思う。とりあえず新しい仕事を探さなければいけないがもう体が限界だ。明日から頑張ろう。仁藤さんとご飯に行っていたらまだ家にすら帰れていなかったかもしれないのだ、今日はそれを行かずに自分の部屋を掃除し片付けた。表彰物じゃないか。ご褒美に良い夢をみせて欲しいものである。
現実は、こんなに寂しく辛く、後悔に溢れているのだから。