策謀
食事を終えた二人は、食後の口直しの紅茶を飲みながら話す。
「そういえば、キルシュは近いうちに第玖統制管理官に昇進するらしいな」
ふと今思い出したようにススムは言う。キルシュの年齢は20であるから、近年まれに見るほどの出世の速さである。それに対して、「ありがとうございます」と少々普段よりも柔らかな声で答える。
「昇進とはいっても、私は普段から自分のできる範囲内で仕事をこなしていただけでございます。それだけで昇進できるのはやや拍子抜けといったところです」
「いや、第玖になるほどだからお前の可能範囲は余程広いんじゃないか。一応、第玖ということは少なからずアトラスに影響力を持つということではあるからな」
統制管理部の統制管理官は、防衛部ほど階位に差があるわけではないが、それでも入った人間のほとんどが第陸で終わってしまうことを考えると、彼女はひどく優秀であることがわかる。
「私としては、そんなものには興味はないのですが。しかし、階位が上がると給料が増えるのでその点はうれしいですね」
キルシュはそう言うと、手に持っていたティーカップをテーブルの上に置く。そして、そのままテーブルの隅に置いてある伝票を手に取る。そのまま、伝票の詳細をしばらく見て、すぐにテーブルの上に再び伏せて置く。
「ところで、例の件のことに関してなのですが話してもよろしいでしょうか」
それに対して、「よろしく」とススムは応える。
キルシュは、自分の服のポケットからススムが使っていたものと同じ型の棒を取り出して、起動させる。そして、発生した膜のどこかに触れる。すると、彼女の目の前のテーブルに青色の作業用のファイルが現れた。彼女はそれを手に取り、いくらかページをめくる。そして、ページをめくる動作を終えると。ススムの方に顔を向けて言葉を紡ぐ。
「では、説明を始めさせていただきます。今回、湖傍ススム第捌特位を現在の駐在地であるハーバーから召喚させていただきました。これは、防衛部長ピーター・ワイズマンによる緊急招集によるものが一つです。こちらのことは既に、認知していらっしゃるようなので後のピーター氏との会談で詳細な説明を受けてください」
「例の件ですが」と、キルシュはファイルから何枚かの紙を抜き取り、ススムへと渡す。スススムは紙を受け取ると、その紙に書かれていることに目を通す。そこには、『◯◯村襲撃事件。今年度6回目』と書かれた新聞の記事がコピーされていた。そして、その下、以降の紙には他の類似した事件のことが書かれた記事とそれらの事件の詳細なデータが書かれていた。
「ススム様に今回、行っていただく依頼は防衛部と農林水産部の共同のものとしています。そちらの資料の三枚目の下をご覧になってください」
ススムはキルシュの指示通りに、指定された個所を見る。そこには全壊した民家となにかが踏みつけたのか、大きな足跡が残っていた。記事の見出しには『巨大災印襲来か』と大きく書かれている。
「なるほど、俺にこの正体不明の災印を狩れ、ということだな」
「はい」とキルシュは答える。
「今回の災印は、災印生態研究部の協力により第八等龍型巨大種であることが判明いたしました。詳細な種に関しては現在調査中ではありますが、第八等災印ということで近々昇進しそうなススム様に任せてみようとのことで防衛部幹部会は決定を下しました」
「第八龍のしかも巨大種かよ。……嫌がらせなのか、これは」
災印の中でも龍と呼ばれる種は、他の種と比べて凶暴性が高いと言われている。その中でも巨大種と呼ばれるものは人の住む町を易々と破壊していくような、畏怖の化身とも言われている。それゆえに、巨大龍には実力相応の防衛部局員を向かわせている。今回、その重大な役に抜擢されたのがススムである。
その重大な役に抜擢されたことに溜息をつくススムに構わずにキルシュは話を続ける。
「今回の件で、多くの村が壊滅したことで農作物や乳製品、肉類などの生産数が減少するというデータがすでに算出されています。そのため、すぐにでも解決してほしいとのことで緊急招集に至りました」
「そこまで、被害は深刻なのか」
ススムは疑問を投げかける。
「はい、壊滅した村はどこも比較的大きな村です。現在、大手食品店の在庫が心もとないとのことです。さらに、いま私たちの飲んでいる紅茶の茶葉の原産地でもあります。今回のことで既に茶葉の値上がりが著しく、このままですと庶民の手が届かない高級な嗜好品になる可能性もあります。そして、茶の中でも既に重要文化財となっている茶道の衰退につながる恐れがあります。文化の衰退は文明の衰退を表しますから、阻止したいというのが上層部の意図のようでございます」
「なるほど」とススムは納得する。そして、今日に商店街ですれ違った金色の君のことを思い出す。もしかしたら、このような現状であるからあのような行動に出てしまったのではないだろうか。そう考えると、現在の状況の悲惨さが、ススムの体に伝わってきた。
「内容は把握した。しかし、情報が少なすぎる。手掛かりは壊滅した村と巨大龍の足跡。これだけだと龍の個体数も分からないし、本当に龍が原因で村が滅んだのさえ分からない。なにせ、生存者が一人もいないんだろ、この記事を見る限りは」
ススムは、紙の文面をキルシュの方に向け、それを手で叩く。
「それに、マスコミの記事単体では詳細な証拠にはなりえないだろ。少なからず取材者の意志が反映されているのだからな」
ススムは以前に一度だけ受けた取材で自分の伝えたいことが見事に曲解して編集されていた。しかも、それが世界中に広まってしまったことで多少の誤解を生む結果となってしまった。その時に、誤解を解くために大部苦労したから、ススムはマスコミからの取材はすべて拒否している。現に、今からおよそ二月ほど前の第捌兵位への昇格の際の取材も拒否している。それ以降、マスコミには因縁づけられているが取材を受けて変に曲解されるより良いとススムは思っている。
「ススム様のマスコミの嫌いようは存じておりますが、現状、最も有力な証拠はそれしか存在しておりませんので妥協してください。上から情報は自分で手に入れろとのことなので、もしも、その記事を信頼しない場合は白紙の状態で依頼を始めることになりますが、それではいくらなんでも難しいでしょう」
「確かにそうではあるが、どうもマスコミという物は好かん」
「この記事の取材者が、『灰烏』であってもですか」
『灰烏』、その名前を聞いたときススムの体はピクッと少し反応した。
「あいつは、どっか遠い国でジャーナリストとして動いているとか言っていなかったか」
「最近、休暇とか言ってこの町にお越しになっているとのことです。その際に、偶々手に入れることのできた写真をもとに記事を書いたものを新聞社に持ち込みをなさったみたいです」
「あいつの記事なら信頼できる」
ススムはテーブルの上に置いてあったティーカップに手を伸ばし、そのままカップを口に運ぶ。
「『灰烏』は決して嘘は書かない。この点だけは信用できる。以前に世話になったからな」
以前のススムのマスコミによって広まった誤解を解くために協力してくれたのが『灰烏』であり、彼の恩人ともいえる。『灰烏』とは現在にも信仰があり、たまに飲みに行ったりするぐらいの仲である。
「では、この情報は使っていただけると」
「勿論、奴の情報なら使わない方が失礼とも言ってもいいな」
ススムは、船の中で使っていた細い棒を取り出して起動させる。そして、受け取った資料を収納し、再び電源を切る。
「その魔磁器、使っているのですね」
キルシュは、ススムの手の中にある自分の持つものと同じ棒を見ながら呟く。それに対して、ススムは「ああ」と答える。
「せっかく、あいつが俺たちに卒業祝いでくれたやつだからな。それに便利だし」
棒型魔磁器を左の指と指の間でクルクル回しながら、自分が学生だった頃のことを思い出す。あの時は、勉強は面倒くさかったが、馬鹿やって楽しかったと今思い出すとそう感じる。
「皆さん、元気でしょうか」
「知らねえ。だが、うまくやってんだろ。俺でさえここまでやってんだから、な」
今この場にいない、奴らのことを思い出す。ああ、心配ないだろう。どいつもこいつも、何だかんだ優秀な奴らだし。
ススムは飲み終わって空になったティーカップをテーブルに置いた。
―――とある場所。
そこでは、多くの人間が集い、円卓を囲んで会議をしていた。
ギィと部屋の扉が開く音がした。真っ暗な部屋に外の明かりが差し込む。その光をバックライトに入ってきた女性が照らし出される。
「帰ったか、フィン」
円卓を囲んでいた人間の中で、低い男の声が響く。それに対して、「ええ」と答え扉を閉める。再び部屋は暗闇に包まれる。
「では、次の計画について話そうと思う。これを見てほしい」
先程の男が、言うと、円卓の中心に立体的な映像が映し出される。それは、とある村の姿を形作っていた。
「計画の方針に関しては、この前と同じだ。そこで出席者の皆の意見を聞きたい」
「では」とすぐに声が返ってきた。
「どうやら、アトラスの奴らが俺たちの活動を探っているという話をちょっと耳にしやした。このままの計画で大丈夫なのか、そこのところを聞きたいっす」
「うむ」と先程の野太い男の声が続ける。
「その話は、私も聞いた。しかし、現状放っておいても大丈夫であろう。アトラス島の上位防衛部構成員はそれぞれの任務に出て行ってしまっているという。そう、恐れる必要はない。こちらには例のものがあるわけだからな」
『確かにそうだ』『アトラスの連中なんて恐れる必要はないんだ』そんな声が漏れる。周りは、すでに自分たちの計画の成功を確信しているかのような状況だ。
しかし、そこに先程フィンと呼ばれた女性が「待って」と口を挿む。リーダーと思われる男が「どうした」と声をかける。それに対して、彼女は口を開く。
「さっき、港町で見たのだけど、かの有名なキルシュバウム統制管理官が男を連れていたわ。どんな男なのか尾行してみたのだけど、びっくりしたわ。気をつけなさい、あれは猛犬よ。すこしでも油断したら食われるわよ」
彼女の話を聞いた周りの人々は、『まさか』『買いかぶりすぎだろ』と彼女の意見に反発する。しかし、リーダーの男は、彼女の話を聞いて少し悩んだ。
「元第七将位のお前でもそう思うのか」
「ええ、あれはやばいわ。できることなら、ここで計画を中止すべきよ」
「でも」と、フィンは続ける。
「止まらないのではなく、私たちは止まれないのでしょう。でしたら、私は一つだけそれを解決するカードを持っています。それを使えば、きっと今まで通り計画を実行することが出来るでしょうね」
「そうか、許可する。私には、妙案が浮かばない、貴様に任せる。思う存分やれ」
「了解、ボス」
フィンはそういうと、入ってきたときと同様に扉を開けて、部屋を出ていった。その時、近くで見た円卓会議の構成員の眼には、野獣の如き眼光の彼女が見えた。