港町
活気づいている商店街を、人ごみに紛れながらススムとキルシュは歩く。
見渡せば、特産品の工芸品であるとか、お土産のお菓子であるとか、はたまた免税のお店であるとかが多く立ち並んでいる。それらへと、港を利用する、もしくは利用した人々が訪れて各々の商品を吟味している。中には、ビジネスマンと呼ばれる人間やカップルに家族まで多様な客層がこの商店街を訪れている。なるほど、確かにこの商店街の盛り上がり具合を垣間見ると、確かにこの商店街が世界で最も活気のある場所であるといえるのも頷ける。
そんなことを考えながら、ススムはキルシュの顔を見る。この光景を見て、何かしら表情の変化があるのかと思ったからだ。しかし、その鉄面皮に全くの変化はなく。ただ、無表情に先を見つめているだけであった。そんな様子の彼女を見て、こいつは感情があるのかと思ってしまう。
「なにか御用でも」
ススムがキルシュのことを見つめていたからか、彼女はススムに見つめていた理由を尋ねる、無表情で。
表情の変化が分からないから彼女の考えていることが上手くわからないので、ススムはとりあえず自分の思っていることを口に出すことにした。
「お前の言っていた最近見つけた良い店って何なのかなと思ってな」
歩き始めておよそ五分、たいして時間が過ぎているわけではないのだが、完璧主義の彼女が認めた店というのが気になって仕方がない。どうしても、どんな店であるかをすぐに知りたいと考えてしまうのだ。
「秘密です。我慢してください。それくらい子供ではないのですからできるでしょう」
しかし、やはりと言ってもいい具合に彼女はススムの提言を退けた。それも、なにやら馬鹿にされたかのように。そのことに少々イラッとしながらも、せっかく昼ご飯を経費で落としてくれるのだからと踏みとどまる。
「で、後どれくらいで件の店に着くんだよ」
「後、数分ほどと申し上げておきます」
キルシュはそう言うと、そのまま口を閉じ、これ以上の問答は意味がないと暗に告げる。その様子を見たススムはこれ以上の質問が無駄であると判断し、頭の後ろに手をまわして歩きながら背筋を伸ばす。そのまま、再び周囲を見渡す。相も変わらず、どの店も多くの客で賑わっている。ススムは自分のいた港町での商店街の様子とこの世界首都の商店街の様子を比較して、規模は異なっていても店と客の笑顔の絶えない様子は何処でも変わらないのだと実感させる。
そう考えながら、ふと前を見るとそこには一人の人物がいた。身に使い古されたボロボロのマントを羽織り、鼻から下を隠すように身に纏っているマントと同じぐらいボロボロなスカーフを身に着けている。髪は濃い目の金色であるが、目元と髪の毛では性別は判断できず、性別不明であり、ススムは目の前の人物を金色の君と脳内で名付けることにした。
どうやら、金色の君は極力肌の露出を避けているようであった。どうやら身バレをしたくないようだ。どんな生活を送っているのかとても気になるところであるが、勝手な先入観を持つのはあまり良くないと思い、それを予想するのは避けた。
金色の君がこちらの方へと歩き出す。ススムとキルシュも金色の君の方へと歩いているので、自然とすれ違うことになる。
それにしても、この町にそんな恰好でいるのは珍しいとススムは思った。
アトラス島に住む人間は少なからず、世界の中でも富裕層と言われている人々だ。ここに住む人間は最低限、衣食住に困らない金を持つ者であるはずだとススムは考える。アトラス島では、税が払えなくなった人間を島の外へと追放する制度がある。それは、アトラス島に住むものが世界の模範でなくてはならないという使命感に溢れているためであり、それ故に定めた法などは厳格であり、処罰もまた厳格である。住民たちは死にもの狂いでこの島に残りたいから、自分の生活を犠牲にしてまでこの島の残ろうとする。そんな人たちの大部分は直ぐに追放処分になってしまうのだが、とススムは心の中で思う。そもそも、そこの商店街にいる人間はこのアトラス島の中でも富裕層の人間である。貧困な人間は、いまでも仕事をして、自分の生活費を稼いでいるのだ。娯楽に金を投じるのはいつだって金持ちである。
さて、そこで戻って目の前にいる金色の君を考えてみると、やはりおかしさを感じてしまう。格好は貧困であるが、ここで買い物をしている(?)のだからそれなりのお金は所持しているはずである。ここにある商品は他の場所と比べると少々値の張るものであるから、尚更、金色の君がお金を持っていることを暗に示している。しかし、もしも持っているのならば最低限衣服には気を遣うであろうと思い、金持ちの一つの趣味なのかとススムの中ではこの話は完結しようとした。
ススムと金色の君が近づき――そして、すれ違った。
金色の君の金の髪にはほのかに薬の香りしかしなかった。それどころか、身近で見て金色の君の身に着けている衣服の傷み具合が尋常ではなく、所々細かく虫食いされている所もあった。さらに、虫食いされた穴から見える薬草の消毒の後。さらに――――。
「―――ちッ」
ススムは、すれ違った金色の君を見る。もうすでに金色の君の背中と金髪しか見えない。
「どうかしましたか」
唐突に足が止まったススムの様子を見て、何かがあったのかとキルシュは尋ねる。
「いや、なんでもない」
キルシュの方を向いて、少しぼかす形で彼女に応える。
彼女はその解答にどこか納得していない素振りを見せたが、「そうですか」といってそのまま再び前を向いて歩き始める。
ススムは再び金色の君を見ようと、背後を見る。しかし、そこには既に件の君は存在していなかった。
「……」
ススムは自分の右手のてのひらを見る。そこには、何かに引き裂かれたかのような凄まじい縦横無尽の切り傷と紅い血液が流れていた。ススムは、その傷跡を観察する。
(この傷跡は風属性特有の性質だ、しかもかなり悪質な。咄嗟に防御魔法をしなかったら今頃使いものにならなくなっていたかもしれない)
冷静に自分の手の状況を判断し、金色の君の使っていた魔法を分析する。
手を顔に近づけた状態から、少し離れたところでてのひらを顔に向ける。すると、彼のてのひらを中心に円状の多くの古代文字が刻まれた魔法陣が展開した。それが少し、青色に光ると、先程まで悲惨な状態であった右手がすっかり元の状態へと戻っていった。手を閉じて開いての動作を繰り返して正常に手が動くかを確認する。確認を終えると、そのままキルシュの歩いた方角へとススムは歩き始めた。
それから、数分後。ススムはキルシュとともに彼女のおすすめのお店へと入った。どうやら、なかなかの有名なお店であるみたいで店の外には行列が並んでいた。キルシュは予約をしていたらしく、並んでいる人々の視線を一身に受けながら入るという少々心臓に悪い経験をした。
店に入って、そのまま個室に案内されススムとキルシュは用意された椅子に座る。そして、店員が持ってきたお手拭きで手を拭っていると、キルシュがこちらを見た。
「どうぞ、お好きなものを注文してください」
そうか、とせっかくただ飯が食べれるのだからと思い、飛び切り高いのを食べてやろうとススムは思い、机の上に置かれていたお品書きを読む。しばらく、読んで注文を決めたので「もう、いいぞ」と彼女に伝える。
そのことを把握したキルシュは設置してあった、店員を呼び出す鈴を鳴らす。すると、すぐに先程お冷とお手拭きを持ってきた女性がやってきた。
「ご注文をお伺いいたします」
キルシュがこちらに先に注文しろと目で訴えかけてきたので、先に注文するために口を開く。
「最高級特Bコースを一つ」
「私も同じものでお願いします」
キルシュがススムの注文した後すぐに同じものを注文する。
「では、ご注文を確認させていただきます。最高級特Bコースを二つで大丈夫ですか、……はい、ではお品書きを回収させていただきます。では、ごゆっくりどうぞ」
そう言うと女性は個室から出ていった。
ススムはグラスに注がれた水を口に含み、そして、含んだ後に机にグラスを置く。そして、目の前に座っているキルシュの方を見る。
「どうかしましたか」
その視線を感じたキルシュは口を開く。
「いや、どうしてこんなにも立派な場所で昼飯を食べることになっているのかなと思って」
ススムは個室を見渡す。そこは二人で使うにはあまりにも広い空間で、部屋の住むには高級そうな壺だとか、壁にはこれもまた高そうな絵が展示されていたりする。キルシュはその疑問を解決する簡潔な一言を紡ぐ。
「防衛部長から、前払いとのことです。そして、本日の例のことについての説明のためにこの場を使えとのことでしたので」
防衛部長、その言葉を聞いてススムは少しイラッとし、まあ、そんなことだろうなと納得もしていた。ススムの上司である防衛部長は、優秀な人間ではあるのだが時々突発的な無茶を他人に押し付けたりすることで有名で、その主な被害者の一人がススムなのである。だが、その無茶な依頼のおかげでこんなにも早く出世することが出来て、自分の望みがかなう一歩前に辿りつき、これから、その一歩を詰めることになるであろうと思うと怒りをぶつけたいのに、感謝の念が混じってどこか憎めなくなって仕舞うのである。
「まあ、この昼飯で奴の依頼のことは少なからず目をつぶってやるよ。そのかわり、その分たべるけどな」
「それでよろしいかと。ところで、ススム様は本日で第捌特位に昇進なされるようですが、人として最高の地位に就いたことについてどうお思いになりますか」
防衛局の第捌特位は人間として最高の地位である。その地位に就いたものは世界の中でも憧れのスターとして扱われるほどである。
「俺にとって、第捌は通り道に過ぎない。俺の目指すのはその先にある第玖からいけるという危険地域だ。あそこには夢が詰まっている。それに、手掛かりがあるかもしれない」
第玖、それは第捌を超え、人を超えた究極の戦士たちの地位である。世界の秘密兵器とされ、戦略級の力を持つと呼ばれる猛者に与えられる強者の証だ。彼らはこぞって危険地域へと潜り、そこでとれる貴重なもので商売をして莫大な富を築く者もいれば、己の力をさらに高めるために修行をする者がいる。正に、人外の極地である。
「なるほど、それを聞いて安心しました。ここで妥協するとかおっしゃりましたら、失望をするところでした。まさか、現在の自分自身の状態に妥協するわけはないと思っていますから」
「それは怖い」
ススムは少し微笑む。ススムは、現在の自分に一度たりとも納得したことはなかった。何かを為しても、何かを食べても、決して満足することが出来ない。自分の中のよくわからない空白を埋めることが敵わない。これを埋める鍵がもしかしたら、未開の地である危険地帯の災印特区にはあるかもしれないと思った。だから、止まらない。彼の足は自分が満たされるまで止まることはない。進み続けるのだ、自分の空白を満たすために。
「では、少々時間もあることですし、積もる話でもしましょうか」
キルシュは相変わらずのポーカーフェイスでそう言った。