彼女と運命
30 三年二組の教室
休み時間。騒がしい教室。
伊知と笠置、二人並んで自分の席で腕組み。厳しい顔つき。
真奈「どした?」
二人の前に顔を出す真奈。
ちらりと後ろを見る伊知と笠置。そこには単に、壁があるだけ。
真奈「何?」
伊知「今朝からずっといるんだ」
笠置「昨日、焼き鳥屋さんで見掛けた」
真奈「これ?」
両手を前で垂らして幽霊の仕草。
うなずく伊知と笠置。
真奈「シロ様に食べてもらえばいいじゃない」
笠置「悪い霊じゃないんだ」
伊知「ただ、すごくうるさい」
真奈「具体的には?」
伊知達の後ろに作業着姿の老人・五条・父が立っている。そしてずっと喚き散らしている。
五条・父「さっさとワシと来んかい。ワレ二人とも、ワシの事見えてんねやろ?ワシの言うてる事聞こえてんねやろ。無視すんなや。無視すんのがどんだけ失礼か分かっとんか」
伊知「いっそ……」
巾着袋に手を伸ばす伊知。
その手を掴もうとする笠置。
とっさに避ける伊知。
笠置「いや、大峰さん、待って。僕達に出来る事があるなら、手助けしよう」
真剣な表情で見つめられて、まともに顔を見れない伊知。
そんな伊知をニンヤリと見る真奈。
真奈「どうする? お伊知お嬢様」
デコピンをされてようやく真奈を見る伊知。
31 五条鉄工所・事務所
小さな町工場の事務所。窓の外は工場の中で、工員が溶接などの作業をしている。
立ったまま睨み合う伊知と細身の中年、五条・息子。息子は父と同じ作業着を着ている。
伊知の後ろに笠置と真奈。三人制服。
五条・息子「え? 何だって?」
伊知「だからワシは半年前に死んだワレの親父や。今ちょっと、この姐ちゃんの身体借りとんねや」
五条・息子「いや、子供は子供同士で遊んでくれよ」
伊知が事務所の奥にある金庫を指さす。
伊知「32、67、21、85!」
五条・息子「え? 金庫の番号?」
伊知「ええか、幸夫。ワレは大学戻れ。ほんでまた世界中の辺鄙なとこ回って来い」
五条・息子「いや、俺は父さんが作った工場を潰す訳にはいかない。ここを守らないといけないんだ」
伊知「ワレの気持ちはうれしい。でもな、無理して跡継ぐ事ないんや。吉野おるやろ。あいつに後、任せたらええ」
五条・息子「でも息子が親の跡継がないでどうするんだよ」
伊知が五条・息子の肩に手をやる。
伊知「そんなん決まってへん。世の中大抵の事はどうとでもなるんや。ワレが気張らんかて、どうとでもなるんや」
五条・息子が下を向く。
伊知「分かったか?」
五条・息子「分かった。かえって心配かけさせたな」
五条・息子が顔を上げる。
伊知が事務所にいる女性事務員に声をかける。
伊知「滝山さん、金の計算はよろしう頼むで」
滝山「分かってま。先代は安心してあの世行って下さい」
伊知「ほな行くわ。達者でな」
伊知が出口に向かう。
五条・息子「父さん」
伊知は振り向かず、黙って手を振って事務所を出る。
32 堤防の道(夕方)
川沿いの堤防にある道。
伊知の身体から五条・父が抜け出てくる。
五条・父が三人の方へ振り返る。
五条・父「世話なったな」
笠置「あの」
五条・父「なんや?」
笠置「さっき、世の中どうとでもなるって」
五条・父「そうや。大抵の事はな」
笠置「運命って、変えられるんですか?」
伊知と真奈が笠置を見る。
五条・父「変えられる。そう言いたいとこやけどな、ほんのちょっとだけ、どうにもならん事もある。せやけど、どっかに抜け道があるかもしれん。必死になって探すんや。それが人間いうもんや」
笠置「ありがとうございます」
五条・父「こっちこそ、ありがとうや。ほな行くわ。オカンが待っとるし」
笑い顔で五条・父の姿が消えていく。
笠置「消えた」
真奈「そうなんだ。霊媒の力が初めて役に立ったね」
三人、歩き出す。
伊知「まぁな。この力のせいでシロ様に気に入られてしまったのに」
真奈「今回は人助けだよ」
伊知「言い出したのは笠置君だけど」
笠置「僕じゃ何も出来なかった。あれを出来たのは大峰さんだからだよ。大峰さんがやったんだ」
うつむいて照れ笑いする伊知。
真奈「さっき、何て言ってたの?」
伊知「運命は変えられないって」
笠置「どうにもならない事はほんの少しだけって言ってたろ? それに抜け道を探すのが人間だって」
伊知「私のは、どうにもならない運命なんだ」
うつむく伊知。そんな伊知を見る笠置と真奈。
真奈「じゃあ、抜け道を作ろうか」
真奈が伊知の両肩に手をやる。
笠置「どんな?」
真奈「高校卒業して、シロさまに仕える事になってもさ、私達だけお伊知に会いに行けるようにするの。そういう抜け道」
伊知「会いに来れるように?」
真奈「そう。私達、遊びに行くし。何才になってもさ。お土産話一杯持ってさ」
笠置「うん、それはいい。寂しいとか、退屈とか、言ってられないくらい押しかけるよ」
伊知「そうか。それはいいかもな」
うれしそうな、哀しそうな顔の伊知。
真奈「抜け駆けもしてみようか」
伊知「抜け駆け?」
真奈「操を守り通すなんてそもそも時代遅れなんだよ」
そう言って拳を振り上げる。
笠置「ミサオ?」
真奈「そう。やっぱりここは親切な笠置君がさ、お伊知の……」
伊知「馬鹿馬鹿馬鹿」
伊知が真っ赤な顔で真奈の口を塞ぐ。
それを振りほどく真奈。
真奈「いいじゃん、キスぐらい」
伊知「キ、キス?」
真奈「おんやぁ、キス以上をお望みで? やっぱりお伊知はムッツリさんですなぁ」
伊知「馬鹿馬鹿馬鹿」
伊知が真奈をポカポカ殴る。
笠置「あのー、キスって?」
真奈「ニブイ、ニブイなぁ、笠置君。まだ分からんのかね」
伊知「いい加減にしろ! キスも駄目なの! それより前に、好きになっちゃ駄目なの!」
伊知は真奈に向かって叫ぶが、すぐ隣にいる笠置を見て、真っ赤な顔をさらに赤くする。目には涙が浮かんでくる。
ついに走って逃げ出す。
真奈「追いかけろって」
笠置の尻に蹴りを繰り出す真奈。
笠置「イテッ」
笠置が伊知を追って走りだす。
真奈「うん、私、良い事をした」
腕組みをして、一人うなずく真奈。
33 古い住宅街の児童公園(夜)
古い児童公園。子供はもう遊んでいない。
フラフラと歩きながら伊知が入ってくる。どうにかベンチまでたどり着く。
続いて笠置。その隣に座る。
二人とも荒い息。
伊知「君、運動出来なさ過ぎだよ。ここまで追いつけないってどうなの?」
笠置「面目ない」
伊知「明日、絶対筋肉痛だよ」
笠置「全く面目ない」
沈黙。
笠置「さっきの話だけど」
伊知「さ、さっきって?」
笠置「僕と室生が遊びに行くって話」
伊知「ああ、そこね」
笠置「そうやって、ちょっとだけでも変えていけないのかな? 元々、高校卒業まで待ってもらえたんだろ? ちょっとした抜け道。そういうのは出来るんじゃないかな?」
伊知「うん、そうだな。母と相談してみるよ」
伊知はうつむいて答える。
笠置「キスも駄目なの?」
伊知「へ?」
驚いた顔を上げる。
笠置「あー、いや、さっき言ってただろ。そこまで厳しいの?」
伊知「それは単なる好奇心からの質問デスカ?」
ジトーっとした目で笠置を見る。
笠置「うーん、まぁ」
伊知「いいけど、別に。そう、私は全てをシロ様に捧げるんだ。心も体も全て。時間だけは卒業まで待ってもらえたけど、後は駄目。シロ様の事だけを考えて、シロ様以外の男には指一本触れちゃ駄目なんだ」
笠置「指一本? 外、出歩けないよ」
伊知「いや、そういう意味じゃなくて。象徴的な言い方だよ。分かるでしょ?」
笠置「うーん、でも境界が難しくない?」
伊知「今だったら、意識して君に触れるのは絶対に駄目だ」
そう言って、密かに笠置の手を見る伊知。
笠置「同年代がアウトか。厳しいな。じゃあ何で共学の学校に?」
伊知の視線には気付かずに、腕組みをして聞く笠置。
伊知「中学までは女子校だった。でも同じ中学の真奈に誘われて。不安だったけど、シロ様の許しももらって何とか入れた。でも、無理して入って良かったよ」
笠置「うちの高校、結構良い学校だよな」
伊知「ん? うん。まあな」
がっくりした表情の伊知。
笠置「好きになるのも駄目なんだ」
伊知「そう、駄目なんだ。それが今は一番つらいかな」
笠置「そうなんだ」
伊知「でもどっちみち私には無理だな、恋とか」
両手を上げて伸びをする伊知。
笠置「そう? 大峰さん、きれいなのに」
瞬間顔面が真っ赤になる伊知だが、すぐに収まって、暗い顔になる。
伊知「何でそういう事言うかな」
笠置「大峰さん?」
伊知「もういい。帰る」
立ち上がる伊知。
笠置「送っていくよ」
伊知「もう近いしいい。第一、私より運動神経なくて、守ったり出来ないし、意味ないだろ?」
笠置「いや、守るくらいは出来るよ」
立ち上がって伊知に近付く笠置。
伊知「じゃあ守ってよ! 私のこの運命から守ってみせてよ! 出来もしない事言うな!」
走り出す伊知。しかしすぐに力尽きて、膝に手をついて休む。
笠置「あの、やっぱり」
伊知「来んな!」
無理矢理早足で公園を出て行く伊知。
出口まで行ったところで笠置が声をかける。
笠置「あの!」
伊知「何?」
怒った顔で振り返る伊知。
笠置「また明日」
伊知「……また明日」
伊知が出て行くのを見送った後、ベンチに座って頭を抱える笠置。
笠置「やってしまった」
しばらくして、ゆっくりと影が笠置の視界に入ってくる。
見上げると、高城が立っている。
高城「また明日、か。いつまでもそう言っていられればいいんだが」
伊知の出て行った出口を見ていた高城が笠置の方を向く。
高城「前にも会っているな」
笠置「確か、大峰さんの家の前で?」
高城「そうだ。俺はあの少女を監視している。生まれて間もない頃からずっとだ」
笠置「監視って一体……」
高城「あれ程大きな力を持つ霊体を抱えているんだ。監視しない方がおかしい。俺の名は高城。警察の人間だ。国家の治安を預かっているって奴だ」
笠置「警察。警察が大峰さんをどうするつもりなんです?」
高城「どうもしない。どうもできない。ただ、俺の仕事は強大な霊力に関わる人間を監視する事。そして報告する事。そういった力を恐れる人間が少なからずいると言う事だ」
笠置「例えば?」
高城が苦笑する。
高城「知らない方がいい。俺も知りたいとは思わない。それより問題はあんただ。あんたはあの少女と深く関わり過ぎている。これから先、どうするつもりだ?」
笠置「どうするって、一緒に学園生活を送るんです。放課後や休みの日も遊んだり。それで、卒業してからも会いに行くんです。あの子にはそういう人間が必要だし、僕はそうなりたい」
高城「やめておけ」
笠置「何故?」
高城「あの少女の抱える運命は、あんたが想像しているよりずっと過酷だ。生半可な気持ちで関わっても、何の慰めにもならない。かえって彼女を傷付けるだけだ」
笠置「生半可なんかじゃありません。僕は真剣に彼女と関わるつもりです。もう、関係のない人間じゃないんですから」
高城「だが、さっきは失敗した」
高城が、からかう口調で言う。
笠置「あれ、どこで失敗したんですかね?」
高城「それは自分で考えろ。どの道そこは大した問題じゃない。ちょっとしたほろ苦い思い出になるだけだ。ここでやめておくんだな」
笠置「いいえ、やめません。どこまでも関わり続けます」
高城「後味が悪くなるから?」
笠置「いいえ、彼女は大切な友人だからです」
高城「そういう次元の話ではないんだ。それでは彼女の運命を受け止め切れない」
深い溜息をつく高城。
笠置「彼女を待ち受けている運命がどれ程の物か、正直僕には分かりません。それでも僕は関わり続けます。後戻りはしません。もう、決めましたから」
高城「そうか。そうなのか。ただ、これ以上関わるつもりなら、覚悟が必要だ。強い覚悟がな。何かあったらここに連絡しろ」
笠置の横に名刺を置いて、暗い表情の高城が立ち去る。
名刺を手に取った後、高城の姿を目で追う笠置。固い表情。
34 伊知の部屋(夜)
元は和室だが、壁紙を貼って、絨毯を敷いて、ファンシーな部屋に作り替えている。(しかし障子に襖に押し入れ)
ぬいぐるみが並ぶベッドに仰向けになって、ボンヤリとしているパジャマ姿の伊知。
伊知「何なんだあいつは」
小さいつぶやき。
胸元の巾着袋が光る。
巾着袋の中から、白い球を取り出す。
その白い球が光を放っている。
指で摘まんでジッと見る。
そして手のひらに包み込んで強く握り締める。
伊知「分かってる。分かってるよ、シロ様」
きつく目を閉じる。