2
店の奧に入ったスーツの男は、部屋の中のかなり若い、ヘタをしたら成人もしていないのではないかという男に笑顔で出迎えられていた。その男は、来客のために準備をしたという割にはだらしなく前を開けたスーツを着ていた。
「やぁどーも。お待たせしました。どーぞこちらへ」
男は促されるままにその部屋の比較的右側、足の低いテーブルが向かい合ったソファに挟まれている、いかにも応接用、といった壁側のソファに腰かける。
若い男、声から判断してマイクと呼ばれていたその男も反対側のソファに座る。そして、笑顔で男に尋ねた。
「えーと、それじゃまず、あんたの仕事がいつなのかを聞こう。いつかな?」
急に敬語でなくなった事を気にする様子も無く、男が言う。
「今日だ」
「へ?」
マイクが聞いてはいけない言葉でも聞いたかのような返事をする。そのことにはっと気が付くと、咳払いをしてからもう一度聞いた。
「うーん…今日か…。時間は?」
「今からだ」
「ぶっ!」
マイクは驚きを隠そうともせずに吹き出して驚く。そして、男の方を哀れんだような目で見てから言った。
「…こういう依頼は少なくとも二日前にゃ言っとくもんだよ?まさかイキナリやってくれとは…」
「仕事自体は簡単だ。多くとも三人でいい」
男は冷静に、語るように喋る。それに対応しているマイクは拗ねている子供みたいな顔で男を眺めている。
男はさらに続けて言った。
「勿論依頼料は増やす。まぁ、それでも無理なら無理にとは言わない」
男が持っていたケースを静かにテーブルの上に置く。その大きさといえば、福沢諭吉が一万人は入りそうな大きさだ。
「…やってくれるか?」
マイクは相変わらずの顔をしたまま返事をしない。と、マイクの後ろから声がかけられた。
「いーんじゃねぇか?三人ぐらいならそこまで準備も必要ねぇしよ」
男が声がした方を見る。その目線の先では、金短髪の、背の高いがたいのいい外国人がソファに腰掛けていた。声からして、先程この若い男をからかっていた男だ。そしてなにより、薄い灰色の作業着を着ている。間違いないだろう。
「…大丈夫だろうけどさ…」
マイクが拗ねているように返事をする。その後、ソファに仰け反るようにして後ろを向くと、金短髪の作業着に向けて言った。
「フィリップ、そこにペスカいる?」
その、フィリップと呼ばれた金短髪が口を開こうとした時、フィリップの体の死角から少女が顔を出した。長い金色の髪が腰まで届き、水色のワンピースの上には気持ち大人びた顔が乗っていた。しかし、大人びて見えるのは歳の割に、という意味であり、小学生にしか見えない可愛らしい容姿だった。
その少女はてくてくと応接室の(厳密には応接スペースとでも呼ぶべきかも知れない)方に来ると、マイクの隣にちょこんと座った。
「…………」
依頼主の男はその少女を不思議そうに眺める。それに構わず、マイクは困ったようにペスカに尋ねる。
「聞いてただろ?今の話。どーしたらいいと思う?」
マイクはあろうことか、その少女に相談を始めた。依頼主の男が困ったようにそのやり取りを見ていると、マイクの幾つかの質問ののち、女の子はこくん、と首を縦に動かしたのだった。
「そっかぁ…。ま、受けても大丈夫だよね」
よし!とマイクが立ち上がった。
「了解したよ。あんたの依頼、受けてやる」
依頼主の男は複雑な顔をしたまま、テーブルに置いたものとはまた別の小さな鞄から封筒を取り出した。
「…これが依頼内容だ。住所も中に入っている」
マイクが封筒を受け取る。中には二人分の顔写真と、どこぞの住所や事の詳細が書かれた二枚の紙が入っていた。
「…では任せた。俺もこれからそこへ向かう」
男が席を立つ。それをマイクが止めた。
「待て待て、これ」
マイクは男に携帯電話を投げる。
「…………?」
男は、反射的に受け取ったそれを不思議そうに眺める。
「あんたの仕事が終わったら連絡くれ。返すのは報酬を渡しに来る時でいいから」
「………………」
男が部屋を出ていこうとする。そこにまた静止の声。
「待てよ、俺は職業上‘マイク’で通ってる。あんたの名前は?」
男は少しだけ振り返り、言った。
「…通り名は‘ジャック’だ」
男は前に向き直り、部屋を出ていった。扉の向こうから「あ、ありがとうございましたー」という女の子の声と、ベルの音が聞こえた気がした。
マイクは一度大きく伸びをしてから声をかける。
「じゃーあ急いで準備だ。フィリップ、それからケニー。ついてきてくれ」
マイクの声に反応してフィリップが立ち上がる。加えて、先程依頼主の男が出ていった扉の正面に位置する、デスクワークスペースとでも言えばいいのかよく分からない所で作業をしていた、黒髪の、きっちりと黒いスーツを着ている若い男がその声に反応した。
「え、俺もですか」
「だって仕事場遠いんだもん」
さも当たり前のように言うマイクを見て「まぁ、いつもの事か」と思ったかどうかは分からないが、ケニーと呼ばれた男も席を立つ。
「じゃフィリップ。今日は泡沫さんいないから、必要な物持ってきてくれよ」
「えー…何で俺だ?普通に考えりゃお前だろ」
「お前が受けてもいいんじゃねぇか?って言ったんだろ。ほら、そこまで大荷物でもないんだからさ」
フィリップは何か言いたそうな顔をしたまま、しぶしぶと二階へ上がっていった。
「じゃケニー、俺らは先に…」
そこまで言ったところでマイクの口が止まる。着ているスーツの端を、そこに立っている、ストールを体を覆うように羽織ったワンピースの少女に引っ張られたからだ。
「……私も…」
少女が小さな声で言う。
マイクは暫く少女と目を合わせると、笑顔になって言った。
「行こうか。ペスカ」
その少女、ペスカは無表情に、それでも嬉しそうに首を縦に振った。
「じゃ四人で行こう。ケニー、車を頼む」
「はい」
ケニーの返事を聞いてから、マイクはペスカを連れ先程男が出ていった扉を開けた。それに気が付き、キッチンに立っていた先ほどのミドルヘア女が声をかけた。
「あ、マイクとペスカちゃん。仕事?予定あったっけ?」
その問いにマイクが答える。
「いや、今の客が入れてったんだよ。急だけどちょっと行ってくるから、店とハナコを頼むぞ、ジェーン」
その言葉を聞いた、ジェーンと呼ばれた女は笑顔になって答えた。
「了解。ハナちゃんは任せといて」
その返事に、心配そうにマイクは言う。
「……別にハナコ撫でまわすのは構わないけど、店も頼んだからな」
疑いの目を向けるマイクに笑いながら、ジェーンは言う。
「大丈夫大丈夫。店はハナちゃんがいれば回るんだから」
「……………………」
マイクが普通にはあり得ないぐらい冷たい目をジェーンに向ける。そんなことを気にしないジェーンは、マイクのスーツの端を掴んだままのペスカを見ると、マイクに聞いた。
「マイク、ペスカちゃんも連れてくの?」
「…ああ。用心するまでもねぇけど…一応な」
「ずるい!!」
ジェーンの予想外の言葉に驚くマイク。
「………はぁ?」
「私のペスカちゃんを連れてっちゃうなんてずるい!!」
「…………………」
マイクは心の中で「ダメだこいつ…」と呟いてから返事をせずに歩き出した。
その後ろからペスカがついていく様子を悲しそうに眺めているのだろうが、そんなこと知ったこっちゃない。こちとら仕事だっつーの。
「あ、マイクさん。今からお仕事ですか?」
と、喫茶店のウェイターをしていた女の子が声をかけてきた。マイクはそれに笑顔で答える。
「ああ。だから留守の間店をお願いするよ。ハナコ」
女の子が反射的に言い返す。
「だ、だからハナコじゃないですってば!」
「あっはっは。じゃ、行ってくるよ。花華」
頬を膨らまして怒っている花華にそう言って店を出た。店の中でくつろいでいた四人組の女の子達は、その明らかな日本人の青年と明らかな外国人の少女が店を出ていくのを見て、また話が盛り上がっていたようだった。
後日花華に聞いた話だと、「あの子超可愛くない?」とか「金髪だ~」とか主にペスカの話題で持ちきりだったそうだ。
俺の雄姿のことが話題に上がらないとは、まだまだ子供よのう。
いや、照れてたのか?
店を出てすぐ、店の前に一台の黒いワゴン車が止まった。運転席にはケニー。助手席にはフィリップが乗っていた。
「乗って下さい」
ケニーに言われ、後部座席にペスカを乗せ、マイクも乗り込み、言った。
「よーし、久しぶりに…本業開始だ!」
四人の乗った車は、紙に書かれていた住所に向け、走り出した。