一字一句覚えてる
他の建物よりも少しだけ背の高いその宿は、屋上で軽食、喫茶が出来る形だ。
左に時計塔を据えると、右にカーリマンズ学院を望む事が出来る。吹き抜ける風が心地よい、雰囲気のいい店である。
席料変わりのコーヒーと紅茶を注文すると、ピニオンとコハクは向かい合って座る。
コハクはむくれている。
「・・・・・・なんで怒ってるのか教えてよ・・・・・・」
ピニオンは既にぐったりと疲れていた。
好きな女の子がわけも分からず怒っているというのは男としてはものすごく居心地が悪い。しかし、理由も理解しないままとにかく謝るというのはこれもまたよくない。『自分の事を真剣に考えてくれない』と感じて怒るのだ。
ピニオンとしては・・・・・・ そんなつもりはなく、とにかく場の雰囲気を変えたい・・・・・・という男の思いも分かるのだが、理由も理解しないまま謝る事を不実であるとする意見も分かる。
そして、女の子が理由もなく怒る事はなくても、その理由が理不尽な場合もおうおうにしてある事も知っていた。
しばらくして、ラトが渡してくれたノートになにやら書いて、見せてくれた。
[何時から気づいてたの?]
「え? ・・・・・・ああ」
そうか。
『気付いている事に気付けていなかった』のか。
ようやくさっきまでの噛み合わなさに納得のいきそうな理由が見えた。
「ほぼ最初から。だってどうみてもコハクじゃない。一応聞いてみる前にグウィンさんが『エクレア』って呼んだから、そっちが本当の名前なんだなって気付いてそう呼んだし、近くで見てみて間違いないと思った。加えてサリアさんの奥歯にモノの挟まったような口ぶりから、確認する気も失せたよ」
[サリアは、『琥珀の中に居たんだから、本当の色はつかみにくいし、目を閉じてたんだから印象が違うと思うわよ』って]
たまに会う友人が肌の色と髪型変えてたみたいな話じゃ無いんだから・・・・・・と、ピニオンは思う。
「半年ほぼ毎日見つめ続けてた好きな女の子の顔を見間違える方が信じられないけど」
ぶふっ・・・・・・
「どうしたのさ。吹き出したりして」
顔を真っ赤にして、あわあわとする口をどうにも出来ないまま、コハクは顔を隠すようにしてノートに書きなぐる。
[今、さらっと も の す ご い こ と 言った!!]
「『半年ほぼ毎日見つめ続けてた好きな女の子の顔を見間違える方が信じられないけど』のどこに吹き出すほどの凄い事が?」
[私の事を!!!!!!!!]
「『好き』」
コハクは完全に固まってしまい、顔を真っ赤にした後、ふはーっと息を吐くのを何度か繰り返した。
「半年前から僕は心を読まれてたんでしょ? いかに僕が君に夢中だったのか全部バレてるって知って、とっくに開き直ってるよ。
その上でそれだけ僕に興味持ってくれてるのなら、後はどうにかなるって思うじゃない」
[私、心読まれてる!?]
「そんなわけ・・・・・・」
あ。
そうか。
ピニオンは気付いた。
彼女は今まで心の声が聞こえていた。
つまりそれは、『態度を読む』というスキルが必要なかったという事である。
悪い事を考えている人間に『近づかない』という選択が出来た彼女は、『嘘』を言う人間に免疫がない上に、普通なら『察する』場面でそれが出来ない。
人付き合いをする上で、生きてきさえすればそこそこ身につく『対話』のスキルがゼロに等しいのだ。
ただの『会話』ではなく、『対話』。目の前に、あるいは傍らにいるその人の、態度や顔色、声のトーン、目を見ているかそらしているか、保とうとする距離、表情、それまでに知り得た人となり・・・・・・
ここで、『うん、実は読めてる』などという冗談も、普通の人間なら通じるだろう。
しかし、本音しか触れてこなかった彼女にとって、嘘とは簡単には見抜けるものではない。
悪意のあるなしではなく、聞かされる言葉と本当に思っている事が実は違うという恐怖に全く抵抗力がない筈だ。
常に『全部本気では捉えない』『信じても信じなくても構わないことは信じておく』『後でその人の態度や行いと照らし合わせて信用に足る人物か見極める』事を自然とやっている『普通の人間』と違って、復活時にいきなり『悟り』の能力を失ってしまった彼女は、とんでもなく情報弱者だ。
だから。
「僕を躊躇いなくいろんな所に連れ回したり、何かを伝えたくて右往左往したり、一緒に美味しい物食べて嬉しそうな顔してくれたり。それだけしてくれれば、僕が君にとって重要なのは分かるよ。
どれも、すれ違うだけの顔も覚えようとしない人にすることじゃないでしょ?
それにさ、アレを聞いてるし」
[アレ?]
「『ピニオン、ピニオン!!ピニオンっ!!
ダメ、ダメぇっ! 死なないで、死んだらダメぇっ!!
ピニオンが言ったんじゃない、大切な人を守る為に、そう思える自分を絶やしちゃダメだって!!
私、死ぬからね!?絶対後を追うからね!?
それがピニオンの一番悲しむ事でも、ピニオンのして来てくれた事を無駄にする最低最悪のことでも!!
だって、ピニオンのいない世界なんか、私にとってなんの未練もないんだから!!
これからどんな幸せが約束されても、未来が希望に満ち溢れてるって聞かされても!
今、幸せがこの手にないなら、その先なんていらない!!
ピニオンがいないなら、私なんて、要らないっ!!
そんな事無いって、言い返して!!私は、やると言ったら本当にやるわよ!?
もっと穏やかな、小さな妖精か天使みたいな娘だって思ってたのならおあいにく様!!私は食らいついたら離さないから!!
貴方がこの半年間、琥珀の中の私を見ながら、何考えてたのかもこの場で全部ぶち撒けるからね!?
私、覚えてるんだから!!最初の『なんて、綺麗なんだろう』から、全部!!
嫌なら、起きてぇーーーーーーーーーーーっ!!』」
!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
雷に撃たれたようなとしか表現できない愉快な赤面を披露した後、また書きなぐってノートを突きつける。
[なんで一字一句覚えてるの!?]
「なんでって。エクレアだってこの時言ってるじゃない。『この半年間、琥珀の中の私を見ながら、何考えてたのか全部覚えてる』って。
好きな女の子が初めて僕に届けてくれた『言葉』を、大切に覚えてるのがそんなに変?」
ピニオン自身、普通の女の子だったら今の自分は重いを超えて気持ち悪いに近くないかと思わなくもない。
しかし、『悟り』も『悟られ』も無くしているという今の状態で、彼女は『嘘』が一番怖いと思うのだ。
だから。
嘘は勿論、何も隠したくないと思った。
だって、筆談が出来なかったさっきまで、彼女は何一つ伝えたいことを伝えられずに、色んな事を晒してしまっていた。
彼女は、守ってあげなきゃいけない。
そして、誰よりも力になれるのは、いつだって自分でありたい。
彼女が安らげるのは、自分の隣であってほしい。
その為に何をするべきなのか気付けているのだから、手間を惜しむ理由などないのだ。
いや、彼女の為に出来る事がある、それ以上の喜びが他にあるかという方が正しいか。
とにかく、まずは行動しよう。
受け止めることから、だ。
「で、さっきのデートで、エクレアは何を伝えたかったの?」
そう言った瞬間、またぶすくれた。
不謹慎なんだろうが、怒ってる顔も可愛らしすぎて蕩けそうだ。
指し示されたノートには、やたらと可愛い文字でこう書かれていた。
[コハクって呼んで]
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ピニオンは、自分の鈍さに呆れ果てた。
成る程。これが逆に・・・・・・
サリア達に『[エクレア]を名乗った理由』か。
(ここで、「わかったよ、エクレア」とか言ったら怒るよなあ)
そんな彼女も見てみたいと思ってしまったことを・・・・・・
正直に話した。
そしてやっぱり怒られた。
ひとしきり謝って・・・・・・
「好きだよ。コハク」
それを聞いて、耳の先まで真っ赤にして俯いて向こうを向いてしまった彼女がたまらなく可愛らしかった。
席料変わりのコーヒーと紅茶は、とっくに冷めて香りを失っていた。