噴水のベンチでキャラメルの宝石と
ここに来るにあたって、ピニオンは正装をしてきた。
先の講和のための会議について行く時に用意してもらった法衣のような服は、こういう時におあつらえ向きだと思ったので、持ってきていた。
だから、緊張しているとか気後れとかはそこまで無い。が。
建物の荘厳さというのは、別の意味でピニオンを足止めさせた。
門の大きさにも驚いたが、中に見える建物にも、どんな感想を持っていいのかわからない。
彼が知っている、このクラスの大きさの建物は、城しかないだろう。しかし、その優美さを表すのにふさわしい城はまだ知るまい。
来る途中に迎賓館でも寄ってきたなら例えられたかもしれないが、城といえば、質実剛健さのみである『キュクス』しか知らないピニオンにとって、貴族の邸宅のような外装を持ち、城に匹敵する大きさのこの建物が、学校であると言われてもピンと来なかった。
「いや、学院だったっけ」
カーリマンズ学院。
カーリュッフの前身であるカーリマンズ公国の頃から、この地域でも指折りの学び舎として隆盛を誇り、ここを拠点とする頭脳集団も、20を超える。
サリアとラトがコハクをここに連れてきて、復活の準備をしているはずであった。
(あ・・・・・・れ?)
いくら広いといっても、あの森程ではない。
ここまで来れば、感じられると思っていたけれど・・・・・・
『波動』が来ない。
勿論、森にいた時にだって、間が長い時はあったし、意識が無い時・・・・・・寝ているときには出ない。大したことではないのかもしれないが、ピニオンはなんだか寂しく感じた。
いつまでも立ち止まっていてもしょうがない。意を決して入る。
入れば入ったで、また目を向けるたびにいろんなものに惹かれた。
門をくぐると、噴水がある。それを囲むように庭木やベンチがあり、石畳の幅は広く取られている。贅沢な空間の使い方がされているし、冬であるのに美しい花も咲いていた。サザンカかツバキだろう。
ピニオンは、ベンチの一つに腰掛けてうつらうつらとしている女の子を見つけた。
ここの制服なのだろうか。ゆったりとしたフラットなワンピースに、紋章をあしらったたれをつけている。そっと肩を包む装飾に支えられたマントも身につけている。
「・・・・・・」
今は冬だが、今日はなんだか暖かいほうだ。たまの陽気に外に出て居眠りというのもまた優雅で風流でもある。
ピニオンはふと足を止め、その子を見つめた。
美しかった。
顔立ちの整い方や肌のきめ細かさや白さもそうだが、長めのみつあみに一本にまとめられた髪の色が、溜息の出るような輝きをしていた。
キャラメルが宝石になったような、飴色に輝く髪。金髪の中でも、やわらかみの感じられる心地よい色味。
「・・・・・・ !」
女の子が、ピニオンに気づいた。
立ち止まらなければ、風景のひとつのように流れてゆけたろうに、ピニオンはそうしなかった。
「ああ、ごめん。 起こす気はなかったんだけれど、つい」
見とれていて、と続けるのもむしろ図々しい気がして、ピニオンは口には出さなかった。
彼女の瞳の色を見た。
レモン色が透明感を増したような、まさに透き通るような瞳。
髪の色も瞳の色も、キラキラの蜂蜜みたいな女の子だ。
「・・・・・・!!!!!!!!」
彼女の驚きはとても大きいようだった。寝顔を見られるというのは、女は男以上に恥ずかしく感じられる・・・・・・ということだろうか。怒ってどこかへ行ってしまうということはなかったが、顔を真っ赤にして、あうあうというように口を動かし、手はむちゃくちゃに振り回されている。腰でも抜けているのか立ち上がろうとしない。
「ええと、大丈夫? 落ち着いてよ。何か、探してるの?」
そう言ったところで、別の所から声がした。
「エクレア!!!」
「!」
よくとおる、若い男の声。彼女がそれに反応した。が、男を呼ぶでもなく、声のした方を向いただけである。すぐにピニオンに向き直り、立ち上がって、その手を握った。
彼女は、左側にある、大きな鳥かごのような建物を指差した。
「あそこに行きたいの?」
ものすごい勢いで首肯する。
「エクレア!! どこにいるんだ! 大丈夫なのか!?」
呼ぶ声は焦燥がある。慈しみも感じられる。彼女を大切にしている人のはずだ。しかし、彼女は今、会いたくないようだ。明らかに逃げようとしている。ピニオンと一緒に。
彼女はピニオンの手を引き、走ろうとする。しかし、よたよたとしていて、足取りがおぼつかない。
「ごめん。嫌じゃなければ、抱えて走ろうか?」
ピニオンは背は高いほうではない。しかし彼女はもっと低い。細身とはいえ、鍛えてはあるピニオンにとって、彼女を抱えるのは大したことでもない。
再度頬を真っ赤に染めた彼女は、瞳を潤ませながら首肯した。
ピニオンは膝の部分から抱え込むようにして、優しく抱いた肩を持ち上げる。羽のようにとはいかないまでも、しっかりとした足取りで、走る。
彼女は、ピニオンを見つめていた。
見つめていたいから見つめているようにも見えたし、何か伝えたいことがあるような瞳でもあった。
「エクレアっていうんだ。可愛い名前だね」
そう言って微笑むピニオンに、彼女は何故か傷ついたように泣きそうな顔をした。
「あ、え? あの、さっきの男の人の声は、そう呼んでたよね。君も名前に反応したし・・・・・・
あの名前が嫌いだとか?」
ふるふると首を振って否定する。
しかし、彼女の表情は晴れない。
晴れないだけで、お姫様のように抱えられているこの状況を嫌がっているわけではないようだ。
やはり、名前に関係することなのだろう。
彼女は、切なそうな顔をしていた。
まるで、最愛の者が遠くに行ってしまうのを見ているような、どうにもならない別れを感じているような瞳。
ピニオンは、その瞳に本当に吸い込まれそうに感じた。
心はかき乱され、体中の血が暴れだす。二の腕に触れている手に力を込めてしまいたい。
(キス、したい)
頭の中で言葉になったのはそれだけ。しかし、それ以上のことも頭に浮かぶ。いけないと思っても、ピニオンは若くて健康な男の子である。
噴水のすぐ横の庭園を突っ切る形で、『大きな鳥かご』を目指したために、周りは生い茂る木々で隠れている。ここで何が起ころうと誰にもわからないだろう。
(・・・・・・っ!!)
いけない、と思い直して、もう一度彼女を見る。
彼女は、変わらず切なそうな顔でピニオンを見つめていた。
(あ・・・・・・れ?)
そう。彼女の瞳には、先ほどと変わらない切なさがあるだけだった。
戸惑いも、軽蔑も、怒りも無い。
その時。
ピニオンは、重要なことに気づいた。
それは、この学院の門をくぐった時から、感じていた疑問の答えかもしれなかった。