森とエクレアとレドテトラ
今はまだ、何も語らぬ、翼人の少女。
彼女がこの地に訪れたのははるかな昔。
人がここで国を作るずっと前。
人が集落を作り始めた頃のこと。
人の力は今よりはるかに小さく。
魔物が今よりはるかにいた頃。
自らの恐怖が、その身を閉ざす。
その翼は、白銀に輝いていた。漆黒と呼べる、月のない夜に浮かんだ金色の光と、飛び散る光の羽。
翼人は、翼そのものを羽ばたかせ飛ぶのではない。魔力を受け、同時に放出して推進する。
飛ぶことに特化した魔法を使う器官がたまたま翼の形をしているにすぎない。
(・・・・・・怖いッ・・・・・・!!!)
彼女は逃げていた。
追ってくるのは、レドテトラ。
ここら辺りを我が物顔で飛んでいる、魔物の一匹だ。
竜とダチョウを合わせたような形の体で、ギョロリとした目とウツボのような口、そして山一つもありそうなその巨体。
最悪だった。
彼女はエクレア。
ハチミツのような髪と瞳を持つ少女。
透き通ったように輝く白銀の翼と真っ白な肌。天使としか形容できないその容姿。
そして、
『悟り』と『悟られ』。
彼女は思っていることが隠せない。
彼女の前で隠し事はできない。
ただ、その力に関する感覚は鋭敏で、彼女の思いが伝わらない範囲から、彼女は他人の心を感じ、読むことが出来る。
優しくない人、怖い人がわかる。
近づくべきでない人間がわかる。
彼女は、優しい人間、自分の思いを汲み取ろうとしてくれる人間だけを選んで近づき、彼らの好意に甘えながら生きてきたのだ。
( ((・)) )
とある森を一人で抜けようとした。
森を抜けること自体は初めてではなかったので、大丈夫だろうと思っていた。
レドテトラは、その時寝ていた。
寝ている者の思考は無い。読めない。
他人の思考は読めても、気配を感じ取る力のないエクレアは、レドテトラの領域に入ってしまったことに気付けなかった。
物音でレドテトラが覚醒し、エクレアに気づいた時。
エクレアは、餌を求める思考に・・・・・・ エクレアを食おうとする思考に、恐怖を抱いた。
それは、『悟られ』の力で、レドテトラに届いてしまう。
魔物は、歓喜した。
この生き物は、自分に恐怖を抱いている。それがわかる。
こちらの考えていることがわかる。故にその行く末から逃れられないことにまた恐怖している。
(レドテトラの巨体とその膂力には敵わない。空を飛ぶスピードも劣る。魔法も力不足)
{いつでも一呑みに出来る}
お互いの考えがまるで会話のように、いや、その恐怖や歓喜までも伝わり合う。
エクレアの絶望は、いかにその餌が弱く儚く捉えやすいかを事細かに伝え、レドテトラの嗜虐と食欲は、さらなる絶望をエクレアに塗りつけた。
「きゃあああああああああああああああああああああっ!!!!!!」
叫んで逃げ出した。無意味と知りながら。
(( ・ ))
レドテトラの興奮と嗜虐は最高潮に達していた。
この餌がどれだけ自分に怯え、恐れているかがなぜかわかる。この餌がそう考えているのがわかる。
獲物を狩っていて一番楽しいのはこの時だ。狩られる者の恐怖の悲鳴が、自分の存在の大きさを証明する。
だが、それをここまで如実に詳細に伝えてくる獲物など、ついぞ出会ったことがない。
楽しい。
楽しい。楽しい!! 楽しいぃいっ!!!!!!
もっと。もっとだ。魂の奥の奥からの、その身さえそのまま壊しかねないほどの恐怖を伝えてこい!
俺はそれによって歓喜を得て、嗜虐を沸き立たせる。
その思いさえ伝わって、貴様の恐怖はさらなる膨らみを見せ、それが更なる愉悦を俺に与える!!
近づいたり離れたりを繰り返し、体を傷つけないよう、翼を引っ掻いたりし、エクレアを追い詰める。
この夜闇の中、飛んでいる間中発光する彼女の翼はいい目印になってしまっている。しかも、彼女は、自分で自分の感情の伝達度合いの制御が出来ない。
よほど離れないと、怯える感情そのものが彼女をしめし、見つけさせてしまう。
それが分かったところで、恐怖を心から消し去ることなど出来ない。
(怖い! 怖い怖い! 怖い怖い怖い怖い怖い!!!! 怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖いっ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!)
最初から逃げても無駄なのは分かっていた。
それでも死にたくなかった。
でも、もう無理だった。心が悲鳴を上げ始めて随分経つ。
彼女の心自体が、壊れかけていた。
自分がいかに弄ばれているのかが手に取るように理解できる中で、恐怖と焦燥と絶望がないまぜになって、心が締め付けられ引き裂かれ打ち砕かれた。
その時。
レドテトラの爪が、エクレアの翼を完全にへし折った。
彼女の『境界』が綻び、
『世界』が、一つに繋がってしまった。
{グギャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!}
それは、状況を一変させた。
彼女の『悟り』と『悟られ』は、純然たる『個』の区別の上に成り立つ。
誘拐犯と行動をともにするうちに、誘拐された方が誘拐犯に共感を示し、協力的になってしまうという話がある。同じ場所、共にいる時間、極限の状況や、その中で得た情報の如何によっては、あからさまな被害者でさえ、心を寄せ、助けようとしてしまう、心というもののあやふやさ。
心を何一つ隠さずさらけ出され、相手の思いを感情の動きごと理解してしまう中で、『個』が保たれるのは、そのための安全弁たる機能を、翼が持っていたからなのだ。
今、エクレアとレドテトラの間に『境界』はない。
誰が感じている感情も、等しくこの場にいる者に伝わってしまう。
勿論、感情が強ければ強いほどそちらを強く感じ、弱い感情はたとえ自らのものでさえ押しやられて染められてしまう。
そして、限界まで追い詰められたエクレアの恐怖は、そこにいた全ての生き物の感情を全て塗りつぶした。
{グギャアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!!!!!!!
グギャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!}
一瞬で心を恐怖で埋め尽くされた。まるで、空気に火が付き、大地を、空を、舐め尽くすが如く。
猛り狂っていたはずの己が、絶望さえ超えた狂乱で刺し貫かれている。
レドテトラの混乱はエクレアの比ではなかった。その事実そのものがさらなる恐怖を爆散させ、連鎖反応を起こし、誘爆した。
そのあまりに凄まじい恐怖を受けて、レドテトラは自殺を図った。
後に、ザクス山脈と呼ばれることになる山々の連なり。そこに頭を打ち付けて死のうと、レドテトラは全勢力を岩壁に向けて突進した。
自重も、魔力も、全部己を殺すことに向けての突貫。
それは叶い、レドテトラは、その命を自らこの世から絶たせた。
そして、その巨体は衝撃で粉々になり、後には・・・・・・
逆さまにはえた神獣の牙か、魔王の角かという峡谷が生まれた。
一方エクレアは、翼を折られて、空中制御が出来なくなっていた。
もうこの翼では飛ぶ事はかなわないだろう。
心を壊されたショックからは回復していない。状況の認知が出来る精神状態ではない。
だが。
(助けて。死にたくない)
(怖い)
最後に浮かんだその言の葉を込めた感情は、伝播していた。
折れた翼は、それでも浮く力を制御し続け、彼女を数十分、緩やかに滑空させた。
そして、小さな森に不時着するように突っ込んだ。
いくつもの枝に断続的に引っかかり、勢いが殺され、骨折は体中に出来たとしても、即死には至らなかった。
最後に落ちたのは、昨夜の雨で出来た水たまり。
翼は完全に折れて、ちぎれてしまった。背中には骨のえぐれた跡が残るのみ。
(死にたく、ない)
(助けて・・・・・・)
エクレアのその願いを汲み取れる人間は、そこにはいなかった。
人間は、いなかった。
そばに落ちた翼の隙間から、南の方で翼に引っかかったままになっていたガジュマルの実が落ちた。
擦れて潰れていて、中から芥子粒のような種がばら蒔かれた。
植物に、意志や感情と呼べる物はあるのだろうか。
しかし、生き、子孫を残し、自らを絶やさぬ行動を取り続ける。
その過程で生まれた物が、ほかの命を育む元にさえなる。
(助けて・・・・・・)
彼女の『境界』の綻びは、なおってはいなかった。
そのせいで、その小さな森にいる、生きとし生けるもの全てが一つになっていた。
すぐそばで、『自分』の一部が死にかけている。
そう認識した『森』は、『自己再生』を始めた。恐ろしいまでの化学式のパターンを試して、正解であろうもののみを実験結果、つまり彼女の体に回復の見られる事象があった時のみ継続する。
その判断をする中枢がない。が、それさえもエクレアの『悟り』と『悟られ』で一つになっているこの森そのものが擬似的なシナプスを作り出し、自らと構造の違うはずの有機体の『自己再生』のベクトルを決定づけ、それを可能にした。
人一人を死の淵から回復させる、そしてそのまま生かし続けるためのエネルギーは膨大だ。
それでも彼女を自分の一部と捉えた森は、躊躇わなかった。
そして、彼女はそのエネルギーを植物とは違う形で取り込む。そのために、エネルギーの濾過を行う器官が必要だった。
生まれたばかりで加工のしやすいガジュマルがその役目を負った。
それらを最適に行えるよう、彼女自身を仮死状態にさせ、外気にさらされないように樹液を硬質化させて少しづつくるみ、ガジュマルをサポートするために、水を湛えるための湖を掘り、日光を遮らないために空間を作り、外敵を遮断するために、森は深く深く茂り、しかしその豊かな森を維持するために、エクレアの波動の届かないさらに外の森の生命力を吸い尽くし、地脈を伝って遥か遠くの水脈を引き入れ・・・・・・
さらには地熱の利用や、木々そのものが発熱することによる環境補正まで行い始め、その森は一大コロニーと変わり果ててしまった。
仮死状態となった一人の少女を生かし続けるために、森の営みそのものが異常進化した。
外の森には外部からの因子が近づけないように、全てのものを食らいつくせる虫を大量に放つほどの念の入れようであった。
ここは、『ゆりかご』だった。
助けを求める自分の叫びが、森を変えたのだと知ることもなく、エクレアはその森で長い長い眠りについた。
『悟られ』の波動は、人に届くほど確かな情報を載せることは出来なくなっていたが、それでもわずかな不調や不快がそれに乗ると、森は即座に反応した。
それは何度も何度も繰り返され、森はより快適なゆりかごとなっていった。
・・・・・・どれだけの月日が経ったのだろう。
既にレドテトラの遺骸さえ影も形もなくなり、人が国をつくり、文化的な生活を始める場所まで現れだして・・・・・・
その間も、森は森であり続けた。自らの一分であり、存続している意味そのものである翼人の少女を守り続けた。
それは、唐突だった。
エクレアが意識を取り戻し、同時に『悟り』の能力が、復活した。
(( ・ ))
手も足も動かず、音もせず、目を開く事も出来ない。
だが、生かされていることの感じ取れるこの状況。
『悟り』の能力を駆使して、エクレアは自らの状況を理解して・・・・・・
(( (・) ))
唐突に『孤独』であることに思い至った。
(誰かに、会いたい)
その思いが届いたのが。
半年ほど、前。




