1941~反撃の狼煙~2
十二月八日(現地時間七日)早朝 ハワイ諸島オアフ島真珠湾軍港。
真珠湾は天然の良港である。
波の荒い太平洋とは狭い一本の水路でつながれ、外海が荒れようとその中に籠っていれば安全が確約された。
軍港施設も充実している。大型の戦艦すら入渠可能なドックが設置され、隣接する工廠群が万全の補給を保証する。
太平洋のキーストーンにふさわしい地だった。
だが、そこを踏み荒らそうとする者たちが、空から舞い降りようとしていた。
オアフ島レーダー基地。
「敵味方不明機多数を確認!距離五十キロ、方位340!」
そこで、悲鳴のような報告が行われていた。
真珠湾はすでに昨日の呉空襲と同時に厳戒態勢に入っている。
しかも、その直後に反撃としてノーフォークとサンディエゴが正体不明の攻撃を受けたとの情報も入っていた。
レーダー要員は航空機の飛行予定を完全に頭に叩き込み、予定にない飛行物体を確認したら即座に司令部に通報していた。
そのレーダーのスクリーンが、突如として多数の反応を捉えた。
距離は五十キロ。本来の性能ならこの倍の距離で確認できるはずだった。
「ちっ!連中は低空から接近してきたんだ!」
すでにレーダーが低空の目標の捕捉に問題を抱えているのはよく知られていた。欧州の戦闘は、そういった多数の情報を各国にもたらしていた。
即座に空襲警報が発令され、飛行場で待機していた戦闘機隊が出撃を開始する。
特に海軍の戦闘機隊は地上からの指示で、オアフ島上空に敵機が到達する前に迎撃する構えだった。
彼らは気がつかない。
すでにそれが、敵の術中にはまっている事に。
日本軍第一次攻撃隊第一波。
それは史上空前の規模の洋上航空戦力だった。
編隊の先頭を進むのは海軍の新鋭戦闘機『烈風』隊。機数は百機を超えている。予定の距離に達したため、ここまで五百メートルを維持していた高度を、翼に装備した緊急増速用ロケットを利用して急速に上げて行く。
それから数キロ離れて続く攻撃隊主力。
まず、上昇を開始したのは直衛任務についている烈風隊の一部。数は三十前後。こちらは増速用ロケットを使わずゆっくりと攻撃隊に歩調を合わせて上昇していく。
その後を追うように上昇するのは海軍の主力艦上攻撃機『天山』機数は百五十機超。高性能のエンジン『誉』を搭載。最高速度が五百キロに迫る高速攻撃機だ。
腹部には巨大な八百キロ爆弾か、五百キロ爆弾を二発搭載している。
これらとは逆に、高度を低く抑えたまま飛行する部隊もある。
機体は液冷エンジン機特有のとがった機首を持ち、印象としては陸軍の新鋭戦闘機『飛燕』に近い。
この機体の名前は『彗星』海軍で初めて液冷エンジンを搭載した高速機。地上攻撃機として陸軍でも採用が決まっている。空荷であれば最大速度は六百キロを超す高性能機だ。
兵装は腹部に二百五十キロ爆弾を二発抱えている。同時に翼には鉛筆のようなロケット弾が大量に搭載されている。対空兵装の破壊を目的とした兵装だ。
機数は百機前後。こちらにも直衛の烈風が二十機ほどついている。
すでに先頭の戦闘機隊はオアフ島上空に侵入を果たしつつある。
「作戦は成功かな?」
天山の一機に乗り、全攻撃隊の指揮を執る淵田美津夫が周囲を見ながらつぶやいた。
編隊は、ここまで一度も敵戦闘機に出くわしていなかった。
前方では、さすがに気がついた敵戦闘機が味方の制空隊と交戦に突入していたが、その数は明らかに少ない。
だが、先だって迎撃に出撃した海軍の戦闘機隊は?
その答えは、無数のアルミ箔だった。
アメリカ海軍戦闘機隊。
「クソッ!奴らにはめられた!」
指定された空域に到達した彼ら。
司令部から、自分達が敵編隊のど真ん中にいると言われ、高度を間違えたかと慌てて周囲を見回した。
その時、部隊の一人が発見した。
「隊長!チャフです!」
周囲を舞っていたのは無数のアルミ箔だった。太陽の光を反射して銀色に輝いている。
「全隊、すぐに引き返すぞ!」
即座に撤退に移る戦闘機隊。
だが、すでに手遅れなのは明白だった。
日本軍は、戦わずしてアメリカ軍の戦闘機隊の半数を無力化する事に成功したのだ。
前衛戦闘機隊。
「とうとう開戦か…」
戦闘機隊の一隊を率いる本田士朗は一人の操縦席で小さくつぶやいた。
本田は東大の経済学部を卒業したのに、その後海軍の予科練に入学した変人として知られていた。
その本田は、今の状況で戦争することにまったく利点を見出していなかった。
今の日本は非常に好景気だったからだ。
近年急速に進んだ技術革新のおかげで国内市場は順調な成長を続けているし、満州をはじめとして日本との関係の強い東アジア諸国や日本の実効支配下にある中国の一部地域への輸出も好調だ。
昨年には、大西洋連邦諸国やソ連のボイコットに遭いながらも、アジア初のオリンピックを東京で成功させ日本の発展をアピールしていた。
技術面での協力関係にあるドイツやEEUとの関係も良好だった。
(もっとも、それがこの戦争の原因になったのは間違いないが…)
その時、オアフ島の島影が見えてきて、本田は無駄な思考を振り払った。
周囲には同じ隊に所属する烈風が多数飛行している。
彼らに課せられたのは攻撃隊本隊に先行して敵戦闘機の掃討を行う事だった。
「全機、散開!」
隊長の指示に従い一切に散開する。
自らの後ろに三機の僚機が続くのを確認して、一気にスロットルを開く。
すでに前方には多数の黒点―――敵戦闘機―――の姿が見えてきている。見たところ、まともな編隊を組んでいるのは一握りで、ほとんどはバラバラに緊急離陸しているようだった。
それに向かって、彼らは容赦なく襲いかかって行った。
本田はまず近くの一機に狙いを定める。液冷エンジンにも関わらず、彗星などと違い太い機首が印象的な『ウォーホーク』だ。まだ十分に高度を取れず速度も乗っていない。
「食らえ!」
そのまま斜め上方から両翼に仕込まれた二十ミリ機銃を放つ。
放たれた銃弾は、一瞬で主翼を金網レベルまで破壊し燃料に引火して火を噴きながら堕ちて行く。
「…撃墜一!」
そのまま編隊を率いて一度急降下する。追撃を警戒しての行動だ。
案の定、機体の下の死角から急上昇で襲撃を狙っていた敵機が何機かいた。機種はさっきと同じウォーホークだ。
気付かれた相手はそのまま正面戦闘を挑んできた。再度機会をうかがう余裕はないと判断したらしい。
「そんなのに付き合うか!」
だが、本田はそのまま針路を変え急降下を続ける。同時に編隊は二機二組に分かれる。
それを見て慌てて追撃する敵機。正面からの銃撃は性能差を生かしにくい。無駄な危険を避けたのだ。
低空で旋回し、今度はこちらが敵機の背後を取ろうとする本田。
だが、敵機もそうはさせじと鋭い旋回で本田の背後にぴたりとつける。
この時、敵機は奇妙に思うべきだった。なぜ本田が自分達を振り切らないのかと。
あと少しで本田機が射程に入る。
その時、側面から二十ミリ機銃の嵐が敵機を襲った。
あっという間に地上に突っ込む敵機。
「助かったぞ!」
本田が無線に叫ぶと、射ち落とした部下が、わざとやったでしょ!と本田の考えを完全に見抜いて言ってきた。本田はわざと敵機に追いかけさせ、味方の射線に誘い込んだのだ。
苦笑しながら次の目標を探す本田。
だが、空戦はすでに収束しつつあった。飛んでいるのはほとんどがこちらの戦闘機で、僅かに生き残った敵機はすでに敗走している。
その時、隊長から指示が来た。敵機への追撃より地上の対空砲の制圧を優先する内容だった。
すでに真珠湾の上空に、味方の攻撃機部隊が侵入しつつある。
序盤の一撃で、オアフ島の制空権は日本側が完全に握ろうとしていた。