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1941~溶けた凍土 血の泥濘~2

 牡丹江市街地東部 ソ連軍制圧地域

 ヴォロシロフ大尉は深夜になるまで、部隊が展開するエリアの安全確保のための手を尽くし、ようやく休息を取っていた。

 市街地に入ってからの戦闘は凄惨を極め、ヨーロッパ方面で従軍していたこともあるヴォロシロフを持ってしても神経を擦り減らされていた。それほどに、日本軍の抵抗は凄まじかった。

 道は大小問わず瓦礫で封じられ、その陰からボルトアクションライフルで歩兵が指揮官狙撃。前進した歩兵部隊は建物の二階に配された機関銃の十字砲火でなぎ倒され、つっこんだ戦車は地雷で足を止められた所を、速射砲と対戦車ロケットの集中砲火で中の乗員ごと火葬された。

 建物を壊してもその瓦礫を盾に戦闘を継続する日本軍に、ソ連軍は建物一つ一つを攻略していくという戦術を取らざるおえなかった。


(まったく、司令部め。無駄な砲撃を叩きこみやがって…)


 もっとも、たとえ砲撃を行わなくても、戦況は大して変わらなかっただろうとも思っていたが。

 幸いにもヴォロシロフの率いる部隊は戦死者を出さずに済んでいたが、代わりに生き残っていた車両が全滅した。日本軍の迫撃砲部隊が放った擾乱射撃が運悪く当たったのだ。補給の食糧ごと炎上する車両を見たときの兵達の絶望の表情が頭をよぎった。

 結局彼らは、初日の戦闘で市街地の外殻に僅かに食い込む事しか出来なかった。ヴォロシロフは完全な貧乏くじを引き、その市街地の僅かな橋頭保を死守するように命じられてしまった。理由は損害が少なかったからだ。

 そして、ヴォロシロフは日本兵が現れそうなありとあらゆる場所に手榴弾を利用したトラップを仕掛け、歩哨も多数立てて厳戒態勢を敷いていた。日本人は日露戦争の頃から夜襲が大好きなのだ。

 もっとも、自分たちが襲撃される可能性は低いと、ヴォロシロフは見ていた。彼らはひとまず体勢を立て直すために進撃を停止しているが、他の部隊では夜間にもかかわらず前進を強行している部隊も存在する。日本軍の攻撃もそちらに集中してくれるだろう。

 市街地の至る所で断続的に打ち上げられる照明弾と、散発的に放たれる彼我の重砲の砲声を耳にしつつ、ヴォロシロフが顔も知らない同胞に感謝を捧げる。


(君たちのおかげで、我々は今晩楽を出来そうだ。この調子で頑張って…)


 ガコン。

 その時、ヴォロシロフが座っていた瓦礫の目の前の石畳が、突如として浮き上がった。

 そのままなめらかにスライドしていく石畳。ヴォロシロフは状況について行けずそれをぽかんと眺めている。

 そして、開いた穴から顔を出したのは、もちろんもぐらなどではなく、顔を墨で黒く染めた背の低い寸胴の人間―――日本兵――だった。

 そこで一瞬完全に目が合う。一瞬硬直する二人。そして日本兵は日本人特有の愛想笑いを浮かべ、ヴォロシロフは傍らに置いてあったウォッカの瓶を見せて、一杯やるか?という表情を浮かべる。お互い大分混乱している。

 我に帰るのは日本兵の方が早かった。

 真顔に返ると即座に腰にぶら下げていた手榴弾を取り出し、安全ピンを引き抜く。

 それを見てヴォロシロフも我に返る。慌てて近くの瓦礫の山に身を隠す。

 瞬間、日本兵が手榴弾を投擲。信管を三秒に調整された手榴弾は落下する前に起爆。爆音と共に鋭い弾片を辺りに撒き散らす。

 幸運にもヴォロシロフは無傷。轟音でガンガンする頭を振り、そのまま背中の小銃を取り装填。日本兵が姿を現したマンホールの辺りに威嚇射撃。頭は出さないで銃身だけだしての射撃。

 すでにその時には野営地の至る所で銃声が響き、手榴弾の爆発音が木霊している。どこかで火災が発生したのか、硝煙とは違う焦げ臭いにおいもしてきた。野営地は大混乱に陥った。






 結局、夜襲の混乱が収束したのは一時間以上たっての事だった。

 疲れ果てたヴォロシロフの元に集まった情報は、なかなか絶望的な物だった。


「…連中、こっちの弱点を分かってやがる…」


 日本軍は、徹底的に補給物資、特に燃料と食料を狙っていた。

 兵士が戦闘行動を行うには、一日当たり最低でも二千キロカロリー、実際には三千キロカロリーは取らせる事が必要であり、厳寒期の満州で戦闘するには五千キロカロリーは欲しい所である。その食料の集積所が徹底的に破壊されていた。どうも焼夷弾を叩きこまれたらしく、集積所には缶詰の金属が溶けた物と炭化した何かの混合物が残っているだけだった。

 しかも燃料が完全に流失していた。軽油のタンクに大穴が開けられていた。

 これで彼らは、夜も凍死の恐怖におびえる事になったのである。

 だが、ヴォロシロフの内心には若干の打算もあった。


(これだけの被害を被れば、再編名目で少しは後ろに下がれるかもしれないな…)


 いい加減、最前線に張り付けられるのはごめんだったのである。

 現実は非情だった。

 二時間後、部隊の野営地には大量の補給物資と補充の兵士、そして政治将校が乗り込んできた。

 ついでに、補充の兵士が銃を向ける先はヴォロシロフ達であり、政治将校は銃の代わりに命令書を突き付けて来た。

 内容は簡潔。前進か、それとも死か。どちらでも好きな方を選べとあった。

 彼らは、前進を選ぶのだった。






「連中は間違いなく補給に問題を抱えている」


 臨時に中隊司令部を置いた少し広めの家屋の地下。薄暗く埃っぽいそこで、小金は状況を説明していた。


「今の軍の死守戦術も有効といえば有効だ。だが、無駄な犠牲が多すぎる。連中はそこにいるだけでも物資を食いつぶすが、前進する時こそ最も物資を浪費する。車両の燃料、輸送途上で失われる各種物資、激しい戦闘行動と行軍を余儀なくされる兵たちへの糧食の供給。しかもそれが制圧したばかりの市街地を通ってとなれば、段列の消耗は飛躍的に増大する」


 そんな小金を、高橋があきらめの混じった表情で眺めている。

 小金が話している相手は、鉈を叩き込まれて粉砕された無線機と一緒に、地下室の隅に芋虫になって転がされていた。


「つまり、我々は『司令部との連絡ができなくなったため、その場で最も効果的と思われる作戦』を実施しているわけだ。しかも『司令部から伝令に向かう途中、負傷して意識不明の重症に陥った兵を助けた上で』だ。わかったな、新藤二等兵?」


 芋虫にされ猿轡をつけられ、さらに鹵獲したソ連軍の小銃を突き付けられた、まだ少年の域を出ない顔立ちの新藤二等兵は、涙目でコクコクうなずいた。

 小金率いる中隊は、勝手に市街地遊撃戦に移行していた。

 小金は、このまま現地死守を行ってもこちらから打って出ないのではジリ貧になると判断。司令部指揮下の独立部隊が遊撃戦に当たっているかもしれないが、あるかどうかも判然としないそんなものに頼るのは、小金のプライドが許さなかった。座して死を待つのは御免である。

 だが、司令部から来る命令は死守一点張り。自分たちより前で捨て駒にされている連中を誘っても、石頭は頑として受け付けなかった。

 そこで、小金はとんでもない手段に出た。

 司令部から命令の確認に赴いた伝令(新藤二等兵)を捕縛。そのまま拘禁すると同時に、部隊の無線機を破壊。自分から通信不能状態を作り出し司令部の命令を黙殺する策に出たのだ。適当に年季の入った古参兵に司令部を探してこいと命じて指揮系統の回復を図ったふり(後方を適当にぶらぶら探しているふりをすればいいと言い含めてある)をさせつつ、自分たちは勝手に行動することにしたのだ。

 当然、良識派の高橋はそれを止めようとしたが、高橋が気が付いた時にはすでに伝令兵は捕縛されており、下手に開放すれば敵前逃亡の嫌疑をかけられかねなかった。さすがに自分から銃殺台に上るのは御免だった。

 その結果、彼らは司令部の命令を完全に無視しての遊撃戦に突入していた。昨夜も敵の野営地に地下水路を使って接近し、食料や燃料をたっぷりと焼き払ってきた。損害はマンホールの梯子から転げ落ちた負傷二名。圧倒的勝利である。


「隊長、あとでどうなっても知りませんよ」


 まだ二十歳にも満たない少年が、この世にはこんな恐ろしい存在がいるということに呆然としている中、高橋があきらめの混じった声をかける。


「これじゃ査問会で済めばいい方ですよ」

「そんなの知った事か。牡丹江でみんな仲良く城を枕に討死なんて俺は御免だ。哀れな伝令兵一人の犠牲で俺たちが助かるなら安いもんだ」

「犠牲にしないで下さい!」


 目に見えて震えだす新藤二等兵を庇う高橋。


「冗談だ。それより、部隊に戦闘配置を取らせろ」

「もう一度打って出るんですか?」


 高橋がさすがにそれはといった口調で尋ねる。兵たちの疲労は先の夜襲でかなり溜まっている。今無理に行動させたくなかった。


「逆だ、防御戦闘だ」

「あれだけの打撃を与えたんですよ?」


 さすがに朝まで攻撃をするとは思えない。

 だが、小金は断定調で言った。


「今日攻勢を一時でも停止したのは連中だけだ。なら奴らもすぐに尻を叩かれて突っ込んでくる」


 次の瞬間、地下室に伝令が飛び込んできた。


「敵部隊の行動開始を確認!間もなく前面の味方部隊と交戦に突入すると思われます!」


 その伝令の言葉と同時に東の方角から、静かに降り続ける雪を通して激しい機関銃の射撃音と迫撃砲弾の炸裂音が木霊してきた。

 そのタイミングのあまりの良さにあっけにとられる高橋を無視し、これまで腰かけていた椅子から立ち上がる小金。腰には百式機関短銃とその予備弾倉をぶら下げ、軍刀の代わりにサバイバルナイフを持ったその姿からは、どう見ても日本軍の将校とは思えない、美しさからかけ離れた野性味が溢れていた。


「さて、俺たちの戦争ゲームを始めるか」


 その言葉だけで、報告後そのまま留まっていた伝令は部隊へと駆け戻り、高橋も我に返り指揮を任された軽迫撃砲砲座へと駆けていく。

 その時、小金のかすかな呟きを高橋は耳にした。だが、その真意を問いただす時間はなかった。

 高橋は、小金がこう呟いたように聞こえた


―――明日が山場だな―――

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