開戦3
高知沖アメリカ軍機動部隊。
そこは沈痛な空気に包まれていた。
出撃時とは明らかに違う種類の緊張感が艦隊に漂い、対空砲に取り付いている水兵達の表情も強張って見える。
「…消耗率九割以上だと…」
意気揚々と出撃した攻撃隊。そのほとんどは生還する事がかなわなかった。
帰還したのは艦爆が二機と攻撃機が一機、それに戦闘機が十二機のみだった。
出撃した総数が三百機に迫る数だったのに、全てかき集めても十五機しか生還しなかったというのは異常だった。
「生存者の報告によれば、敵はかなり早い段階で迎撃機を出撃させ、第一次攻撃隊はクレから百キロ、第二次攻撃隊も五十キロ前後の距離で敵戦闘機の接触を受けています」
航空参謀が報告する。
「ただ、第二次攻撃隊はどうやら目標上空まで到達したようなのですが、そこで正体不明の爆発…おそらくは新型の対空兵器の攻撃を受け全滅したようです」
戦闘機のパイロットが正気だったという前提ですが。
そう参謀は付け足した。すでに生存者の半数が発狂し鎮静剤を打たれ医務室に眠っている。
「撤退する」
ハルゼーは簡潔に告げた。
「すでに航空戦力は壊滅状態なのだ。一度帰らないなら俺達はただの空箱に過ぎなくなる。ましてやここで母艦まで失ったら、艦隊の再建に一年は掛る」
俺はそんなに長い間、後方で待機などできんからな。
復仇を誓い、戦意溢れるその様子に安堵する参謀達。
凶報が舞い込んだのはその時だった。
高知沖上空。日本軍航空隊。
それは、五年以上の時間と膨大な資金を費やして作り上げられた地上最強の航空戦力だった。
先陣を切るのは敵直掩機を殲滅する任務を負う制空隊。
主力を占めるのは海軍の主力戦闘機九八式。それに陸軍の『隼』や最新鋭の『飛燕』も中隊単位で含まれている。
それに続くのは、海軍の陸攻部隊。
主力は葉巻型の胴体が特徴の九八式陸攻。両翼に内蔵されたインテグラルタンクが圧倒的な燃料搭載量と長大な航続距離を約束している。
胴体内の爆弾倉には陸攻用に開発された重量一トンの大型魚雷が積まれている。
それより少し先行しているのが陸海軍で統一して採用された高性能双発攻撃機『銀河』
空荷で最高速度六百キロに迫る驚異の高速機。三千メートル付近を飛行する主力より千メートルほど低い位置に展開している。
彼らの役目は両翼下にぶら下げている多数のロケット弾と胴体内の二百五十キロ爆弾による反跳爆撃で護衛艦のスクリーンを破壊する役目が与えられている。
逆に高度六千メートルの高みに位置しているのは統合航空軍の戦略爆撃機『連山』
日本初の四発陸上機であり、軍全体でも四十機前後しか配備されていない新鋭機である。
それが三十機以上も緊密な編隊を組んで飛行している。
彼らの役目は高高度からの水平爆撃。爆弾倉には総重量千五百キロに及ぶ巨大誘導爆弾が搭載されている。誘導は無線方式で母機の爆撃手が行う。
はっきり言って母機の危険が大きい戦法だが、事前に対空火器を制圧した上で雷撃と組み合わせれば十分な威力を発揮すると考えられている。最悪の場合、高度を一万メートルまで上げて敵戦闘機や対空砲を振り切り単独で行う事も視野に入れている。
今回投入する三十機前後という数は、無線が混信を起こさない限界の数だった。
そのさらに上空には、先の防空戦の序盤の指揮を執った電子戦機『天空』の姿もある。
防空指揮は陸地上空に入った地点で地上の管制施設に移行される。その後は沖合で敵艦隊の索敵情報を収集していた。
総数は二百五十機を超える、一度の航空攻撃としては史上最大規模の戦力だった。
「全機傾聴!」
指揮官であるマリが無線に叫ぶ。
「敵艦隊は二つに分かれている。それぞれ空母二隻を中心に輪形陣を組み、周囲を巡洋艦と駆逐艦十隻以上がスクリーンを展開している。作戦は通常通りに行う。各機の奮闘に期待している」
『『『了解!』』
全機が一斉に無線に叫び、混線で一瞬ノイズが走る。
次の瞬間、先陣を切る制空隊が一気に加速。同時に『銀河』隊も速度を上げ、同時に高度を千メートル以下に一気に落としていく。
『九八式陸攻』はこれまでの陣形を崩し、両翼を大きく前に突き出した鶴翼陣を作る。このまま敵艦隊に襲いかかり挟撃する姿勢だ。
『連山』隊はこれまでの密集陣を崩し大きくバラけている。敵戦闘機の襲撃が危険だが、周囲には一個中隊の戦闘機隊が護衛に付き抜かりはない。密集しすぎると相互の爆撃を邪魔しかねず、また同一の標的を狙う可能性が高まってしまう。それでは無駄弾だ。この爆弾なら一発で戦艦だって沈む。二発目は無い。
「制空戦闘機隊、敵直掩機と交戦に突入!」
オペレーターの一人が鋭い声で報告を上げる。
それを聞き、マリは全隊に命じる。
「全軍突撃!一群は雷撃隊が、二群は水平爆撃隊が攻撃しなさい!我らの空に土足で踏み入った罪、連中に思い知らせてやれ!」
前衛制空隊。
「全機、突撃!」
隊長を務める加藤陸軍少佐は、視界に敵機を捉えた瞬間、全機に突撃を命じた。
一斉にスロットルを最大に叩きこみ、頭が後ろに引っ張られるような感覚とともに他の機体を置き去りにして加速する機体。
加藤が操る機体は『飛燕』陸軍のこれからを担う最新鋭機。
液冷エンジン搭載により鋭いくちばしのような形状になった機首は、見るからに空力特性がよさそうで、実際にその性能も期待を裏切らない。
最大速度は時速六百キロを超え、海軍の『烈風』に格闘性能では及ばないものの、急降下のダイブスピードでは、八百キロ近くを出しても問題ない圧倒的な強度を誇る。
武装は十二・七ミリ機銃を機首と両翼に二門ずつ、計四門を搭載。『烈風』が二十ミリ四門を搭載している事を考えると若干見劣りする印象を受けるが『烈風』が艦載機としてそれ単独で戦闘機相手の制空戦闘から重爆相手の戦闘までこなさなくてはならないのに対し『飛燕』は純粋な対戦闘機戦だけを想定して設計されている。単発の戦闘機相手なら、この火力で十分だった。
初陣となるこの戦いで『飛燕』はその力を最大限に発揮しようとしていた。
最大速度で敵との距離を詰める加藤とその僚機。
それに対して敵戦闘機も正面からこれを迎え撃つ。
視界の中で見る見るうちに大きくなる太い胴体の敵戦闘機。
次の瞬間、加藤は直感で操縦桿の引き金を引く。
ダダダダダッ!
軽快な音とともに放たれる機銃。
しかし、これは相手の胴体のすぐ下を掠めて終わる。距離を短く見積もりすぎた。
同じように敵の攻撃も『飛燕』のすぐ上を掠めて終わる。
どうやらこちらの高速に幻惑されたようだ。
そのまま至近距離で交差する。
バックミラーを確認すると、交差した敵編隊は後方で味方の機体と格闘戦に突入している。手出しは無用だ。
周囲を見れば、至る所で敵味方入り乱れる乱戦に突入している。
だが、その規模は急速に縮小しつつあった。
なぜか?
それは日本側が数でアメリカを圧倒していたからだった。
こちらの制空隊の機数は六十機以上。
それに対し、アメリカ軍の直掩機は多く見積もっても三十機に届かない。
しかもこちらには後詰の直衛隊三十機以上が攻撃隊のそばに控えている。
「初陣で戦果無しか…」
残念そうに加藤が呟く。できればちゃんと敵機を撃墜して『飛燕』の初陣を飾りたかった。
その時、無線に指示が飛びこむ。
『制空隊に要請。攻撃本隊に接近する機影あり。数三十前後。直衛隊だけでは突破される恐れがある、動ける機体は支援に当たれ』
そのまま方位と高度が指示される。高度は六千メートル前後。こちらの接近を受けて緊急発艦した機体らしい。このままでは『連山』と激突する。直衛機は一個中隊八機。これでは阻止しきれない。
一方、こちらの高度は三千メートル前後。これから緊急上昇が必要だ。
「各機、『連山』隊を支援する。続け!」
加藤の号令に、僚機が一斉に返事を返す。
そのまま一気に上昇をかける。
その速度は、周囲の九八式や『隼』とは比べ物にならない。あっという間に距離を広げていく。
薄い雲を抜けると、敵機の風防が光を反射するのが見えた。
「当たれ!」
そのまま一気に距離を詰め、至近距離から機銃を放つ。
敵機はどうやらこちらの接近に気付かなかったらしく、回避する事もなくまともに攻撃を食らう。
連続した着弾は、機体のジュラルミンを貫通しその内部を破壊する。
一瞬で両翼はぼろ雑巾と化し、胴体の前半分はエンジンから漏れ出したオイルで黒く汚される。
必死になって機体の安定を保とうとするパイロットだが、次の瞬間オイルに引火。機体とともに火葬される。
編隊の僚機も次々に攻撃を仕掛ける。
これに対し、敵は編隊を二つに分離。後方の機体が『飛燕』隊に立ち向かい、先行する残り半分が『連山』を目指す。
一瞬、先行する敵機を追撃しようとする加藤。今回の役目は攻撃隊の護衛。見逃すわけにはいかない。
だが、それより僅かに早く無線から指示が飛ぶ。
『「飛燕」隊はその場で敵戦闘機を始末しろ。残りは直衛隊が片付ける』
それなら奴らを気にする必要はない。残った連中を後顧の憂いなく相手出来る。
残った敵機はきれいな四機編隊を二つ組みながら一気に急上昇。その頂点で背面飛行に移りこちらに向かって急降下してくる。
自機とこちらの位置関係に、自らの旋回半径を完璧に把握していなければ出来ない高度な機動。相手は精鋭だ。
こちらもそれに応じて急上昇しながら正面対決に入る。相対速度は千二百キロを優に超える。
そのまま機銃を撃ちまくりながら交差する。
次の瞬間、『飛燕』隊の三番機と七番機が煙を吐いて海面へと堕ちていく。幸運にも搭乗員は無事で脱出しようとしている。
振り返って確認すると、敵編隊も二機を失ったようで残りの六機が水平飛行に戻り再び高度を上げようとしている。もう一度一撃離脱を挑むつもりのようだ。
「させるか!」
だが、こちらが相手の戦法につきあう必要はない。
圧倒的な急降下速度で一気に距離を詰める。
高度をとる余裕がないと気付いた敵機は上昇をあきらめ再び急降下に転じる。
だが、そこはこちらの土俵だった。
「格闘戦じゃ貴様らの機体に負ける事は無い!」
『飛燕』の特徴は液冷エンジン搭載による高高度性能もあるが、同時に従来の液冷エンジン機の弱点だった重量の問題を大幅に改善したことだった。
これによりそもそも低空での運動性を追求した『烈風』には負けるが、低空でも高い格闘性能を発揮する事が出来る。
左右に機体を振りながら逃走する敵機に対して後ろ上方からゆっくりと狙いを定める。すでにすぐ下は海面、急降下で逃れる事は出来ない。
照準器から敵機がはみ出すほどに近づくと、加藤は機銃の引き金を引いた。
ダダダダダッ!
軽快でありながら七・七ミリ機銃には無い力強さも感じられる発射音。
放たれた銃弾は敵機の主翼を一撃で貫通し右翼の半分が一瞬で千切れ飛ぶ。
僚機も順次攻撃を仕掛け、次々に敵機が海面に消えていく。
一通り攻撃を終えた時、生き残っている敵機は三機に激減していた。驚いた事に生き残っている一機はさっき加藤が右翼を半分吹き飛ばした相手だった。
ふらつきながらも必死に安定を保っている。
とどめを刺そうと機首をめぐらした時、計器に警告灯がともった。
「チッ、もう燃料が無いか…」
これまでの激しい戦闘で、本来まだ十分にあるはずの燃料はすでに半分を切っていた。機銃の残弾も心もとない。
次の瞬間。
ドッ……オオォォォ…ン…!
遠くから巨大な爆音が伝わってきた。
「なんだ!」
「隊長、あれ!」
二番機のパイロットが敵編隊の向かう先にを指さす。
そこには巨大な爆炎が浮かび上がっていた。
「…『連山』がやったのか…」
あまりの光景に言葉を失う。
一瞬、すぐそばまで近づいてその光景を見たいと思ったが、燃料の警告であきらめる。
最後に生き残った敵機を無念そうに見ながら加藤は残った五機に命じる。
「全機これより帰還する!」
そのすぐ後に『天空』から方位や飛行場の指示が出され、『飛燕』隊は帰路についた。