1941~トラック攻防~3
今回のは渾身の力作なのです!
十二月十一日 トラック南方海上
「レーダーより艦橋。敵艦隊発見!距離四万メートル、方位180現在も反応が増え続けています!」
「見張りより艦橋。マストと思しきものが南に見えました!機関の煙も見えます!」
日本海軍第一艦隊は、早朝に環礁を出撃。トラックから広がる制空権下にとどまり、決戦の時を待っていた。
上空は朝からひっきりなしに友軍の戦闘機隊が出撃し、敵編隊が艦隊に到達する前に迎撃し、これまで温存されていた陸攻部隊も爆撃装備でラバウルを襲撃し、敵航空攻撃を可能な限り抑えようとしていた。
そして、とうとう決戦の時は来た。
「見張りより艦橋!敵艦のマストに星条旗を確認!敵米艦隊です!」
「どうやら工藤の新兵器は役に立ったようだな」
昼戦艦橋ではなくその下、かつての前部通信室を改装した戦闘情報室に南雲の姿はあった。
南雲の座る椅子の正面には、透明なアクリル板が縦に置かれ、艦隊の陣形や発見された敵艦隊、周辺の空域に展開する彼我の航空戦力が赤や青の水性ペンで書き込まれている。
壁際には、多数の無線が置かれ艦の内外を問わず、盛んに通信が行われていた。
「触接に当たっていた潜水艦の報告では、イギリス艦隊は最低でも四隻の戦艦が被雷し、今も現場海域にとどまり損傷艦の救援を継続しているとの事です」
参謀が、手元の通信文を見て報告する。
「おそらく、これで戦力比は四分六分には持ち込めたのではないかと思います」
南雲は無言でうなずいている。
艦隊の陣形は複数の単縦陣で構成されている。
中心にいるのは戦艦部隊だ。
先頭は、艦隊旗艦の『長門』その後ろには同じ第二戦隊に所属する『陸奥』が続き、そのさらに後方に第五、第六戦隊を構成する伊勢型、山城型がそれぞれ二隻ずつ続いている。
その右翼を並走しているのは、重巡部隊だ。
先頭は妙高型重巡洋艦のネームシップである『妙高』で、同型艦四隻が一同に会し単縦陣を構成している。役割は、敵巡洋艦部隊の殲滅である。連装五基十門の二十・三センチ砲は、すでに装填を終え僅かに仰角がかかっている。
さらにその右翼を航行しているのは、重装軽巡洋艦最上型四隻を先頭とする水雷戦隊である。本来なら妙高などとともに巡洋艦部隊に編入すべき最上型がこちらに配備されたのは深刻な理由があったが後ほどの記述になる。敵の隙をついての水雷突撃は、戦艦すら容易に撃沈しうる艦隊の切り札だ。
充実している右翼に比べ、戦艦部隊の左翼には『大井』『北上』の二隻の軽巡洋艦と一個駆逐隊四隻の陽炎型しかいない。
戦力の合計は戦艦八隻、重巡洋艦かそれに類するもの(最上型はロンドン条約による主砲口径の問題から軽巡洋艦とされるが、実際は重巡洋艦と同格の戦力)が八隻、各種駆逐艦や水雷戦隊の旗艦を務める五千五百トン級軽巡洋艦が三十弱という大戦力である。
そして、今目の前に姿を現しつつあるアメリカ艦隊の戦力は、こちらを全般的に凌駕していた。
やはり艦隊の中心は戦艦部隊である。
戦艦部隊は二つの単縦陣を敷いている。
一つは、艦隊旗艦と思しきサウスダコタ級戦艦を先頭にした部隊。後方にはもう一隻のサウスダコタ級が一隻と二隻のノースカロライナ級戦艦の計三隻が続いている。いずれも海軍休日明け後に建造された新世代の戦艦だ。
もう一つの単縦陣は、コロラド級戦艦二隻を先頭にテネシー級二隻、ニューメキシコ級二隻の計六隻で組まれている。いずれも軍縮条約以前かその前後に建造され艦齢が二十年を超えるロートルである。それは日本海軍の作戦参加戦艦も同じだが、数次にわたる近代化改装で新鋭戦艦とも十分に渡り合える戦力を維持している。
速度の問題で、先を行くもう一つの単縦陣には後れを取っている。
これらに同行する補助艦艇は、速度の遅い旧式戦艦を置き去りにして、前を進む新鋭戦艦群に歩調を合わせている。
正面に展開する日本側から見て右翼に、多数の巡洋艦が展開している。
先頭を進みその主役を張るのは、新鋭のボルチモア級巡洋艦の『ボルチモア』まだ一隻しか就役していない最新鋭重巡洋艦。それに続くのはやや旧式のニューオーリンズ級巡洋艦が三隻、ポートランド級巡洋艦が二隻、ノーザンプトン級四隻の計十隻が単縦陣をしいている。これに対処すべき日本側の巡洋艦部隊は妙高型四隻だけであり、質、量ともに日本側の巡洋艦戦力を凌駕していた。
さらに左翼には別の巡洋艦部隊が展開している。
こちらは、最上型に対抗して建造されたブルックリン級軽巡洋艦が四隻展開している。就役当時のアメリカ重巡洋艦より強靭な防御力を持つという重装軽巡洋艦であり、三連装五基十五門搭載された主砲の十五・二センチ砲の投射弾重量(一定時間で発射される砲弾の総重量。砲弾の重量×発射速度(毎分)×一斉射での発射弾数)は二十・三センチ砲を上回っている。十分に重巡と撃ちあえる。
これらの両翼に駆逐艦が多数展開し、日本側の水雷戦隊の肉薄阻止と隙をついての戦艦への雷撃を目指していた。
戦力の合計は、戦艦十隻、巡洋艦十四隻、駆逐艦が四十隻以上と全般的に日本側を上回っている。
日本側の唯一の勝算は、敵艦隊の戦艦が速度差のせいでその行動がバラけている事と、片翼に集中した水雷戦隊の突破力だけだった。
「司令、砲戦距離は一万八千でよろしいでしょうか?」
「かまわない。敵先頭集団との距離二万で重巡部隊と水雷戦隊の突撃を開始。距離一万九千で左舷へ転舵する。おそらく相手もそのくらいの距離での戦闘を想定しているだろう。後衛は前衛を始末してからだ」
長門艦長が昼戦艦橋から送った確認の艦内電話に、南雲は答えた。
「たとえ我らが全滅してでも、戦艦部隊は殲滅する。巡洋艦だけならば航空攻撃で殲滅してくれる」
彼我の距離は、確実に縮まっていった。
日本側の戦術は水雷突撃の一本に絞られている。戦艦戦力で大差をつけられているからだ。
基本的な構想は、戦艦部隊が距離二万メートル弱の中距離で砲戦に突入。敵の前衛戦艦部隊の火力を引き付ける。この時の速度は二十五ノット前後を出し、後衛の敵旧式戦艦の参戦を可能な限り防ぎ戦力の優越を維持する。
この隙に、最上を筆頭とする軽巡、並びに水雷戦隊が妙高型四隻の支援の元、敵戦艦への肉薄雷撃を敢行。一隻当たり二発も当たれば確実に交戦の継続は不可能になる。
これで敵前衛を片付けたあと、水雷戦隊は一度退避、魚雷の再装填を行った後、遠距離砲戦で適当にあしらっておく予定の後衛戦艦群への肉薄を再度敢行、決着をつけるというものだった。
この作戦、はっきり言ってかなり綱渡りな作戦である。戦艦部隊が早期に打ち負けてしまったら水雷戦隊はただの射的の的と化す。おまけに前衛の四隻を撃沈してもその後、水雷戦隊が魚雷の再装填を終えるまでの約三十分は戦艦部隊が独力で耐えきる必要がある。
しかも、ここには敵の水雷突撃を一切考慮していないというとんでもない穴が存在した。
一応それへの策もあるが、リスキーなのは間違いない。
しかし、それだけのリスクを覚悟しなければ、この戦力差を覆すのは厳しかった。
「敵先頭艦との距離三万切ります!」
見張りからの報告が入る。
お互い単縦陣で二十五ノット以上を出しているため距離が縮まるのは早い。
すでに双方の主砲の射程に入っているが、お互い打ち出す気配はない。考えて見れ分かるが、たかが直径四十センチの円筒状の砲弾を三十キロも彼方の全長二百メートル、幅三十メートル程度の目標に直撃させるのである。しかも、それほどの長距離になれば相互の距離と移動速度だけでなく、気温、気圧、湿度、磁気、地球の自転速度、その他のさまざまな条件が関係してくる。よほど運が無ければ、撃ったところで砲弾の無駄遣いで終わる。
すでに両艦隊とも、並走していた巡洋艦や水雷戦隊はそれぞれ距離を開け始め、突撃に備えている。
「距離二万五千!」
見張りからのさらなる報告。
その時、状況が動いた。
「敵艦隊発砲!」
アメリカ艦隊は、日本側に先んじて砲撃を開始した。
各艦が、艦の前部に配置されている三連装砲の一番砲で砲撃を開始する(つまり、一隻当たり二発撃ったという事)。
戦艦の砲撃は「初弾観測数弾斉射」と日本海軍の教本では記される。一発目で弾道を見極め、その後射撃データを更新して数回一斉射撃を行えば敵艦は撃破できるというものだ。
この「初弾」は基本的に砲塔一基あたり一発しか撃たない。弾薬の浪費を避け、射撃速度を上げるためだ。
その一撃が日本艦隊に降り注いだ。
「敵弾弾着を確認!しかし、すべて外れています!」
だが、その一撃は艦隊から遠く離れた場所に落下する。艦には至近弾の衝撃すら届かない。
お互いの距離が時速八十キロを超える速度で詰まっているのである。距離の観測は困難を極めている。
アメリカ艦隊は砲撃の結果を確認すると、観測値を更新した上で二番砲から第二射を放つ。
二射では多少精度が改善されたが、まだ命中には程遠い。艦からはるかに離れた海面に水柱を立てる。
「連中はなにを焦っているのかな?」
「おそらく、新型の射撃指揮装置か何かを搭載して命中率に自信があったのでしょう」
南雲の問いかけに、参謀の一人が答える。
もっとも、ただの過信だったようですが、とその参謀は小さく笑う。
「こちらはもう少し距離を詰めてから、一撃必殺でいくか。…敵艦隊との距離は?」
「現在二万五千!間もなく二万を切ると思われます!」
「…少し早いが構わないか」
南雲の決断が、行われた。
「全艦、針路270!針路安定と同時に砲撃開始!目標は第二戦隊が敵一番艦、二番艦。第四戦隊(伊勢、日向)三番艦、第五戦隊(山城、扶桑)は殿艦」
そこで南雲は一息つき、そして裂帛の声で言った。
「我らの意地と誇り、奴らに見せつけてやれ!」
同時刻 アメリカ艦隊旗艦『サウスダコタ』
「ふむ。やはり当たらんか…」
司令塔の中で呟いたのは、太平洋艦隊司令長官ハズバンド・キンメル大将。
今回の対日宣戦の初期作戦『ヘビー・ラム』において、最も重要とキンメル自身が考えたトラック強襲部隊にキンメルは自ら座上していた。
乗艦である『サウスダコタ』は最新の高速戦艦だ。軍縮条約の頸木を離れ、その間に培われた各種の新技術を満載した新世代の戦艦。
主砲は、十六インチ(四十・六センチ)四十五口径を三連装で三基九門。従来の副砲は廃止し、代わりに対空砲と兼用の三十八口径五インチ(十二・七センチ)連装両用砲を八基十六門搭載。強大な防空能力と駆逐艦などの小型艦艇の肉薄攻撃への対処能力を両立させている。
装甲も同じ条約明け後に建造された戦艦でありながら、十四インチ防御にとどまったノースカロライナ級に比べ大幅に強化され十六インチ防御を達成。全長も十五メートル短縮され被弾面積を縮小すると同時に集中防御を徹底する事で継戦能力はカタログスペック以上に高まっている。
「さすがにあの速度で航行していては、命中は難しいでしょう」
そう参謀の一人が言う。
「確かに。新型の射撃レーダーに期待してみたのだがな」
キンメルもそれほど期待はしていなかったらしく落胆した様子はない。
「だが、ここからしばらくは数で劣勢になる。オルデンドルフの腕の見せ所だろう」
艦隊の指揮はアメリカ海軍第一任務部隊の指揮官であるオルデンドルフ中将が執っている。太平洋艦隊司令長官であるキンメルが指揮に口を挟む事はない。そんなことをすれば指揮系統が乱れてしまう。
「しかし、大統領閣下もやってくれたな。あれほどサンディエゴに司令部を残せと言ったのに」
キンメルは吐き捨てるような調子で言った。
すでに艦隊に真珠湾が空襲を受け壊滅的な打撃を受けたとの報告は入っている。すでに航空索敵能力を喪失しているため敵艦隊の現在位置も不明と言う惨憺たる状況である。
キンメルは、真珠湾に司令部を移転する事に反対していた。正確には、アメリカ海軍に艦隊司令部をハワイに置く事に賛成している人間は一人もいなかった。そもそもオアフ島は明らかに艦隊の整備補修施設が不足しており、さらに本土から離れているために補給にも困難を伴う。
唯一の利点は、日本への軍事的圧力だが、逆に格好の攻撃目標を提供する事になりかねない上に、それをやるならイギリスとの協調のもとフィリピン方面から圧力を加える方が、補給の面からもシンガポールという大規模拠点を背後に抱え、さらにその後方にセイロン島という艦隊根拠地がバックアップにある事から楽なのである。
艦隊主力がラバウル方面に移動していたおかげで、奇跡的に空襲の惨禍を避けられたが、もし停泊していたら大惨事になっていた。
「まあいい」
冷静な目で、キンメルは船窓の外を見つめた。
「ここで奴らを叩きのめせば、それで戦争は終了だ」
勝算は、十二分にあった。
同時刻 アメリカ艦隊二番艦『インディアナ』
「敵水雷戦隊、巡洋艦部隊、共に突撃を開始!」
「敵戦艦転舵開始!T字を書くつもりの様です。距離二万二千!」
艦橋には、各部の見張り員から無数の報告が飛び込んできていた。
「この距離で転舵するか…」
艦橋の中で、オルデンドルフは冷静に報告を聞いていた。
「少し遠めだが許容範囲内だろう」
そして命じた。
「全艦転舵。敵艦隊と同航戦に入る」
「各艦目標は一番艦から四番艦までそれぞれ担当。目標を撃破し次第、五番艦以降を攻撃」
オルデンドルフが選んだのは、典型的な艦隊決戦隊形。両軍の戦艦が並走しながら力尽きるまで殴りあう工夫も何もない陣形だ。
しかも、数ではオルデンドルフの戦艦部隊の方が少なく、厳しいものがある。
だが、オルデンドルフは負けるなど考えていなかった。個艦の性能差と補助艦艇の豊富さ、そして、後方から迫りつつある味方の戦艦部隊の存在が、彼に勝利を確信させていた。
「旧時代の老骨どもに、新しい時代の礼儀を叩きこんでやれ」
オルデンドルフは口元に、小さな、それでいて獰猛な笑みを浮かべた。
同時刻 日本巡洋艦『最上』
「全艦、最大戦速!戦艦部隊に仕事を残すな!」
その艦橋で声を張り上げていたのは、最上の所属部隊であり今回第二水雷戦隊の指揮も同時に執る事になっている第七戦隊司令である伊崎俊二少将。
その号令を受け、機関はその唸りを高め、煙突からは不完全燃焼を示す黒煙がもうもうと上がり始める。
同時に速度も一気に上がり、最大速度である三十五ノットに達した。
「水雷戦隊の雷撃まで、駆逐艦には一隻も手を触れさせるな!」
最上は同型艦三隻とともに水雷戦隊の先頭に立って突撃を開始する。全ての主砲に仰角をかけながら高速によって生じる水しぶきに包まれるその姿は、映画のポスターを飾れるであろう程に勇壮な光景だった。
「敵巡洋艦接近!十一時の方向、距離一万八千(一万八千メートル)!」
「敵駆逐艦、針路前方に展開中!突撃を阻止する構えです!」
「突破だ!全て薙ぎ払え!」
もたらされた報告に、伊崎は吠えた。
「第五戦隊、右に出ます!敵巡洋艦部隊への突撃に移行しています!」
さらなる報告が右舷見張りからもたらされる。
伊崎が右舷に視線を向けると、先ほどまで左側を並走していた第五戦隊の妙高型四隻が、第七戦隊の右後方に移動し、徐々にその間隔を開けつつあった。
その艦首の向かう場所には、第七戦隊の針路を塞ぐように動いていた敵巡洋艦部隊十隻の姿がある。
「ありがたい。連中を阻止してくれるのか!」
その間にも、敵との距離は急速に詰まっている。
「距離一万五千!敵艦隊発砲!」
見張りから悲鳴じみた報告が上がる。そして、
…ドーンッ!
かなり離れたところに、敵巡洋艦の主砲が着弾した。
「ははは!下手くそめ!そんなへなちょこ玉が当たるか!」
その砲撃をみて、嘲笑を浮かべる伊崎。こんな高速で航行している艦艇にそうそう砲撃が当たるか。
「二番艦以降も砲撃を受けていますが、直撃弾無し!」
「水雷戦隊は攻撃を受けていない模様です!」
「いいぞ、その調子だ!一気に懐に突っ込むぞ!」
その時、新たな砲撃が最上を襲う。
「敵駆逐艦砲撃開始!こちらに向かって突撃しています!距離一万!」
「撃ち払え!全艦砲撃開始!」
その号令を受け、待ってましたとばかりに最上の主砲である六十口径十五・五センチ砲が火を噴く。最上型の主砲は三連装砲が艦首方向では一番低い位置に一番二番砲塔があり、それより一段高い位置に三番砲があるという変則背負式になっている。これである程度の仰角がかかっていれば三基全てが前方の敵を攻撃する事が出来る。
後方の僚艦や駆逐艦も砲撃を開始する。
最上型は最上と同じ十五・五センチ砲を各砲塔一門ずつの交互打ち方で放ち、駆逐艦は艦首方向に指向できる十二・七センチ連装砲一基で砲撃を繰り広げている。
水雷戦隊旗艦の『神通』は、十四センチ砲を必死に打ちまくっている。どの艦も高速による動揺で命中を狙うというより牽制の色合いが濃い。
「敵巡洋艦部隊、離れていきます!第五戦隊と交戦に突入!」
「敵駆逐艦、距離八千!駆逐隊ごとに散開し突撃態勢を維持しています!」
「くっ、小癪なまねを…!」
敵駆逐艦散開の報告を受け、歯ぎしりする伊崎。これでは目標を絞る事が難しくなる。敵の雷撃のタイミングを図る事も難しい。
さらに凶報は続く。
「朝霧爆沈!魚雷発射管に直撃した模様!」
「初風落伍します!後続の雪風以下は回避して突撃を継続!」
「やはり損害無しとはいかんか…!」
悔しそうな表情をにじませる伊崎。出来れば全ての艦に雷撃の機会を与えてやりたかった。
だが、敵駆逐艦にも損害が生じる
「敵駆逐艦一隻爆沈!」
「同じく一隻、完全に行き足止まりました!」
「いいぞ、その調子だ!」
すでに距離は八千メートル。日本側の酸素魚雷ならこの距離でも余裕で最大速度で到達できるが、魚雷は戦艦のために取っておく。ブリキ缶ごときに貴重な魚雷を消費してなるものか!
後は敵駆逐艦の雷撃をどうやって回避するかだ。
「敵駆逐艦、先頭艦との距離六千!」
砲弾の飛び交う中、伊崎の右足はいつの間にかリズムを刻んでいた。まだだ。まだ違う…。
そして、見張りからの報告がもたらされる。
「先頭艦との距離五千切ります!」
「全艦、百八十度一斉回頭!」
瞬間、伊崎が裂帛の声で命じた。
敵艦隊の目の前での百八十度一斉回頭。はっきり言って艦隊陣形が乱れて話にならない戦法だ。戦術講義でこんな答えを出す生徒がいたら問答無用で鉄拳制裁が加えられるだろう。
だが、伊崎はその戦法にかけた。それ以外に手段が無く、同時にそれを遂行するだけの技量を、艦隊が持っていると信じたからだ。
命令を受けても、最上の一万トン近い巨体はすぐには舵を切ろうとしない。
後続する僚艦や駆逐艦も、タイミングを合わせるべくまだ艦首を振らない。
まだか…まだか…まだか…
三十秒以上の待ち時間の後、ついに最上の艦首が右に振られ始めた。
そして、奇跡の光景が起こった。
それとほぼ同時に距離四千に達し、一斉に雷撃を行ったアメリカ駆逐艦。
その目の前で、一糸乱れぬ動作で全ての艦が右に艦首を振り始めた。
はじめは艦首を魚雷に正対させて、被雷面積を減らそうとしているのだと思った。
無駄な努力だと笑うアメリカ駆逐艦の乗組員達。すでに放たれた魚雷は百本を優に超えている。一発でも当たれば、巡洋艦以下の艦艇など一撃で大破できる必殺の一撃。その程度の動作で回避できるものではない。
だが、艦首は魚雷と正対するところまで来てもまだ振られ続ける。
そして、その運動が終わった時、全てのアメリカ駆逐艦の乗組員が息をのんだ。
そこには、見事に隊列を反転させ、それでも一糸乱れぬ行動を続けている日本艦隊の姿があったからだ。
いつの間にか、損傷して脱落した駆逐艦の穴までふさがれている。
アメリカ艦隊の雷撃は、日本艦隊が三十五ノットの速度で直進するとの前提で放たれている。
それが正反対の方向に動き出したのでは、結果は目に見えていた。
「…魚雷、到達予想時間です…」
見張りが震える声で告げる。
だが、日本艦隊に被雷の水柱は一つも上がらない。
「馬鹿な…!」
その信じがたい機動に、絶句するアメリカ艦隊。
「いいぞ!再反転!一気に突破するぞ!」
それを見て、再度の反転を命じる伊崎。
それに対して、泡を食らったようにアメリカ艦隊は必死の砲撃を加える。
しかし、すでに雷撃を終え離脱する態勢にあったアメリカ艦隊は日本側水雷戦隊から離れる軌道にあった。いまさら方向修正は僚艦との衝突の危険がある。
「クソッ!なんてやつらだ!」
歯ぎしりするアメリカ艦隊。
このまま一気に突撃を成功させようとする第七戦隊と第二水雷戦隊。
だが、
ズドーンッ!
「なんだ!この砲撃は!」
突然巨弾が艦隊を襲った。先ほどまでの駆逐艦や巡洋艦とはわけが違う。明らかに戦艦の砲撃だった。
見張りから悲鳴のような報告が入る。
「右舷前方に敵戦艦が見えます!数八、距離間もなく二万を切ります!」
「くっ、報告にあった旧式戦艦群か!」
悔しげな表情を浮かべながら、伊崎は命じた。
「全艦撤退!もう一度タイミングを計る!」
せっかく距離を詰めたのに、ここにきての後退。
歯ぎしりする伊崎。
煙幕を展開しながら、艦隊は降り注ぐ巨弾の中を退避していった。