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1941~トラック攻防~1

十二月八日 トラック諸島

 トラックは広大なサンゴ環礁である。

 現地ではチューク諸島と呼ばれるこの環礁は、周囲をサンゴ礁に囲まれた広大なラグーンをなしており、太平洋の荒波から隔離された良好な泊地として知られている。

 地政学的な意味も重要だ。

 地図を見れば、ここはハワイとアメリカ領フィリピンとの中間海域に存在し、アメリカと対立する日本にとって極めて重要な意味を持っていた。また、マーシャル方面への補給物資の集積拠点でもあり、日本にとって、アメリカの真珠湾に匹敵する重要拠点だった。

 環礁内の大きな島には日本名がつけられ、四季諸島、七曜諸島には海軍の基地施設や飛行場が建設されている。

 緊迫する国際情勢を受け、急速に基地化がすすめられた各島には、海軍の十五・五センチ砲を転用した要塞砲が配備され、夏島の地下では大規模な地下壕に環礁全体の指揮を執るための各種施設が建設されている。

 竹島などは三千メートル近い大型滑走路を持ち、連山クラスの大型機の運用も可能になっている。

『日本の真珠湾』『太平洋のジブラルタル』の呼び名は伊達ではない。

 もっとも、実際はそれほど軍事色だけの島ではない。

 島に生えているバナナの木は、一本一本所有者が決まっている。それを知らずに一本もいだ海軍の水兵が持ち主の地元民に、代わりにこれをとラムネを渡している。

 島にいくつもある缶詰工場では、工場の持ち主の日本人社長と地元の労働者が仲良く昼寝に興じている。

 島内に設けられた料亭では、いつものように夜に向けての仕込みが急がれている。

 そんな平和な南の島でもあるのだ。

 だが、その調和を砕くべく、空の巨人達がトラックへ迫りつつあった。






「エンジン始動急げ!出れる機体から順次発進しろ!」


 飛行場は喧騒に包まれていた。

 エプロンに駐機してあった戦闘機を引っ張り出す牽引車。主翼の外板を外し、機銃弾がきちんと装填されているか確認する整備兵。全ての確認が終わった機体は、整備兵がエンジンの横からクランクを突き刺してはずみ車を回し、ある程度その回転が高まったところで、搭乗員が「コンタクト!」の叫びとともにエンジンの始動スイッチを押す。

 すると、エンジンは爆音とともに先端のプロペラを高速で回転させ始める。

 一部の機体は、起動車と呼ばれる特殊な車両が起動していく。

 これは、搭載した機械でプロペラを直接回すという代物で、主に陸軍で使用されている。


「おやっさん!俺の機体はまだか!」

「慌てんな!大体お前は二直だろ!もう少し待て!」


 トラックの海軍航空隊に所属する佐竹秀雄は、出撃にまだ時間がかかる事実に歯噛みした。

 佐竹は、満州事変以来大陸で戦ってきたベテランである。

 初陣は1932年の春先に行われた第一次上海事変。この時は爆撃機の操縦士をしていた。

 だが、その後の支那事変において戦闘機に機種転換。またたく間にスコアを伸ばしエース入りした。

 第二次上海事変においては、当時最新鋭の九八式を駆り、上海上空への共産党軍航空機の侵入を一機たりとも許さなかった事から『空の守護騎士』などと欧米の新聞に書かれていた。

 そんな佐竹の今の愛機は、海軍が基地航空隊用に開発した重戦闘機『紫電』である。

 烈風は艦上機という性質上、どうしても設計に制約が多い。狭い空母の格納庫に入れるために機体のサイズや主翼の折りたたみ機構などを必要とし、着艦と言う危険行為を安全に行うために低高度での高い安定性が求められる。

 結果として、烈風は素晴らしい戦闘機であるが、どうしてもそういった制約なしに作った機体には劣る面があった。

 その制約なしに作られたのが『紫電』だ。

 烈風や天山と同じ『誉』エンジンを搭載。最高速度は時速六百五十キロを超える高速機だ。

 最大の特徴は、製造元の川西飛行機が工藤技研と共同開発した新開発の自動空戦フラップだ。ベテランになると、予期しない速度低下が発生する事を嫌って装置を切っている事も多いが、回避動作においてその能力は十全に発揮された。

 生産単価も烈風に比べ安く、部品数の少なさもあって海軍基地航空隊の主力機となりつつある。

 滑走路に並んでいる機体は、紫電と九八式が半々くらいである。

 それらは、準備が整うと編隊も組まずに一目散に高度を上げて行く。戦闘機にとって、上を取られると言う事はそのまま劣勢に直結する。

 ある程度機数がまとまると、夏島の管制室に従い針路を南に向けて行く。

 予測される会敵時間は、後十五分。トラック到着は四十分後を予測している。

 後に、数多の伝説と悲劇を生みだすことになる、トラック航空戦。その幕開けだった。






同日 トラック環礁内 防空巡洋艦『阿賀野』


 艦長の沖田満おきたみつるが、露天艦橋で声を張り上げる。


「錨上げ!」


 号令とともに、巨大な錨が海底から引き揚げられ艦内に収容されていく。艦内では鎖が絡まないように、一片が三十センチを超える巨大な鎖を決められた手順に従って錨鎖庫びょうさこにしまっている。


「両舷微速!」


 それを確認すると、今度は機関がその唸りを強める。最新の高温高圧缶を搭載する事により、従来の同クラスの艦に比べれば飛躍的に小型化された機関室では、機関長の指示に従って機関科の兵士達が汗と油にまみれて缶圧を高めていく。

 その間も、沖田の元には多数の情報が入ってくる。


「夏島管制室より入電『味方防空隊接敵。数二百以上』!」

「第一艦隊司令部より入電『各個に回避運動に入れ』!」

「レーダーより艦橋。敵編隊捕捉!距離二百、方位190!」


 沖田は、一刻も早く艦を戦闘速度まで持って行きたかった。動かない艦艇など、訓練の的にも劣る。

 その時、待望の報告が届く。


「機関より艦橋!缶圧、規定値に達しました!」

「第二戦速!」

「第二戦速よーそろ!」


 途端、それまでゆっくりと波をかき分けていた艦が、一気に艦速ふなあしを増す。この一体感は、大型艦では味わえない小型艦ならではの魅力だ。

 前方から吹きつけて来る強風を受けながら、沖田は周囲を見回す。

 それは、壮観な光景だった。

 広大なラグーンを埋め尽くすように、無数の艦艇がそれぞれ動き始めている。

 最も目立つのは、艦隊旗艦の証である中将旗を翻す『長門』と姉妹艦の『陸奥』まだ動いてはいないが、共に高角砲がすでに試射を行い、戦闘準備を整えている。

 次いで目立つのは三十六センチ砲連装六基十二門を備える『伊勢』『日向』『山城』『扶桑』の四隻。周囲に取り付いていたカッターが離れ、下に降ろされていたタラップが引き上げられていく。

 早くも動き出しているのは、中小の補助艦艇(戦艦や空母以外の比較的小型の艦)が多い。

『最上』型重巡四隻はそれぞれ低速で、出撃が遅れている『長門』『陸奥』の周囲を巡回し、自らを盾にして航空攻撃から守ろうとしている。

 環礁の中央に向かって進んでいくのは、小型の駆逐艦が多い。俊敏な運動性を生かして、障害物のない環礁中央部で回避運動を中心に攻撃をやり過ごそうという考えだ。

 逆に、環礁の島々に近づいていく艦もある。こちらは陸上からの対空砲火が期待できる反面、浅瀬が多いため回避運動などが制限される。それぞれ一長一短だ。


「こちらも遅れを取るわけにはいかないな…」


 阿賀野は最新鋭の防空巡洋艦だ。

 排水量は六千トンと、従来の軽巡とそれほど変わらない。

 代わりに雷装(魚雷の事)が全廃され、対空能力が極限まで高められている。

 主砲は最上型に採用されている十五・五センチ砲連装三基六門搭載。新型の高射対応型の砲架ほうかに乗せ、最大発射速度で毎分八発。最大射高は一万八千メートルに達し、世界最高の対空砲として完成している。

 さらに、艦橋の両側に強引に詰め込む形で、六十五口径十センチ砲、通称『長十センチ砲』を単装六基六門搭載。同クラスの艦艇とは懸絶した対空火力を誇る。

 射撃管制装置も工藤製の最新式を搭載。大和や金剛に搭載された物よりもさらに操作性が向上し、軽巡クラスの狭い艦内でも扱いやすくなっている。

 これらの代償として対空機銃を一切搭載せず、しかも安定性が非常に悪いというおまけがついていた。台風に突っ込んだら確実にお陀仏などと陰口を叩かれている。色々な意味で個性的な艦として仕上がっていた。

 あまりの安定性の悪さに、二番艦以降では長十センチ砲が廃止され、代わりにドイツ製の三十七ミリ機銃を搭載する事になっている。

 だが沖田は、安定性が悪くともこの装備を気にいっていた。戦場では一門でも多くの火力があった方がいい。本音では、復元性(ふねが傾いても元に戻る性能)がさらに悪化してもいいから機銃を増設したいと思っていた。

 十五分後。これまで動いていなかった戦艦群も、ようやく缶圧を高め動き始めた。

 だが、敵機はそれ以上待ってはくれなかった。


「レーダーより艦橋。敵編隊距離300(三万メートル=三十キロ)高度八千メートル!」

「見張りより艦橋。敵編隊の一部を目視で確認!味方戦闘機隊が取り付いています!」

「…零式弾は使えないか」


 戦艦の主砲には、対空戦用の散弾である零式弾が搭載されているが、味方の戦闘機と敵編隊が入り乱れているのでは使用する事は出来ない。


「第三戦速!」


 敵編隊が近づくにつれて、艦の速度を徐々に上げて行く。

 主砲は、敵編隊の動きに合わせてピクピクと砲身を動かしている。


「味方駆逐隊、撃ち方始めました!」


 とうとう、比較的敵編隊に近い艦が砲撃を開始する。すでに戦闘機隊は離脱した。後は基地と艦隊の対空砲だけが頼りだ。


「敵編隊はB―17です!」


 見張りから、敵機の機種が報告される。

 B―17『フライングフォートレス(空飛ぶ要塞)』強靭な防御力と隙のない防御火器の配置をした四発重爆(エンジン四基を積んだ大型爆撃機)。九八式の二十ミリ機銃でも容易に撃墜できない怪物。

 それが二百機以上、空を埋め尽くすように飛来してきていた。


「主砲、射程入ります!」

「撃ち方始め!」


 とうとう、阿賀野も砲撃を開始する。主砲の射撃は猛烈な衝撃を生むが、露天艦橋は、艦の前進に伴って発生する強風を利用して前面に風の壁を作り出し、衝撃による損害を被らないようになっている。

 それでも、顔面をはたく様な衝撃が沖田と見張り員を襲う。

 衝撃に耐えながら、沖田は上空を見上げる。

 空はすでに多数の艦艇と地上から浴びせられる対空砲の黒煙で真っ黒に染まっている。時折空中に赤い光が走り、その後から、敵機の残骸が黒い煙を引きずって落ちて行く。

 すでに爆撃針路に入っているのか、敵編隊は対空砲の中を、まったく針路を変えずに突き進んでいく。


「敵機の目標は『竹島』の模様!」


 敵機の針路を読んだレーダー手が報告する。竹島は環礁内でも大きな島で、大型攻撃機が運用できるだけの大規模な滑走路を持ち、島全体が飛行場として運用されている島だ。破壊されればトラックでの航空機運用に重大な支障が出る。


「させるな!」


 沖田の叫びに応えるように、砲声が一層激しさを増す。長十センチ砲が有効射程に入ったのだ。

 環礁全体から浴びせられる凄まじい対空砲火で、次々と撃墜され編隊が崩壊していくB―17。その中でも、爆撃をあきらめないのは称賛に値した。

 だが、戦意がそのまま戦果に繋がるとは限らない。


「敵機、投弾!」


 とうとう放たれる爆弾。

 だが、


「外したか…」


 そのほとんどは、環礁のサンゴを吹き飛ばすだけに終わり、命中した少数の爆弾も、基地の致命的場所を抉る事はなかった。

 環礁を離脱する敵機に、味方の戦闘機隊が再び取り付いている。おそらく、この爆撃行での生還率は六割に満たないのではないかと思われた。


「…俺達の勝ちか…」


 ふと気を緩める沖田。

 彼は忘れていた。気を抜いた者から、先に死んでいくという非情な現実を。


「敵編隊接近!数二十前後。超低空から突っ込んできます!」


 驚愕とともに見張りの示す方向を見る沖田。

 そこには、海面すれすれを舐めるように突っ込んでくる二十機以上の双発機(エンジン二基を搭載した機体)の姿が、くっきりと写っていた。

 その機首には、黒い銃口が不気味に口を開けていた。

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