1941~北の凍土~3
十二月十一日深夜 第四十八戦車中隊
「さて、中身を拝見しようか」
輸送コンテナの前に仁王立ちしている橘が、殺気の籠った眼でコンテナを睨みつける。
突然投下され、自分達の寝床と食料を奪っていった物資輸送コンテナ。もしこれで中身がくだらないものだったら、彼らの砲口は間違いなく司令部を指向することになる。
「玄さん、やっちまってください」
「おう、まかせろ!」
橘の声に応えたのは、部隊に随伴している整備班のリーダーである特務士官の玄さん。なにか名前にトラウマがあるらしく、どこにいっても『玄さん』以外の呼び方を認めない強情者である。
だが、整備の腕はぴか一で、今日一日、彼らの整備を受けた戦車に整備不良が原因の故障はまったくなかった。 その玄さんが、巨大なカナテコを持ってコンテナの前に立つ。コンテナは内部に緩衝装置を設けた二重構造で、扉にはきちんとした機械式のロックがかかっているが、彼らは正規の手順を無視してこじ開けようとしている。理由は特にない。あえて言えば憂さ晴らしだ。
最初の扉を強引に開けると、玄さんは、最後に残った頑丈そうな扉の僅かな隙間にカナテコを押しこんだ。そして、
「ふんっ!」
ガコンッ!
そんな音とともに、コンテナの扉が暴かれた。
「おお~!」
そして、その中身を見た瞬間、あたりの人垣から歓声があがった。
中身は、軍でもまだ十分に出回っていない最新のレトルト食材だった。缶飯を始め、煮物、焼き魚、うなぎの蒲焼き、たくあんに、海軍から出してもらったのか、錨のマークが入ったカレーの缶詰まで入っている。
「お~い!こっちも凄い物が入ってるぞ!」
別のコンテナを開けていた隊員からも歓声が上がる。
それに入っていたのは、補給の各種砲弾だった。徹甲弾に通常榴弾、さらに部隊が配備を熱望してこれまで届いていなかった最新の多目的榴弾対人用のキャニスター弾(砲弾の中にたくさんの小さな弾を詰めたもの。散弾の親玉的代物)まで含まれている。
さらに、
「こいつはなんだ?」
入っていたのは棒の先に卵のようなものをつけた兵器。
「なになに『歩兵用対戦車成形炸薬弾発射機「小龍」』?『これは敵戦車の側面装甲を五百メートル前後の距離で撃ちぬけます』?とんでもねー新兵器じゃねーか!」
慌てて教本を読んだ整備兵達は、同行していた第二十二機動歩兵中隊の兵士と一緒に試し撃ちをする事にする。新兵器を、訓練も無しに前線で使用しようとは思えない。
目標は、損傷したため部品とりに使われて放棄された九七式中戦車。ついでにそのエンジンは取り外されて湯沸かし器代わりに使用されている。
「距離は四百メートル前後か。後ろに人がいないかきちんと確認しろよ」
玄さんの指示の元、兵士達がそれぞれ『小龍』を構える。かなり姿勢はばらついている。
「よし、号令と同時に発射しろ。五秒前、3、2、発射、今!」
ボシュンッ!
そんな鈍い音とともに、十発ほどの弾体が目標に向かって目に見える速度で飛来する。
そして、弾着の瞬間。
ドンッ!
戦車は一瞬で、燃料タンクに残っていた軽油に引火して炎の塊と化した。
「わー!まずいぞ!すぐに消せ!」
「馬鹿!いまさら消す余裕があるか!総員退避!」
そんな事をやっていた次の瞬間、ソ連軍は火災炎を目印にして一斉に砲撃を開始する。
「馬鹿野郎!今すぐ塹壕に潜り込め!砲弾はコンテナに格納!たぶん榴弾なら耐えられる、急げ!」
結局、彼らのこの火災が原因で、その夜は両軍の砲兵がお互いの発射炎を目標に砲撃戦をだらだら続けることになり、第四十八戦車中隊はキツイお灸を据えられる事になった。
そして、翌日。
十二月十二日 第四十八戦車中隊
「止まるな!何があっても前進し続けろ!」
戦車の車長席に座る橘の視界に映るのは、一面掘り返されてぐちゃぐちゃになった雪原とその合間に転がっている敵味方の兵士の死体。そしてその死体を盾に対戦車銃を撃ってくるソ連兵だった。
また、大口径の対戦車銃が車体を直撃し、嫌な衝撃を走らせる。
「クソッ!二時の方向、弾種榴弾!一撃で始末しろ!」
「弾種榴弾、テッ!」
放たれた榴弾が雪を抉り、弾片を撒き散らしソ連兵を殺傷する。
その背後から、味方の死体を押し潰しながら現れるT―34。一両が間違えて味方の対戦車壕に転がり落ちるが、それを踏みつけて後続のT―34が突っ込んでくる。
「こいつらゴキブリか!弾種徹甲!目標敵戦車!」
周囲には同じように戦う中隊各車と他の部隊からの増援が五十両ほど展開している。軍の持つ機甲戦力の全てだ。
彼らに、後はなかった。
すでに軍は限界だった。
後方の航空隊は決死の空輸で部隊に補給を行ってくれていたが、それは最低限にも満たない僅かなものだった。
軍の手持ち物資は回収が間に合わず遺棄されるものも含めて急速に減少し、それは保有車両の喪失とともに軍の戦力を確実に削ぎ取って行った。
当初、突破の先陣を切った第四戦車師団はすでに戦力の八割を喪失。同行していた機械化歩兵旅団も壊滅的打撃を被っていた。
集団の戦力は七割を割ろうとしていた。
だが、希望も見えて来た。
先鋒の第四戦車師団は百両以上の百式と九七式を犠牲にして、味方最前線まで六十キロの地点まで前進する事に成功していた。後一息の距離である。
だが、ここまで来て逃すつもりのないソ連側もこの六十キロに少なくとも二個戦車旅団を配置。さらに歩兵も最低五個師団は配備され縦深陣地を構築している。
すでに後のない栗林中将は、最後尾で奮闘を続けていた第四十八戦車中隊を呼び出し、先鋒を命じた。
今日が最後だと思え。
全軍が、この言葉を胸に戦闘に臨んでいた。
戦車部隊を引きぬかれた後方部隊は一気に後退速度を速め、部隊は狭い範囲に圧縮されつつあった。
今日味方と合流できなければ、前後の戦線に押し潰された彼らの全滅は確定するからだ。
全ては、第四十八戦車中隊に託されていた。
最前線で奮闘する第四十八戦車中隊。すでに今日の敵戦車撃破スコアは中隊だけで七十を超え、他の部隊の戦果を加えれば二百五十を超えていた。
だが、それも限界に達していた。
「徹甲弾残弾十を切りました!」
「クソッ!ここまで来て…!」
部隊は今日の午前中だけで四十キロ近く前進した。だが、そこで彼らは息切れした。
弾薬を使い果たしたのだ。
キャニスター弾は、一発で敵兵を百人単位で抹殺し、多目的榴弾は直撃した戦車の装甲を内側に剥離させ、内部の戦車兵を殺傷すると共に、周囲の戦車跨乗兵を弾片と衝撃波の一撃で殲滅する。
共に闘う歩兵部隊は、無反動砲や成形炸薬弾で敵戦車を容赦なく撃ちまくり、履帯や車載機銃の残骸が進撃路には無数に散らばっている。
それでも、彼らは突破しきれなかったのだ。
前面からはいまだに湧きだし続ける敵戦車の群れ。もはや数えるのも馬鹿らしい。
後方で航空隊が攻撃を加えているが、今目の前の戦線には何ら寄与しそうにない。
「終わったか…」
絶望の声を漏らし、椅子に深く腰掛ける橘。
その時、司令部から無線が入った。
『よくやってくれた。諸君らの仕事はそこまでだ。後は連中に任せる』
「…何?連中?」
いぶかしげな声を上げる橘。
その時、砲手の朽木が歓喜の叫びを上げた。
「隊長、味方部隊です!」
「なんだと!?」
慌てて潜望鏡を覗き込む。
「嘘だろ…。連中『鉄虎』じゃないか…!」
そこには、いままでこちらに押し寄せていた敵戦車を背後から一方的に撃破していく一群の戦車の姿があった。
驀進する戦車の名は『鉄虎』日本で唯一の重戦車。工藤技研製の最新技術をフルに使用した、単価が百式の五倍以上と言う気違い戦車。
その分性能は半端ではなく、砲身に海軍の高角砲を流用した百ミリ砲はブラックボックス化された照準安定装置が取り付けられ、時速四十キロで走行しながら三キロ先の戦車を狙い撃つ驚異の高性能を誇る。
装甲も最新のセラミック系素材を含む複合装甲が採用され、現存戦車では真後ろから至近距離で砲撃しても破壊不能という。
重量は四十トンを超えるデブだが、それを補って余りある超高性能だった。
しかし、それを十分な数前線に配備するには単価が高すぎた。
結果として、軍は同時期に開発された百式を主力とし、一部の精鋭部隊だけ鉄虎を配備する『ハイ・ロウ・ミックス』を選んだ。
その陸軍の至宝とも言うべき部隊が、この戦線に投入されたのだ。
「やったぞ…これで生きて帰れる…!」
橘の涙腺が、緩んだ。
すでに前後から挟撃された敵戦車部隊は完全に壊乱状態に陥っており、独立重戦車大隊は無人の野を行くがごとく塹壕を乗り越え、障害物を吹き飛ばし、敵戦車の残骸を押しのけていた。
第四十八戦車中隊の戦いは、一度終わりを告げた。
もっとも、手に入れた僅かな時間は、次の戦いへの準備期間に過ぎなかったが。
「勝ったな…」
新京の司令部で、いくつかの報告電を受けた石原は小さく唇の端を持ち上げた。
今回の殊勲者は間違いなく、あの絶望的戦況で孤立した集成団を率いて脱出に成功した栗林だろう。
「奴には何か恩賞を与えねばな…」
そして、彼らが作った貴重な時間で北西部の白城市・ハルピン間の防衛線は完全に構築され、防衛線の構築に伴い西部から引き抜かれた戦力は東部での総反攻の基幹戦力となるだろう。
最後の切り札として関東軍直轄の第六百四独立重戦車大隊『白龍』を投入したのは予定外だったが、そのくらい彼らの奮闘に比べれば大したことではなかった。
「そして、それを生かせるかどうかにこの大陸の戦争がかかってくるな…」
石原の目は、すでに満州戦、その先を見据えていた。
その主戦場は、西ではなく南の海を越えた地にあった。
「もっとも、この反攻を成功させんと先なぞないんだがな」
反攻の舞台はヴォロシロフ。
決戦の時は、指呼の間まで迫りつつあった。
ここで満州戦は一区切りです!
次回は戦闘パートを続けて、トラック海戦です!