1930~責任~
柱島で調査隊に拘束されてから一週間。
案内された部屋に、俺はすぐに飛び込んだ。肋骨のヒビが痛んだが、気にする余裕はなかった。
「本城!」
「…なんだ、夏樹か」
ベッドの上の本城は、俺に気がついて上体を起こす。そのままいつも通りのシニカルな笑みを浮かべようとするが、失敗していた。
本城はボロボロだった。
病院の白衣の下には無数のアザが出来、左腕は肘から先が指先まで全てギブスで覆われていた。顔は比較的怪我が少ないようだったが、頬に大きな青あざが出来ていた。
頭の中は悔恨の念でいっぱいだった。
分かれる前の本城の言葉の意味。俺はまたかと思っただけだったが、実際は俺や真田少佐、吉田少将を守るためのものだった。
「…!本当に、ごめん…!」
俺は傷に障らないように、触れるように本城を抱きしめた。
「…夏樹…」
本城も、ゆっくりと震える右手を俺の背中に回した。
「…怖かったよ…!」
そのまま本城は子供のように泣き始めた。
俺には、抱きしめる事しかできなかった。
話は拘束される直前までさかのぼる。
本城は拘束される直前、俺と真田少佐にこう言ったのだ。
自分は知らない、全て本城に聞けと言え。と。
理由を聞こうとしたが、その直後にばらばらに拘束されてしまい、真意を確かめる事は出来なかった。
その後の三日間ほどは混乱の連続だった。要請を受けた陸海軍なそれぞれ調査隊を派遣、その重要性を理解するのにそう時間はかからなかった。即座に要塞区画指定がされ、柱島の西水道は使用不能になった。
俺達三人は、そのまま海軍の飛行艇に乗せられて横須賀に直送。そこで身元を尋ねられた。
本城に聞いてくれ。
相手は怪訝そうな顔をしていたが、すぐにそれが緊張に包まれた。
スパイ容疑がかかったのだ。
最初は海軍の立派な建物に連れて行かれたが、この直後に場所不明の監獄に叩きこまれた。
そのまま厳しい尋問が繰り広げられた。三日間睡眠はゼロ。食事と水は最小限。寝れば殴られ起きていても殴られた。
それなりに鍛えた体のおかげで死ぬことはなかったが、後一日でも続いていたらヤバかったかもしれなかった。
それは突然に終わりを迎えた。
突如解放された俺は、そのまま丸一日医務室で眠る事になった。
この時の俺に、本城の事を考える余裕はなかった。
一晩寝て、ようやく本城の事を思い出して診察に来た医者に問いかけた。俺は本城の事だから、一人だけちゃっかり無傷でいて、いつも通りのあの似合わない笑みを見せてくれると思っていたのだ。
返事は、予想外のものだった。
あのお嬢ちゃんはまだ起きてないよ。
俺はてっきりまだ寝てるんだと思った。俺が痛い目にあってるのにあの野郎!
案内してほしいと言うと、難しそうな顔でその医者はうなずいた。
「たぶん、今晩が峠になるだろう」
えっ…?
瞬間、凍りついた。
「お嬢ちゃんはかなりひどい扱いを受けたらしくてな、全身の怪我がかなり酷い。その状態で無理に動いたりしたから余計に悪化してる。正直厳しいところだ」
即座に俺は病室から飛び出した。
そのまま病院の中をでたらめに本城を捜しまわった。見つかったのは奇跡だった。
「本城…!」
本城はベッドに横になって眠っていた。
それが安らかなものでないのは、表情を見ればすぐにわかった。
付き添いの看護婦が立ち上がり俺を制止しようとするが、そのまま近づいて布団から出ている右手を握る。温かいが、握り返してこないことに猛烈な不安を感じた。
それでも、俺は握り続けた。
しばらくして俺を探しに来た医者が姿を見せたが、何も言わずに立ち去った。
医者が看護婦を連れて出て行ってからも、怪我をした体が限界を迎えて倒れるまで握り続けた。
それから三日間、本城は眠り続けた。
怪我を押して見舞いに行こうとする俺に業を煮やした医者は、とうとう俺を精神病患者用のベッドに拘束した。
それでも、必死になって頼み込んで、一日一度手錠と足枷付きという囚人状態で見舞いに行く事を許してくれた。
その間、俺と同じで尋問で怪我をした真田少佐となぜか旅館で飲んだお茶に彼岸花の根(心臓の毒)が入っていて(おそらく本城が混ぜた)緊急入院していた吉岡少将が訪れた。
「覚悟の上だろう」
真田少佐が苦しそうに言った。
「あの状況で捕まれば、こうなる事は明らかだった。その上で、本城さんが言った『本城に聞け』という言葉は自分ひとりに尋問を集中させようというものだろう」
なんでも本城さんは特高の奴らに、東京のトップ以外に話す事はないと言っていたそうだ。僕と君の二人を尋問しても本城さんに聞くように言うだけ。最年長の少将閣下は入院中で手荒な事はできない。そして特高にとって、事は自分たちでは手に余るほど重要。ここまで条件を整えて、出来るだけ上位の人間に自分を売り込もうとしたのだろう。
真田少佐の予測を聞いた後、俺はいつその事に気がついたのか聞いた。
「分かれる前の最後の言葉で」
「ならなんで止めなかった!?」
ベッドの上で拘束されながら叫ぶ俺に、少佐は厳しい表情で告げた。
「本人が望んだからだ」
そのまま静かに続ける。
その言葉を聞いた時、私ははっきり反対しようとした。負担が彼女一人に集中するからだ。だが、彼女は目ではっきりと言うなと言ってきた。そもそも、これは明らかに君の負担を軽減する事が目的だ。だれが中心かを考えれば普通は男の工藤くんか騎兵士官である私だと考えるだろう。それを彼女は変えたかったんだ。責任を取るために。
「上の人間を要求したのはついでだろう」
俺は何も言えなかった。
タイムスリップからこれまで、俺は自分から何かをしただろうか。全部本城に押し付けて文句しか言ってこなかったのではないか。その果てに、あいつは全部の責任を背負い込んでたのか。
自責の念に苛まれる俺を見て、二人は病室を出て行った。
そして、ようやく本城が目を覚ましたと聞いて、俺は全力で本城の元へ向かった。
腕の中で泣いている本城に話しかける。
「こっちに来てから今まで、全部お前に押し付けて本当にゴメン…」
「…ううん、そんな事ない。夏樹がいるだけで凄い楽だった…」
腹筋を使わない時特有の細い声。怪我はすぐに治るほど軽いものではなかった。
腕の中におさまっているせいで、その表情は分からない。
「…だからもう、絶対に離れないで…」
「ああ、約束する。これから一生絶対に離れない」
その時、動く右手を本城が枕の下に入れた。
「ちゃんと証拠もあるからね?」
細い声。だが、確実に普段の奴と同じ印象を感じる。
これは…
『約束する。これから一生絶対に離れない』
「こんな感動的な告白してもらえて、私は本当にうれしいぞ」
取り出したのは録音機。再生されるのは、俺が本城に約束するシーン。
「なっ!お前まさか…!」
「せっかくの怪我だ。有効に使わないともったいないではないか」
抱きしめていた腕を離す。
そこには、涙の跡を残し、若干苦痛に歪めながらも、いつも通りのシニカルな笑みを浮かべている本城の姿があった。
慌てて後ろを振り返ると、一緒に病室にやってきた医者と看護婦、少佐と吉岡司令はすっと目をそらす。
その顔は、こうなる事をあらかじめ知っていた人間の表情だった。
「~~~!畜生!嵌められたーーー!」
絶叫する俺を、本城が満足げな表情で見つめていた。