『婚約破棄? いいえ、十二人分の養育費を払っていただきますわ!』
婚約破棄? いいえ、十二人分の養育費を払っていただきますわ!
~生命力自慢の第一王子様、その有り余る体力で二十年間きっちり働いていただきます~
王立学園の大講堂には、十二人の赤ん坊の泣き声が響き渡っていた。
卒業を祝う夜会の真っ最中である。
天井には豪奢なシャンデリア。磨き上げられた大理石の床には、色とりどりのドレスが花のように広がっている。
本来ならば、王国の未来を担う若者たちの門出を祝う、華やかな一夜になるはずだった。
ところが現在、大講堂の中央には十二人の女性が並び、それぞれの腕に赤ん坊を抱いている。
男子七人、女子五人。
合計十二人。
そして、その前で第一王子レイナルド殿下が、たいそう誇らしげに胸を張っていた。
「聞け、エレノア! そして我が王国の諸君!」
殿下の声が、大講堂の隅々まで響き渡る。
レイナルド殿下は、並外れた体格の持ち主だった。
日に焼けた肌。鍛え抜かれた肉体。獅子のたてがみを思わせる黄金色の髪。
剣術では近衛騎士団長を打ち負かし、馬術では誰よりも速く駆け、三日三晩眠らずに魔獣と戦ったという逸話まである。
魔力量も常人の数十倍。
その生命力は、まさしく規格外。
ただし。
どうやら、思慮深さまで規格外というわけではなかったらしい。
「ここにいる十二人の子らは、すべて俺の血を分けた子だ!」
殿下が両腕を大きく広げた。
大講堂が凍りついた。
「俺は隠さぬ! 愛する女たちとの間に生まれた、尊い命だ! この豊かな生命力こそ、天が俺に与えた祝福なのだ!」
殿下の背後には、伯爵令嬢、騎士の娘、商家の娘、パン屋の娘、元踊り子など、さまざまな身分の女性たちが並んでいる。
どうやら殿下は、自分の偉業を披露するため、母子全員をわざわざ卒業夜会へ招待したらしい。
しかも、母親たちには事前にこう説明していたという。
『今夜、俺がすべてを解決してみせる。安心して来るがいい!』
なるほど。
すべてを解決するおつもりだったのですね。
それは大変結構なことでございます。
ただし、その「すべて」に何が含まれているのか、少々確認する必要がありそうですわ。
「エレノア!」
殿下が私を指さした。
「お前は立派な女だ。だが、俺の有り余る生命力を一人で受け止めることはできまい!」
周囲の令嬢たちが一斉に顔を伏せた。
笑いを堪えているのか、羞恥に耐えているのか。
おそらく両方だろう。
「俺は愛する者たちを平等に慈しみたい! お前一人を正妃として縛りつけることは、俺の愛の本質に反する!」
殿下は拳を握りしめた。
「よって、この場で宣言する!」
私は静かに扇を閉じた。
「俺はエレノア・フォン・グランヴェルとの婚約を――」
「破棄なさるのですか?」
私は穏やかに尋ねた。
「そうだ!」
「まあ」
私は微笑んだ。
「それは困りますわ」
「……何?」
「わたくし、婚約破棄などいたしません」
大講堂が、しんと静まり返った。
次の瞬間。
「な、何だと!?」
殿下の叫びが響いた。
私は優雅にカーテシーを披露した。
「エレノア・フォン・グランヴェル。筆頭公爵家の長女として、王家との正式な婚約契約を維持する意思を、ここに表明いたします」
「お、お前は怒らないのか!?」
「怒る?」
私は首を傾げた。
「何に対してでございましょう?」
「俺が十二人もの女と関係を持ち、子まで作ったことに決まっているだろう!」
「まあ。ご自覚はおありなのですね」
「うっ……」
殿下が一瞬、言葉に詰まった。
もちろん、私だって何も感じていないわけではない。
婚約者としての期待など、正直なところ、ずいぶん前から薄れていた。
殿下の女性関係についても、多少の噂は耳にしていた。
けれど。
十二人。
さすがに、その数字だけは予想を超えていた。
しかも全員、すでに生まれているという。
私が王妃教育で財務諸表と格闘していた間、殿下はずいぶんと別の方面でお忙しかったらしい。
とはいえ。
今さら感情を爆発させたところで、十二人の赤ん坊が消えるわけではない。
「もちろん、婚約者としては大変残念に思っております」
私は微笑みを深めた。
「ですが、すでに生まれた命をなかったことにはできません」
私は十二人の赤ん坊へ視線を向けた。
小さな手。
柔らかな頬。
母親の腕の中で眠る子もいれば、元気いっぱいに泣いている子もいる。
「この子たちは、殿下のご都合で生まれてきたわけではございませんもの」
母親たちが顔を上げた。
「そして殿下は、我が国が長年抱えてきた王族の後継者不足を、たったお一人で解消なさいました」
「そ、そうだろう!」
殿下が再び胸を張る。
「俺の生命力は国を救うのだ!」
「ええ。実に見事な生命力でございます」
私は扇を開いた。
「ですから、その生命力にふさわしい責任を、きっちり果たしていただきますわ」
殿下の笑顔が、ぴたりと止まった。
「……責任?」
「はい」
私は侍従へ合図した。
大講堂の扉が開く。
入ってきたのは、王宮の財務官、法務官、そして分厚い書類を抱えた数名の文官。
その後ろには、国王陛下と王妃陛下の姿もあった。
「父上!? 母上!?」
殿下の顔色が変わる。
国王陛下は、ひどく疲れた顔をしていた。
王妃陛下に至っては、手にした扇を握り潰さんばかりである。
「レイナルド」
国王陛下が低い声で告げた。
「お前のしたことは、すでに把握している」
「ち、父上! 俺はただ、愛に正直に――」
「愛については後で聞こう」
国王陛下は眉間を押さえた。
「まずは、父親としての責任を果たせ」
私は深く一礼した。
「陛下。ご裁可いただいた件につきまして、ここでご説明しても?」
「ああ。頼む」
私は一歩前へ出た。
さあ。
ここからが、本題である。
*
「まず第一に、十二人のお子様の認知についてでございます」
私が告げると、法務官が分厚い書類の束をテーブルに置いた。
どさり。
その音に、殿下の肩が跳ねた。
「殿下は先ほど、この十二人がすべてご自身の子であると、公衆の面前で明言なさいました」
「う、うむ」
「すでに母君方から出生記録を提出していただいております。王家の記録と照合し、必要な確認を終えたのち、全員を正式に認知していただきます」
「それは構わん!」
殿下は胸を張った。
「俺は我が子を愛している!」
「素晴らしいお覚悟ですわ」
私は母親たちへ向き直った。
「皆様も、ご安心くださいませ」
そのとき、列の端にいた若い女性が、おずおずと手を挙げた。
下町のパン屋の娘、マリアだった。
「あ、あの……公爵令嬢様」
「何でしょう?」
「この子は……本当に、学校へ通えるのでしょうか」
彼女は腕の中の赤ん坊を抱き直した。
「私、字もろくに読めなくて。お父さんは王子様だけど、この子は町の子だから、きっと何もしてもらえないって……」
声が震えていた。
私は彼女の前に膝を折った。
「マリア様」
「さ、様だなんて……!」
「あなたは、この子の母君ですもの」
私は赤ん坊の小さな手を見つめた。
「この子がどのような教育を受け、どのような人生を歩むかは、出生の事情によって決められるべきではありません」
「……本当に?」
「ええ」
私は微笑んだ。
「王族としての身分や継承順位については、法に従って別途定めます。ですが、教育と生活の保障は、十二人全員に等しく与えられます」
マリアの目から涙がこぼれた。
「ありがとうございます……!」
「お礼は、まだ早いですわ」
私は立ち上がった。
「費用を負担するのは、わたくしではございませんもの」
ゆっくりと振り返る。
殿下が、なぜか不安そうな顔をしていた。
「……エレノア?」
「第二に、養育費の算出でございます」
私は財務官から一枚の羊皮紙を受け取った。
「王家の血を引くお子様方にふさわしい教育、医療、護衛、衣服、食事、住居、そして将来の自立に向けた準備」
一つずつ項目を読み上げる。
「母君方への生活支援も含め、一名につき年間二千万ルピを基準額といたしました」
「ふむ」
「十二名で、年間二億四千万ルピ」
「……ふむ?」
「二十年間の養育・教育費として、総額四十八億ルピでございます」
沈黙。
殿下は口を開いた。
閉じた。
もう一度、開いた。
「……よんじゅう、はち、おく?」
「はい」
「ルピ?」
「はい」
「……俺の歳費は?」
「年間五千万ルピでございます」
「……」
殿下は、しばらく天井を見つめた。
そして、ようやく叫んだ。
「足りんではないか!!」
「ええ。まったく足りませんわ」
「俺は贅沢などしておらんぞ! 不正な蓄財も、横領もしていない!」
「存じております」
私は頷いた。
「殿下は金銭に関しては清廉な御方。国庫から一ルピたりとも不正に持ち出したことはございません」
「そうだ!」
「ですから、養育費も国庫へ不当に押しつけるわけにはまいりませんね」
「ぐっ……!」
私は微笑んだ。
「ご安心くださいませ。これは一度に四十八億ルピをお支払いいただくという意味ではございません」
殿下の顔に、わずかな希望が戻る。
「そ、そうか!」
「毎年、必要な額を確実にご負担いただきます。お子様方の成長に応じて支出を管理し、余剰分は信託として積み立てます」
「……信託?」
「お子様方の将来のために、資金を分けて管理する仕組みでございます」
「な、なるほど」
「なお、年間二億四千万ルピに対し、殿下の歳費は五千万ルピ」
私は指を一本立てた。
「差額は一億九千万ルピでございます」
「……」
「もちろん、殿下にも生活費が必要ですので、歳費のすべてを養育費に充てるわけにはまいりません」
「そ、そうだな!」
「そこで、王宮の財務官と協議し、新たな収入源を確保いたしました」
私は次の書類を掲げた。
「殿下にふさわしいお仕事を、四つほど」
「……四つ?」
「はい」
私はにっこりと微笑んだ。
「殿下の豊かな生命力を、最大限に活用できるお仕事でございます」
*
「まず、南方魔境開墾事業」
私は一枚目の書類を読み上げた。
「未開拓の湿地帯を農地へ転換する国家事業でございます。魔獣の出没により、長年、人手不足に悩まされておりました」
「……魔境?」
「はい」
「湿地帯?」
「はい」
「……魔獣は?」
「多数生息しております」
殿下の眉がぴくりと動いた。
「殿下の戦闘能力と体力を考慮し、特別作業契約による年間報酬は八千万ルピを見込んでおります」
「は、八千万!?」
「はい。危険手当込みでございます」
殿下の目が輝いた。
「なるほど! 俺の力があれば、魔境の開墾など容易い!」
「頼もしいお言葉ですわ」
私は二枚目を掲げた。
「続いて、東方岩塩鉱山の採掘支援」
「鉱山!?」
「殿下の膂力であれば、通常の作業員の十人分は働けるとの試算でございます。こちらは年間四千万ルピ」
「四千万!?」
三枚目。
「北方氷雪地帯における魔獣討伐遠征」
「北方!?」
「冬季の遠征は危険手当が高額でございます。討伐実績に応じた報奨金として、年間五千万ルピを目標としております」
四枚目。
「王立魔導研究所における魔力供給協力」
「研究所!?」
「殿下の魔力量は、一般の魔導士の数十倍。魔導炉への魔力供給にご協力いただければ、年間三千万ルピの契約が可能でございます」
私は書類を揃えた。
「以上、四事業による年間報酬の目標額は二億ルピ」
「に、二億……」
「殿下の歳費五千万ルピと合わせれば、年間二億五千万ルピの収入が見込めます」
私は微笑んだ。
「養育費二億四千万ルピを差し引いても、一千万ルピ残りますわ」
殿下の顔に、安堵の色が浮かんだ。
「おお! ならば何とかなるではないか!」
「ええ。予定どおりの成果を上げられれば、でございます」
「……予定どおり?」
「討伐報奨金は成果に応じて変動いたしますし、魔境開墾事業も、契約に定められた作業を完遂していただく必要がございます」
「……」
「なお、養育費を優先的に確保するため、王宮財務局が収入を管理いたします。万一不足した場合には、殿下の私有財産から補填する契約でございます」
「……私有財産?」
「はい」
私は微笑んだ。
「殿下がお持ちの狩猟用別荘や、競走馬の維持費についても、必要に応じて見直していただきます」
「俺の愛馬まで!?」
「お子様方のお食事と、競走馬の飼料代」
私は首を傾げた。
「どちらを優先なさいます?」
「……子供たちだ」
「素晴らしいご判断ですわ」
殿下は青ざめた。
「ま、待て……」
「はい?」
「それでは俺は、一年中働き詰めではないか!」
「もちろん、休養日は設けますわ」
私は微笑んだ。
「各事業の契約期間を調整し、移動日と休養日も確保してございます。殿下が過労で倒れられては、養育費のお支払いに支障が出ますもの」
「そういう問題ではない!」
「では、どのような問題でございましょう?」
「宮廷での夜会は!? 狩猟大会は!? 新たな愛を育む時間はどうなる!?」
私は扇を閉じた。
ぱちん。
大講堂の空気が、少しだけ冷えた。
「……新たな愛?」
私は静かに問い返した。
「殿下」
「な、何だ?」
「今、十二人のお子様を育てるための費用についてお話ししているのですが」
「そ、それは分かっている!」
「その十二人の養育費すら確保できていないうちから、さらにお子様を増やすおつもりで?」
「いや、しかし、俺の生命力は――」
「生命力が豊かなことと、責任を果たせることは別でございます」
私は殿下をまっすぐ見つめた。
「殿下は命を生み出すことを誇りとなさいました。でしたら、その命が健やかに育つまで責任を負うことも、同じように誇りとなさってくださいませ」
殿下は黙り込んだ。
「……俺は」
「はい」
「俺は、ただ……愛した女たちを幸せにしたかっただけだ」
その言葉に、私は少しだけ目を細めた。
「では、彼女たちにお尋ねになりましたか?」
「……何を?」
「何を望んでいるのか、でございます」
殿下が振り返る。
十二人の母親たちは、誰も笑っていなかった。
そのうちの一人、騎士の娘が口を開いた。
「殿下。私は、子供と安心して暮らせる家が欲しいのです」
商家の娘が続ける。
「私は、この子が病気になったとき、医者を呼べるだけのお金が欲しいです」
踊り子だった女性が、赤ん坊を抱きしめた。
「私は……この子が、父親の名前を恥じずに生きられるようにしてほしい」
殿下は、何も言えなかった。
私は静かに告げた。
「愛していると宣言するだけでは、人は暮らしていけません」
大講堂に、赤ん坊の泣き声が響いた。
「愛を語るなら、その先の人生まで考えて差し上げるべきですわ」
*
「そもそも、なぜお前は婚約を破棄しないのだ!」
殿下が突然、叫んだ。
「俺はお前を裏切った! 十二人もの女と子を作った! お前なら、俺を見捨てても誰も責めまい!」
「ええ」
私は頷いた。
「婚約を解消する権利は、わたくしにもございます」
「ならば、なぜ!」
私は少しだけ考えた。
そして、静かに答えた。
「この国の未来を、殿下の気まぐれに任せたくないからです」
殿下の顔が強張った。
「……何?」
「殿下は第一王子でいらっしゃいます。ですが、王位継承者としての適性は、血筋だけで決まるものではございません」
私は国王陛下へ視線を向けた。
陛下は静かに頷いた。
「王位継承については、今後、王家と貴族会議で改めて審議する」
大講堂にざわめきが広がった。
殿下が目を見開く。
「父上!?」
「レイナルド。お前は、己の力を誇ることばかり覚え、責任を学ぼうとしなかった」
国王陛下は厳しい声で続けた。
「まずは一人の父親として、責任を果たせ」
殿下は唇を噛んだ。
私は続けた。
「わたくしは、王妃としてこの国を支えるために学んでまいりました」
外交。
財務。
法務。
領地経営。
民政。
十五歳から今日まで、休むことなく勉学を重ねてきた。
その努力を、婚約者の不始末一つで無意味にするつもりはない。
「それに、殿下」
私は声を少し落とした。
「今ここで婚約を解消すれば、王家とグランヴェル公爵家の関係は再調整を迫られます」
「……それがどうした?」
「十二人のお子様の身分や養育費の取り決めまで、政治的な駆け引きに巻き込まれるおそれがございます」
王族の庶子が十二人。
しかも、母親たちの身分はさまざまだ。
王位継承権を巡る争いが起きても不思議ではない。
まして、第一王子の婚約破棄まで重なれば、貴族たちが黙っているはずもない。
「わたくしは、少なくともお子様方の生活保障が確定するまでは、正式な婚約関係を維持するつもりです」
私は静かに告げた。
「ただし、それは殿下との結婚を約束するものではございません」
「……何?」
「婚約を維持することと、最終的に婚姻を結ぶことは別でございます」
殿下の顔が、みるみる青ざめた。
「で、では……お前は……」
「わたくしが王妃となるかどうかは、今後の協議次第ですわ」
私は微笑んだ。
「そして、わたくし自身の将来については、わたくしが決めます」
殿下は言葉を失った。
私は扇を開いた。
「なお、殿下のお仕事については、すべて正式な契約に基づいて行われます」
「……契約?」
「はい。危険手当、休養日、医療保障、報酬、業務内容。すべて明記してございます」
私は一枚の書類を差し出した。
「殿下の能力を最大限に活かせるよう、王宮の担当官が調整いたしました」
「……俺が、これに署名するのか?」
「もちろんです」
私は微笑んだ。
「殿下は先ほど、ご自身の子供たちを愛していると仰いましたね」
「……ああ」
「では、その愛を形にしてくださいませ」
殿下は書類を見つめた。
長い沈黙が流れる。
やがて、彼は震える手で羽根ペンを取った。
「……分かった」
その声は、先ほどまでの勇ましさを失っていた。
「俺が、働けばいいのだな」
「はい」
「俺が稼げば……あの子たちは、困らずに済むのだな」
私は頷いた。
「ええ。殿下が責任を果たす限り」
殿下は、ゆっくりと署名した。
レイナルド・フォン・アルヴェリア。
その名が、羊皮紙に刻まれた。
*
「ところで、殿下」
私は署名済みの書類を受け取りながら、穏やかに告げた。
「明朝四時に、南方開墾隊が王都を出発いたします」
「……四時?」
「はい」
「朝の?」
「もちろんですわ」
殿下は、ゆっくりと私を見た。
「……俺は、明日から働くのか?」
「ええ」
「今日、卒業したばかりなのだが」
「おめでとうございます」
「卒業祝いの宴は?」
「今宵がその宴でございます」
「……明日の朝は?」
「四時出発です」
殿下は天井を仰いだ。
「俺の……俺の青春は……」
「十二人のお子様という、たいへん立派な形で実を結びましたわ」
周囲の貴族たちが、一斉に顔を伏せた。
何人かは肩を震わせていた。
殿下は、がっくりと膝をついた。
「エレノア……」
「はい」
「お前は……恐ろしい女だ……」
「まあ」
私は微笑んだ。
「褒め言葉として受け取っておきますわ」
そのとき。
「ふぎゃああああ!」
一人の赤ん坊が泣き出した。
続いて、二人目。
三人目。
四人目。
やがて十二人全員が、まるで合唱するかのように泣き始めた。
大講堂いっぱいに響く、力強い泣き声。
殿下は、その音に圧倒されたように顔を上げた。
「……俺の子供たちか」
「ええ」
私は静かに答えた。
「殿下の、誇るべき十二人のお子様方でございます」
殿下は、しばらくその光景を見つめていた。
そして、ぽつりと呟いた。
「……元気だな」
「ええ。大変元気でいらっしゃいます」
「……俺に似たのか」
「そうかもしれませんね」
私は微笑んだ。
「ですから、殿下」
そっと扇を閉じる。
「どうぞ、お子様方に負けぬくらい、元気に働いていらしてくださいませ」
殿下は、何も言わなかった。
ただ、深々と肩を落とした。
*
翌朝。
まだ夜も明けきらぬ王都の南門に、一台の馬車が停まっていた。
その前に立つのは、南方開墾隊の隊長。
そして、寝不足で目を赤くした第一王子レイナルド殿下である。
「殿下! 出発のお時間です!」
「……分かっている」
「本日の予定は、湿地帯の排水路整備と、魔獣の生息調査でございます!」
「……分かっている」
「なお、明日は開墾予定地の大岩を撤去していただきます!」
「……大岩?」
「はい! 通常の作業員では動かせない巨大な岩でございます!」
殿下は、遠い目をした。
「……俺は王子なのだが」
「存じております!」
隊長は元気よく敬礼した。
「ですので、通常の作業員には不可能な任務をお願いしております!」
「……そうか」
「殿下ほどの生命力があれば、魔獣討伐も岩の撤去も、きっと容易いことでしょう!」
「……うむ」
「隊員一同、期待しております!」
「……うむ」
殿下は、ゆっくりと馬車に乗り込んだ。
その背中は、昨日までの堂々たる第一王子とは思えないほど小さく見えたという。
*
そのころ、王宮の執務室では。
私は十二人の子供たちの養育計画書を確認していた。
医療費。
教育費。
生活費。
母親たちへの支援。
どれも、決して軽い金額ではない。
そして、費用だけを確保すれば終わりというわけでもない。
子供たちが成長すれば、それぞれに望む人生も生まれるだろう。
学問を志す子もいれば、剣を握りたい子もいるかもしれない。
商売を始める子も、旅に出る子もいるかもしれない。
そのとき、父親が誰であるかという理由だけで、道を閉ざされることがあってはならない。
私は書類を一枚めくった。
十二人分の名前が、そこに並んでいる。
昨日までは、ただの醜聞として語られていた子供たち。
けれど、今は違う。
一人ひとりに名前があり、母親がいて、これから歩む人生がある。
命とは、本来そういうものなのだ。
生まれた瞬間から、誰かの手を必要とする。
食べ物も、住む場所も、学ぶ機会も。
愛しているという言葉だけでは、何一つ賄えない。
私は窓の外を見た。
東の空が、少しずつ明るくなっている。
遠くで、出発を告げる鐘が鳴った。
レイナルド殿下は、今ごろ馬車に乗り込んだころだろう。
きっと、ひどく不満そうな顔をしているに違いない。
私は小さく笑った。
「さて」
机の上には、もう一通の書類がある。
王家とグランヴェル公爵家による、今後の婚約関係の再協議に関する通知。
婚約を維持するか。
解消するか。
あるいは、別の道を選ぶか。
それを決めるのは、これからだ。
少なくとも、十二人の子供たちの未来を守る仕組みが整うまでは、私は自分の役目を果たすつもりだった。
ただし。
私自身の人生を、誰かの不始末のために差し出すつもりはない。
私は羽根ペンを取り、養育計画書の最後の欄に署名した。
そして、静かに呟いた。
「殿下」
窓の向こうに、朝日が昇る。
「生命力がおありなのは、たいへん結構なことでございます」
私は微笑んだ。
「ですが、これからは――」
書類を閉じる。
「生み出した命の数だけ、責任もお持ちくださいませ」
そのころ南方へ向かう馬車の中では、レイナルド殿下が盛大なくしゃみをしていたという。
十二人の子供たちは、今日も元気に泣いている。
そして、その父親は。
今日から、誰よりも元気に働くことになったのだった。
なお、南方開墾隊の隊長によれば。
出発初日、レイナルド殿下は巨大な岩を三十七個撤去し、魔獣を十四頭討伐したという。
その報告を受けた私は、財務官へ一言だけ告げた。
「まあ。素晴らしい成果ですわ」
そして、次の契約書を取り出した。
「では、来年度の報酬増額についても交渉いたしましょう」
殿下。
十二人のお子様方の未来は、まだまだ長いのでございますから。
どうぞ、末永くお励みくださいませ。




