数値の詩
一田中静流が初めてそれを見たのは、三月の雨上がりの朝だった。
洗面台の鏡に映る自分の顔の、少し上あたり。
【田中静流 Lv.1】
生命力:42/42 精神力:67/67
筋力:8 敏捷:11 知覚:19 魔力:3
「……魔力3かあ」
静流は顔を洗い、歯を磨き、もう一度ステータスを確認した。
「魔力3かあ」
麦茶を飲みながら三回確認した。
「魔力3かあ!!」
スマートフォンには速報が並んでいた。「全世界でステータス表示現象」「政府が緊急声明」「魔法使いが続々出現」——そういったものを一切読み飛ばして、静流は「魔力 平均値」で検索した。
全世界平均:5。
「平均以下かあ!!」
朝から最悪だった。
図書館に着くと、同僚の藤本さんが既にステータス自慢を始めていた。
「筋力27なんですよ、俺。クライミングやってるんで」
「へえ」
「静流さんは?」
「知覚19です」
「おお、高い! 魔力は?」
「……3です」
「あ」
藤本さんは何かを言いかけて、やめた。その「あ」に、すべてが詰まっていた。
館長が出勤してきた。館長のステータスが見えた瞬間、静流は目を疑った。
【村上館長 Lv.1】
知覚:4 魔力:22
「魔力22!?」
「ん? 静流くん、なにか言った?」
「いいえ何も。おはようございます」
あのひと三ヶ月前に私に同じ話を二回した人だよ? なんで魔力22なの? 宇宙、説明してくれる?
静流は返却本を処理しながら、静かに傷ついていた。
二
昼休み、スマートフォンで動画を漁った。
魔法使いたちが続々とSNSに動画を上げていた。炎を出す人。風を起こす人。水を操る人。コメント欄には「魔力いくつですか?」「私は8ですが使えません」「コツ教えてください」といった書き込みが溢れていた。
「強く念じる」「イメージが大事」「感情を爆発させろ」
静流はメモした。全部試す気だった。
閉館後、誰もいなくなった書庫に一人残った。
椅子を真ん中に置いて、座った。手のひらを上に向けた。
目を閉じた。
強く念じた。
「炎よ」
沈黙。
「……炎よ!」
沈黙。
「お願い炎よ! 出てきて! 私が呼んでる! ねえ!」
本棚の奥でカビくさい風が吹いて、静流の前髪がふわっとなびいた。
「うわっ」と静流は言った。「もしかして——」
エアコンの風だった。自動タイマーで動いていた。
「……」
気を取り直して、次の動画で見た方法を試す。感情を爆発させる、というやつだ。
怒りのイメージ。何か、腹が立つことを思い浮かべて……
館長の魔力22。
「ァァあ゛あ゛あ゛!!」
何も起きなかった。隣の書庫からネズミが一匹、びっくりして走り去った音だけがした。
三
その夜、静流は布団の中で動画を見続けた。
世界で一番魔力が高い人間、というニュースが出ていた。魔力399、十八歳、ブラジル人。既に空を飛んでいた。
静流は動画を閉じた。
天井を見た。
「魔力3」と独り言を言った。
返事はなかった。当然だった。
翌朝、公園を通って出勤した。いつもの道だ。電線にスズメが三羽いた。
なんとなく——本当になんとなく——ステータスが気になって、スズメを「見た」。
【スズメ Lv.3】
敏捷:38 知覚:29
「知覚29!?」
スズメが飛び去った。
「なんで!? なんでスズメが!? 私より!?」
近くのベンチにいたサラリーマンが静流を見た。静流は咳払いをして、早足で通り過ぎた。
鳥に負けた。スズメに負けた。知覚で。
あのスズメ、魔力はいくつなんだろう。もし魔力もあったら……
考えるのをやめた。メンタルが持たない。
図書館に着くと、藤本さんが興奮した顔で待ち構えていた。
「静流さん! 昨日、魔法使えましたよ俺!」
「え、本当に?」
「風です! ちょっとだけ! 魔力8しかないのに!」
「どうやったんですか?」
「気合いです!!」
「……」
「信じてないでしょ」
「信じてます」
信じていなかった。いや、信じていたが、「気合い」という情報量ゼロの解説に若干殺意が芽生えていた。
四
三日後、静流はまだ諦めていなかった。
書庫で今日も試みていた。今日はネットで見つけた「魔法使いになるための呼吸法」を実践していた。手順は七つあり、動画は三十分あり、最後まで見るのに二回寝落ちしていた。
「……吸って、吐いて、意識を宇宙に飛ばして」
静流は手のひらを上に向けていた。
その時、郷土資料コーナーの棚を見た。古い野鳥観察記録の背表紙。
なぜか目が止まった。
そういえばスズメ、知覚29だったな。あんな小さな体で、あれだけ世界を感じ取って……
受け取るように、と、なんとなく思った。出すんじゃなくて。
手のひらに、青白い光の粒がひとつ、浮かんだ。
「……」
静流は三秒、それを見つめた。
「ちっさ!!!!」
光の粒が、驚いたようにふるっと揺れた。
「いやごめん、消えないで! すごい、すごいんだけど! ちっちゃいけど! あ、また揺れた! 揺らさないで! 消えちゃうから!」
光の粒は揺れながらも、消えなかった。
魔力:3→4
「4!!」と静流は言った。「4になった!! 増えた! 増えたよ!! 見た!? 見た!?」
書庫には誰もいなかった。
五
翌朝、スズメに経過報告しに行った。
「魔力4になりました」と静流は言った。
スズメは砂浴びを続けた。
「あなたのおかげです」
スズメは静流を一瞥して、また砂浴びに戻った。
知覚29、伊達じゃないな。
静流は意識を澄ました。受け取るように。
光の粒が三つ、浮かんだ。
「よし!」
魔力:4→5
「平均値に追いついた!!」
近くのベンチのサラリーマン(同じ人)がまた静流を見た。
図書館に戻ると、館長が声をかけてきた。
「静流くん、魔法、使えるようになったって本当? 藤本くんから聞いたんだけど」
「あ、はい。少しだけ」
「どんな魔法?」
「光の粒が出ます」
「ほう。それで何ができるの?」
「……今のところ、光ります」
「あ、そう」
館長は特に興味なさそうに去っていった。魔力22の背中を、静流は目で追った。
あなたは何ができるんですか、とは聞けなかった。
でもまあ。
静流は手のひらを見た。光の粒は、呼べばすぐ来るようになっていた。
「私の魔法だし」と静流は言った。声に出すと、なんとなく、良かった。
六
一ヶ月後、静流の魔力は11になっていた。
毎朝スズメに報告していた。スズメはいつも無視したが、知覚29なので絶対聞こえていた。
藤本さんの魔力は9になっていた。
館長の魔力は変わらず22だった。
「腹立つな」と静流は書庫で一人、言った。
光の粒が、揺れた。
「わかってる、わかってる。そういうことじゃないのはわかってる」
ぽわ、と光が少し大きくなった。
「……あんた、慰めてるの?」
ぽわぽわ、と揺れた。
田中静流、三十一歳、図書館司書、魔力11。得意なことは、世界から何かを受け取ること。
苦手なことは、館長の魔力22を受け入れること。
それは今後も続く課題だった。
スズメは今日も、砂浴びをしている。




