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数値の詩

作者: 怪人工房
掲載日:2026/02/19


一田中静流が初めてそれを見たのは、三月の雨上がりの朝だった。

洗面台の鏡に映る自分の顔の、少し上あたり。

【田中静流 Lv.1】

生命力:42/42 精神力:67/67

筋力:8 敏捷:11 知覚:19 魔力:3

「……魔力3かあ」

静流は顔を洗い、歯を磨き、もう一度ステータスを確認した。

「魔力3かあ」

麦茶を飲みながら三回確認した。

「魔力3かあ!!」

スマートフォンには速報が並んでいた。「全世界でステータス表示現象」「政府が緊急声明」「魔法使いが続々出現」——そういったものを一切読み飛ばして、静流は「魔力 平均値」で検索した。

全世界平均:5。

「平均以下かあ!!」

朝から最悪だった。

図書館に着くと、同僚の藤本さんが既にステータス自慢を始めていた。

「筋力27なんですよ、俺。クライミングやってるんで」

「へえ」

「静流さんは?」

「知覚19です」

「おお、高い! 魔力は?」

「……3です」

「あ」

藤本さんは何かを言いかけて、やめた。その「あ」に、すべてが詰まっていた。

館長が出勤してきた。館長のステータスが見えた瞬間、静流は目を疑った。

【村上館長 Lv.1】

知覚:4 魔力:22

「魔力22!?」

「ん? 静流くん、なにか言った?」

「いいえ何も。おはようございます」

あのひと三ヶ月前に私に同じ話を二回した人だよ? なんで魔力22なの? 宇宙、説明してくれる?

静流は返却本を処理しながら、静かに傷ついていた。

昼休み、スマートフォンで動画を漁った。

魔法使いたちが続々とSNSに動画を上げていた。炎を出す人。風を起こす人。水を操る人。コメント欄には「魔力いくつですか?」「私は8ですが使えません」「コツ教えてください」といった書き込みが溢れていた。

「強く念じる」「イメージが大事」「感情を爆発させろ」

静流はメモした。全部試す気だった。

閉館後、誰もいなくなった書庫に一人残った。

椅子を真ん中に置いて、座った。手のひらを上に向けた。

目を閉じた。

強く念じた。

「炎よ」

沈黙。

「……炎よ!」

沈黙。

「お願い炎よ! 出てきて! 私が呼んでる! ねえ!」

本棚の奥でカビくさい風が吹いて、静流の前髪がふわっとなびいた。

「うわっ」と静流は言った。「もしかして——」

エアコンの風だった。自動タイマーで動いていた。

「……」

気を取り直して、次の動画で見た方法を試す。感情を爆発させる、というやつだ。

怒りのイメージ。何か、腹が立つことを思い浮かべて……

館長の魔力22。

「ァァあ゛あ゛あ゛!!」

何も起きなかった。隣の書庫からネズミが一匹、びっくりして走り去った音だけがした。

その夜、静流は布団の中で動画を見続けた。

世界で一番魔力が高い人間、というニュースが出ていた。魔力399、十八歳、ブラジル人。既に空を飛んでいた。

静流は動画を閉じた。

天井を見た。

「魔力3」と独り言を言った。

返事はなかった。当然だった。

翌朝、公園を通って出勤した。いつもの道だ。電線にスズメが三羽いた。

なんとなく——本当になんとなく——ステータスが気になって、スズメを「見た」。

【スズメ Lv.3】

敏捷:38 知覚:29

「知覚29!?」

スズメが飛び去った。

「なんで!? なんでスズメが!? 私より!?」

近くのベンチにいたサラリーマンが静流を見た。静流は咳払いをして、早足で通り過ぎた。

鳥に負けた。スズメに負けた。知覚で。

あのスズメ、魔力はいくつなんだろう。もし魔力もあったら……

考えるのをやめた。メンタルが持たない。

図書館に着くと、藤本さんが興奮した顔で待ち構えていた。

「静流さん! 昨日、魔法使えましたよ俺!」

「え、本当に?」

「風です! ちょっとだけ! 魔力8しかないのに!」

「どうやったんですか?」

「気合いです!!」

「……」

「信じてないでしょ」

「信じてます」

信じていなかった。いや、信じていたが、「気合い」という情報量ゼロの解説に若干殺意が芽生えていた。

三日後、静流はまだ諦めていなかった。

書庫で今日も試みていた。今日はネットで見つけた「魔法使いになるための呼吸法」を実践していた。手順は七つあり、動画は三十分あり、最後まで見るのに二回寝落ちしていた。

「……吸って、吐いて、意識を宇宙に飛ばして」

静流は手のひらを上に向けていた。

その時、郷土資料コーナーの棚を見た。古い野鳥観察記録の背表紙。

なぜか目が止まった。

そういえばスズメ、知覚29だったな。あんな小さな体で、あれだけ世界を感じ取って……

受け取るように、と、なんとなく思った。出すんじゃなくて。

手のひらに、青白い光の粒がひとつ、浮かんだ。

「……」

静流は三秒、それを見つめた。

「ちっさ!!!!」

光の粒が、驚いたようにふるっと揺れた。

「いやごめん、消えないで! すごい、すごいんだけど! ちっちゃいけど! あ、また揺れた! 揺らさないで! 消えちゃうから!」

光の粒は揺れながらも、消えなかった。

魔力:3→4

「4!!」と静流は言った。「4になった!! 増えた! 増えたよ!! 見た!? 見た!?」

書庫には誰もいなかった。

翌朝、スズメに経過報告しに行った。

「魔力4になりました」と静流は言った。

スズメは砂浴びを続けた。

「あなたのおかげです」

スズメは静流を一瞥して、また砂浴びに戻った。

知覚29、伊達じゃないな。

静流は意識を澄ました。受け取るように。

光の粒が三つ、浮かんだ。

「よし!」

魔力:4→5

「平均値に追いついた!!」

近くのベンチのサラリーマン(同じ人)がまた静流を見た。

図書館に戻ると、館長が声をかけてきた。

「静流くん、魔法、使えるようになったって本当? 藤本くんから聞いたんだけど」

「あ、はい。少しだけ」

「どんな魔法?」

「光の粒が出ます」

「ほう。それで何ができるの?」

「……今のところ、光ります」

「あ、そう」

館長は特に興味なさそうに去っていった。魔力22の背中を、静流は目で追った。

あなたは何ができるんですか、とは聞けなかった。

でもまあ。

静流は手のひらを見た。光の粒は、呼べばすぐ来るようになっていた。

「私の魔法だし」と静流は言った。声に出すと、なんとなく、良かった。

一ヶ月後、静流の魔力は11になっていた。

毎朝スズメに報告していた。スズメはいつも無視したが、知覚29なので絶対聞こえていた。

藤本さんの魔力は9になっていた。

館長の魔力は変わらず22だった。

「腹立つな」と静流は書庫で一人、言った。

光の粒が、揺れた。

「わかってる、わかってる。そういうことじゃないのはわかってる」

ぽわ、と光が少し大きくなった。

「……あんた、慰めてるの?」

ぽわぽわ、と揺れた。

田中静流、三十一歳、図書館司書、魔力11。得意なことは、世界から何かを受け取ること。

苦手なことは、館長の魔力22を受け入れること。

それは今後も続く課題だった。

スズメは今日も、砂浴びをしている。

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