ご褒美婚2
いやいや、そりゃないわあ。
クラリスは馬車を目の前に微笑を浮べながら思っていた。
二輪馬車一台。
それも囲いのない椅子型の一頭馬車で隣国に行けというのか?
幌を広げたとて、日差しは防げても雨風を大いに受けよう。というか、長距離用の馬車ではない。
辛うじて、王家の紋章入り。だが、使い込まれた年代物。
うん、ないわあ。
と思ったところでクラリスにはどうしようもない。
護衛の騎士兼御者が苦笑いでクラリスに頭を下げた。
「お供致します」
「お願い致します」
クラリスは軽く会釈した。
さて、クラリスと護衛の騎士兼御者である。
以上である。
他にない。無いのだ。
嫁入り道具も持参金もない。
クラリスのみ。
正確に言えば、クラリスが持つボロボロの鞄一つのみ。
その鞄も踊り子の母の物だった。
踊り子の母は王城でのいびられ生活に耐えきれず、心を病んで修道院療養となり、そこから消息を絶った。
まあ、要するに仮病で上手い具合に王城からトンズラ……脱出し、逃げ遂せたのだろうと、クラリスは思っている。
『あんたが出て行く時に使いな』と踊り子の衣装が入っていた鞄を譲り受けていたからだ。
クラリス十歳の時だった。
『あんたにはひとりで生きる知識と度胸は教え込んだつもりだよ』とクラリスの頭をグーリグリと撫でた母の笑顔は覚えている。
そんな母の逞しさをクラリスは引き継いでいる。
「さあ、トンズラよ」
口の悪さも母譲り。
今やクラリスも二十を過ぎ、世間という荒波に……敵国という荒波に出航しようとしている、伏魔殿たる王城で修練した図太さを持って。
護衛の騎士が片膝をつき、クラリスに手を出す。
クラリスはその手を取り、騎士の太腿を台代わりに馬車に乗り込んだ。
「あっ、ところで……」
クラリスは着座したところで騎士に声をかけた。
「何でございましょう?」
人の良さげな柔和な表情の騎士が立ち上がると同時に訊ねた。
「あなたは国境までよね?」
「いいえ」
クラリスは瞬きした。
「え? じゃあ、もしかして……」
クラリスと騎士は視線を交わした。
「忠誠の騎士だったりして?」
「いかにも」
騎士は端的に応えながら胸に手を当て、クラリスに忠誠の姿勢を取った。
王女の命を生涯守るべく、輿入れ先にも随行する騎士を忠誠の騎士と呼ぶ。
忠誠の騎士なら、木台でなく片膝太腿を台代わりにしたのは頷ける。
「唯一の嫁入り道具とでもお思いくださいませ、我が姫」
「貧乏くじ引いちゃった系?」
「いえいえ、当たりくじかと。トンズラできますし」
「だね、こんな腐った国」
二人顔を見合わせ瞬きをこれでもかと繰り返した。
どうやら、この騎士もブルグ国に嫌気が差しているようだ。
「でもまあ、リャン国でも待遇は期待できないと思うけどね」
クラリスは肩を竦めてみせた。
「どっこいどっこいを期待しましょう」
「そうね。で、名前は?」
「申し遅れました。私、レオと申します。単なるレオでございます。今までの飾り文句を口にするならば、平民下っ端雑用係の騎士レオ。これからは我が姫忠誠の騎士レオでございましょう」
「あらま。随分出世したものね」
「はい。私にとって絶好の機会となりました」
「ボンボン貴族子息の騎士は、私になんか忠誠を誓いたくないし、リャン国なんて行きたくもないものね」
「まさにその通りにございます。私にお鉢が回ってきたときには、『ヤッベ、超ご褒美じゃね?』などと胸躍らせましたから」
「あら、奇遇ね。私もこの輿入れの話がきたときに、『何それ、ご褒美じゃないのぉぉぉぉ』ってほくそ笑んだのよ」
どうやら、クラリスに最高の相棒ができたようだ。
レオがニカッと笑った。
八重歯が可愛い男である。平民出故、髪は短い。ブルグ国では古き習わしにより、貴族しか長髪は許されていないのだ。
一目瞭然で身分がわかるように。
「ご褒美婚でございますね」
「まあ! 素敵な言い様ね。ありがとう」
「では、出立致しましょうか」
「ええ、よろしく」
馬車は一路小競り合いの起こった国境へと出発したのだった。