93.本物
アガパンサスのラボを後にしようとした私は、頭に衝撃を受けて倒れ、身体が分裂してしまった。
私のもう一つの身体は何の違和感もない動きでイブキと共に立ち去っていった。
けど、離脱した自分の身体の方も実体があって普段と変わらないように感じる。
「ねぇ。私に何をしたの? 元に戻してよ」
アガパンサスは企みが成功したからか、嬉しそうに微笑んでいる。
「あなたを引き止めたのは実験に付き合って頂きたかったからです! 先ほどは、とある改造魔道具を使い、あなたの精巧なダミーを作成しました! そこで! もし、次男坊が夜明けまでに、あなたがダミーと入れ替わっていることに、気づくことが出来たら! なんと! 性能実験への協力のお礼に次男坊の角を消し、もちろんあなたも解放しましょう!」
アガパンサスは高らかに笑いながら両手を広げている。
まぁ、かなり強引だけどこれは美味しい話かもしれない。
だって、イブキが偽物を見破るだけで、何も失うことなく角を無くすことが出来るんだから。
「ただし! 次男坊が夜明けまでに見破ることが出来ないもしくは、ダミーと結ばれてしまえばその時点であなたの負けです! あなたにはこのまま私の元で助手として暮らしてもらいます! 次男坊でさえ身代わりに気づかないくらいなら、あなたはあちらの世界に必要のない存在ですから!」
「イブキなら普通に気づいてくれるよ。だって私たちは生まれたときから一緒にいるんだから。けど、ダミーと結ばれるって何? イブキと私は、その⋯⋯」
そういうのはまだしない約束だ。
「もちろん、ダミーも黙って突っ立ってる訳ではありませんよ!? 私があらかじめプログラムしたように動きますから! 欲求不満の次男坊は、ダミーの誘惑には敵わないかもしれませんね!? 欲望の前には違和感もかき消されてしまいますから! いや〜この勝負! 面白くなりそうですね〜!」
欲求不満って⋯⋯
それも固有能力で解析した結果だと言うのだろうか。
つまり、今から私のダミーはイブキを積極的に誘惑し、イブキがそれに応じてしまえば、そのダミーが私としてこれからもイブキと生きていく。
そして私はこの男のもとで生きていくことになる。
そんな未来は絶対に訪れない。
イブキは必ず気づいてくれる。
何も恐れることはない。
「大丈夫。それでもイブキは気づいてくれるから。それよりも助手って何? 私は何をさせられるの?」
「はい! 順番にご説明しますよ〜! あなた方は人間にして唯一、悪魔との共存を果たしている一族です! あなた方を研究していると、発見も多いんですよ!?」
「まずはおさらいです! 悪魔と悪魔が結ばれて生まれた子は、両親に限らずその先祖の固有能力が一つ発現します! 悪魔は寿命が長いので子どもを残さずに数百年経過するなんてことはザラです! それに、下手をすれば数百年出会いすらないこともありますので、悪魔は兄弟間での婚姻も珍しくなかったりします! つまり何が言いたいかと言うと、本来、どれだけの年月をかけても、狙った固有能力を増やすことは不可能ということなんです!」
「ファンツは悪魔時代には子孫を残しませんでした! しかし! ファンツは死に際に、人間の女子に力を継承し、その女子の子孫の一部に力が発現した! そしてなんと! 現在はファンツの力を扱える人間が同じ時代に五人もいる! これがどういうことか分かりますか!? 一人のファンツの力がこの短期間で、五倍に増殖しているんです!」
「これで、悪魔が人間に固有能力を継承し、人間の強い繁殖力で能力の保有者を増やせるとわかりましたね! 次に、今まで悪魔の中で固有能力の複数所持に成功したものはいません! 固有能力を他者に差し出すバカはいませんから! 差し出した時点で死ぬことが確定しますので、最期まで足掻き、守り通すでしょう! しかし! 悪魔トウキとサクラの息子たちは、ファンツの力については不完全なものの、固有能力を二つ持っているも同じ! もし、この二人の間に女子が生まれていたとしたら、完全な固有能力を二つ持って生まれていた可能性も否定できませんよね!?」
満面の笑みのアガパンサスは私に近づき、顎を手で持ち上げる。
「つまり、あなたと私の間に女子をもうければ、この仮説を検証することができます」
急にアガパンサスは真顔になり、落ち着いた低い声になった。
そのあまりの変わりように身震いする。
アガパンサスはしばらく私と向かい合ったあと、手を離し、解説を続けた。
「仮に! 生まれながらに固有能力を二つ保持することが不可能だったとしても! 悪魔が人間に固有能力を継承し、繁殖させれば能力の保持者を増やせることには変わりありません! 好きな固有能力を継承させ、増殖させた人間から固有能力を奪ったり、従えて力を使わせたりなんてこともできちゃいますよね!?」
もし、固有能力を増やせることに気がついた悪魔たちが、これから一般の人に力を継承させ、無理やり力を使わせ、さらに子孫を残すことを強制させ始めたら⋯⋯
人間は悪魔の奴隷になってしまう。
それに、ストロファンツスと私たち一族の関係はもっと神聖なものなのに、それをこんな風に応用されることに納得出来るわけがない。
通常、悪魔は自分の固有能力を人間に継承させるなんてことはしない。
私たちの先祖の命を救ってくれたストロファンツスは特別だ。
つまり、自分以外の他の悪魔の固有能力を人間に継承させようとするだろうから、悪魔間の争いも激化しかねない。
「どうです!? 怖くなってきましたか!? でも大丈夫ですよ! あなたの使命はもうお分かりですね!? 私と共に悪魔と人間の世界を救いませんか!? 私だって平和が好きなんですよ!? 平和な世の中でないと、知識欲を満たせませんから! 私との間にどんどん子をもうけて、今以上に固有能力の保持者を量産し、平和な世の中を目指しましょう! 力とは悪でもあり、正義でもあります!」
アガパンサスは私の両肩を持って激しく揺さぶりながら、嬉しそうに言った。
確かにそんな恐ろしい世の中になるのは阻止したいけど、その解決方法がこの男の子どもを産むことだとは到底思えない。
本来、愛する人の子どもだから欲しいのであって、兵器としての役割を期待して、好きでもない男の子どもを産むなんて、私はしたくない。
「私はそんなの嫌だから」
アガパンサスの手を振り払いながら言った。
「ほお! そうですか!? まぁ、それは後でもう一度話し合うとして、あちらも進展があったみたいですよ!? 覗いてみましょう!」
アガパンサスは笑いながら、イブキとダミーが映っているモニターの音量を上げた。
イブキとダミーは魔王ゼラニウムの屋敷に到着した。
今夜泊まらせてもらう客室のベッドの上に二人はいる。
ここはイブキに与えられた部屋だろうか。
イブキは俯きながら考え込んでいる。
先ほどのアガパンサスとのやりとりについてだろう。
「差し出すなら才能だと思う」
イブキは辛そうに言った。
二人の間を重苦しい空気が流れる。
そこでダミーは口を開いた。
「駄目だよ。私はそのままのイブキでも好きだよ? もう角が生えたままでもいいじゃない。悪魔の世界で一緒に暮らそう? 人間の世界の山奥でもいいよ。私が仕事して稼ぐから、何でもするから」
ダミーは涙目になりながらそう語り、イブキに抱きついた。
私が言いそうなことを私と瓜二つの身体で発言したことに寒気がする。
「カスミ、そう言ってくれてありがとう。でも俺は二人が今まで通りに暮らせる道を探したい」
イブキはダミーの身体を愛おしそうに抱きしめた。
イブキ、違うよ?それは私じゃないよ?
「けど私、イブキへのこの気持ちも奪われたくない。イブキからの愛情が無くなってしまうなんて耐えられない」
「それは俺も同じ。一度失われてもまたカスミのことを好きになる自信はあるけど、もう二度とカスミの記憶にも心にも傷をつけたくない」
イブキはダミーの頬を何度も優しく撫でる。
ダミーはうっとりとした表情でイブキを見つめている。
「カスミ⋯⋯」
「イブキ⋯⋯」
二人の顔が近づき、そっと唇が重なった。
その瞬間、胸が締め付けられるように痛んだ。
まるで失恋でもしたような気分だ。
イブキはどうして気づいてくれないの?
ダミーが精巧すぎるから?本当は私じゃなくてもよかったの?
ダミーはイブキの膝の上にまたがり、深めのキスをしながら、イブキの胸板や太ももに触れていく。
その様子にイブキは戸惑っている。
「カスミ、それはちょっと」
イブキがダミーの手を握って制止する。
「こんなに好きなのに、これ以上は⋯⋯なんて、もう無理だよ」
「⋯⋯⋯⋯本当にカスミはそれでいいの?」
「うん。お願い」
ダミーは甘えるように言った後、再びイブキにキスをした。
イブキは迷っているのか、遠慮がちに応えている。
嫌だ。こんなの見たくない。
私の見た目だけど、それは私じゃない。
他の人と同じだよ。
ダミーはそのままイブキを押し倒し、キスを続ける。
イブキがダミーの腰に手を回した瞬間、スカートのポケットからスマホが落ちた。
ああぁ〜!!!
イブキにもらったスマホケースが!
割れたり傷がついたりしたらどうしよう。
モニターに映る映像ではスマホケースがどうなったかまでは分からない。
「ごめん。落ちた」
イブキは手を止めて身体を起こす。
「そんなの今はどうでもいいから。私に集中して」
ダミーはイブキの頬を両手で包み込みながらキスをする。
そのままもう一度イブキの身体に覆いかぶさった所で映像が途切れた。
アガパンサスがモニターの電源を切ったから。
イブキはこれから私のダミーと結ばれてしまう。
きっとイブキにはダミーの方がお似合いだ。
だって、怖がりな私とは違って、彼のさらに先の愛情にも応えられるんだから。
アガパンサスの言った通りだ。
私なんか別に必要なかった。
これから私は助手と言う名目ながらも、この男の子どもを産む人生を送るんだ。
絶望で身体が震えて涙が止まらない。
「残念でしたね! 次男坊はあなたのダミーと生きていく事を選択しました! 再び彼らがここを訪れる際にはあなたを別の場所に隠しますから、無駄な抵抗はできませんよ!?」
アガパンサスは嬉しそうに私の顔を覗き込んでいる。
私が目を逸らすと、アガパンサスの動きが一度止まり真顔になる。
そして今度は微笑みながら優しく私の頭を撫で始めた。
「悲しいですか? かわいそうに。愛する人に必要とされないなんて辛いですね。でも私は心からあなたを必要としています。あなたは一人じゃありませんよ?」
もう言い返す元気も、その手を振り払う気力もない。
「人間の女性の涙というのは、こんなにも美しいものなのでしょうか。胸が締めつけられるようです。何か違った成分が含まれているでしょうか? 調べてみないことにはわかりません」
アガパンサスは無抵抗の私の涙を小さな容器に採取して調べ始めた。
「変わった所は無さそうです。きっとあなたが私のものになったから、特別な感情が芽生え始めたのでしょう。私にとってあなたは一族の中でも特別な人間です。私だけのものなんですから」
アガパンサスは再び私の頭を撫でながら言った。
すごく嬉しそう。
イブキにとって私は特別じゃなかったみたいだけど、この悪魔にとっては本当に特別になれるのかな?
「大丈夫です。すぐに彼のことなんて忘れられます。私、けっこう自信があるんです。あなたを満足させることくらい、たやすいと思いますよ?」
アガパンサスはゆっくりと眼鏡外す。
すると、今まで隠されていた目元が露わになった。
彼の瞳は宝石のように輝いていた。
海のように透き通った青だ。
「きれいだね⋯⋯」
思わず声が漏れる。
でもきれいなだけだ。
それ以上は何も感じない。
⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯
「そうでした。魅了は効かないんでしたか」
アガパンサスは眼鏡をその辺に投げ捨てて、両手で私の頬を包み込む。
「これからの長い人生、一緒にいれば色々なことがあります。きっとすぐに心から愛し合えるようになりますよ。愛というのは何もないところから芽生えるものです。私がその傷を癒してあげますから」
アガパンサスは優しい目で私を見つめている。
本当は私をその気にさせようとしているだけで本心で言ってるんじゃないだろうな。
けどもうどうにもならない。
潔く受け入れた方が幸せになれるんじゃ⋯⋯
「大切にしますから」
アガパンサスの顔が徐々に近づいてくる。
抵抗しようとするも、両手で包まれている顔は全く動かせない。
嫌だ。怖い。本能が拒否してる。
助けて⋯⋯
そう願った瞬間、大きな音がした。
――ドン⋯⋯ドン⋯⋯
雷の音かな? いや違う。
何かがぶつかるような激しい音が聞こえてくる。
音の方を見ると、玄関のドアが激しく揺れている。
まさか魔獣⋯⋯?
結界を張る準備をしながら事の成り行きを見ていると⋯⋯
――ガシャン
大きな音とともに、イブキがドアを蹴破って中に入って来た。
「カスミ!」
「え! イブキ?」
どうしてイブキがここに?今ごろダミーと結ばれてたんじゃ⋯⋯
けどイブキは私を助けに来てくれた。
状況を理解できていない私の元へ、怖い顔をしたイブキが近づいてくる。
溢れ出る黒いオーラは焼けるように熱く感じる。
イブキは無言でアガパンサスの胸ぐらを掴んだあと、威圧で吹き飛ばした。
アガパンサスはどこか良くない所を打ったんだろう。
そのまましばらく気絶していた。
その後、アガパンサスは重要機密情報を保持しているとして、魔王ゼラニウムの厳重な監視下に置かれることになった。
アガパンサスが私に話した内容は、他の悪魔に漏れれば人間の世界と悪魔の世界が共に崩壊しかねない恐ろしい内容だからだ。
イブキがダミーを見破ったことで私を手に入れられなかったアガパンサスは、激しく抵抗し、取り乱していたけど、最後は約束通りイブキの角を消してくれた。
一件落着となった所でイブキに抱きしめられる。
雷雨の中、急いで戻ってきてくれたみたい。
息が上がっていて、身体もびしょ濡れになっている。
「カスミ、ごめん。すぐに気づけなくって、カスミを傷つけた。いくら謝っても許されないことをした。危うくカスミを失うところだった」
イブキは辛そうな顔をしている。
「ダミーがあまりにも私に似すぎて、自分でも怖かった位だから。気づいてくれてありがとう。助けに来てくれて嬉しかったよ」
私はイブキの頭を撫でた。
もうそこには角はない。
「ところでなんでダミーだって気づいてくれたの? 私が言いそうな事ばっかり言ってた気がしたけど⋯⋯」
「なんとなく違和感はあったけど、いつもと違う環境だからかと思った。確信したのはスマホケースが落ちたとき。カスミはいつもあのスマホケースに傷がつきそうになったら絶叫してた。大事に使ってくれてたから」
そう説明してくれるイブキは優しい目で私を見ていた。
イブキは本当に私の事をよく見てくれている。
欲張りだけど、これからもこの優しい目を私にだけ向けて欲しい。
「ありがとう! イブキ! 大好き! もう私以外見ちゃだめ!」
私はイブキに飛びついた。
「うん。カスミしか見えないよ。生まれたときからずっとカスミだけだよ」
私たちが主人公だ!と言わんばかりに、悪魔の世界で愛を叫んだ。




