92.悪魔の世界
二日後、悪魔の世界へ出発する準備を整えた私たちは、イブキの家の近所にある山にやって来た。
今回の旅の目的はイブキの角を消して元に戻すために悪魔アガパンサスの研究施設を訪ねること。
そして、トウキ伯父さんとサクラ伯母さんがお世話になっている悪魔の元を訪ねて、顔合わせの挨拶をすることだ。
旅の参加者は、伯父さん、伯母さん、シオン、イブキ、そしてカナメだ。
シオンは大学生になってからさらに垢抜けたのか、黒かった髪を茶色に染めてパーマを当てている。
カナメはこの春から高校生になり、おしゃれに目覚めたのか黒髪をマッシュヘアにしている。
こうやって三兄弟を見比べると、イブキだけが生まれつき茶髪で色素が薄い。
伯父さんの遺伝子が濃いのかもしれない。
「ねぇ、カナメは高校楽しい? 何か行事はあった?」
最近はあまり絡むことのないカナメに、挨拶がてら話題を振る。
「ん」
カナメはいつも通り一文字で返事をした。
つまり高校は楽しくて、何かしらの行事はあったと⋯⋯
従兄弟七人の中で断トツで無口なのはカナメだ。
イブキも愛想がいい方ではないけど、もう少し文字数はあるからなぁ。
こんなカナメでも友だちも彼女もいるというのだから不思議だ。
人目につかない山奥までたどり着いたところで、伯父さんは正面の空中に手をかざした。
そこにまるで壁でもあるかのように、撫でながら何かを唱える。
すると、目の前の景色が波打つように歪み始めた。
どうやらここが悪魔の世界の入口らしい。
「行くぞ」
伯父さんは私たちの顔を見回した。
全員が頷いたところで、順番に歪みの中に入っていった。
入口をくぐると、すぐ目の前に別世界が広がっていた。
赤土の荒野がどこまでも続いている。
空は青みがかった緑色だ。
「今夜は雷雨だろうな」
伯父さんは空を見上げながら言った。
「どうしてわかるの? 色?」
「天気によって色が大きく変わる。雨は青、晴れは赤、雲が多いと紫になることもある」
私の質問に伯父さんが答えてくれた。
荒野には悪魔以外も住んでいるようで、一角獣のような生き物が遠くの方をウロついている。
「あれは魔獣だ。攻撃は結界があれば防げるだろうからそこまで怖がる必要はない。ただ不用意に近づくと興奮させる。これくらいの距離を保つほうがいいだろう。俺も昔、奴らに殺されかけた」
伯父さんの顔は強張っていた。
しばらく歩いていると崖の上に黒っぽい城が見えた。
この世界を治めている魔王ゼラニウムの棲家だ。
魔王ゼラニウムはストロファンツスの義弟ということもあり、この一族とは懇意にしていて、悪魔がこちらの世界に干渉しないように気を配ってもらっているらしい。
ちなみに魔王ゼラニウムの固有能力はその詳細は明かされていないものの、探知に優れた能力だそうだ。
魔王ゼラニウムと、妻でストロファンツスの実妹のベラドンナと顔合わせの挨拶をした。
魔王ゼラニウムの縄張りのすぐ側に、ストロファンツスの屋敷はあった。
しかし、これまでの荒野の雰囲気とは大きく異なり、屋敷の周囲には茶畑や薬草畑が広がっていて、柑橘系の実がなる木も生えていた。
近づくとサルビアに怒られるそうなので、遠くから見学するにとどまった。
そこからさらに奥に進んだところに、マツリカ姉弟の家があった。
どうやらマツリカはサルビアが好きなようで、私たちと同行していないことを怒っていた。
そして最後に、ビオラたち女の悪魔の街に来た。
街と言っても、一軒一軒の間が都会の一駅くらい空いてるので、共同生活を送っているわけでは無さそうだ。
このビオラという悪魔は昔、お父さんとお母さんの仲を引き裂こうとしていたそうで、その企みが成功していたらと思うとぞっとする。
ビオラはこの街の中でとある男の悪魔と出会い、今は幸せにしているらしい。
「父さん。悪魔の家は誰が建てるんだ? 悪魔にも大工がいるのか?」
シオンが伯父さんに質問した。
確かに気になるかも。
「魔導書による召喚が多いだろうな。どこかの世界の誰かの屋敷を奪っているんだろうが、そんな事を気にする悪魔はいない」
「ふーん。じゃあ俺らの家も盗られるかもしれないな」
「それは必ず阻止する」
なるほど。
悪魔が家を建てると、どこかの誰かは突然家を奪われるということか。
伯父さんの花壇をどこかの悪魔に盗られたら、普段は優しい伯父さんも怒り狂うかもしれない。
「イブキは何か質問は無いのか? 分かることなら答えられるが」
この後のことが不安なのか、先ほどから黙っているイブキに伯父さんは声をかけた。
「⋯⋯⋯⋯悪魔は一人が好きなの?」
イブキは少し寂しそうな声で質問した。
「そうだな。多くは集団行動は好まない上に、契約関係など利害が一致しなければ行動を共にすることはほとんどない。しかしストロファンツス様とサフラン様、サルビア様のような例外もある」
「私は悪魔って意外と寂しがり屋なんじゃないかって思ったことがある。昔、私やミズキを狙ってきた悪魔たちも、もっと強引な手段も選べたはずなのに、いきなり襲ってくることはほとんど無かった。たぶん、私たちと何らかの繋がりを求めていたんじゃないかって、今なら思う」
伯父さんと伯母さんは答えた。
「そうなんだ」
イブキは静かに言った。
話しているうちにアガパンサスの研究所に到着した。
不自然な増築工事を繰り返したような白い建物には複数の煙突がついていて、煙が上がっている。
耳障りな金属音が響いていて思わず耳を塞ぎたくなる。
みんなで立ち尽くしていると、勢いよくドアが開き、悪魔が飛び出してきた。
「ようこそ〜私のラボへ! サフランから聞いてますよ〜ファンツの子孫の皆様! ささっ! 煙たくてうるさくて怪しい所ですが、どうぞどうぞ〜!」
アガパンサスはきれいな水色の長髪の男だ。
牛乳瓶の底のような眼鏡をかけていて、白衣を着ている。
アガパンサスは、彼のテンションの高さに呆然としている私たちの背中を順番に押して、強引にラボの中に引き入れた。
テーブルに着かさせられ、お茶を出される。
茶色く濁ったお茶だ。
緑茶かな⋯⋯
コップの中を覗き込んで観察する。
「どうぞ! 土茶です!」
アガパンサスは順番にみんなの前にコップを置きながら言った。
「土茶ってなんなの?」
伯母さんも私同様、困惑している。
「地面の土ですよ! 温かいうちにどうぞ!」
アガパンサスは自信満々に勧めてくるけど、お茶の定義って一体⋯⋯
――ズズズ
頭を抱えているとお茶をすする音が聞こえてきた。
え?
「伯父さん! 飲んでるの!?」
「この世界の土はミネラルが豊富だからな。あちらの世界のように微生物もいないし、何ら問題ない」
ひぃ〜
カルチャーショックを受けた瞬間だった。
なんやかんやで土茶はゴボウ茶のような味わいで美味しかった。
みんなが恐る恐るお茶を飲み始めた頃、アガパンサスは饒舌に語っていた。
「悪魔と言う生き物は、強さを競うことや欲望のままに奪うことにばかり気を取られていて、我々のように研究に力を入れるものがあまりにも少ないんですよ〜! 私とサフラン、ファンツは悪魔の中でも選ばれし知的な存在! 研究こそが高みだとなぜ皆は気が付かないのでしょうか!?」
「サフランは知り合った当初から、熱心に魔道具を研究していたんです! 試作品を試す練習相手に飢えていた彼は、ある日ファンツとの運命的な出会いを果たしました! なんと! ファンツの結界の前では、サフランの魔道具もことごとく歯が立ちません! けれどもファンツは、サフランの魔道具をいつも褒めていたんですよ!? すっかり嬉しくなったサフランは躍起になってファンツを追いかけ回し、結界を破るための挑戦を始めたのです!」
「そして! ファンツは自身の結界の弱点を知ることになりました! 呪いや精神系の術のことです! それから彼も薬品の研究に力を入れることになりました!」
アガパンサスはサフランとストロファンツスが大好きなんだろう。
三人で過ごした思い出を色々と教えくれた。
「すまない。そろそろ本題に入りたいんだが⋯⋯」
「そうでした! 失礼しました! そちらの次男坊の話でしたね!」
伯父さんのお陰でようやくイブキの角の話が始まった。
「角を無くしたいというのは分かりました! しかし、あなたは自分のことを"角がある人間"と認識しているようですが、実際のところはどうなんでしょう!? 威圧と魅了が使えて、固有能力もある! しかも! 記憶管理と保護結界の二つも! これは角と羽根の形成不全の"イケてない悪魔"と言っても過言ではないのでは!?」
一気に場の空気が凍りつく。
イブキの表情が曇った。
アガパンサスの発言は失礼だって、撤回してって言いたい。
けど、論理的に言い返す言葉は見つからなかった。
「その見た目では、悪魔としてこちらの世界で女の悪魔と番になることは難しいかもしれません! 残念なお知らせにはなりますが! しかし安心してください! どこの世界にもモノ好きはいるもので、変わった見た目の悪魔ばかりを収集している女もいますから! ご紹介することも可能ですよ〜!」
アガパンサスは畳み掛けてくる。
「⋯⋯⋯⋯そうだとしても、俺は人間として、カスミと一緒に人間の世界で生きる」
「ほお!」
イブキはアガパンサスの目を見ながら言ってくれた。
アガパンサスはその言葉に興奮したように声を上げる。
「あなたの覚悟が伝わって来ました! 良いでしょう! あなたの角を無くしましょう!」
アガパンサスは拍手しながら言った。
「イブキ! よかったね」
「うん」
二人で喜びあう。
「しかし! 我々研究者には常に先立つものが必要なんです! 角を無くす代わりに、次男坊は私に何を差し出せますか!?」
やっぱりそう来たか。
サフランもタダで何とかしてもらえるとは思わない方が良いって言ってた。
「例えば何が釣り合うの?」
イブキは尋ねた。
「そうですね〜足元を見るようで悪いのですが、かなりお困りでしょうからね! 一般的なのは、寿命、固有能力、後は才能などでしょうか!? 私の固有能力は"解析"と言いまして、何でも調べることが出来ます! あなたの固有能力と組み合わせれば、あんなことやこんなことが出来そうです!」
イブキの表情が再び曇った。
寿命なんて絶対駄目だし、固有能力を渡せば身を守る手段が無くなる。
才能が無くなれば、将来の夢が叶えられずに今後の人生を心から楽しめなくなるだろう。
角を無くす対価がそんなに高いなんて⋯⋯
「それってイブキが全部払わないといけないの? 私も何か払うから、それでもうちょっと負担が軽くなったりしない?」
「カスミ、何言ってるの?」
イブキに肩を掴まれる。
「だって! 今の三つはどれも駄目だよ」
「そうだけど⋯⋯」
「別に次男坊が差し出す必要はありません! 例えばそうですね〜三男坊の固有能力も面白いですね〜!」
アガパンサスが次に目をつけたのはカナメの固有能力の"禁止"だ。
相手の何かしらの行動を制限するもので、足を止めるとか、口を止めるとか限定的だけど動きを封じることができる。
呼吸を止めるなんてこともできると言われている。
カナメだって固有能力を取られるわけにはいかないだろう。
でも、私の能力だって渡せない。
「他に何かないの? 一度無くしたら困るものじゃなくて、お金みたいに後から増やせるようなものは駄目なの?」
「ありますよ〜増やせるもの! 次男坊とあなたの愛情なんかどうですか!? 一度失われても一から育めばいいんですから! 感情を食べる魔獣なんかもいますので、生き物好きの悪魔なんかは欲しがるでしょうね〜!」
愛情を奪われたら、私たちは無関心の状態から再スタートになるってこと?
本当にまた育めるのかな。
もしイブキが別の人を好きになってしまったら⋯⋯
「それだけは駄目」
イブキは勢いよく立ち上がった。
「おお〜! なかなか交渉が成立しませんね〜! しかし! 私は逃げませんし、角も逃げません! 落ち着いて検討されてはいかがでしょうか!? これから天気も荒れますから!」
アガパンサスも立ち上がり、私たちの背中を押して、今度は強引に外に追い出そうとする。
「そうさせてもらえると助かる。カスミ、行こう」
イブキは私の腕を掴んだ。
確かに即決出来るような条件はなさそうだ。
一度落ち着いて、伯父さんたちの意見も聞きながら考えた方がいい気がする。
「またいつでもどうぞ! 雷雨にお気をつけて!」
アガパンサスは笑顔で手を振った。
私たちはアガパンサスに背中を向けて歩き出した。
すると、いきなり後頭部に強い衝撃が走り、床に倒れ込んでしまった。
その瞬間、幽体離脱でもしたのだろうか、私は確かに床に倒れているのに、私の身体はイブキに手を引かれながら遠ざかっていく。
「さぁ、ここからが本番ですよ」
頭上からアガパンサスの声が聞こえた。




