89.不穏
新学年になって三週間が経過した頃。
球技大会を経て、クラスの雰囲気にも慣れて来た。
この日はミハマくんと一緒に日直の当番だった。
日直の仕事は授業の後に黒板をきれいにすること、提出物があれば全員分をまとめて先生の元へ運ぶこと、放課後に教室を掃除することだ。
大して難しくもないこの仕事も、ミハマくんと組むことで面倒なことになっていた。
「まぁ、ミーちゃんは座ってなよ。俺がやっとくから」
授業が終わり黒板を消すために立ち上がる私を、ミハマくんは無理矢理座らせる。
「うーん。じゃあ次は私がやるから」
「いいって。全部俺がやるから。いつものお礼」
「⋯⋯⋯⋯」
「数学のノート、全員分集まったよ!」
「じゃあ、俺が持っていくから。ミーちゃんは座ってなよ」
「なんで? 半分持つよ」
「可愛い子にこんなの持たせたら男が廃るから」
「⋯⋯⋯⋯」
こうして午前中の仕事は、全てミハマくんに奪われることになった。
このやり取りはかなり目立っていたようで、周囲にいた一部のクラスメイトがざわつき始める。
「もしかしてミハマってモリミヤさんのこと好きなのか?」
「そうなんじゃない? よく後ろを振り返ってるし」
「モリミヤさんって5組のやつと付き合ってるんじゃ」
「けど、いつもミハマと二人きりの世界って感じだよね。声もかけづらいくらい」
もしかしてクラスに馴染みきれないのって、ミハマくんとガチガチのペアだと認識されているから?
それにまるで浮気してるみたいな言われ方だ。
「ははっ! カスミちゃんはそんなんじゃないから〜イブキ一筋、一直線だもんね〜」
声を上げてくれたのはカケルくんだった。
「へぇ〜そうなんだ〜」
「ミハマくんって普段は怖いけど、本当は優しいってだけなんじゃない?」
カケルくんの一声で、一気に空気がひっくり返る。
カケルくんに感謝の気持ちを込めてアイコンタクトを送ると、いつもの人懐っこい笑顔を向けてくれた。
放課後、みんなが帰った後の教室で二人で掃き掃除をする。
「ミハマくんはもう部活に行っていいよ? 仕事量が釣り合わないから」
結局あれからも仕事の奪い合いは続いた。
クラスメイトの反応が怖くて、本気で仕事をもらおうとするも、ミハマくんは意地でも譲らないし、かと言ってわいわいと一緒にやっていると、それもそれで良くない見られ方をしそうで⋯⋯
できれば早く一人になりたかった。
「二人でやった方が早いし」
ミハマくんがイスと机を持ち上げながら、私が素早く床を掃くという分担が出来上がっている。
早く終わらせて解散の方が角が立たないか。
私はできるだけ作業のペースを上げることにした。
「イブキくんとは順調?」
作業中の雑談なのか、突然恋バナを振られる。
「もちろん。順調だよ!」
私は自信満々に答えた。
「リョウから聞いたけど、二人の関係はイブキくん発信なんでしょ? もしイブキくんが自分のこと好きじゃなかったら、ミーちゃんは好きになってた?」
⋯⋯どうしてそんな質問をするんだろう。
イブキはみんなに分け隔てなく優しいタイプではないけど、私の弟妹には優しいし、きっと私にも従姉として優しくはしてくれたはず。
私がそんなイブキを好きになったとしたら、頑張って振り向かせて⋯⋯
でもそんなの、ただの仮定の話だ。
それに、ミハマくんには言えないけど、私とイブキは自分たちの血筋に課された使命とか、もっと根っこのところでも繋がっているはずだ。
「ただ好かれてるから付き合ってるだけなら、俺にもチャンスがあるでしょ。ミーちゃんは自分を好きな男が好きなだけなんだから。イブキくんがミーちゃんに愛想つかしたら、すぐに終わっちゃう関係だ。嫉妬深そうな彼は、こういうの見たらすぐに怒るだろうな」
腕を掴まれ顔を近づけられる。
「ねぇ、そういうのやめない? 私なんだか周りにミハマくんとのこと勘違いされてるみたいで、すごく居心地悪い。もっと普通のクラスメイトとしての距離感がいいんだけど」
「わざと勘違いされるようにしてるってわからない? ミーちゃんって結構ワガママが通るし、困ってる人とか自分を必要としてくる人とかほっとけないタイプでしょ。俺、そういうの鼻が利くから。たぶんクラスでそういう雰囲気が出来上がったら、ミーちゃんは流されて逆らえないよ」
「そんなこと⋯⋯」
迫られているのに全然ドキドキしない。
もちろんそれは心にイブキがいるからだけど、目の前の彼は私を好きなんじゃなくて、支配下に置けそうな女の子を探してるだけに見える。
「何に困ってるのか知らないけど、私じゃ力になれない。ミハマくんを好きになってくれる子はたくさんいるから」
「そんなの俺に幻想を抱いてるやつらだろ? 俺みたいなのを癒せるのはミーちゃんだけだ」
さらに顔を近づけられる。
「お願い。もうやめて? このままだとミハマくんのこと嫌いになっちゃうから⋯⋯」
顔を背けていると、教室の入り口に影が動いたのが目に入った。
「何してるの?」
イブキだ。
「イブキ!」
私はミハマくんの腕を振りほどいて、イブキに駆け寄って腕に掴まった。
「カケルが二人で残ってるから気をつけろって。お前、どういうつもり?」
イブキはミハマくんの方へゆっくりと歩いていく。
イブキから悪魔の黒いオーラが漏れ出ている。
まずい。それはさすがに怒りすぎだ。
ミハマくんにはオーラが見えていないのか、挑戦的な表情を崩さない。
「イブキ、もう大丈夫だから。怒らないで。ね? 」
私はイブキの前に回り込んで両手を繋いだ。
「カスミはそいつをかばうんだ? 別にそこまで嫌じゃなかったってこと? 本当に嫌なら最初から手を振りほどいて逃げたらよかったよね。それに、大声を出してくれたら、うちのクラスにも聞こえて来たはずだし」
「違う。違うよ。私はただ大事にしたくなくって」
私の言葉にイブキのオーラがますます溢れてくる。
「場の空気によってはそいつを受け入れるってこと? 俺は他の子にはっきりとカスミのことが好きって言ってるのに、カスミは言えない?」
「そういう意味じゃなくて⋯⋯」
イブキの追及に言葉が出ない。
「ははっ! じゃあ、あとはお二人で〜」
ミハマくんはカバンを持って教室を出ていく。
「二度とカスミに近づくなよ」
「そんなの従う奴いる?」
「わかったから。大丈夫だから」
ミハマくんを追うイブキを後ろから抱きしめて引き止めた。
ミハマくんが見えなくなった後、二人きりになってからもイブキは怒っていた。
それは可愛いヤキモチの域をとうに超えていて⋯⋯
「俺、嫉妬で狂いそうなんだけど。どうしてもっと抵抗してくれないの?」
イブキは初めて見るような冷たい目で私を見下ろしている。
「朝からずっと困ってた。周りにも騒がれて、これ以上大事にしたくなかったの。新しいクラスでもちゃんとやっていきたくて⋯⋯」
イブキは簡単に言うけど、私だって角が立たないように精一杯抵抗したつもりだ。
「そう。自分で言えないなら、見える所にキスマークでもつけとこうか? 俺のだって分かるように」
イブキはゆっくりと私のシャツのボタンを外して首筋を露出させた。
「ここならギリギリ見えるから」
そう言って、首筋に触れるだけのキスをする。
「つけていいよ。それでイブキが安心するなら」
私の言葉にイブキはしばらくの間固まってから、顔を上げる。
「冗談。あんなの怪我させてるのと同じ。それよりもアイツの香水の香りがする。本当に腕を掴まれただけ?」
イブキは辛そうな顔で私を見つめている。
「本当にそれだけ。絶対にそれだけ。信じられないなら記憶を見てくれていいから。私が好きなのはイブキだけだから」
イブキに抱きつく。
お願い信じて。
そう強く願ったけど、すぐに両肩を掴まれて引き剥がされる。
「俺はカスミのこと傷つけたくないし、大切にしたい。けど、カスミは俺のことを平気で傷つけるし、大切にしてくれない」
え⋯⋯
「俺だってこんな経験初めてだからどうして良いかわからない。ただ、正直結構きつい」
イブキはそう言うと私に背中を向けて立ち去って行った。
イブキにこんな風に拒絶されたのは初めてだった。
私は彼の優しさの上にあぐらをかいていたんだろうか。
イブキはどんな状況でだって私のことが好きだと公言してくれていたのに、どうして私にはそれが出来なかったんだろう。
こんな自分のままでは、その背中を追いかけることなんて出来なかった。
その翌日の土曜日にはイブキと電話で話すことができた。
私のことを許すと言ってくれたけど、会う約束はキャンセルになった。
このころからイブキに受け入れがたい変化が訪れていたことに、私は全く気づけなかった。




