82.覚醒の日の記憶
夏休み明け、シオンとハルカ先輩が付き合い出したというニュースは、本人たち発信なのか瞬く間に広がった。
学校中から注目される、ビッグカップルの誕生を祝う声が湧き上がる。
しかし、同時に私の失恋もクラス中に知れ渡ることになり⋯⋯
「元気出しな、カスミっち。あんたは悪くない。相手が悪かった」
サガノさんがポンポンと肩を叩いてくれる。
それから、直接恋愛トークをしたことのないクラスメイトたちからも励まされた。
どうしてこんな大事に⋯⋯
目の前に座るイブキは、いつもみたいにこちらを振り返ることはなく、頬杖をつきながら窓の外を眺めていた。
授業開始のチャイムが鳴り、先生が教室に入って来たことで、騒動は一旦収束した。
その日の夜、人を化かしてさらうイタチが出るとの情報があったので、シオンと二人で山里に来ていた。
このタイミングで二人きりの任務はきついな。
シオンをちらりと見ると、どこか浮かれた雰囲気が漂っている。
もう切り替えないと。
荒療治的な意味合いではラッキーかもしれない。
「シオン、おめでとう」
まずは形からということで、お祝いの言葉を送る。
「あぁ、ありがとうな」
シオンは幸せそうに笑った。
けどそのあと徐々に表情を曇らせた。
「でも俺って普通の人間じゃないから。ハルカには本当のこと何一つ話してないし、信頼関係ができるまでは当分の間話すつもりはない。けど、今までだって結局誰にも話せたことはない。また俺はこれから相手を騙してるような罪悪感とか、いつか嫌われるんじゃないかっていう不安と戦うことになるんだよな。そう思うとミズキ叔父さんとサユリ叔母さんはすごいよ」
シオンは依頼主の家の花壇を見つめながら言った。
シオンの苦しみは分かる。
力があるお父さんと、そうではないお母さんは大恋愛の末に結婚した。
そんなの誰にでも簡単にできるわけじゃない。
けど私はその気持ちを、今ここで打ち明けられたことに動揺した。
「私ならシオンのこと理解できるよ? 全部分かってる。罪悪感も不安も必要ないよ。でも私じゃ駄目だった? 私、物心ついた時からシオンが好きだった。シオンも最初は好きでいてくれたじゃん。でもいつからか急に避けられるようになって、壁ができた。私、何にも分からないままシオンのことを好きな気持ちだけが残って、ずっと苦しかった。そんな風に不安になるなら私にしておけば良かったのに。私のどこがいけなかった? 私じゃハルカ先輩には敵わないのは理解できる。けど、そんなのあんまりだよ。その話、私にだけはしちゃ駄目でしょ」
感情が溢れ出して止まらなかった。
もうとっくに枯れたはずの涙が次々に溢れた。
シオンに壁を作られてから、初めて感情をぶつけた。
「どういうこと?」
シオンは目を見開いている。
「どういうことって、どういうこと? こっちが聞いてるのに。なんでここまで話が通じないの? いつからか、シオンの見た目の知らない人と話してるみたい。そういうの傷つくから。馬鹿にしないでよ。もうシオンなんか大嫌い⋯⋯」
抱えた膝に顔を伏せる。
泣くな。泣くな。
任務中だ。
私はイタチに化かされているんだろうか。
シオンが実はイタチだったと言われても何も驚かない。
しばらくそのまま耐えていると、戸惑うようなシオンの声が降ってきた。
「まさか、あの日のことを覚えてないのか?」
顔を上げてシオンを見ると、不安と恐怖が入り混じったような目をしている。
どうしてそんな目で私を見るの?
「どの日? 覚えてない。私が何かした? シオンに嫌われるようなことした? お願い。教えて? 謝るから⋯⋯」
「違う。俺が嫌いになったんじゃない。カスミが俺を嫌いになったんだろ?」
どういうこと?
もう全然話が見えない。
「そうか、イブキか」
シオンは呟いた。
イブキに記憶を奪われた。
覚醒した日も、それ以外にも。
だから私の頭の中は、ところどころぐちゃぐちゃなんだ。
「ごめん遅くなった。その様子だとまだ見つかってない?」
サツキのチームの後処理を終えたイブキが歩いて来た。
遠く山道の方にアヤメちゃんの車が停まっているのが見える。
「イブキ、お願い。返して? 私もうこれ以上おかしくなりたくない。お願い。もうこれ以上奪わないで」
イブキの服を掴んですがりついた。
イブキは最初は戸惑っていたけど、私たち二人の雰囲気から察したらしい。
地面を見つめて拳を握りしめながら考え込んだあと、決心したように顔をあげた。
「でもカスミは傷つくと思う。シオンのことも自分のことも、俺のことも嫌いになるかもしれない」
私を真っ直ぐに見つめるイブキの表情が、あまりにも痛々しくてたじろいでしまう。
でもこうやってイブキが反応を返してくれたのは初めてな気がする。
「そんなの嫌だよ。でもこのままでも嫌いになりそう」
私は声を振り絞った。
「わかった」
イブキは納得してくれた。
任務が終わり、イブキの部屋で記憶を返してもらう。
「じゃあいくよ」
イブキはゆっくりと両手で水をすくうような動きをした後、そっと私の頭の上でその手をほどいた。
頭に温水がかかったみたいな感覚がした後、すーっと中に記憶が染み込んできた。
――シオン中2 カスミ小6
私が覚醒する直前の出来事。
この日も私たち家族は、シオンの家に遊びに来ていた。
私たち従兄弟はいつものように近くの公園で遊んでいた。
周囲にはのどかな田園風景が広がっている。
この日も私たちは二人きりの世界に浸っていた。
私は優しくてかっこよくてキラキラしている、王子様みたいなシオンが大好きだった。
シオンは木にもたれながら、遠くを見つめている。
風が吹くたびにサラサラの髪が揺れる。
まつ毛長いな。
私は少し離れた所からその横顔を見つめていた。
熱い視線に気がついたのか、シオンが振り返る。
「なに? 見てたの?」
シオンは柔らかく微笑む。
「うん」
そのあまりにも優しい表情に、胸がときめいて上手く話せなくなる。
しばらく見つめ合っていると、何かがカチンとはまるような不思議な感覚がした。
なんだろう。
そこからシオンの顔つきが変わった。
目つきが鋭くなって、大人びた表情になって⋯⋯
何かに捕まったみたいに目が逸らせない。
それからシオンは私の腕を掴んで引き寄せて、身体をきつく抱きしめた。
いつもと違って力が強かった。
息が上手く吸えずに苦しくなる。
「シーちゃん?」
一瞬声が出せなかった。
びっくりして腕の中で少し身体を動かしてみるも、全く動かせない。
むしろ力がどんどん強くなる。
シオンの身体は大きくて、熱い皮膚の下には筋肉がついていて、固く感じた。
「カスミ⋯⋯好きだ」
それに、シオンの声がいつの間にか低くなっていて⋯⋯
その後、頭の後ろを手で固定されて、唇が重なった。
身体はきつく抱きしめられたままだ。
シオンの身体が、吐息が熱い。
いつもの一度だけ軽く触れるキスとは違う。
何度も角度を変えながら降ってくる。
こんなキス、子供がしてもいいのかな。
唇が離れて見つめ合う。
私を見つめるシオンの眼差しは、私がよく知っている優しいものではなかった。
熱くて、切なげで、どこか野生動物っぽくて⋯⋯
私の頬にはいつの間にか涙が伝っていた。
「今日のシーちゃんおかしいよ。怖い⋯⋯」
シオンの変化に驚いた私は走って逃げた。
「どこ行くんだよ? カスミ!」
後ろからシオンの声が聞こえた。
逃げ出してしまった私は、植え込みにしゃがんで隠れた。
「カスミ! どうしたの?」
イブキが息を切らしながら私を追いかけて来て、同じようにしゃがんで隠れた。
「どうして泣いてるの? シオンといたんじゃないの?」
イブキは心配そうに私の顔を覗き込んでいる。
「分からない。あんなの初めて。いつものシーちゃんじゃない。怖い」
私は混乱していた。
イブキが背中をさすってくれる。
息が乱れて手が震える。
自分で自分の身体を抱きしめる。
そこに私を探していたシオンがやってきた。
私とイブキはシオンを見上げる。
「なんだよ。そんな目で見るなよ。カスミは俺のことが好きなんじゃないの?」
シオンの声は震えていた。
「分からない。私、あんなシーちゃん知らない。怖い⋯⋯」
私は泣きながら何とか声を絞り出した。
「お前! カスミに何したんだよ!」
イブキが立ち上がり、シオンに掴みかかった。
けどその体格差はあまりにも大きくて、振り払おうと思えば出来たはず。
それでもシオンはそのまま、傷ついたような表情をして立っている。
私はイブキの服を掴んだ。
イブキは私を振り返る。
"怒らないで?私がびっくりしちゃっただけだから"
そう伝えたいのに声が出ない。
「怖がらせて悪かった。もう近づかないから」
シオンは私たち二人を見たあと、そのまま立ち去って行った。
「シーちゃん待って! ごめんなさい! 違うの!」
私は立ち上がってシオンの背中に呼びかける。
「何が違うの? 嫌なことをされたのはカスミなんでしょ? それなのに謝るの? シオンに嫌われたくないから?」
イブキに腕を掴まれて引き止められる。
「話をしないと」
「こんなに震えてるのに?」
イブキは肩を抱いてくれている。
私はしゃがみ込んだまま、両手で自分の顔を覆った。
どうしよう。取り返しがつかないことになった。
シオンを傷つけた。きっともう元には戻れない。
確かにびっくりしたのは本当だけど、じゃあシオンが悪いことをした?
頭の中で考えが回る。
理由はわからないのに涙が止まらない。
「カスミ⋯⋯」
名前を呼ばれてイブキを見る。
イブキはすごく辛そうな表情をしている。
どうしてイブキがそんな顔をするの?
「どうしてシオンなの? 俺だって⋯⋯」
イブキは私の頭に自分の頭を寄せた。
それからしばらく時間が経った。
呼吸は落ち着いて来たものの、頭の中の混乱は収まらなかった。
「このままじゃお父さんとお母さんの所に戻れない。顔が見れない。私、叱られちゃうのかな」
得体の知れない罪悪感が湧いてくる。
私はただシオンが好きなだけなのに。
シオンも私の事を好きって言ってくれたのに。
私の質問にイブキは答えなかった。
「⋯⋯⋯⋯」
ずっとそばで支えてくれたイブキはゆっくりと私に向き直る。
「ごめん⋯⋯ごめん⋯⋯」
イブキは謝りながら両手で私の記憶をすくい取った。
あの日、シオンは私のことを好きだって気持ちを込めて、キスしてくれただけだった。
この前までの私が欲しかった愛情そのものだった。
私が子供だったから、思春期を迎えたシオンの変化について行けなかった。
私たちはたったの二歳差だけど、小学六年生の私は中学二年生のシオンの愛情表現を受け入れられなかった。
気持ちと知識と身体が追いついていなかった。
きっとイブキも私の様子がおかしいままだったから、不安になっちゃったんだ。
もっと何か怖いことが起こったと思ったのかも知れない。
イブキだってまだ小学生だったんだから。
だから記憶を奪ったんだ。
目の前にいるイブキは、今にも泣き出しそうな顔をしている。
「あの日、俺がカスミを行かせなかったから、記憶を奪ったから、二人は離れてしまった」
イブキの声は震えている。
「違うよ。イブキは私を守ろうとしてくれたんでしょ? 私が子どもだっただけ。私がシオンを受け入れられなかっただけ。あの時受け入れられなかったのに、今更欲しがっていたなんて、私がおかしいんだよ」
あの日、私が怖がらずにいられたら、怖かったとしても逃げずにシオンに正直に打ち明けていたら、シオンを傷つけたことをすぐに謝ることができたら⋯⋯
いくら後悔しても、もうあの日には戻れない。
「俺、ずっとカスミが好きだった。カスミが辛そうに泣いているのに耐えられなかった。それからは離れてしまった二人に元通りになって欲しいっていう思いと、記憶を取り戻したカスミに二度も傷ついて欲しくない、俺たちを嫌いになって欲しくないっていう思いで、ずっとぐちゃぐちゃだった。いつ記憶を返していいのかも、返すべきなのかも分からなかった」
辛そうに語る彼を見て、胸が押しつぶされそうになる。
私はイブキの身体を抱きしめた。
イブキの顔は見えなかったけど、たぶん泣いていた。
泣いているのは、成長したイブキの中にずっと取り残されたあの日のイブキだ。
罪悪感に囚われてずっと動けなかったんだ。
「イブキごめんね。怖かったね。ありがとう。嫌いになんかならないよ」
「カスミごめん。シオンごめん」
しばらくの間、二人で謝り合った。
その後、シオンと二人きりになる時間をもらい、あの日の気持ちを全て正直に伝えた。
シオンはあの時のことを謝罪してくれた。
当時の私への気持ちは間違いなく本物だったけど、これから私のことをそういう目で見ることは二度とないと言われた。
私にとってはついさっき思い出したものでも、シオンにとっては、すでに四年も前の出来事だ。
私の方も、誤解が解けたあとも、シオンに抱いていた"怖い"という気持ちは拭いきれなかった。
こればかりは、そういうめぐり合わせなんだと思うしかなかった。
長く苦しかった片思いにようやく決着がつき、肩の荷が下りたような気がした。




