74.初恋の記憶
オリエンテーション翌日の昼休み。
イブキとマユちゃんとカケルくんの四人で食堂に来ていた。
「全制覇目指すぞ!」
「おー!」
カケルくんとマユちゃんに誘われて、食堂のメニューを全て食べるチャレンジを開始しようとしていた。
「どうする? 左端から順番にいっちゃう?」
「それが分かりやすくていいかも!」
カケルくんとマユちゃんのリードに従い、初日の今日は一番左端にあったメニューのきつねうどんを四人とも注文した。
きつねうどんが乗ったお盆を持ち、四人で座れる席を探して座った。
普通に美味しいきつねうどんをすすりながら雑談をする。
「それにしてもカスミちゃんは大胆だね! まさかの片思い宣言!」
カケルくんはニカッとした笑顔をこちらに向けている。
「あれは色々と考えた上での行動でして⋯⋯」
タケダさんには正直に言った方が良かったかもしれないけど、あんな誰が聞いてるかわからない場所で言わなくても良かったかも。
「わかるよ。女同士は色々あるもんね。でもちょっと憧れるかも! 幼馴染との恋⋯⋯」
マユちゃんは胸の前で手を組みながら目をキラキラさせている。
「マユちゃんも幼馴染がいるの?」
「いないけど、少女漫画では定番でしょ?」
「確かに! 朝起こしに来てくれたり!」
「着替え中に窓から入ってきたり!」
盛り上がる私たちを男子二人は生温かい目で見守っている。
「カスミちゃんはいつからイブキくんのお兄さんが好きなの? どんなところが好き? 教えて教えて!」
マユちゃんはワクワクした表情でこちらを見ている。
「そうだなーあれは⋯⋯」
どこから話そうかと過去の記憶を辿っていった。
私は物心ついた頃からシオンのことが好きだった。
たぶん、シオンも途中までは同じ気持ちだったと思う。
子どもの頃の"好き"にどれだけの重みがあったかは分からないけど、確かに思い合っていたはずだった。
――シオン5歳 カスミ3歳
「カスミちゃん! かわいいからチューしていい?」
「うん! いいよ! チュー!」
「⋯⋯は?」
「ミズキくん。子どものすることなんだから、そんな怖い顔しないで? ね?」
「サユリは分かってない。5歳だって立派な男だから。俺の膝の上で〇〇〇してた赤ん坊のシオンとは違うから」
「それはもう忘れてあげよう!」
――シオン小2 カスミ5歳
初めてのキスの時、お父さんに叱られてしまった私たちは、何となく親たちに隠れてキスをするようになった。
幼い頃の私はシオンのことをシーちゃんと呼んでいた。
「シーちゃん! 今日はチューしないの?」
「もちろんするよ!」
――シオン小5 カスミ小3
この時はその辺にあった棒で、地面に絵を描きながら話をしていた。
「私たち、会うたびにチューしてるのに、なかなか赤ちゃんができないね!」
「チューだけではできないよ。この前学校で習った」
「そうなの? 好きな人とチューしたらできるんじゃないの? どうやったらできるの?」
「それは⋯⋯俺からは教えられない。大人の人から教えてもらって?」
「じゃあ、お父さんとお母さんに教えてもらう! 今、お母さんのお腹には赤ちゃんがいるから! 私も欲しい!」
「大人になるまでは駄目だよ」
「駄目なの? 好きなのに?」
「好きだから駄目なんだって」
「ふーん。私にはわからないや。シーちゃんはやっぱり頭が良いんだね!」
⋯⋯⋯⋯なんて恐ろしい会話なんだろう。
シオンが忘れてくれていることを祈る。
――シオン中1 カスミ小5
いつも私たちは下の子たちの世話をイブキに任せっ放しで、二人きりの世界に浸っていた。
それでもイブキは私たちに何も言わなかった。
本当にごめんなさいとあの時のイブキに謝りたい。
「シーちゃん、今日はチューしないの?」
「⋯⋯カスミは俺のことが好きだからキスしたいの?」
「そうだよ? シーちゃんは違うの?」
「⋯⋯俺も好きだよ」
この日のシーちゃんはいつもと違い、ためらっていたように思う。
それにいつの間にかシーちゃんはキスという言葉を使うようになった。
――シオン?? カスミ??
「カスミは俺のことが好きなんじゃないの?」
「私、あんなシーちゃん知らない。怖い⋯⋯」
「お前! カスミに何したんだよ!」
私は混乱していて、イブキは怒っていて、シオンは傷ついたような顔をしている。
⋯⋯あれ? いつの記憶だろう?
「カスミちゃん! カスミちゃん!」
マユちゃんが私の顔の前で手を振っている。
「は! やば! 妄想に浸りすぎて気失ってた!」
私はおどけたように言った。
「なんだ、びっくりした〜」
「カスミちゃんってほんと一直線というかなんというか⋯⋯」
マユちゃんとカケルくんは安心したような、呆れたような顔をしている。
イブキは静かにうどんをすすっていた。
その日の夜もイブキとお寺で張り込みをしていた。
人を襲う大ムカデがいるそうだけど、なかなか姿を現さない。
見つけてしまえば一瞬で終わるのに。
池のほとりに二人並んで座る。
虫の声も何も聞こえない静かな夜だ。
「ねぇ、記憶を取られた人ってどうなるの? 頭の中がツギハギになるのかな?」
私は前から知りたかったイブキの能力について聞いてみた。
「記憶を奪うっていうのは、映画のフィルムとかビデオテープを、ハサミで切り取って繋ぎ合わせるのとは違う。例えばこの池に墨汁を垂らすとして、放っておいたらすぐに広がって、墨と水の境目がなくなるよね? それを墨汁が垂れた瞬間、急いでバケツですくい取るようなイメージ。忘れさせたい記憶とその周囲の記憶もごちゃ混ぜの状態で奪う。だから消したくない記憶も奪うし、消したかった記憶の粒を取りこぼす事もある」
イブキは、そっと両手で水をすくうような動作をしながら説明してくれる。
いつも以上に静かな声だった。
「そうなんだ。私もちょっと思い当たる気がして⋯⋯」
ちらりとイブキを見ると、イブキはまるで何も聞こえていないかのように池を見つめている。
「ねぇ、イブキは私の記憶を奪った事⋯⋯あるよね?」
小さい頃の記憶なんて誰でも曖昧かもしれないけど、不自然なところがいくつかある気がした。
「あるよ。何度も」
イブキは池を見つめながら答えた。
長いまつ毛が伏せられて、その目はどこか憂いを帯びている。
「どうして? いつの記憶? どんな記憶なの?」
イブキはちらっと私の顔を見たあと、また池の方に目線を戻した。
なんだろう。
いつも優しいイブキの反応がおかしい。
はっきりとは思い出せないけど、時々イブキはこうなるような気がする。
突然、言葉や感情のやり取りが一方通行になるような⋯⋯
強い不安を覚える。
「ごめん」
謝りながら私を見つめるイブキの瞳が緑色に光る。
私はこの美しい光を何度も見たことがある。
まるでホタルみたいだ。
イブキはそのまま私の目を見つめながら、両手で水をすくうような動きをした。
「それで、何の話しだっけ?」
「池がある場所に来ると、いつもカスミは同じ話をしてくるって話」
「私、イブキと池に来たことあったっけ? もう色々行き過ぎて覚えてないや」
池には睡蓮の蕾が浮かんでいた。




