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巫女と悪魔が交わした約束  作者: 水地翼
第7章:ミズキ後編〜姉弟の絆と最愛の人〜
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65.悪夢


 失恋のことを、ハートが壊れるとか、ヒビが入るとかって、最初に表現しだしたのは誰なんだろう。


 今まで周りの人が、映画の主人公が、失恋したって言って、泣いたり苦しんだりしているところを見てきた。

 知り合って間もない頃のサユリも、幼馴染のアイツを思って泣いていた。

 俺は今までその感情を正しく理解できていなかったんだと思う。


 今回初めて、身をもって知った。

 本気で好きになった女性との恋が終わる瞬間は、本当に心が壊れてヒビが入ったみたいになるってことを。



 遡ること一週間前。

 現在大学は春休み期間中だ。

 この日俺たちは、サユリの部屋で愛し合った後、そのまま抱き合って眠っていた。


「ミズキくん⋯⋯ごめんね⋯⋯」


 俺の腕の中で眠るサユリは、額に汗を滲ませながら、うなされている。


「私が悪いの⋯⋯」


 やけにはっきりとした寝言だった。

 今までもサユリが寝言を言ったことはあったけど、一言二言だったと思う。

 

 どんな夢を見ているんだろう。

 こんなに苦しそうなら起こしたほうがいいのかも。

 

「いやだよ⋯⋯」


 そう呟くサユリの目からは涙がこぼれた。

 ここまで来るとさすがに可哀想だよね。


「サユリ。大丈夫?」


 まずは小声で話しかけながら、指で涙を拭う。


「助けて⋯⋯」


 サユリはまだ夢の中にいるみたいだ。


「サユリ! サユリ!」


 少し強めに身体を揺する。


「はっ!」


 サユリは勢いよく上体を起こした。

 何とか目を覚ましてくれたみたいだ。


「起こしてごめん。でも大丈夫? 悪い夢を見てたでしょ?」


 俺が声をかけると、サユリはキョトンとした顔をした。


「あれ? そんな気がするけど⋯⋯よく思い出せないや」


 サユリはまた寝転がって元の体勢に戻った。

 なんだ、安心した。

 忘れる位なら大丈夫そうだ。


「ミズキくんの心臓⋯⋯動いてる⋯⋯」


 まだ寝ぼけているのか、俺の胸に耳を当てて、鼓動の音を聞いているみたい。


「ミズキくん⋯⋯好き⋯⋯」


 サユリは俺の胸に頭を擦り寄せてきた。


「うん。俺も好きだよ」


 頭をしばらく撫でていると、サユリは安心したような表情で再び眠りについた。




 あの日を最後に、俺たちの関係は悪い方向に変わり始めた。


 この一週間、サユリとはまともに会話出来ていない。

 特にここ四日くらいが酷くて、電話をしても出てくれない。折り返しもない。

 メッセージを送っても、いいねマークが付くだけだ。


 近所で遭遇しても、挨拶は返してくれるけど、逃げるようにどこかに行ってしまう。


 どうなってるの?

 考えられる理由はいくつかある。

 忙しい。疲れている。体調が悪い⋯⋯


 それとも、もしかして俺が何か怒らせるようなことをした?

 そうだとしても、サユリはこんな当てつけみたいなことをするタイプじゃないはずだ。

 

 でも、俺たちは今までケンカらしいケンカをしたことがないから、断言はできない。

 ケンカに近い状況は一度だけあった。

 幼馴染のアイツのことで、俺が正論を振りかざしてサユリを傷つけた時だ。

 確かにあの時もサユリは黙ってしまったから、もしかして今回もそうなんだろうか。

 一人で考えているだけでは答えが出なかった。



 その日、駅前の商業施設の催事場で物産展をやっているのを見かけた。

 ふらっと中に入ると、サユリが前に食べてみたいと言っていたバームクーヘンが売っていた。

 これを持ってサユリに会いに行こう。ちゃんと顔を見て話そう。

 そう思った俺は、会計を済ませてサユリの部屋に向かった。


 会いに行く前に、電話を入れた。

 呼び出し音は鳴るけど、応答はない。

 仕方がないのでメッセージを入れることにした。

 "今から家に行く。無理なら出直すから"

 メッセージはすぐに既読になった。

 けれども、それ以上の反応はなかった。



 サユリのマンションに着いて、オートロックの呼び出しボタンを押す。

 無言でオートロックが解除されて、ぶつりと通話が切れた。


 何なんだろう。この仕打ちは。

 本当に心当たりがなかった。

 むしろ、心当たりがないことのほうが罪が重いのかもしれない。

 不安と緊張と得体のしれない罪悪感から、動悸がして身体がこわばるのを感じる。

 拳を握りしめ、覚悟を決めてサユリの部屋に向かった。


 いつものように、ドアの横のインターホンを押すも、応答がない。

 ドアノブを握ると⋯⋯鍵が開いている。

 どうやら、勝手に入って来いということらしい。

 俺は何度か深呼吸をしてからドアを開けた。


「サユリ。入るね」


 声をかけて中に入ると、サユリはソファの上で、膝を抱えて座っていた。

 一週間ぶりに近くで見たその姿は、顔色が悪く、覇気がなくなり、少し痩せていた。

 

「サユリ! どうしたの!? なんでそんなにやつれてるの!?」


 俺はすぐにサユリに駆け寄り、その身体に触れようとした。

 すると⋯⋯


――バチン


 思い切り手を振り払われた。


「ごめんなさい。もうミズキくんに触れられたくない」


 サユリは確かにそう言った。

 

「どうして⋯⋯俺が何かした? ごめん。俺、本当に分からなくて」


 サユリの反応に、言葉に、胸が潰されそうだ。

 どうしてこんなことになってしまったんだろう。


「ミズキくんは悪くないよ。私が悪いの」


 サユリはか細い声で言った。

 どういう意味?俺が悪くないなら、なんで拒絶されないといけないの?


「それ⋯⋯バームクーヘン?」


 サユリは突然、俺の持っている紙袋を指さした。


「そうだけど⋯⋯なんで分かったの?」


 紙袋は催事場がある商業施設のものだ。

 物産展の商品かどうかさえ、わからないはずなのに。


「やっぱり。前に私が食べてみたいって言ったからかな⋯⋯」


 サユリは呟くと涙を流し始めた。


「どうして泣くの? もう俺、全然わからないよ! どんなことでもちゃんと全部聞くから、ちゃんと教えてよ!」


 俺はサユリに詰め寄った。

 しばらくの間、サユリは黙っていた。

 その後、ゆっくりと口を開き、俺が一番聞きたくなかった言葉を発した。


「ミズキくん⋯⋯ごめんなさい。もう別れてください」


 ⋯⋯⋯⋯は?

 その言葉を聞いた瞬間、目の前が真っ暗になった。

 足元が崩れ落ちて、もうこの世界の何を信じればいいのか分からないような感覚に陥った。


「サユリ、なに言ってるの? どっきりとか? こういうのは俺、嘘でも傷ついちゃうんだけど」


 こんなの急すぎる。

 一週間前までこの部屋で抱き合っていたのに。

 あんなに愛し合っていたのに。


「嘘じゃないよ」


 サユリは天井を見ながら言った。


「どうして? 理由は?」

「好きな人ができたから⋯⋯」


 好きな人が出来たって⋯⋯あり得ないでしょ。

 この一週間の間に?それとも俺と付き合いながら?

 俺たち、あんなに順調だったのに?

 そんな隙はどこにもなかったはずなのに。


「いつから? どこのどいつ? どんなやつなの? まさか、幼馴染のアイツのことを言ってる?」


 だんだん頭に血が上ってきて、思わずサユリを問い詰めてしまう。


「つい最近。ミズキくんの知らない人。ミズキくんと真逆のタイプの人。私が片思いをしてるだけだから、相手の人は悪くない」


 なにそれ。

 最近現れたと言うそのよくわからない男に、しかもサユリのことを好きかどうかもわからない男に俺が負けたって?


「そんなの納得できる訳がない! 今までの俺たちの関係って、そんな簡単に終わるようなものじゃなかったでしょ?」

「うん。だから、ミズキくんごめんね。今までありがとう」


 サユリは膝を抱えながら言った。

 もう目も合わせてもらえない。

 憂いを帯びているその瞳は、もう新しい男を見ているんだろうか。


「⋯⋯分かった。そんなにその男が好きなんだ。じゃあ、泣いている理由は? 痩せた理由は? 俺がそうさせたの? それとも新しい男のせいなの?」


「ミズキくんになんて切り出そうかと思ったら、しんどくなっちゃった」


 サユリをこんな目に合わせていたのは俺だった。

 俺の存在がサユリを傷つけていた。

 その事実が受け入れられず、気がついたら涙が溢れていた。


「サユリ。気を遣わせてごめん。でも、このまま引き下がるなんて俺には無理だ。俺はサユリのことが好きだ。誰にも渡したくない。お願いだから考え直して欲しい。その男のどこが好きなの? 俺、もっと努力するから。完璧な男になってみせるから⋯⋯」

 

 もうなりふり構っていられなかった。

 惨めでも情けなくてもよかった。

 サユリを失いたくなかった。

 俺は泣きながらサユリにすがりついた。


 俺の顔を見て、サユリは一瞬目を見開いた。

 けれどもすぐに目を逸らした。


「ごめん。もう出ていって」


 ひどく冷たい声だった。



 もう俺の言葉は届かないみたいだ。

 この部屋を出てしまったら本当に終わってしまう。

 でも俺がここで抵抗すれば、サユリはもっとやつれてしまう。


「分かった」

 

 返事をして、立ち上がると身体が自分のものじゃなくなったみたいに重たかった。

 心が壊れて、血の流れがおかしくなったんだろうか。

 めまいと耳鳴りがした。

 


 もうここに来ることは出来ないんだな。

 その事実を受け入れられないまま、俺は静かに部屋を出た。


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