50.色香
ハフレの彼氏に殴られた翌日。
家族に顔の傷を見られたくなかった俺は、一人でネットカフェに入り、一晩過ごした。
俺は目を閉じたまま寝ぼけていた。
はぁ⋯⋯やっぱり人肌って温かくって癒されるよね。
ネットカフェは寒がりな俺にとっては、毛布を借りてもどこか肌寒く感じる。
それにしてもこの女の子、さっきからやたらとプライベートなパーツを触ってくるんだよね。
何度も手で振り払っているのに、しつこく触ってくる。
それも妙に慣れた手つきで。
確かに今までのフレンドの中にも、接触が過剰な子はいたけど、これはさすがにまずいでしょ。
「私、ミズキが欲しいの⋯⋯」
女の子は耳元で吐息混じりに囁いた。
「ちょっと、いい加減にしてくんない?」
俺は女の子の手首を掴んだ。
そして目を開けると⋯⋯女の悪魔がいた。
髪の毛の色は薄ピンクで、耳よりも低い位置でツインテールにしている。
猫のような目は勝ち気な印象を与えて、唇は赤みが強くてツヤがある。
服装は地雷系とでも言うのだろうか、黒とピンクで統一されている。
黒いパーカーのフードを被って角を隠し、男の悪魔よりも小ぶりな羽根は"そういうファッション"と言われれば、なんの違和感もない。
「うわっ! 誰?」
俺は思わず声を上げた。
「ちっ⋯⋯うっせぇな!」
隣の客が怒っている。
「ごめんなさい⋯⋯」
それから俺は服を整えて、女の悪魔の腕を引いてネットカフェを出た。
その後、夜勤終わりの姉ちゃんと合流して、顔のアザを回復してもらった。
姉ちゃんは女関係のだらしなさをさんざん忠告してきたのにとブチギレていた。
「そんなことよりも、この悪魔はなんなの?」
姉ちゃんは女の悪魔の周りを歩いて観察している。
悪魔は姉ちゃんの圧にビビったのか、俺の腕にしがみついて胸を押し当ててくるけれども素早く振り払う。
「マツリカっていう名前らしい。相当言動が怪しいんだけど、どうしたらいいと思う?」
俺は姉ちゃんに助けを求めた。
「私はミズキの子どもが欲しいだけなの!」
マツリカは大声で叫んだ。
ここは真っ昼間の公園だ。
もうちょっと遠慮して欲しいんだけど。
「あんまり女の子が軽々しくそういうこと言わない方がいいんじゃない?」
俺はマツリカをたしなめた。
「軽い気持ちで言ってるんじゃない! 無視するっていうなら私はもう消滅してやる!」
はぁ⋯⋯
さっきからずっとこの調子で脅されている。
姉ちゃんに視線を向けると、じっとマツリカを観察している。
「どうして? 産んだ子に何をさせるつもりなの?」
姉ちゃんは尋ねた。
「⋯⋯⋯⋯回復を使って欲しいの」
マツリカはうつむきながら答えた。
姉ちゃんはマツリカの事情を聞くために、家に連れ帰ることにした。
家に帰ると休日だということもあり、家族五人が揃っていた。
それに加えてサルビアとサフランもいる。
俺は絡みついてくるマツリカを無理矢理ソファに座らせて、みんなに事の経緯を説明した。
「訳ありなのは理解できたが⋯⋯」
父さんは戸惑っている。
「マツリカ、事情を話してみて」
姉ちゃんが促すと、マツリカは姉ちゃんのことをしばらく見つめた後、ゆっくりと口を開いた。
「私と弟の縄張りは、強力な悪魔たちの縄張りに囲まれているから常に不安定で⋯⋯そんな中、弟が襲撃を受けて怪我を負っているの。こんな状況が知れ渡ったら大規模な争いが始まっちゃうから⋯⋯」
つまり、マツリカ姉弟の縄張りが周囲の悪魔たちにとっては最後の砦の役割を果たしていて、そこを落とした者がより有利になる。
マツリカ弟が弱っている今が、それぞれの悪魔にとって攻め時ということみたいだ。
「だから⋯⋯私にはミズキが必要なの!」
マツリカは急に叫んだかと思うとピンク色のオーラを放ち始めた。
ソファに座っているマツリカが、ゆっくりと足を組みかえると黒とピンクのチェック柄のスカートが捲れて太ももが露わになる。
そして髪をほどいてから、かきあげてこちらにうなじを見せつけるようにする。
マツリカから漂い始めた甘い香りが室内を満たしていく。
サフランはどこからかガスマスクのような魔道具を取り出して装着した。
それを見た母さんは父さんの目と鼻と口を押さえる。
父さんは苦しそうに藻掻いている。
姉ちゃんもそれを真似して、同じように俺の顔を押さえつけた。
いやいや、苦しいって!息できないんだけど!
俺もガスマスクがいい⋯⋯
それとほぼ同時に耳までおかしくなった。
サルビアが能力を使っている。
たぶん俺たちの意識を掌握して、マツリカに引っ張られないようにしている。
それに気づいた母さんと姉ちゃんは手を離した。
「ゴホッゴホッ」
きっつ。意識飛ぶかと思った。
「いたずらが過ぎますね⋯⋯我が主を毒牙にかけようとするなど⋯⋯」
サルビアは黒いオーラを放って怒っている。
どうやら父さんまで巻き添えをくらいかけたことが許せないらしい。
サルビアはゆっくりとマツリカに近づいて行く。
マツリカは焦った様子でウィンクを飛ばすが、サルビアには効かないようで、その歩みは止まらない。
そしてサルビアは眼鏡を外したあと、マツリカの顎を持ち上げて、瞳を覗き込んだ。
マツリカも負けじと瞳をうるうるとさせ始める。
「効きませんね⋯⋯小娘の魅了など⋯⋯」
⋯⋯⋯⋯⋯⋯
サルビアが低い声で囁く。
するとマツリカの瞳孔が開いて、瞳が輝き⋯⋯
「好き! もうミズキなんかどうでもいい!」
マツリカは猫なで声を出しながら、サルビアにしなだれかかった。
こうしてサルビアとマツリカの魅了対決は、サルビアの勝利で幕を下ろした。
サルビアがマツリカを惹きつけてくれたことで、俺は解放された。
それからしばらく時間が経過し、今、マツリカは布団で簀巻きにされている。
紐の代わりにリボンが使われていて、蝶々結びになっているのはサルビアなりの配慮なのだろうか。
「あぁ〜まるでサルビア様の腕に抱かれているような気分⋯⋯素敵!」
マツリカはこの状況を楽しんでいるみたいだ。
「この状態になったサキュバスに近づいてはなりません⋯⋯全てを絞り尽くされたあと、命まで奪われます⋯⋯」
サルビアは冷静に説明してくれた。
なにそれ。こわ!
「サルビアが魅了するのを止めたらいいんじゃないの?」
俺は疑問をぶつけた。
「とうに解除しているのですがね⋯⋯」
サルビアは困ったような表情をしている。
つまりもう素で好かれてるってことだ。
やっぱりサルビアは恐ろしい悪魔だ。
その後は姉ちゃんがマツリカ弟の回復に積極的な姿勢を見せていた。
マツリカも最初から素直に姉ちゃんに頼めば良かったと思うけど、自分の固有能力の色香は男にしか効かないからと俺を狙ったそうだ。
ちなみにサキュバスの子どもは個体差があるものの、早ければ一週間もしないうちに生まれてくるらしい。
マツリカの縄張り争いの話を詳しく聞くうちに、強力な悪魔のうちの一人が、ストロファンツスの義弟⋯⋯つまり、妹ベラドンナの夫ゼラニウムだということが判明した。
そこで父さんの仲介の元、ベラドンナが回復を使い、マツリカ弟を回復させることで、両悪魔間で同盟が結ばれることとなった。
こうしてマツリカの目的は果たされ、晴れて俺が襲われる心配もなくなったのだった。




