賢者の説得
「あ、いや、取り乱してごめんあそばせ」
賢者ルビは反射的にツッコミを入れてしまった事に少し気まずい気持ちになった。
理由はどうであれ美月麗羽が悩み悲しんでいる事には変わらないのだ。
美月麗羽にとって魔法とは、例えば水を飲む時は鼻から吸うものみたいな、そんな無理強いをされてるような気持ちにさせられているのかもしれない。
賢者ルビもさすがに今日から水は鼻から吸えっと言われたら嫌だ。泣くほどではないとは思うけど嫌な気持ちには変わりない。
賢者ルビは色々な例えばの状況を想像して美月麗羽の苦悩を理解しようとした。
「ごめんなさい。私たちにとっての常識があなたにとっては非常識なのよね」
賢者ルビは美月麗羽の機嫌を様子見るが、表情に変化はない。怒ってるという印象はなく、ただこちらの話に耳を傾けてくれているような気がした。
「私たちにとって魔法とは、口からご飯を食べるような事であり、鼻から空気を吸って呼吸する、耳で音を聞く、目で物事を見るのと同じ事なのよ」
美月麗羽は腕を組んで話を聞きながら考える。賢者ルビはしばらくその様子を眺め口を挟んで来ないことから更に説明を続けることにした。
「私たちが最低限、魔法を使うために必要なのは魔素を取り込む鼻、そして体内で魔素を魔力として変換、最後に魔力を吐き出すお尻が必要になるのだわ」
賢者ルビは人差し指を顎に当てて、更に伝えるべき魔法についての例え話しを思案する。
「これは人間の魔法の使い方であって、他の生物は違った魔法の器官がありますわ。例えばドラゴンはご存知かしら?」
美月麗羽は日本にいた頃に何度も登場した空想上の生き物を思い浮かべて頷いた。
「そう、ドラゴンは魔力を吐き出す器官が舌の下にある穴である事がわかっているわ。ドラゴンが口を開いて舌を持ち上げていたら魔法を放つ予備動作だから気をつけてほしいのよ。他には四足歩行の尻尾を持つ魔物は尻尾の先端が魔力を吐き出す器官になってるのだわ。だから尻尾を持つ獣は尻尾を切断してしまえば魔法が使えなくなるし、ドラゴンは喉元にある逆燐になってるウロコの部位にダメージを入れたら魔法が使えなくなるのだわ」
「ドラゴンの逆燐……」
「それと同じで、人間が魔法を放つのにはお尻が必要なのだわ。あなたにとって苦痛なほど違和感を感じる部分であるのは察することができるのだけど、この世界ではごくごく普通な事なのよ」
美月麗羽は眉間にシワを寄せて沈黙する。説明されたからと言ってすぐさま順応できるものではない。彼女の心を壁を取り除くためにはまだまだ理由が足りないのだと、賢者ルビは必要な材料を頭の中から引き出す。
「……かつて人間は魔法を使えなかったと言われているのだわ。でもある事がキッカケに魔法が使えるようになった。その昔話はもう聞いたのかしら?」
「いえ……聞いてないです」
「魔法の使えな買った頃の人間はとても弱い存在だったのだわ。多くの負傷者を床に並べて、1人の聖女が片膝をつき、両手を組んで神に祈ったそうよ。
すると、聖女の背後に魔法陣が発動して床に横になっていた負傷者の怪我が回復したのが原初の魔法として伝わっているのだわ。
それをキッカケとして人間は魔法を使えるようになったという言い伝えなのだわ。
私たち人間は背後にめっぽう弱く、魔物に後ろから奇襲されると、なす術なくやられてしまっていたのが、魔法を使えるようになってそれが一変したのだわ。
人間の背後は最も危険な場所になりましてよ。不用意に人間の背後に立てば魔法の良い標的にしかならない最も注意が必要となって、それから人間の繁栄が始まったのだわ。
私たちの魔法は正面に使えない不便さがあるのだけれど、それは大して問題にはならなかったのだわ。人間は道具を使う事ができたから正面に対しては魔法が使えない時代からなんとか戦えてはいたのだから、魔法で弱点を補うだけで戦術の幅が一気に広がったのよ」
長い話を一気に喋り終わった賢者ルビはひと息つく、この話は彼女に今必要だったのか、余計な情報だったのではないか、これでダメならまた違う切り口から美月麗羽の魔法に対する忌避感を取り除いていかなければならない。
魔法を使えなくても美月麗羽は戦える事はわかっているが、不意の一撃で呆気なくやられる恐れがある人物を戦闘に送り出すわけにはいけないのだ。
使い捨ての駒にできるほど、美月麗羽の才能と肩書きは軽くない。
「ルビさんたちが魔法に対する考え方が少し理解できたような気がします」
「少しだけでもありがたい事なのよ。今すぐってわけにはいかないだろうけれど必要なことだから、魔法にもっと触れていって欲しいと思っているわ」




