6.ダークホースはここにいる
スカイアンドホワイトのデビュー戦が迫る。
私はその準備や試走で忙しなく動いていた。
「……そのときが、もう来た」
私はスカイアンドホワイトの白くて美しい身体を撫でて、かっこつけたように呟いてみる。
クレナイとともにいたからか、私にもクレナイのクセが移ってしまったらしい。
「今日はただただ試走するだけじゃなくて、対戦相手やフィールドをチェックして、どう挑むか考えておこう」
スカイアンドホワイトの目を見て呟いた。
ベルステイズ王国の首都アンネリア。【逆バニーズハウス】はアンネリアの隣村、カルセスタにある。
今、私たちは首都アンネリアにいる。スカイアンドホワイトのデビュー戦は首都アンネリアで行われるらしい。
いつもと場所がちがうからか、緊張する。本当に【天馬競争】の騎手になったんだと実感してしまう。
私はクレナイに拾われてから、【天馬競争】の騎手になるために、奔走していた。
【逆バニーズハウス】に三年いたのだが、そこから二年はここアンネリアで私は騎手になるための勉強をしてきた。手綱の使い方、天馬の種類、性格、天馬の歴史、乗り方、手懐け方。いろいろ学んだ。
そして、騎手試験に合格して、【逆バニーズハウス】に帰ってきた。帰ってきてすぐに専属騎手の契約を結び、私は【逆バニーズハウス】の専属騎手となった。
今回はスカイアンドホワイトのデビュー戦でもあり、私自身のデビュー戦でもある。気合いを入れないと。
そう決心して、空を仰いだ。
上空には【天馬競争】のコースがある。
【天馬競争】のフィールドは直線だ。直線一本の勝負だから、コーナリング力はいらない。
いるのは、スピードとパワーとスタミナ。そして、戦略。それらが重要になってくる。
距離は、二キロメートル、三キロメートル、五キロメートルがある。
スカイアンドホワイトのデビュー戦のコースは三キロメートルだ。つまり、その三キロメートルの間、力尽きず走り続けなければならない。
勝負の前に、まず、走りきれるかどうかは大切だ。試走では、最初にそれを確認する。
「さあ、試しに空を駆けてみようか」
スカイアンドホワイトに飛び乗り、手綱で合図を送って、空の世界へ羽ばたく。
怖い。怖くなってきた。
もしかしたら、失敗してしまうかもしれない。スカイアンドホワイトを勝たせることができないかもしれない。
不安に思ってきてしまう。
でも――。
……スカイアンドホワイトのやる気に漲る姿を見たら、その不安も一瞬で何処かへ消え去ってしまう。
スカイアンドホワイトは信じているんだ。勝利を。
スカイアンドホワイトは勝つと信じているのに、私は信じ切ることができていなかった。
何をしているんだ、私。
ちがう。ちがう、ちがう、ちがう。
私自身を信じよう。スカイアンドホワイトを信じよう。
苦しみを味わった。恐怖を味わった。
けれど、一頭の英雄と出会った。一つの希望と出会った。
私はその希望を信じている。その希望を伝説にしたいと望んでいる。
だから、負けない。負けるわけにはいかないんだ。
スカイアンドホワイトが雄叫びを上げた。
勝つのを待ち望んでいるかのようだ。
スカイアンドホワイトは『早く【天馬競争】をさせてくれ』と思っているのかもしれない。
……楽しんでいる?
きょとんとした目でスカイアンドホワイトを見る。
スカイアンドホワイトは静かに心をメラメラと燃やしているような気がした。
……そうだよね。勝つのも大切だけど、楽しむ気持ちも大切だよね。
いっしょに【天馬競争】を楽しもう。楽しんで勝とう。
ね、スカイアンドホワイト。
「怖がる気持ちより、楽しむ気持ち、だよね?」
空の向こうを見る。空の向こうにはたくさんのワクワクが広がっていた。
これが私の英雄も見た景色。【逆バニーズハウス】の上空を飛んでいるときとはまたちがう。
隣には上空に浮かぶ観客席。大きい液晶モニター。
本当に始まるんだ。デビュー戦。
私は観客席の方を眺める。
このコースは大きい賞でも使われるらしい。今はまだデビュー戦だが、いずれはここでたくさんの観客が他の天馬たちを応援している中、遅れてやってくる超新星、スカイアンドホワイトの姿が見られるんだ。
滾る。滾るじゃん。
今、ビリッときた。身体の中で電流が走ったような感覚になった。
私とスカイアンドホワイトのワクワクは、もう誰にも止められない。
空のにおい。風の音。
伝説になった英雄たち。歴史に名を残すことなく消えていってしまった天馬たち。
誰もが、このスタートラインに立った。
想像する。勝ちを掴み取り、涙を流した英雄たちを。負けてしまい、涙を流した天馬たちを。
「みんな、ここから始まったんだ」
希望も絶望も。栄光も屈辱も。全部だ。
「当日は全九頭が出場予定。私たちは他の八頭の天馬たちに勝ち、デビュー戦を勝ち取る。勝てば、次のレースの出場を考えることになり、負ければ、未勝利戦に流される……」
と、ここまで呟いて、沈黙した。
私たちは勝つ。負けは考えない。
だから、私たちには関係ない。
それよりも、対戦相手の方を考えよう。
おそらく、一番人気となる天馬はワンダフルブレイバーだろう。デビュー戦は基本、観客席ががら空き状態だが、今回はワンダフルブレイバー目当てで観客やメディアが押し寄せてくるはずだ。
理由。単純だ。ワンダフルブレイバーは伝説の天馬リーダーオブオールの子どもだからだ。
リーダーオブオールは敗北の二文字を知らない天馬だ。十戦十勝。颯爽と現れ、負けを知らないまま引退していった天馬。それがリーダーオブオールという天馬。
当日は、その伝説の天馬の産駒の活躍に期待する者たちで溢れ返るのだろう。
その民衆たちが抱いた期待、私たちでぶち壊してあげようよ。
ニヤッと笑ってみる。
ワンダフルブレイバーを見ている者よ。すぐに後悔すると良い。
闇から静かに現れた天馬。苦しみの世界から音もなく舞い降りた天馬。
この戦いで勝つのは、ワンダフルブレイバーでも他の天馬たちでもない。
この戦いで勝つのは、私たちだ。
「当日、私たちは最後方からのスタートになる。リーダーオブオールはたしか大逃げをする天馬だったはずだから、おそらく、ワンダフルブレイバーも大逃げをするだろうね」
私の頭の中で、当日のイメージが浮かんできた。
ワンダフルブレイバーがぶっちぎりで先陣を切っている光景だ。
観客もメディアも全員、ワンダフルブレイバーに夢中。スカイアンドホワイトには一切気がつかない。
ゴールが迫る。ゴールまで残り五百メートルを切った。
そこで、漸く、私たちはエンジンを掛ける。
一頭、二頭、三頭とごぼう抜きしていき、ゴールまで残り百メートルの地点でワンダフルブレイバーと一着を競い合う。
そのとき、初めて民衆はスカイアンドホワイトがワンダフルブレイバーを追い抜こうとしていることに気がつく。スカイアンドホワイトという存在に気がつく。
みんなが応援しているのはワンダフルブレイバーだ。
でも、私が応援しているのはスカイアンドホワイトだから。
申し訳ない気持ちも、ワンダフルブレイバーに一着を譲ってあげようという気持ちも、何処かに置き去りにして、私たちはワンダフルブレイバーを追い抜いていく。
レース終了後。きっと、民衆たちは「なんであんな天馬が」とか「あり得ない」とか「たまたまワンダフルブレイバーが負けただけだ」とか口々に言うことだろう。
デビュー戦は、それで良い。それで構わない。
だけれども、私たちは次の【天馬競争】でまた一着を取る。
そのとき、初めて民衆の目がスカイアンドホワイトに向くことになる。
イメージは完璧だ。
屈辱は存分に味わった。もういらない。
未来は描いた。さあ、頂へ。
「スタートは力を温存しよう。前半で力を消耗してしまったら、ラストスパートを掛けられない」
ぶつぶつと呟き、当日の作戦を考えていく。
独り言。どう考えても独り言。
けれど、これは独り言じゃない。
これは、スカイアンドホワイトと当日の作戦を話しているだけ。
私はよく独り言を呟く。まわりからは変人のように思われているのかもしれない。
ただ、私は独り言をすることで、精神を安定させ、自分に自信を持ち、考えを整理することができるから、この行動を控えようとは思わない。
変人で良い。変わっていて、良い。
ただの凡人では、天才には勝てない。
誰もが思いつかないような奇抜な発想で、天才を出し抜く。そのためには、変わっていることも必要だと私は考える。
だから、私は奇人になる。
奇人の私と、秘めた力を持つ天馬、スカイアンドホワイト。
私たちで、天才たちに勝つ。
「デビュー戦を勝ったあとの話をしよう。いきなり大きな賞レースには出られないから、最初は小さな賞レースに参加することになると思うんだ」
歴史に名前を刻んだ英雄たちも、最初はそうだった。
デビュー時の期待度はスカイアンドホワイトとは天と地の差だっただろうが、それでも英雄たちも最初は大きな賞レースに参加することはない。
地道に勝ち数を増やして、実力をつけ、ファンを獲得していき、大きな賞に参加して、頂点を掴み取っている。
そこは変わらない。英雄たちと、私たちの歩んでいく道は変わらないんだ。
何も変わらない。変わらない。
ちがうのは、血統。それだ。
私たちは、地に墜ち、闇を知って、光を目指している。
血統はない。人気はない。
あるのは、痛みと苦しみと屈辱と絶望。
そして、勝ちたいという欲。
這い上がりたいという欲だ。
変わらないようでちがう。
私たちには野心がある。
絶望を味わった私たち。希望の象徴となっている英雄たち。
私たちが英雄たちを食らう。
誰にも気づかれずに、誰にも悟られずに私たちは現れる。私たちは【天馬競争】に波乱の嵐を巻き起こしていく存在となる。
ダークホース。それだ。私たちはそのダークホースというやつになる。
私たちはどん底にいた。自分自身の弱さを知った。弱さを知って、強さに憧れた。
私たちは勝ちに飢えた、捕食者だ。
絶望を味わい、奥深くの底にいた存在でも成り上がることができるんだって証明してみせる。
きっと、そのために私たちは出会ったんだ。
さあ、私たちと勝負しよう。英雄たちよ。
私はカッと目を開き、手綱を強く握り直した。