5.受け継がれた魂
「知っていること、とは言っても、僕は身近で見てきたわけでもないからね」
メレットさんが髪をかきあげて苦笑してから、申し訳なさそうに言った。
メレットさんはただの売店の従業員。牧場で天馬たちの世話をしているスタッフではない。メレットさんの言っていることは尤もだった。
「まあ、でも、シャレアちゃんの目が本気みたいだからね。だから、何か話せることを話そうか」
優しい笑みを浮かべたメレットさんが私の頭を撫でてきた。
そのとき、私は「なんだこいつ」と思ってしまった。
行動のひとつひとつがやはり気障ったらしい。
馴れ馴れしい。実に馴れ馴れしい。
と、思いはするけれど、話していてわかったのだが、メレットさんはたぶん悪意があってやっているわけでもないんだ。これがメレットさんの素。
だから、私がメレットさんをこういう風に思うのは、失礼に値すると思う。
メレットさんの取る行動や仕草は好きではないけれど、本人に悪気があるわけではないから、メレットさんを腫れ物のように扱うのはやめようと思う。
というか、自分が誰かに腫れ物扱いされると嫌だし。誰かが嫌な思いをしてしまうかもしれないことをするのはやめるべきだ。
この先も、メレットさんとは話す機会があるかもしれないし、今のうちにメレットさんの雰囲気に慣れておこう。
私は、メレットさんに頭を撫でられるのを我慢した。
「……うーん、この話はどうかな。スカイアンドグレードと……いや、スカイアンドグレートって呼んであげた方が良いかな。スカイアンドグレートとクレナイさんの出会いを今から話そうか」
「メレットさんはスカイアンドグレートとクレナイの出会いを知っているんですか?」
「ああ、もちろん。クレナイさんからちゃんと聞いているよ」
メレットさんは親指を突き立てて『バッチリ』のポーズを手でつくった。
なるほど。段々とメレットさんがどういう人物なのか、わかってきた。
メレットさんは見た目はいけ好かない感じだ。
しかし、好きなことには熱心なタイプで、真面目なときは真面目になるタイプなんだ。おそらく。
ただ、真面目なときは真面目なんだろうけれど、素が結構天然というか、ボケとツッコミでいえば、自然とボケをしてしまっているタイプなのだろう。それで、お茶目な部分がちょくちょくチラッと露になっていた。
メレットさんの行動に理解のある人だったら、メレットさんのことを不思議に思わないだろう。というか、それも個性なんだな、くらいでとどめてくれるだろう。
……クレナイはおそらくそんな感じの性格をしていて、まあ、クレナイはメレットさんのこと苦手ではないんだろうな、とは思う。
でも、人によっては良くない印象を与えてしまうと思うので、私はメレットさんにそれをストレートに伝えようと思った。
「メレットさん」
「うん? どうしたんだい?」
「メレットさんってナルシストなんですか?」
ド直球に言ってみると、メレットさんは膝から崩れ落ちて、わかりやすいくらいに落ち込み始めた。
ちょっと言葉のトゲが鋭すぎただろうか。
もう少し、やわらかい言葉を使うべきだったと後悔したのだが、私は学がないので、他の言い回しが思いつかなった。
なんて言えば良かったのだろう。
こういうときは言わない方がむしろ良かったのだろうか。
相手の気持ちを考えられる人間になりたいとは思っているが、どうにも、私は直球に言ってしまうクセがある。
ああ、そうか。これは、私の悪いクセだ。
私自身、べつにできた人間ではないのに相手の悪い箇所に言及する。
うん。メレットさんに「それは良くないよ」なんて言える立場じゃないな。
私の性格はとても歪んでいるらしいとわかった。
「……と、とりあえず、スカイアンドグレートとクレナイさんの出会いの話を語ってあげよう」
メレットさんの顔色は良くないように見えたが、それでも語ってくれるらしい。私がとても失礼な発言をしたのにもかかわらず、語ってくれるらしい。
私はこのとき、メレットさんのことを「なんて器の大きい人なのだろう」と思ってしまった。
「さて。出会いの話をする前に、まず、クレナイさんの過去を話す必要がある。知られたくない過去もあるだろうから、一応、話しても問題なさそうな過去について語るとしようか」
私は、メレットさんのその含みを持った言い方に、何かを察してしまった。
『知られたくない過去もある』、『話しても問題なさそうな過去』、この二つが意味することは、クレナイの過去は酷いものだったということだろうと思う。
クレナイは経歴だけで考えてみれば、わけありな存在だ。クレナイの過去は酷い過去なのだろうということは、容易に想像できた。
その酷い過去を受けて、今のクレナイがいる。
今のクレナイは、苦しそうにしていない。つらそうにもしていない。
ただ、毎日何処かでかっこつけている。
私はそのクレナイの姿にも憧れて、【逆バニーズハウス】へとやってきた。
だから、私は知りたい。どういう過去があって、今のかっこつけたかっこいいクレナイが存在するのか知りたい。
真剣な眼差しを向けようと思い、私はメレットさんの目を見つめる。メレットさんは考える仕草をして、話す内容を決めているようだった。
「クレナイさんが元々セクシー女優だった、ってことは知っているよね?」
「はい」
「オーケー、オーケー」
メレットさんは私の反応をたしかめている。
きっと、何処まで話すかをそれで決めるのだろう。
「まあ、何処の業界でもだいたい当てはまることなんだけど、セクシー女優ってのはお金を稼げる人は稼げるけど、稼げない人は稼げない職業だ」
ああ、それは知っている。
コメディアン、ミュージシャン、俳優など。民衆に知れ渡るほどの者は僅かばかり。
金を稼げる人は相当稼ぐそうだが、稼げない人はまったくと言って良いほど金が懐に入ってこない、格差の酷い職業。
稼ぐ稼がないとかではなく、とりあえず、安定した生活を送りたい場合は、公務員になれ、なんてのはよく聞く話だ。
しかし、私にもクレナイにも学がない。
おそらく、クレナイは学校にもまともにいけない生活環境だったのではないかと考えられる。
だから、公務員になれ、なんてのは無理な話なわけだ。
その時点で、クレナイは自分の将来の選択肢を、いろいろと狭められてしまった。
……もう、なんとなくわかってしまったような気がするが、クレナイがセクシー女優になったのは、望んでなったわけではなくて、身を売って食い扶持を稼ぐしかなかったからなのではないだろうか。
あの日。あのとき。クレナイは私とお姉ちゃんを救ってくれた。それはきっと、私たちと幼い頃のクレナイ自身を重ね合わせてしまったことで、「助けたい」という庇護欲が働いてしまったのかもしれない。
「……えっと、シャレアちゃん、疲れているのかな?」
「……ああ、ごめんなさい。これはクセなんです。何かを深く考えてしまう、という」
「そっか。それなら良かった。じゃあ、話を続けようか」
「お願いします」
私はまたペコリと頭を下げた。
「クレナイさんはね、お金がなかったんだ。だから、一時期はギャンブルにのめり込んでいた」
「……お金がないのに?」
「お金がないからこそ、手持ちのお金を何倍、何十倍、何百倍にすることができる可能性のあるギャンブルとかいうものにハマるのさ。はっきり言って、沼だよ。一度ハマってしまったら、抜け出すのは難しいだろうね」
メレットさんはまるで、経験者かのように語る。
話しぶりから見えてしまう。メレットさんの心の色が。
メレットさんも、なかなか重い過去を背負っているような気がする。
メレットさんの瞳は、何処か、虚ろだった。
それに、メレットさんは自分を騙すように、軽薄な口調でいる。
話していてわかったことだけれども、メレットさんは真剣なときは真剣に話す人物だ。
素はおちゃらけていてマイペースな人間なのだろうけれど、そんな人間が冷たい目で虚空を見つめているのは、異様な光景だ。
だから、ネジの外れたオルゴールのように、何処かメレットさんには闇があるように思えた。
「……で、ギャンブル沼にハマっていたクレナイさんのもとにあるとき、颯爽と……いや、かっこ悪く現れた天馬がいた」
「それがスカイアンドグレートですね?」
「いや? スカイアンドグレートはまだ生まれていないね。クレナイさんのもとに現れた天馬はスカイロードって天馬さ」
「スカイロード……ですか?」
「ああ。スカイロードはね、スカイアンドグレートと同じように負け続けてきた天馬さ。クレナイさんも【天馬競争】で賭けをしていたとき、そいつに賭けて見事に多額のお金をスッてしまった。借金までしたらしいよ」
「なんだか、すごい過去ですね……」
「あはは。クレナイさんって、そういう人なんだよ」
メレットさんが無邪気に笑った。
「倍率だけを見てクレナイさんはスカイロードに賭けていたわけなんだけれども、あまりにも勝たないものだからさ、そこでギャンブル熱が冷えて、ギャンブルをやめたらしいんだ」
「それは良かったです」
「で、そのときクレナイさんは【天馬競争】の熱さによって心を動かされ、天馬牧場の牧場主を始めようとしたわけ。そこで、漸くスカイアンドグレートの登場さ」
メレットさんは指をパチンと鳴らしてウィンクをした。
「スカイアンドホワイトはスカイアンドグレートの子どもなわけだよね? スカイアンドグレートはね、なんとスカイロードの子どもなのさ」
「えっ……?」
「賭けに失敗して大負けをし、ギャンブルをやめる理由となった天馬。その子どもを他の牧場主さんから譲ってもらったのさ」
「どうして、そんな……?」
メレットさんは私の驚いた顔を見て、ニヤリと笑った。
「どうしてだと思う?」
メレットさんは意地悪そうな笑みを浮かべたままでいる。
さっき、私がド直球な発言をしてメレットさんの心をへこませてしまったから、その仕返しだろうか。
ちょっと大人げないなと思ってしまった。
「……まあ、答えを言ってあげようか。クレナイさんにとって、スカイロードは――英雄――だったからだよ。スカイロードのおかげで、人生が大きく変わったんだからね」
「……そう、なんですね」
「えっ? ちょ、ちょっと、何処行くの?」
「スカイアンドホワイトのところです! 私、頑張ります! 絶対にスカイアンドホワイトには【天馬競争】で勝たせてあげます。だから、そのために頑張らないと」
「ふふっ。君たちは、きっと良いコンビになるよ」
私は「ありがとう」と言ってペコリとお辞儀をしてから、スカイアンドホワイトのところにダッシュで向かった。