4.金をドブに捨てる天馬
「やあ、シャレアちゃん」
気取ったイケメンに声を掛けられる。
見た目は二十代くらいか。誰だかわからないけれど、どうやら、このイケメンは私の名前を知っているらしい。
となると、このイケメンはクレナイの知り合いだろうか。
クレナイはああ見えて元セクシー女優というよくわからない経歴を持っている。
ふむ。このイケメンは、クレナイがセクシー女優時代に知り合った人、と考えるのが妥当だろうか。
見た目的に、ホストかセクシー男優といったところだろうか。
生憎だが、私はこういった気取ったイケメンは好きではない。
そもそも、どんな異性がタイプだとか考えたことなんてなかった。
というか、前提条件として、私はまだ十五だ。未成年だ。未成年に手を出すのはいただけない。
何故、声を掛けられたのかはわからないけれど、何かのお誘いとあれば、断っておこうと思う。
事案はいけない。あってはならない。
「そんなに警戒しないでよ。僕はメレット。そこに売店があるだろう? あそこの従業員さ。ただのしがない従業員だ」
と言っているけれど、私は警戒を解かない。
牧場に併設されている売店の従業員だということはわかった。
だが、何故、ただの一般従業員が、まだデビューしてもいない新米中の新米な騎手の存在を知っている。
クレナイは牧場の主だ。だから、クレナイが売店の従業員の名前をすべて把握している可能性はある。
そして、この男――メレットさんもクレナイを知っている可能性だってある。
だけれども、メレットさんはクレナイとコンタクトを取れる立場のようには見えない。
だから、不思議に思う。何故、メレットさんは私の名前を知っていたのだろうか、と。
クレナイはあまり社交性のある人間ではないように思う。
クレナイ曰く仲間とともに牧場を経営し始めたと言っていたが、クレナイに仲間がいたことに驚きだ。
私はクレナイのことを失礼ながらも、コミュニケーション能力が欠如している人だと思っている。
だいたい「フッ」とか言っているだけだし、よくかっこつけているけれど、ああ見えて、抜けているところが結構ある。
クレナイに拾われてから、基本的に私かお姉ちゃんがクレナイの世話を見ていると言って良いほどだ。
「本当に牧場主なのか? これで?」なんて思うことはしょっちゅうある。
まず、クレナイは朝が苦手だ。
珍しく昨日は朝早く起きて私を起こしに来ていたが、普段のクレナイは朝早く起きることができないので基本的に私かお姉ちゃんがクレナイを起こしている。
私は一時期、騎手になるために牧場を離れていたので、そのときはおそらくお姉ちゃんがいつもクレナイを起こしていたのだろう。そう考えると、申し訳ない気持ちになってしまう。
さて、申し訳ない気持ちになったところで、さらにクレナイに対して残念に思うことがあって、クレナイは学がない。私が言うのもアレなのだが、私に普段から言われてしまうくらい、学がないのだ。
例えば、牧場内は一部の場所を除いて、基本的に禁煙だ。それは何処の牧場でも変わらないはず。それなのに、煙草を吹かしてはいけない場所で煙草を吹かしてしまっている愚か者がいる。あろうことか、その愚か者の正体は牧場のオーナーなのだ。
クレナイは今までどうやって生き抜いてきたのだろう。
経歴のことを考えると、きっと壮絶な過去だったにちがいない。
きっと、セクシー女優なんて、なりたくてなったわけではないのだろう。
それならまだ、クレナイがセクシー女優をしていた理由に説明がつく。
……おっと。いけない。いろいろと脱線してしまったような気がするが、メレットさんはクレナイとコンタクトを取れるような立場には思えない。おまけに、クレナイは自分から進んで話し掛けに行くようなタイプではない。
だから、何故か私の名前を知っているこの男は、危ない奴な気がした。
「えっと、まあ、いろいろ考えているのはわかるけどさ、僕はクレナイさん経由からキミの話をよく聞くんだよね。聞くというか聞かされるというか」
「クレナイが? それは嘘だよ。クレナイは進んで話し掛けようとしないほどの、人見知りだからね」
「一応、僕はクレナイさんの後輩なんだけどなぁ」
「後輩?」
「ああ。といっても学生時代の、だけどね」
「胡散臭いからテストします」
「……テスト?」
「あなたが本当にクレナイの後輩なのか、テストします」
クレナイの後輩だというのならば、身近にいる者しか知らないようなことも知っているだろう。
一問くらい知らないのはおまけしようと思う。
だが、あまりにも酷いくらい間違えてしまったら、私はこの人のことを不審者だと確信して、通報しようと思う。
危害があってからでは、遅いからね。
「第一問。クレナイは昨日、何時に起きた?」
メレットさんがクレナイのことを何も知らない場合、『牧場主』という情報から朝早い時間だと推測し、それっぽい時間を解答にしてくるだろう。クレナイは昨日は朝早く起きていたわけなので、これがただのクイズだったのならば、それが正解だ。
だがしかし、このテストは問題に正確に答えられるかを試しているものではない。
クレナイのことを知っているのならば『クレナイは朝早く起きるのが苦手だ』ということを知っているはず。
だから、メレットさんがクレナイと本当にコンタクトを取れる立場の人間なのであれば、むしろ、ここはお昼に近い時間を解答してくるはずだ。
さて。メレットさんは、どう答えてくる?
「そうだね。あの人は朝起きるのが苦手なんだけど、昨日は珍しく朝早く起きることができて、キミのことを起こしにいったそうだよ。きっと、キミのことを気にかけていたんだろうね。で、問題の答えだけど、朝の六時くらいって聞いたよ」
メレットさんがあまりにも恐ろしいくらいの正確な解答を私に叩きつけてきたので、私はたまげて、後ろにすっ転んでしまった。
本当に、この人はクレナイの後輩なんだ。
ということは、実はクレナイはぐいぐいと誰かに話し掛けにいけるような人間、ということなのか。
たしかに、私はクレナイのことをまだよく知らない箇所がある。
もしかしたら、私よりメレットさんの方がクレナイのことをよく知っているのかもしれない。
「えっと、大丈夫かい?」
「ええ、もう大丈夫です。というか、メレット……さん? は、本当にクレナイの後輩なんですね」
「そうだよ。……テストの続きはもう良いのかい?」
「はい。失礼ですが、私はメレットさんのことを不審者だと思っていたんですけど、どうやらちがったみたいなので」
「ああ、ちょっと説明足らずだったかも。ごめんね」
メレットさんに謝罪される。
罪悪感。私はそれを抱いてしまう。
悪いのはメレットさんではない。不審者だと勘違いして、敵意剥き出しで接してしまった私が悪い。だから、メレットさんが謝罪する必要はないのだが。
なんて思いはするのだけれど、私もコミュニケーション能力が劣っているために「頭を上げてください」とかそういった一言を言うことができない。
その結果、心の中に『申し訳ない気持ち』がどんどんと溜まっていって、心がパンパンになってしまうのだ。
「あっ、そうだった。シャレアちゃん、今度、スカイアンドホワイトのデビュー戦で、初めて騎手をすることになるんだよね?」
「そうですけど、えっと、それが何か?」
「……いや。頑張ってね、と言いたくて」
「そうですか」
上手い返し方がわからず、私はそれしか言えなかった。
「頑張ってね」と言われても、まあ頑張るしかないわけで。
「……スカイアンドグレードは、僕ら以外には、『誰にも期待されていない天馬』だったから、スカイアンドホワイトには同じ目にあってほしくないんだ」
メレットさんが、唐突に、吐露した。
メレットさんのカラッとした笑顔が、少し崩れたような気がした。
悲しんでいる……?
メレットさんの目から光が消えている。
私は、不謹慎にも、少し嬉しく思ってしまった。
だって、スカイアンドグレードのことをこんなにも思ってくれている人がいるだなんて、思わなかったから。
客観的に考えてみる。
スカイアンドグレードはスポットライトに当たらず、ひっそりと戦い、ひっそりと息を引き取った天馬だ。それが、世間のイメージする、スカイアンドグレード。
というか、ほとんどの人はスカイアンドグレードのことをそもそも知らないかもしれない。それくらい知名度の低い天馬だ。
「シャレアちゃんも、たぶん知っているだろう。スカイアンドグレードが、悲劇の天馬なんだって」
「……はい」
スカイアンドグレードはデビュー以来、一度も勝てずに、結局、引退してしまったのだ。
百戦零勝。スカイアンドグレードの戦績だ。
『ダメ天馬』、『金をドブに捨てる天馬』、『無勝の出来損ない』などと呼ばれ、散々な言われようだった。
本来は、スカイアンドホワイトはスカイアンドグレードの血統を受け継いでいる天馬なので、悪い血統だから【天馬競争】には出場させられないと判断されるらしい。
けれど、クレナイは何処かズレている人なので、「スカイアンドホワイトを出場させろ」と言って、スカイアンドホワイトを強引に【天馬競争】の世界へ捩じ込んだらしい。
それくらい強引にいかなければ、スカイアンドホワイトは【天馬競争】に参加するのが難しい天馬だったのだ。
きっと、メレットさんもそれを知っているんだ。だから、思うところがあるのだろう。
「……シャレアちゃん。スカイアンドグレードはね、本当はスカイアンドグレードじゃなくて――スカイアンドグレートなんだ」
「……どういうことですか?」
私の頭では理解できない言葉をメレットさんが言うので、メレットさんにその言葉の意味を訊いてみる。
「そのままの意味だよ。本当はスカイアンドグレートって名前だったんだけれども、出場時の名前の登録で『ト』が誤って『ド』と認識されてしまったんだ」
「えっと……」
「彼は、みんなから名前を間違えられ、尚且つ、一勝もすることができずに、散々な言われようをしてしまった天馬なんだ。だからね、僕はキミとスカイアンドホワイトには頑張ってほしいと思っている。この牧場の従業員としてね。……まあ、牧場の従業員というよりは、この牧場に併設されている売店の従業員なんだけれども」
初めて知った。スカイアンドグレードが本当はスカイアンドグレートだっただなんて。本当に初めて知ったんだ。
私は……私は、私の英雄の名前を今までずっと、間違えて呼んでいた。
いや、正確には、間違えた名前が正しい名前となってしまい、私は事情を知らずに、何も疑うことなく、知ろうとすることもなく、その名前でずっと呼び続けてしまっていたのだ。
私はその事実を知って、当惑してしまう。
私は。私は……その事実が恐ろしい、と思ってしまっている。その事実を知らなかったことに、恐怖してしまっている。
いや。恐怖というよりは、心の中が空っぽになってしまったような気分。空虚。虚無。そんな気分になってしまっている。
心臓を弾丸で撃ち抜かれたような、そんな気分になってしまっている。
「……スカイアンドグレードのこと……いえ、スカイアンドグレートのこと、何か知っていることがあれば、もっと……教えてください。お願いします」
私は深々と頭を下げた。