惑う指先
予想通りのアーキスの了解を受け、リーは改めてソリッドとヤトに紹介した。ついでにいい加減普通に話せと言ってみたが、なぜか無理だと首を振られる。
ふたりともまだだというので連れ立って食堂へと行くと、案の定フェイと双子の姿があった。
いらっしゃい、と微笑むラミエに案内され、空いていた隣のテーブルへと着く。
「フェイ!」
「久し振りだな」
「ふぁんはふへへふんはへほ」
「だから食いながら喋んなっつってんだろ」
挨拶し合うアーキスとフェイを傍目に相変わらずのエリアを一喝してから、初対面の双子にアーキスとソリッドとヤトを紹介する。
「あたしはエリア・シェーザ・アス・ミオライト」
「ティナ・シェーザ・アス・ミオライト」
にっこり笑って略さず名乗るエリアと、表情を変えずに続くティナ。
見惚れたのも一転言葉を失うソリッドとヤトの姿に、リーは呆れたように双子を睨んだ。
「お前らまた―――」
「エリア・シェーザ・アス・ミオライトさんと、ティナ・シェーザ・アス・ミオライトさん、だね」
さらりと復唱して、アーキスは首を傾げる。
「エルフは名前を略さないらしいから、俺たちもそう呼んだ方がいいのかな?」
遮られた続きの代わりに溜息をつき、リーは半眼でアーキスを見上げた。
「別に適当に呼べばいいから。っていうかなんでンなことまで知ってんだよ」
「常識でしょ?」
「……常識…?」
困り果てて顔を見合わせるソリッドとヤト。
「エリアとティナでいいよ〜」
「そうなんだ。俺も呼び捨てで」
よろしくと笑うアーキスと、何事もなかったかのように食べだす双子と、変わらず食べ続けるフェイと、立ち尽くすソリッドとヤト。
溜息をつくしかないリーは、肩を落とし、席についた。
そうしてなんとか立て直してすぐ。
「初めて見る顔だよね?」
注文を聞きついでにそう尋ねるラミエ。ふたりにも名を伝え、ラミエには友達だと説明する。
「とっ、友達というか…」
「お世話になって…」
普段あまり見ないだろうエルフ三人に加え、相変わらず突き刺さる嫉妬混じりの眼差し。アーキスはさすがに顔色ひとつ変えないが、なんとなく情緒を持て余し気味のふたりには少し申し訳なく思う。
一方店内のラミエはやはり忙しそうに座席の間を動き回りながら、途中かけられる注文以外の声には仕事中だからと同じ答えを返していた。
時折視線が合うのは、自分が彼女を見ているから。
声をかければ困らせるのはわかっていたので、何も言えなかった。
明日の出発を告げ、フェイたちと別れてから宿へ戻る途中。
知り合い美人多いんですね、と。ぼそりとヤトが呟いた。
まだカレナに返せる言葉はなく、その日の夜は外に出なかったリー。
翌朝前と同じ頃に、アーキスを起こさぬようそっと部屋を抜け出した。
待つこと暫く、現れた姿にほっとする。
「やっぱり来てくれたんだね」
駆け寄ってきたラミエがフードを外しながら微笑んだ。
「そっちこそ」
照れ隠しの言葉には、だって、とはにかんで返される。
「おかえりと、いってらっしゃい。言いたかったから」
伸ばされた指が触れるのは、相変わらず服であったが。
「おかえり、リー」
「…ただいま」
ほんのり色付く頬に、この手に自分が触れたらどんな反応をするのだろうかとちらりと思う。
「またすぐ出るんだよね」
もちろんそんなことを思われているとは気付いていないのだろう、そのままきゅっと袖口が握られた。
「うん。メルシナと、そこからバドックかな…」
「バドックって…」
「俺の故郷」
答えるリーに、そうなんだ、とラミエが呟いた。
バドック、と、ラミエは忘れぬように繰り返す。
家族でエルフの郷を出てきてからは、ずっとユシェイグで暮らしていた。請負人組織の職員になってからも、組織内と周りの宿場町にしか行ったことがない。
大きな町なら一般常識として覚えてはいるが、バドックという名は聞いたことがなく。あとでどの辺りにあるのか調べようと思っていた。
リーの故郷。きっと家族がいるのだろう。
「…いいなぁ…」
「え?」
意図せず零れた言葉にリーが首を傾げる。
声に出ていたことに気付いて慌てて手で口を塞ぐが、もちろん引っ込むわけもなく。
少し視線をさまよわせてから、ラミエは観念してリーを見た。リーの顔が少し赤くなったように見えるのは、気のせいなのだろうか。
「…見てみたいな、って…」
呟くと、真正面のリーが間違いなく動揺した。
「小さな村だから、別になんもないけど…」
照れくさそうに視線を逸し、橙三番の近く、ノートルドにあると教えてくれる。
「……同行員になったら、外出ることもあるだろうから」
「うん。もうちょっとだから頑張るよ」
おそらく来年、一の月からは同行員として働けるようになる。もちろん基本的な仕事が変わるわけではないが、リーと一緒に行けることがあるかもしれない。
袖を握る指を少し緩め、そのまま手を取ろうかと迷う。
触れたくても触れられない、そんなリーとの関係。
このままじゃ嫌だと思ったのは自分のはずなのに、手を取る勇気は出なかった。
「…リー」
「何?」
だからもう一度、その指先に力を込める。
「いってらっしゃい。気をつけてね」
「…うん。ありがとう」
返された言葉に微笑んでから、込み上げる気持ちが零れぬうちに視線を落とした。
帰らないと、と言いフードを被ったラミエを見送り、リーはそっと部屋へと戻った。起きた様子のないアーキスにほっとしながら、もう一度寝る気にはなれずにベッドに座る。
会えたのも、話せたのも、やっぱり嬉しい。
顔を赤らめ微笑む顔を思い出して思わず頬を緩めてから、ふと気付いた。
今朝も、前回も、会えたのはラミエが来てくれたから。
自分が彼女のことを知っているのは組織の職員だということ、ユシェイグ内に家族と住んでいるということ、そしてここの食堂に勤めているということだけ。
以前突然食堂に立たなくなったように、また突然会えなくなったら。
その時自分は一体どうするつもりなのか―――?
隣のベッドで身動きしたアーキスに、はっと我に返る。
「…リー? もう起きてるの?」
もぞりと半身を起こしての問いにはおはようと返してから。
今抱いても仕方のない不安を胸に、こっそりと嘆息した。
朝食後、リーたち四人はメルシナ村へと向けて出発した。
メルシナ村に一番近い黄の六番の宿場町までは、普通に進めば馬で六日。馬替えをしながら急げば一日で一区間と半分ほどは進めるが、今回はそこまで急ぐ必要もない。
紫街道を南下しながら、そうだよなぁ、とリーは独りごちる。
龍であるフェイとの旅路は、馬がフェイを怖がるために徒歩が基本。急ぐ時はフェイだけ先に帰って自分は強行軍気味に馬で、もしくは迎えが来て視覚阻害魔法をかけられ龍に乗って帰るハメになる。
徒歩か馬かの二択だったはずなのに、と。
己の生活の変わりように思わず遠い目をしながら、リーは束の間のごく普通の穏やかな旅路を楽しもうと決めた。
宿場町で土産を買いながら進む一行。
赤六番を過ぎた辺りからアディーリアのソワソワとした感情が強くなってきたことで、居場所を気取られたとわかった。
自分のところに来てくれるのかという期待と、そうでないかもしれないという不安。近付くにつれ強くなるそれに、今から行くと伝える術がないことを申し訳なく思う。
橙六番からは皆に少し急いでもらい、昼過ぎに黄の六番に着いた。ここからは徒歩でメルシナ村へと向かう。
もう自分が来ると確信しているのだろう。浮かれ喜ぶアディーリアの気持ちに思わず笑いながら、リーは足を早めた。