同期の親友
宿に戻るとアーキスからの伝言があった。宿の主人に礼を言い、リーはそのまま宿内の食堂へと向かう。
宿泊者以外も利用できるようになっている一階奥の食堂。ちょうど夕食時の店内はそれなりに混んではいるが、見回すまでもなく目立つ銀髪が視界に入った。
「アーキス!」
リーが声をかけるのとほぼ同時に気付いたアーキスが手を挙げる。
「久し振り」
「だな」
勧められるまでもなく向かいに座るリーに、アーキスは藍色の瞳をすっと細めた。
「ま、言いたいことはたくさんあるけど。とりあえず今日はリーのおごりだよね?」
笑っているけれど笑っていないアーキスに苦笑を返してから。
テーブルの上の酒は既に何杯目だろうかと思いながら、わかってる、とリーも頷く。
「好きなだけ頼んでくれ」
話せないことがあったことも、考え込んでいたことも、アーキスには気付かれていたのだと思う。心配をかけていたことはわかっているし、それでも何も言わずに見守っていてくれたのも知っている。
だからこそ、話せなかったことが申し訳なく、話せるようになったことが嬉しい。
そして同時にこれが、これ以上気にしなくていいとの申し出であることもわかっていた。
じっとリーを見返す瞳がふっと緩む。
「じゃ、遠慮なく」
「はいはい」
すみませーん、と店員を呼ぶアーキスに笑い、リーもメニューに視線を落とした。
本当に遠慮なく酒と食事を堪能したアーキスと、追加の酒一本とともに、リーは宿の部屋へと入る。
ゆっくり酒を飲みながら、リーはメルシナ村の依頼を受けてからのことを話した。
同じくグラスを傾けながら。時折相槌を打つだけで、口を挟まず聞くアーキス。
最後にマルクから龍たちにアーキスを紹介しておけと言われたことを告げて、リーは話を終えた。
「アーキスがいいなら、一緒にメルシナとバドックに行けたらと思ってるんだけど…」
自分が剣の調整のためにここへ来たように、アーキスもまた自身の剣の調整に来ている。その後の都合も含めてそう聞くと、ふたつ返事でいいよと返された。
「俺の剣も暫くかかるから。できたら知らせてもらえることになってるんだ」
「暫くかかるって…」
見慣れたアーキスの剣を一瞥してから首を傾げるリーに、こっちじゃなくて、とアーキスが笑う。
「ハシェクさんと相談して、左用にもう一本作ってもらうことにしたんだ」
「左用?」
アーキスが扱うのは細身の剣なので、リーの大剣のように両手で構えることはほとんどない。
とはいえ。
「そういやお前両利きだっけ…」
どこまで器用なんだと半眼で呟くリーに、アーキスは肩をすくめる。
「ちょっと短めのってことになったんだ。まぁまともに使えるようになるまでは頑張らないとだけどね」
「普通はその選択肢がねぇんだって…」
呆れたように頭を掻いてから、リーはアーキスに言おうと思っていたことをもうひとつ思い出した。
「そうだ。痛み止めがもうなくって。また頼めるか?」
「いいけど…怪我したの?」
途端に心配そうな表情になるアーキスに、俺じゃなくて、とリーが首を振る。
「怪我してた奴にあげたんだよ」
「その人って、リーより大きいよね」
確定で聞いてくるアーキスをジト目で睨んでから、そうだけど、と頷くと。
「あれはリーの体格に合わせて調合してるから。もしかしたらちょっと効きが甘かったんじゃないかなって思って」
「そうなんだ?」
そんな細かい調整までしていたのかと驚くリー。
「俺はすぐ別れたから知らねぇんだけど…」
「そっか、まぁ薬慣れしてない人ならそれなりに効いてるかな」
少し首を傾げてそう呟いてから、了解、とアーキスが応えた。
「でも。本当に色々あったんだね」
突然じっとリーを見つめてから、不意にアーキスがそう洩らす。
「愛子って」
「笑うなよ」
声音に含まれる明らかに面白がっている響きに、自身も少し小っ恥ずかしい名称だと思っているリーはすぐさまそう返す。
「俺がそう名乗ってるんじゃねぇんだから」
「わかってるけどさ」
今度は完全に笑いを堪えながら、アーキスはポンとリーの肩に手を置いた。
「かわいらしくていいんじゃない?」
「だから。ふざけんなって」
アーキスが本気でないことはリーもわかっている。色々と心配をかけた分をやり返されているだけだ。
案の定ひとしきり笑ってから、それにしてもとアーキスが呟く。
「龍かぁ。俺は遠目に飛んでるのを見たことしかないな」
思い出すように宙を見ながらのその声に滲むのは、憧れと敬意。
「何言ってんだよ。目の前にいただろ」
意地が悪いとわかっていてそう言うと、アーキスは一瞬不思議そうにリーを見たあと、ああ、と頷く。
「フェイは……フェイだし?」
「………まぁな」
異論はないので話はそこで終わったが、アーキスからは何やら穏やかな眼差しを向けられたままだ。
「あんだよ」
なんとなくこそばゆいそれに耐えかねリーがぼやくと、アーキスはそのまま嬉しそうに瞳を細める。
「…よかったなって思って」
「ん?」
「リーのこと。皆認めてくれてるんだね」
小さく呟かれた言葉にリーは瞠目し、すぐさま仕方なさそうに瞳を伏せた。
「…まだ酔っ払うほど飲んでねぇだろ」
「そうだね」
自分が故郷にいられなかった理由を知る、アーキスだからこその言葉。
―――守られ気遣われるだけの自分ではなく、自分自身も何かになりたかった。
その思いが報われたのだと言われたようで。
それきり黙り込んだリーに、アーキスも何も言わず。
残る酒を、ふたりで空けた。
翌朝、朝食のあとでアーキスに小さな紙の包みをふたつ手渡された。開かないよう折り込まれた白い紙には、手書きで痛み止めと書いてある。
「もう作ってくれたんだ?」
「材料あったから。朝にね」
酔いは醒ましたと言いたかったのだろうが、つまりは早くから起きてくれたということだ。
「ありがとな」
せめてと思い礼を言って、荷の中にある薬入れの箱へとしまうリー。箱の中にはほかにも熱冷ましや化膿止めと書かれた薬が入っている。
「俺も自分で作れるようになった方がいいのかもな」
アーキスの作ったそれを眺めながらの呟きに、当の本人はそうかもしれないけどと笑う。
「一般の割合じゃ、俺のより効果が弱いから」
「お前は技師名あるんだもんな」
基本的な薬の調合率は一般に出回っており、販売目的でなければ調合師でなくても調合は可能である。しかしそれ以外の調合率で薬を作ることができるのは、調合師として技師名か弟子名を技師連盟に登録している者だけであった。
調合師としての技師名を持つアーキスは、独自の割合で薬を調合することができるのだ。
「だからまぁ、いいなら俺の使ってよ」
「ありがたく使うけど。いいかげん金払わせてくれって…」
「そんな高価な薬草は使ってないって」
弟子名ではなく技師名を持つアーキスなら販売することもできるのだが、一度として代金を受け取ろうとはしなかった。
結局いつもうやむやにされるので、リーも理由をつけては食事や酒を奢ったりもする。
尤も、そうしてともに過ごす時間はリーにとっても楽しみで。だからこそこうして好意に甘えているのかもしれない。
「…わかった。ありがとな」
これから暫くはアーキスとのふたり旅。バドックに行く予定もあるのだ、せいぜいその時もてなしてやろうと思い、リーは素直に礼を告げて箱を閉じた。
紫二番を離れる前に、リーはドーザに、アーキスはハシェクに、それぞれの剣のことを改めて頼みに行った。
そこから馬で一日弱、夕方に紫三番へと戻ってきたふたり。部屋を取ろうと宿へと行くと、来客があると言われた。
「俺に?」
すっかり顔なじみの宿の主人にリーがそう尋ねると、見覚えない顔だったけどな、と店主が返す。
「呼んでくるからそこで待っててくれ」
階上の部屋へと向かう宿の主人を見送って。
リーはアーキスと顔を見合わせ、首を傾げた。