背負うもの
朝食後、リーは馬を借りて紫街道を北上していた。
あのあとすぐ、戻らないとと言って帰ってしまったラミエ。
話せてよかった。
微笑みそう言ってくれる彼女に、自分は何も言えなかった。
会えて嬉しい。
話せてよかった。
次はもう少しゆっくり話したい。
浮かび弾ける言葉はそのまま消え、渡せないままだった。
どうしてそう思うのか。
その先に続く言葉を、自分はまだはっきりとは伝えられない。
カレナの問いに答えられるだけの想いが、まだ自分にはない。
だからまだ、胸の内を言葉にできない。
馬上で嘆息したところで、届く相手は誰もおらず。思考を遮るものがない中、リーは紫二番へと馬を駆った。
考えるに任せて走らせたお陰で、予定より少し早く紫二番の宿場町に着いた。
時刻は昼と夕方の真ん中くらい。宿で所属証を見せてアーキスのことを尋ねると、出かけていると言われた。
どこに行っているかは予想がつくが、とりあえず伝言を頼んで己の用事を済ませに行く。
宿場町からユシェイグ内へと向かう門は、バラスという名の鍛冶屋街に続いていた。請負人は所属証を見せれば、それ以外は門で記名すれば入ることができる。
門からまっすぐに大通りが貫き、十字路を三つ抜けた先に再び門があった。その先へは請負人か許可のあるものしか入れない。
場所がら剣や防具に特化した店が多いが、一部農業用や林業用、家庭用などの道具を扱っている店も見られた。おそらくは近隣とユシェイグ内の施設からの要望もあったのだろう。
大通り沿いにふたつ十字路を越えた先、一軒の店の前でリーは立ち止まった。
素っ気ない石造りの店、唯一装飾らしい吊り下がった金属板には『ドーザ鍛治店』と書かれてある。店同様飾る気のない店名は、店主の気質をよく表しているようだった。
開いていることにほっとしながら、開けっ放しの入り口から中を覗く。
鍛治店と書かれているのに店内には剣の一本も置かれていない。半分ほどでカウンターで仕切られ、手前にはいくつかの袋と藁を束ねた物が置かれている。その奥の壁面は両側ともに一面の棚、真ん中奥にはこちらに背を向けて座る小さな姿が見えた。
「ドーザさん!」
声をかけるとのそりと背が動く。振り返ったのは小柄ながらずんぐりとした体格の男。
「リーじゃねぇか。キリいいとこまで待ってくれな?」
そう言いまた背を向けるドーザは、興が乗ると店を閉めて鍛冶に没頭することもある。客よりも作業第一な姿勢は変わらないなと笑い、リーはそのまま店内で待っていた。
「悪かったなぁ」
ニカニカと笑いながらやってくるドーザ。それなりに待たされたものの、こうなるだろうことはわかっていたので特に言うことはない。
リーより少し背は低いが全体的に肉厚なその姿は、ドワーフならではの特徴だった。
ここバラスには多くの鍛冶師がいるが、その大半はドワーフである。もちろん各地にもドワーフの鍛冶師はいるが、設備、材料に富むバラスはドワーフにとっても人気の鍛冶屋街らしい。
背の剣を鞘ごと降ろしながら、一年振り、と挨拶するリー。
「開いててよかったよ」
「まぁ二と六の月はなるべく開けるようにはしとるがなぁ」
カッカッと笑うドーザに剣を手渡しながら、なるべくって、と苦笑する。
「問題はないか?」
鞘から抜いた剣を食い入るように見ながら問われ、まぁ、と曖昧に返すリー。
「これだから無茶できてるってのもあるから…」
その声に、ドーザは剣からリーへと視線を移した。頭の先から足先までゆっくりと見やってから、改めて剣を見る。
「伸びてねぇもんな」
ぼそりと呟かれ、リーは居心地悪そうにドーザを見返した。
ドーザは腕はいいが少し変わった鍛冶師で、客の要望に合わせて剣を打たない。なので店内にも客に見せるための剣は一切置いておらず、すべてカウンターの奥にしまわれていた。
ドーザが訪れた客を気に入れば、その中からその者に合う剣を売る。
合う剣がなければ誂える。
儲ける気などない様子だが、どちらかというとドワーフにはそういう気質の者が多く。作る方に没頭し、売るのは二の次となりがちだった。
尤も作り上げたものの価値はきちんと評価するので、二束三文で売り払うような真似はしないが。
リーの大剣も、小柄ながら力のあるリーを面白がってドーザが売ってくれた剣である。少し長いかと言われてはいたが、己の成長を信じていた十八歳のリーはこれでいいと言い張った。そして四年が経つ。
「やっぱり新しいの打ってやるぞ?」
少々ぶすくれた表情のリーに、笑いながらドーザが告げた。
普段の手入れはリーがしているが、年受付の際にドーザに確認がてら調整してもらっている。その度に言われ続けてきた言葉に、今年もリーは溜息を返した。
「もう慣れてるしいいって」
「だがそれ以上背は伸びんだろう?」
そんなことない、と言いたかったが言えず。ますますふてくされるリーの背を、ドーザがバシバシと力任せに叩いた。
「いい加減観念しろ。合わない剣を見繕ったオレの失敗をいつまでも背負ってんじゃねぇ」
「あれは俺がこれでいいからって…」
「その言葉に甘えたのはオレだ。……まぁ正直言うともう少しデカくなるかと思ってたんだがなぁ」
結局は笑われ、リーはドーザを睨みつけてうるせぇよとぼやく。拗ねた様子にますます笑い、ドーザはもう一度背を叩いた。
「そろそろ任せてくんねぇか?」
毎年こうして聞いてくれるのは、本当に自分のためを思ってのことで。
そして同時に、ドーザとしては納得のいかないこの状況を容認してくれているのもまた、自分を気遣うからこそだとわかっていた。
養成所生活の終了間際、いざ請負人として立てるようになった自分たちを、教師たちがここへ連れてきて案内してくれた。
その時からの付き合いの剣。
自分には少々大きなこの剣だが、いつか見合う自分になれればと思っていた。
だからこそ、自分なりに工夫してこの剣とともにやってきた。
だからこそ、毎年のドーザの提案にも首を振ってきた。
この四年間、自分の命を守ってくれた剣。
自分は。
果たしてこの剣にふさわしい使い手であったのだろうか―――。
ドーザの手にある剣を見て、リーは覚悟を決める。
フェイも少なくとも六の月の間は動けない。今までドーザの好意に甘えてきたけれど、この機にふさわしい者の手に委ねた方がいいのかもしれない。
じっと剣を見つめてから、リーは吐息を洩らし、まっすぐドーザを見下ろした。
「わかった。任せるよ」
リーにしては少し小さなその声に、ドーザはしっかりと頷いてみせる。
「大事に使ってくれてありがとな」
一瞬瞠目し、すぐにくしゃりと顔を歪め。当たり前だろ、と、リーは呟いた。
新たな剣を作るにあたり、その日は色々と測られたリー。この時期は店も開けねばならないから、出来上がるまで十数日以上はかかるらしい。
本部づてに連絡すると言うドーザに礼を返し、リーは元の大剣を背負ったまま店をあとにした。
傾く日に黄色く染められる街を歩きながら。
なんとなく寂しさを覚えるのは、四年間を支えてくれた相棒を手放すことが決まったからか、見合う己になれずじまいだったからか。
黄昏れる空を見上げ、何度目かの息をつき。
長い影を引き連れながら、リーは宿へと向かった。