それまで
射抜くような眼差しを向けて自分の前に立つカレナに、リーは頭を下げた。
「…こんばんは」
「まだ夜は明けてないけど?」
返された言葉に、朝の逢瀬は気取られていたのだと知る。
「わかってます。…今日は俺が送ろうと思って」
夜の町に響いた声に、周りの男たちにざわりと動揺めいた緊張が奔った。
そちらは一切気にもとめず、冷えた空気を纏ったままのカレナが、そう、と一言呟く。
「…答えは出たの?」
張り詰めた沈黙の中。視線を逸らさずにカレナを見返していたリーは、短い問いにただ首を振った。
「…俺ひとりじゃ、わからなかった」
鋭くなった眼光に明らかに混ざる苛立ち。それを正面から受け止めて、だから、と続ける。
「ラミエに一緒に考えてもらえばって言われて。それでいいのかなって」
「随分と人任せね?」
痛いところを突かれてリーは苦笑する。
その考えも、出す結論も、自分のものではないが。
「でも、残されるのは俺じゃなくてラミエだから。ラミエがどうしたいのか、どうしてほしいのか、聞きたいと思います」
それでも格好をつけるよりも、彼女の望みに応えたいと思ったから。
言い切ったリーをじっと見据えるカレナ。心なしか纏う空気が緩んできている。
「それで? あなたはどうするの?」
「俺にできることなら、叶えたいなって思ってます」
その声に迷いはなく。暫し無言で見つめ合ったあと、カレナがふっと吐息をついた。
「…そう」
間違いなく和らいだ雰囲気。まだじっと見つめるだけのリーへと、ようやく見慣れた笑みを浮かべる。
「…あの子明日も朝早いから。遅くならないようにね」
「はい。ありがとうございます」
ようやく緊張を緩めたリー。くすりと笑ってから、カレナは食堂に視線を向けた。
「お礼を言うのはこっちでしょ」
安堵の混ざるその声は、祝福の音のように温かく。
そしてまた、感謝に満ちていた。
「リー?」
食堂から出てきたラミエ。こっちと呼ぶように手を挙げるリーに気付き、パタパタと駆け寄ってくる。
「どうしたの?」
「おつかれ。今日は俺が送ってくから」
「えっ?」
頭の天辺から出たような声を上げ、キョロキョロと辺りを見回すラミエ。周囲にはカレナの姿はもちろん、いつも待っている男たちの姿もなかった。
「カレナさんは先に帰ってもらった」
カレナが帰ってから詰め寄ってきた男たちには丁重にお引き取り願ってある。いくつか視線を感じるのでどこかから見ているのだと思うが、ついてきたらどうなるかは伝えておいたので大丈夫だろう。
「行こう」
状況が呑み込めず戸惑いを見せていたラミエであったが、言い切られた一言に嬉しそうに顔を綻ばせた。
「うん」
喜びの滲むその瞳に見入りそうになってから、慌てて逸らして。
ためらい彷徨わせた手は結局握りしめることしかできないまま、ふたりは並んで歩き出した。
今までのこと話せる範囲で話しながら歩いていく。笑ったり驚いたりとコロコロ変わる表情を眺めながら、リーはようやく話せた幸せに浸っていた。
「ラミエは? 何かあった?」
「ううん。何もないよ」
穏やかな笑みでラミエが答える。
「エリアとティナもすごく頑張ってたから。結局追いつかれちゃった」
「あいつらが?」
心底驚いて尋ね返すと、そうだよ、と笑われた。
「三人揃って来年から同行員。って言っても、普段はいつも通り事務だけどね」
明るく告げられた声にそうかと頷きかけて、いつも通りとの言葉に引っかかる。
「食堂は?」
「急に抜けなきゃいけなくなるから、辞めることになると思う」
よぎる寂しさは、ずっと働いてきた仕事場を離れることになるからか。それとも―――。
「…会える機会、減っちゃうかも……」
堪えきれず零れたかのような小さな呟きに、リーが足を止めた。
リーが立ち止まったことに気付き、ラミエが怪訝そうに振り返る。
「リー?」
じっとラミエを見つめたまま、リーは腰袋から掌ほどの大きさの箱を取り出した。
「もらってくれる?」
すっと差し出されたそれと真剣そのもののリーの顔とを見比べて、声も出せずに惚けて立ち尽くすラミエ。リーは一歩踏み込んでその手を取り、箱を載せた。
「……リー…?」
「開けてみて」
まだ戸惑うラミエにそう促す。ラミエはもう一度リーと箱とを見比べてから、ゆっくりと箱を開けた。
中を見たラミエが目を瞠り、見入る。それからそろりと上げられた顔は、まだ驚きと戸惑いが勝っていた。
「…リー、これ…」
「俺の兄貴、金細工師で。それ、兄貴が作ったやつ」
箱の中身は、花模様の彫り込まれた金細工の髪留め。
「あ、でも、ちゃんと店で買ってきたから!」
慌ててそう付け足してから、リーは呆然と自分を見るラミエを見返す。
夜闇の中でも輝くような金の髪に、長いまつげに縁取られた青い瞳。透き通る白い肌に頬と唇は紅く彩りを添える。
ラミエもまた、エルフであるからこその端麗な容姿の内に何かを抱えていて。だからこそ、あのエルフを救えなかった自分へと、彼の代わりだと言って赦しの言葉をくれたのだろう。
あの時は聞けずじまいのその葛藤がなんなのか、そのうち教えてくれるだろうか。
あの時ラミエが自分の気持ちを軽くしてくれたように、自分もラミエの支えになることはできるだろうか―――。
薄暗い中でもわかるほど赤くなったラミエ。その動揺の奥、僅かに見える喜びと期待に、リーにも自然と笑みが浮かぶ。
「好きだ」
自分を見つめるラミエの驚きが、徐々に喜びに塗り替えられていくのを見届けながら。
「俺は、ラミエが好きなんだ」
もはや自然に、己の気持ちは零れていった。
まっすぐにリーを見るラミエの瞳にじわりと涙が浮かんだ。瞬きとともに溢れたそれを少しためらってから指で拭い、リーは未だ声も出ないままのラミエに続ける。
「ラミエはエルフで、俺は人だから。どうしたって俺はラミエより早く年取るし、死ぬけどさ」
身動ぐラミエ。大丈夫だと伝えるように、リーがその手を取った。
「そのあとラミエが寂しくないように、俺にできること、なんでもするから。だからそれまでの時間を、俺と一緒にいてほしいんだ」
ぎゅっと握りしめると、再びラミエの頬を涙が伝う。
もう一度涙を拭おうと手を伸ばしかけたところで、繋いだ手を握り返される。
「ラミエ…?」
髪留めの箱を胸に抱き、ラミエが近付いた。とさりとリーに身体を預け、その肩に顔を伏せる。
「…私…も…」
涙に途切れる小さな声に、リーは空いてる片手をラミエの背に回して抱き寄せた。
「…どうすればいいか、一緒に考えてくれる?」
尋ねると、顔の横で頷くラミエ。
触れる髪のくすぐったさと腕の中の確かなぬくもりがなんだか嬉しくて。
心のままに、リーは少しだけ腕に力を込めた。
読んでくださりありがとうございました。
『統括技師の娯楽と憂鬱』本編完結となります。
もう少し長くなるかと思っていたのですが。ほぼ前作と同じくらいで収まりました。
アーキス、今回メインなのに。最終話出番がありませんでした(笑)。
でもきっとアーキスなら「リーのためだったらいいよ」と言いそうです。
というわけで、引き続き《余話》をどうぞ。




