ともに
取ってあった宿の部屋へと戻ってきたふたり。荷を点検するアーキスの姿に、リーは今更ながら旅もおわりかと思う。
養成所を出て四年、ようやく叶ったアーキスとの旅。思わぬことに巻き込まれたりと、本当に色々あったが。
(楽しかったな)
なんの遠慮も気負いもなく、ともにいられる相手。自分にとってアーキスはそういう相手であると再認できた。
―――そして。
今まで知らなかったアーキスのことを、知ることができた。
出逢ったあの頃にそんなことを考えていたのかと思うとやるせないが、もう心配はないということはわかっている。
何も知らなかった自分。
しかし、それでも何かができていたというのなら。アーキスに助けられてきたこれまでの自分にも、少しくらいは意味があったのかもしれない。
「何?」
ぼんやりと見つめていたことに気付かれて、怪訝な目を向けられた。その瞳に影はなく、穏やかなその表情にほっとする。
きっともう、アーキスにとっては昔のこと。とっくに割り切ったことなのだろう。
「楽しかったなって思って」
なので代わりにそう言うと、ホントに、と柔らかな声が返ってきた。
「今までで一番楽しかったかも」
「大袈裟だな」
「そうかな」
顔を見合わせ、笑う。
「どうせまたすぐ呼ばれるって」
手伝うことになったといっても、基本は今まで通りリーひとりで対応する。依頼が重なったり、ひとりでは大変だとなった時に、アーキスに声がかかることになっていた。
「楽しみに待ってるよ」
「大変だって前提なのわかってんのかよ」
「それでも。楽しみだから仕方ないよ」
噛みしめるようなその声は、どこか切実に響き。少し伏せられた瞳に、普段は見せない心の奥が浮かぶようで。
変わることができたというアーキス。
気付けなかった後悔と、それでも何かできていた喜びと、ひとりで折り合いをつけたアーキスへの尊敬と。
今の今まで隠し通してきた水臭さへの、ほんの少しの苛立ちを。
諸々込めて、息をつく。
「ま、せいぜい一緒に苦労してもらうから。覚悟しとけよな」
伏せた瞳をゆっくりと閉じ。再び開けたその時には、もういつも通りの柔らかな笑みを浮かべながら。
「喜んで」
小さく、しかしはっきりと、アーキスが応えた。
「そういや、技師連、どこのに行くつもりなんだ?」
思い出したようにリーに聞かれ、アーキスはうん、と呟く。
「ローザルに行ってくるよ」
赤の四番のすぐ近く、ローザル内にある技師連盟の本部。橙二番、紫六番にある支部よりも、ここから一番近いのだが。
「アーキス…」
「大丈夫」
わかりやすく心配するリーに、アーキスはすぐさまそう返す。
自分が赤の四番を避けていることも、その理由も、リーは知っている。
「その時はその時、だよ」
そして商業組合で美術品に携わる父が技師連盟本部に出入りしていることも、また。
乳母と弟たちを避けるつもりはないが、家と父は別だった。
自分は父に請うて家を出た。父はそれを認めた。自分はそれを悔やんでいないのだから、家にも、家そのものでもある父にも、近寄ろうとは思わなかった。
なので連盟本部はもちろん、故郷に近い赤の四番は避けてきたのだが。
それでも今回はどうしても連盟本部に行きたかった。
弟子名を返すことは逃げての選択ではない。前を向き、先を見据え、自分が決めたことだから。
だから堂々と、自分と父のことを知る連盟本部で手続きをしようと思った。
「…一緒に行くか?」
まだ困ったような顔をしているリーが、言いかけては言葉に詰まりながら聞いてくる。子どもじゃないんだからと苦笑しつつも、気持ちは嬉しく。
「大丈夫だって」
もしかしたら父に連絡が行くかもしれないが、それで父が来ることはないだろう。偶然会う可能性もあるが、それこそ気にしていても仕方がない。
「もし会ったら会釈くらいするし」
「だから……」
少し呆れのようなものを滲ませるリーに、大丈夫ともう一度告げる。
「俺は請負人になってよかったって、胸を張って言えるから。逃げないよ」
まっすぐ見つめてそう言うと、リーはどこか眩しそうに目を細めてからそっかと返した。
リーから向けられる敬意を感じながら、アーキスは頬を緩めた。
本当に、と。そう思う。
自分がこうして立てているのは誰のお陰か。全く自覚のなさそうなその姿におかしくなる。
自分が請負人で在りたいのは、そう在る自分を認めてくれる相手がいるから。
ともに並び、ともに立ち、ともに歩きたい相手がいるから。
だからこれからも、認めてもらえる自分でありたい。
ともに進むに相応しい自分でありたい。
この先請負人で在る理由が増えたとしても、きっとそれだけは変わらない。
恋も絆も関係ない自分だからこそいられるこの位置。
たとえどんなに『同行者』が増えたとしても、これからも譲るつもりはない。
「リー」
名を呼ぶと自分を見る、誰よりも大事な恩人に。
「また一緒に旅しよう」
万感の思いをその一言に詰め込み、そっと贈る。
一瞬きょとんと見返したリーがふっと笑み崩れた。
「ああ」
照れ隠しのぶっきらぼうな一言に、アーキスも心からの笑顔を返した。
「そろそろ時間じゃないの?」
そわそわと落ち着きのなくなったリーに、からかうように口の端を上げてアーキスが告げる。
「行くんでしょ?」
「…ん……」
もごもごと口の中で呟いてから、リーは覚悟を決めるように大きく息を吐いた。
「行ってくる」
「いってらっしゃい」
頑張って、と笑うアーキスをジト目で睨んでから、リーは部屋を出た。
六の月もあと数日。確実に下がりつつある気温だが、まだ息が白くなるほどでもない。宿を出るなりそこかしこに突っ立っていた男たちから一斉に視線を向けられたが、気にしないでおく。
食堂はもう閉店し、今は片付け中だろう。中に灯りは見えるものの、入口の灯りは落とされていた。
待つこと暫く。
近付く足音と刺すような視線に、リーはその主を見る。
待ち人と同じ、金の髪に青い瞳。
夜闇を照らす街灯を受けて、細められた瞳に浮かぶ光はどこまでも冷たく。
いつぞやを思い出させる光景に、リーはゴクリと息を呑む。
「こんばんは。こんなところでどうしたの?」
リーの前で立ち止まったカレナが、冷えた眼差しと声を投げかけた。
次話最終です。




