曖昧な気持ち
今までになく剣呑な眼差しを向けるカレナを前にして、少し動揺が収まってきたリーは唇を引き結ぶ。
何の話なのかは、多分、予想通りだろう。
リーの顔付きが変わったことに気付いたカレナが、僅かに表情を緩めて辺りを見回した。
「六の月に入ってからこうして待たれることが増えて。だから私が迎えに来てるのよ」
エルフの容姿を隠すことなく凛然と立つその様子は薄暗い宵闇の中では妖艶に浮かび、おいそれと近付けぬ雰囲気を醸し出している。男たちの方もカレナを気にしてはいるが、食堂にいる時とは違いどこか近寄り難く、気軽に声をかけられずにいるようだった。
「ラミエは今までそういう色気がなかったから。本気で言い寄ってくる男はいなかったんだけど」
様子を窺う男たちを見回して、カレナは肩をすくめてからリーに向き直る。
「今のあの子には色がある。…誰かさんのお陰でね」
突きつけられる、冷えた眼差し。
「…俺のせい、って?」
「さぁ、どうかしらね」
なんとか返したリーだが、軽くあしらわれた。
何が言いたいのかと問うに問えず。リーはまた口を噤みただカレナを見返す。黙り込んだリーを暫し無言で見つめてから、カレナがふぅっと息をついた。
「どうしてここに?」
尋ねる声音が少し和らいだことに、リーもまた緊張を緩める。
「…ラミエと店であんまり話せなかったから…もう少し話そうと…」
「そう」
短く返し、カレナは食堂を見やった。
「……私はね、あの子の姉だから。いつまでも幸せでいてほしいのよ」
一瞬滲んだ妹への慈愛をすぐに消し、まっすぐにリーを見据える。先程までの冷たさはないが強く問い質すような瞳に、リーのそれにも自然と真剣味が増した。
「だからあなたにも考えてほしいの。あの子はまだこの先二百五十年以上を生きるエルフで。あなたは長くても八十年に満たない人」
瞠目するリーに、淡々とカレナは続ける。
「生きる時間が違いすぎるのよ」
特別扱いできないから今夜は帰って。
カレナにそう言われ、リーはラミエに会えぬまま宿へと戻った。
混乱する頭ともやもやする胸を持て余し、どさりとベッドに倒れ込む。
―――自分にとってのラミエの存在。
エルフだから当然なのかもしれないが、さらりと流れる金の髪も、輝くような青い瞳も、赤く染まりがちな白い頬も、正直きれいで。はにかみながら手を伸ばし、遠慮がちに服をつまむ様子はかわいいと思っている。
しかしそれ以上に。
見せる優しさと気遣いに助けられ、沈む自分に気付いてもらえて、それでよかったのだと励まされたのが嬉しくて。
自分の何気ない一言を嬉しそうに受け取って笑ってくれる。それがどうにも心地よくて。
いつの間にか、もっと話したいと思うようになっていたのだと思う。
以前食堂に姿がなかった時は心配になって。今は同行員の資格を取るための訓練で食堂にいることが減ったこの状況を、少なからず残念に思っていて。
だからもう少しふたりで話したかった。
気恥ずかしくも心地いいこの距離感に、もう少し浸りたかった。
自分が抱くのはそんな曖昧な気持ち。今のことしか考えていない、底の浅いものでしかない。
三百年を生きるエルフと、百年に満たない人と。
突きつけられた種の違い。その差はあまりに大きくて。
彼女が好きなのかどうかも答えられない、そんな自分に何を考えろというのだろうか?
見上げる天井に向け、息を吐く。
ここには自分ひとりしかいない。
答えを出せるのも、自分ひとりしかいないのだ。
翌朝、まだ食堂も開かぬ時間にリーは宿を出た。
朝は忙しく見送りも行けないと、前に聞いていたけれど。それでもなんとなく外で待っていてみようと思ったのだ。
早朝の町は、どこか熱を帯びたままの夜のそれとはまた違った静寂を纏い、真夜中以上に静まり返る。少し靄がかっている気がするのは、まだ日が差しこんでいないからだろう。
視界に入った食堂に、リーは思わず苦笑する。
あれから一晩、考えていた。
わかったことといえば、間違いなくラミエに好意を持っている自分と、だからといってどうしていいかわからないこと、だ。
彼女のことは、多分、好きなのだと思う。
彼女にも、多分、好意的に思ってもらえていると思う。
しかし、カレナが言う『生きる時間の違い』については、どう考えればいいのかわからない。
もちろん言われていることはわかる。
しかし、自分が彼女に示せるものは何もない。
人だからというだけではない。請負人であるのだから、いつ何があるかもわからない。
そんな自分が、この先二百年以上を生きていく彼女に何が言えるというのだろうか―――。
静寂の中、近付く足音に気付いてリーは顔を上げた。
人がいるとは思っていなかったのだろう、受付棟の横から現れた人影が少しびくりとしたように立ち止まる。
目深に被ったフードからは、金の髪が零れていた。
「…え……?」
「リー!」
見覚えある容姿に固まるリーに、フードをはねのけてラミエが駆け寄る。
「よかった! こんな時間だから、宿に行っても会えないかもって思ってて」
リーの前で立ち止まり、ラミエが満面の笑みを浮かべた。
考えすぎて幻覚でも、と思わないでもなかったが、真正面で嬉しそうに細められる青い瞳は疑いようもなく本人のもので。
惚けて見入ってしまってから、リーははっと我に返る。
「ラミエがなんでここに…?」
「昨日はごめんね。ほかの人が多いから帰ってもらったって、お姉ちゃんから聞いて」
少し申し訳なさそうに眉を下げ、ラミエが告げた。
「朝はあんまり時間ないけど。少しでも会えたらいいなって思ったんだ」
するりと伸ばされた手が袖口をつまむ。
「…だから、会えて嬉しいよ」
綻ぶその顔に、思わず空いている手を伸ばしかけて。リーはぐっと拳を握りしめ、その衝動を逃がしてから頷いた。
「…来てくれてありがとう」
呟くなり明らかに輝いたその瞳に、思わず頬が緩む。
曖昧ながらもそれなりに自覚したからか。向けられる笑顔がこそばゆい。
こちらの変化に気付いているのかいないのか、嬉しそうに微笑むラミエからは読み取ることはできなかったが、ほんのり染まる頬に、喜んでくれたのかなと思う。
「リーは剣の調整に行くんだよね」
「うん。何日かはかかるけど、また戻ってくるから」
その時はもう少しゆっくりと話したい。
喉まで出かかった言葉は、音にはならず。
―――自分はまだ、カレナの問いに答えられない。
「…その時に」
「うん。気をつけてね」
伝えられたのは、半分だけの自分の気持ち。
どこまでも曖昧なそれに、それでも返される笑みは幸せに満ちていて。
少しだけ、胸を抉った。